けれど、それでも、だから Ⅶ(1)
つい数分前まで疲れきった表情を見せていた鈴ちゃんであったが一変、横並びになっている屋台に目移りしている彼女の瞳は宝石を見ているようにキラキラと輝いていた。きっと今この時だけは、鈴ちゃんにとって屋台の食べ物は宝石よりも価値のある物になっているだろう。
そんな近所の小学生のような鈴ちゃんの横に並んで歩く私も、鈴ちゃん同様屋台に目移りしている。特に珍しい屋台には興味がそそられ、鈴ちゃんではないが食べてみたさで口内に唾液が溜まってしまう。
しかし千夏ちゃんが珍しいモノを買ってくると口にしていたため、買おうにも申し訳なく感じる私がいるため見るだけしかできな…。
「はいっ、これ琴美の分ね。」
と目を離していたうちに、鈴ちゃんはりんご飴を私に差し出してきた。
「ちょっと鈴ちゃん。アリスちゃんたちがそれなりに買ってきてくれるんだから、あまり食べない方が…。」
「甘いものは別腹だよっ。あ、それ私の奢りね。」
私の話を聞くことなく美味しそうにりんご飴を舐める鈴ちゃん。「琴美も」と急かされ「もぉ」とため息をつきつつも、鈴ちゃんが買ってきてくれたりんご飴にペロッと舌を当てた。こういった屋台の食べ物はあまり好きではないが、何故か美味しく感じるのは鈴ちゃんがいるからなのだろうか。
「ね、おいしいでしょ?」
にっこりと笑う鈴ちゃんに「おいしい」と笑顔を返してあげる私。瞬間鈴ちゃんの顔はぽっと赤くなり「恥ずかしぃよぉ」と言いつつも、にやつきが抑えきれていなかった。
「けどいいの、奢ってもらって?鈴ちゃんの大切なお金を、私のために使わなくても…。」
この発言がダメであることに気付くも遅く、鈴ちゃんは不満そうな表情にころりと変わると、大きく一歩前に出た。そして私を見上げ、目の前で一度息を吸い込み大きく吐いた。
「前にも話したけど、琴美は私の好きなように使えって言ったじゃん。だからこうして使ってるの。私のお金で琴美を幸せにしたいのっ。」
「鈴ちゃん…。」
「…本音は、ただ琴美に貢ぎたいってだけだけど。」
喜べばいいのやら、怒ればいいのやら。
「とにかく、私は琴美の幸せのために使ってるの。琴美はありがたく、受け取ればいいだけ。」
不機嫌そうにりんご飴にかじりつく鈴ちゃんであったが、鈴ちゃんが思っていたよりもりんご飴は固かったらしく、無言でりんご飴から口を離した。りんご飴に残る少しの歯形から、その固さが私にも分かる。
「…それじゃぁそうする。けど、私にも奢らせて。奢られてばかりだとさ、鈴ちゃんに何だか申し訳ないし…。」
「…じゃぁさ、私に琴美の休日譲ってよ。」
私の発言から一分弱。考えに考えた鈴ちゃんの口から出てきた言葉は夫が妻に言うような台詞であり、妻でもない私には理解できなかった。
そんな私にすぐ気づいた鈴ちゃんは「もぉ」と漏らすと、りんご飴を持つ手をとは反対の手で私に指を指した。
「つまり、デートしたいってこと。琴美鈍いよ。」
「私が鈍いんじゃなくて、鈴ちゃんの言い方の問題だと思うけど。」
苦笑いを浮かべながら鈴ちゃんにそう伝えた私であるが、内心嬉しいかぎりである。
鈴ちゃんとデートしたいという気持ちは私にもあり、夏休み中に数回は二人だけで何処か出掛けたいとばかり考えていた。
しかし、鈴ちゃんのバイトや補習からそもそも鈴ちゃんにそのような話をふるタイミングがなかなかなかった。そんな状況の私にとって、鈴ちゃんの一言はありがたいものである。
「でも鈴ちゃん。夏休みは稼ぐからって連日バイトいれるって話してなかった?私とデートする時間なんかあるの?」
「さすがにデートする時間ぐらいあるよ。…宿題する時間があるかは知らないけど…。」
私から目線を剃らす鈴ちゃん。話したらいけないことぐらい鈴ちゃんでも分かるだろうに、何故話したのだろうか。
「…いいよ。手伝ってあげる。」
「ほん…。」
「ただし、解き方教えてあげるだけだから、自分の力で答えること。」
希望から絶望に突き落とされたように表情をコロコロ変える鈴ちゃんは見ていて飽きないが、彼女のためにも答えを教えるわけにはいかない。私自身の休暇中の課題はもう終わってはいるが、補習の度にその日の課題が出るため、鈴ちゃんの場合は日に日に増していってるはず。
それに私たちは来年受験生になり、正直鈴ちゃんの成績から考えると今から初めても遅くはない。こういう言い方をすると鈴ちゃんが不機嫌になるので本人の前では言わないが、彼女の頭のなかは悪い意味で私で染まっているだろう。
「琴美に教えてもらっても、絶対に授業中に習ったことだって言うんだもん。普通の生徒は授業聞いただけで、授業の内容なんて覚えてないよ。」
「鈴ちゃんの場合は、授業中寝るからだと思うけど。いつも言ってるじゃん、夜更かしはするなって。」
教え方に不満を漏らす鈴ちゃんへ向けた正論に、鈴ちゃんはしかめっ面を浮かべるとりんご飴を無理やり噛み砕こうと試み始めた。すぐに諦めることなど目に見えている。
「…まぁ理由が何にせよ、鈴ちゃんが勉強熱心になってくれることは嬉しいよ。」
「…願わくは、宿題という概念を抹消して毎日琴美とデートしたい。」
「さすがに毎日は私のお金が尽きちゃうよ。」
ははっと空笑いをする私であるが、嬉しいという気持ちは本心である。
というのも、先ほども話した通り鈴ちゃんとの二人きりの時間は一年の頃に比べ減っている。そのため鈴ちゃんに勉強を教えてあげるということはすなわち、鈴ちゃんとの時間を作れるということになる。鈴ちゃんには悪いが、こちらにとってはありがたい。
「でも…そうだな…。」
「どしたの琴美?考え事?」
りんご飴を三割ほど噛み砕き口元が飴でベタベタの鈴ちゃんは、私が思わず漏らしてしまった独り言を聞いてしまっていた。…というか、あの固さのりんご飴を食べられていることに驚きである。
「あぁうん。いや、私もバイト始めようかなってね。ほら、修学旅行まで二ヶ月ちょっとだし。」
りんご飴を一舐めしてから鈴ちゃんにそう伝えると、鈴ちゃんは「脅されたの?」と険相変えて私に顔を近付け問いただしてきた。いや、何故そうなる。
私たち二年生は、十月の中間考査が終わるとすぐに修学旅行がある。去年は学校側の問題で飛行機が取れなく十一月中旬という微妙な時期になってしまったが、今年はその失態からもう既に飛行機の予約は済ませているらしい。ちなみに旅行先は教えられていないが、去年は北海道だったらしい。…十一月中旬だというのに。
話は少しずれたが、その修学旅行で必需、いや生命と言い切っても過言じゃないのが旅行先で自由に使えるお金である。
一般の考えてあれば、修学旅行の費用等は全てその生徒の保護者が負担する。私の家庭もその考えなのだが、何もかも出して貰うのはさすがに贅沢ではと私の善意が囁いていたのだ。価値観の変化というモノなのかは分からないが、せめて自由に使えるお金だけは自身で何とかしようと私は近頃考えていた。
「違う違う。それにほら、鈴ちゃんは自分で働いて、そのお金で食材買ってきてくれたりするでしょ?比べて私は母親に出してもらってる。自立も兼ねて、いいタイミングじゃないかなってね。」
私の説明に納得しつつも、どこか不安げと言うか不機嫌そうな鈴ちゃん。ただ私の言ったことは正論で有り、鈴ちゃんは反論できぬまま再びりんご飴に齧りついた。もう半分以上食べ終えているが、その横の私は未だ原型を保っている。
「…まぁ琴美がしたいって言うならしたら良いと思うよ。それに、琴美が決めたことに私が反論する権利なんてないし…。」
落ち込む様子を見せながらもすんなりと了承してくれた鈴ちゃん。てっきり矛盾やブーメランになったとしても、鈴ちゃんが何かしら反論してくると思っていたため、私は思わずりんご飴の棒を持つ手を離してしまったが、何とか空中でキャッチした。これには私も鈴ちゃんもほっと息を漏らす。
「もぉ、急にやめてよ琴美っ。心臓に悪いよぉ。」
「いやだって、鈴ちゃんが反論してくるだろうなって思ってたから、許可してくれたことに驚いて…つい。」
ははっと苦笑いする私とは変わり、安心していた表情から暗い顔になる鈴ちゃんはりんご飴を完食し終え、残った棒を近くのゴミ箱に狙いを定めて投げ入れた。が、ゴミ箱の手前で落としてしまい、ため息をつきながら棒を拾いに行き、今度はしっかりとゴミ箱の中に入れた。最初からそうすれば良かったのに、という言葉を鈴ちゃんに言うのは禁句だろう。
「…だって、反論したところで、今の琴美は絶対に言うこと聞いてくれなさそうだし。」
戻ってきた鈴ちゃんが口にした言葉に、私は「どういうこと?」と首を傾げた。確かに、例え何かの間違えで私が反論できないようなことを鈴ちゃんが口にしても、私はバイトを強行する気ではいる。そんなきもちであるからこそ、すんなり了承してくれた鈴ちゃんに戸惑っているのだ。
「…琴美、千夏ちゃんに再会してから随分変わったよね。」
「えっ。」
「私は別にそれが悪いことだとは思わないよ。昔のようにキラキラしてて、私が転校する前のような表情をしてくれてさ。」
私が幼くなったと言っているかのような発言ではあるが、鈴ちゃんになりの言葉なのだろう。
「心を開いてくれたり、しっかりと私や他の人たちを見てくれることは凄く嬉しい。けれど、急激に変わっちゃって以前よりも知り合いが増えて、私にとって琴美が遠い存在になっているというか…。」
どう表現すればよいか分からなくなっている鈴ちゃんではあるが、今の言葉で私は、鈴ちゃんが私に何を伝えたいのかある程度理解することが出来た。要は、私が変わったことに嬉しさを感じつつも、遠い存在になってしまった事への寂しさを感じるということだろう。
鈴ちゃんの言う通り、確かに千夏ちゃんと再会して和解した後、私は以前に比べ他人に干渉するようになっている。そのことで誰かといることが多くなり、同時に鈴ちゃんと共にいた時間を削ってしまっている。数ヶ月前から鈴ちゃんのバイトで入学当初よりも共にいる時間が減っていたが、減っていると感じた時間は何となく「減ったな」ぐらいで、今では「減った」と断言できる。それは私だけでなく、鈴ちゃんも感じていたようだ。
私はあの日から弱い自分自身と向かい合ってきた。その行いが私が意識していないだけで「変わる」ということで、私が自分自身と向かい合えば向かい合うほど「変わって」きたのだろう。そしてそれは、私自身だけでなく周囲の環境なども変わっていく。その結果が、今このようにして形になってしまったということだろうか。
ー変わらない弱い自身に向き合うことで、琴ちゃんは自分を改め直そうとしているんでしょ。自覚がないかもしれないけど、それは変わろうとしている何よりの証拠だ。ー
ーそのままで大丈夫だよ。ことみんは自然と変わってる。焦らなくても、私もりんりんも分かってるよ。ー
「…そういうこと、か。」
千夏ちゃんにもアリスちゃんにも変わったと言われ続けた私であったが、私自身、それがどういうことか全く理解できていなかった。考えてはいたものの、悩めば悩むほどますます分からなくなっていた。昼間に少しだけアリスちゃんに気付かされたが、それもほんの少しだけ。
しかし、一年と数ヶ月前から一つ屋根の下で共に暮らす鈴ちゃんは、アリスちゃん以上に私といる時間は多かった。そのためアリスちゃんに言われ気付かされた時よりも、いや鈴ちゃんに気付かされたのだ。私がどのように変化し、どのような変化を周囲に与えたのかを。アリスちゃんが分からないことも、鈴ちゃんなら分かっている。
「琴美?」
「…鈴ちゃんの言う通り、私は千夏ちゃんと再会して変わった。以前よりも知り合いは増えて、私は入学の頃に比べて性格も考えもかなり変わった。鈴ちゃんが言うように、急激に。」
私の言葉に表情が更に曇る鈴ちゃん。夏祭り会場で鈴ちゃんの悲しい表情など見たくなかったが、きっと今でこのタイミングでなければ、私はもう鈴ちゃんに話せなくだろう。だからこそ、今ここで鈴ちゃんに話すべきなのだ。
「…今までの私の印象が強かったからこそ、鈴ちゃんが変わった私を遠く感じるのも無理はないよ。けど…。」
思わずりんご飴を離してしまい地面に落としてしまう私だったが、気にすることなく鈴ちゃんの両手をぎゅっと握りしめた。
「私たちの関係は変わらないよ。今まで通り、私と鈴ちゃんは恋人だよ。それだけは絶対に変わらないし、絶対に変えない。だから、私を信じて。」
自身の口から「信じて」などという言葉が出るとは思ってもみなかったが、そんな私にとって大切な変化を気にするひまなど今はない。それよりも、目の前にいる鈴ちゃんと向き合う時間にその暇を費やしたい。
「私ね、最近鈴ちゃんと一緒にいられなくて正直寂しいの。ずっと共にいたからちょっと離れただけで、ひとりぼっちになるというかあの頃に逆戻りしたというか…。」
「…私も、私も寂しかった。琴美が私以外の人といる時間が増えて、安心したのは確かなの。けど、それで琴美との時間が減ってしまうのは悲しくて、夜な夜な悩んでたりしてるの。」
私の今の心境を明かすと、それに返事をするかのように鈴ちゃんも思いの丈を打ち明けてくれた。夜更かしや体調不良はもしかすると、私のことで悩んでいた証拠なのかもしれない。もしそうであれば、私は鈴ちゃんの恋人として失格の行いをしてしまったことになる。しかしこの事を話せば、また私は鈴ちゃんに怒られるだろう。
「それに、琴美が離れてしまって恐かったの。誰かに取られて私なんか見向きもしないんじゃないかって。琴美といるこの時間も、いつしかなくなるんじゃ…。」
鈴ちゃんらしくない後ろめたような発言に心苦しくなり、気がついた時には公共の面前であるにも関わらず鈴ちゃんを抱きしめていた。しかし、周囲は私たちのことなど気にすることなく夏祭りを楽しんでいた。きっと気にしてもじゃれ合っていると思うだけだろうが、私と鈴ちゃんの心音はお互いがハッキリと分かるほど高鳴っていた。そんなことなど、周囲の人々はまず分からないだろう。
「ごめんね、寂しい思いさせて。けど、ありがと。鈴ちゃんに本音を、ちゃんと私に話してくれて。」
私は一度鈴ちゃんを抱きしめる強めると離れ、鈴ちゃんの前髪を払い上げ、前髪が元に戻る前に鈴ちゃんの額に軽く唇で触れた。一瞬の出来事だったので周囲は気付くはず無く、キスをされた鈴ちゃんでさえ何をされたのか瞬時に把握することが出来ず、ポカンと小さく口を開けたまま数秒が過ぎた。
と鈴ちゃんが口を開けようとしたとき、夜空が急に明るくなり、少し遅れてドンッという大きな音が鳴り響いた。その音に私と鈴ちゃんは同時に顔を夜空に上げると、そこには涼しげな色で光り輝く花火の姿があった。思わず「綺麗…。」と同時に口にした私と鈴ちゃんは顔を見合わせると、二人揃ってふふっと笑ってしまった。お互い先ほどまでの強ばった表情とは一変、緊張が解けたような安心した表情に変わっていた。
そして「今度は二人っきりで来ようね。」と約束した私は鈴ちゃんの手を握ると、それに返事をするように握り返してくれた。私たちの夏は、まだまだこれからなのだ。
とはいえ、もう少しだけ二人でいたいと私と鈴ちゃんは同じ考えをしており、花火が打ち上がっているにも関わらず、お互い「戻ろう」と提案することなく前半の打ち上げが終わるまで、私と鈴ちゃんは手を繋いだまま夜空に輝く花火を眺めていた。




