けれど、それでも、だから Ⅵ
所変わって舞台は夏祭り会場。太陽は完全に沈んでしまい本来であれば暗いはずの時間帯だが、空以外は周囲の屋台の灯りで店の中にいるような明るさになっている。夜空の星など全く見えないが、今はそんなこと誰も気にはしていないだろう。それよりも、誰しもがまだかまだかと打ち上げを心待ちしているに違いない。かという私も、打ち上げの時を楽しみに待っている。
それは夏祭りに来る自体も久しぶりだからというのもあるが、クラスメートと見られるというのが一番の要因である。
中学のあの事件以前は千夏ちゃんや家族と夏祭りには行っていたが、それ以降はそもそも夏祭りにも訪れていない。訪れれば千夏ちゃんたちとの思い出が脳裏をよぎるかもと避けてばかりいたが、今となってはそんな心配など必要ない。
「やっぱ浴衣の方が良かったかな…。私服じゃなんか夏祭りって感じになれないというか…。」
白のフレアスカートにストライブのシャツと上品で優しげがありながら涼しそうな服装のアリスちゃんではあるが、どうやら自身の服装に不満らしく唇をアヒル口に突き出していた。表情は身バレしないようにとサングラスをかけているのだが、どうしようもない髪色でバレないかと本人以上に冷や冷やしている。
一個人としての感想を述べるのであれば、同い年の私たちに比べ少し大人な雰囲気を見せる千夏ちゃんであれば、浴衣よりもこちらの服装がアリスちゃんには似合っていると思うが…。
「でもアリス、お仕事で浴衣なんて着られるでしょ?」
「それとこれとは別ぅ。浴衣を着ての夏祭りこそ、真の夏祭りだって言えるの。私服での夏祭りなんて魅力半減だよ。」
ため息をつくアリスちゃんを香奈ちゃんが見逃すことなどなく、香奈ちゃんにしては珍しくムッとした顔つきでアリスちゃんを見つめた。
「あ、そう。なら帰る?」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、そんなことありません。香奈がいるだけで充分真の夏祭りです。だから許してぇ。」
「許すから抱きつかないでっ!暑苦しいっ!!」
冷たい態度を取る香奈ちゃんに大人びた雰囲気など一切感じない謝罪を取るアリスちゃんに、周囲の一般の人々は何事かと注目していた。さすがにヤバいのではと「ちょっとアリスちゃん」と耳打ちをするが、何故か周囲はアリスちゃんだと気付いてない様子だった。
疑問に感じていた私をアリスちゃんは察し、香奈ちゃんから離れると今度はアリスちゃんが私に「私を知っている人たちは仕事中の私であって、今の私を知っているのは学校内ぐらいだよ。だから顔さえバレなければ何でもし放題ってわけ。」と耳打ちしてくると、ついでにとキス…ではなくキス音を…。
「ちょっ、何して…。」
「ん?へへっ、お礼お礼っ。」
と呑気にこちらに笑顔を向けるアリスちゃん。すぐそこにいる香奈ちゃんはというと、彼女らしく…というか見てはいけないような表情に、私は視線を逸らさずにいられなかった。見るに堪えないというのは、今の状況のようなことを言うのだろうか。
「ねぇ琴美ぃ。私お腹空いたんだけど。」
自由かよと思わずツッコミたくなる鈴ちゃんの発言にため息が出そうになったが、二葉姉妹は二人で話し合っており、千夏ちゃんは(私としては)夏祭り会場では珍しいケバブの屋台に興味が向いていた。そして咲ちゃんはというと、クラスメートか生徒会メンバーか分からないが談笑していると各々自由な行動とっていた。仕方ないとはいえ、自由にもほどがあるというもの。
とはいえ、鈴ちゃんの気持ちが分からなくもない。会場に訪れる間にも屋台は至る所に並んでおり、そこから漂ってくる食欲を誘う香りに私のお腹もそろそろ限界に近い。先ほどからお腹が鳴りそうで心配ばかりしていたところだ。それに、ちょうど頃合いといえば頃合いだろう。
「…まぁ、あれだけ遊んだらお腹空いても仕方ないよね。んじゃ、屋台もいっぱいあることだし二人一組とかで分かれる?」
アリスちゃんと考えた自然に二人きりになる策、それはお腹が空いた頃合いを見て屋台の商品を買ってくるというごく普通の策だ。とはいえ、この場にいるメンバーは全員が鈍感というわけではなく、怪しまれないよう全員が頭の回転が鈍くなる空腹状態を狙ったのであるが…。
私は共闘しようと誘われたアリスちゃんに視線を向けた。更衣室から出てすぐ、アリスちゃんから「今晩はもういいよ」と伝えられた。そのそばにいた香奈ちゃんの少し緩んだ口角から、その言葉の意味が伝わるのに時間はかからなかった。
本来であればアリスちゃんのお願いであるため、そこで切り上げるべきだったのだろう。しかしアリスちゃんが香奈ちゃんと二人きりになりたいように、私も鈴ちゃんと二人きりになりたいと譲れない条件があった。
二人きりになりたいのであれば家で好きなだけなれる、などという考えも確かにあった。けれど家では話せないような話しの一つや二つ、私も持っているし鈴ちゃんもきっと持っているだろう。琴葉や私の母親にですら聞かせたくない、隠し事を。
それを話す聞くためにも、この場で二人きりになるべきだと私は考え、アリスちゃんに「そのまま決行する」と彼女にとってはよく分からない答えを出してしまった。まぁ共闘する条件として、鈴ちゃんと二人きりになりたいと掲示したため、私の発言に表面上は疑問に思っていないだろう。もちろん、アリスちゃんが疑問を感じていることなど私はお見通しである。
「もっちろんいいよっ。なら私は、このお嬢様とたこ焼きと唐揚げ適当に買ってくるねぇ!!」
と言い切る前に香奈ちゃんの手を握ったアリスちゃんは、香奈ちゃんと共に人混みの中へと消えていった。私たちに聞かずして、いったいいくつ購入してくるのやら。胃に溜まりそうなモノばかりだというのに。
「全く…。」と振り返ると、つい数秒前まで元気だった鈴ちゃんが疲れたように小さく息切れを起こしているのに私は気付いた。
「鈴ちゃん疲れた?今日あまり調子良さそうじゃないけど、休憩した方がいいんじゃない?」
思い返してみれば今日、鈴ちゃんはいつもに比べあまり調子が良い方ではないように見える。昼間に海で遊んでいたときも休憩すると言って、浜辺で一人休んでいる時間が時々あった。また泳ぎ方を見ていても、どこか手を抜いているような泳ぎ方に私には見えていた。
「え、あ、ちょ、ちょっとお昼はしゃぎ過ぎちゃった後遺症かな?疲れてはいるけど大丈夫だよっ。まだ一泳ぎはできる。」
「…元気なのは良いけど、急に倒れたりしないでね。」
一見元気そうに見える鈴ちゃんではあるが、それが空元気であることは何となく理解していた。それは良くも悪くも、私が鈴ちゃんの「大丈夫」を信用していないからである。
とはいえ、鈴ちゃんが疲れている姿を見るのは地獄のような試験期間以来であったため、空元気な姿を見せられるとますます心配になってきてしまった。
「…千夏ちゃん。鈴ちゃんの調子悪そうだから、二人で花火見やすそうな場所探しててもいい?」
涼しそうで危険なタンクトップ姿の千夏ちゃんに近づき鈴ちゃんに聞こえぬよう耳元で囁くと、一度千夏ちゃんは鈴ちゃんに視線を向けた。他人から見ればちょっと疲れたぐらいで心配する必要がないかもしれないが、私からしてみると心配以外の何者でも無い。
それに私自身、人混みは苦手なためあまり会場をうろうろしたくはない。家族や千夏ちゃんたちとの夏祭りは基本的に花火が目的で、夏祭り自体にはあまり乗る気ではなかったような気がする。
「…まぁ琴ちゃんの頼みとあらば仕方ないか…。んじゃ、そこの生徒会長さんと珍しいモノでも買ってくるね。」
数秒の間の後、今度は私の耳元でそう囁いてくれた千夏ちゃんは、長いこと話し合っている咲ちゃんの腕を強引に掴むと「行くぞっ」と言って無理矢理連行していってしまった。本人は近頃周囲からのイメージ改善を心掛けているらしいが、アレのどこがイメージ改善なのか理解しがたい。むしろ余計に悪くなっているように私としては見える。
千夏ちゃんと咲ちゃんも人混みに消えていく中、鈴ちゃんの近くにいた二葉姉妹は何故だかいつもに比べ距離を置いていた。ただ今日一日の二人を思い返しても喧嘩していた様子はなかったものの、一日を通してみても、やはりお互いに距離をとりあっていたように思える。
「な、なぁ琴美。私ら姉妹は何買い出ししてきたらいい?」
私からの目線に気がついたように声をかけてくる愛ちゃん。その横にいる舞ちゃんは少々戸惑いの顔を見せていた。私同様人混みが苦手な舞ちゃん。確かに愛ちゃん同伴であれば多少は安心できるが、鈴ちゃんとアリスちゃんに続く自由人な愛ちゃんを果たして夏祭りの会場に野放しにしていいのだろうか。
しかし、この状況はこちらにとってはかなり好都合な話である。というのも、アリスちゃんとの話し合いの中で一番の課題は、この姉妹をどう私たちと引き離すかであった。
私とアリスちゃんの場合は共闘していることや恋人であることから、簡単にグループから離れることは可能であり、千夏ちゃんと咲ちゃんについてもよく二人でいるという話を聞くため難しいとは思っていなかった。特に千夏ちゃんに限っては、私の頼み事であれば断らない自信があった。
だがこの姉妹は別だ。特に愛ちゃんについては、鈴ちゃんアリスちゃん以上に考えが読めない。勘が鋭いようで鈍感な振る舞いに、いつも私の寿命を縮めてくる。気付いているのか気付いていないのか分からないし恐くて知りたくもないが、もし知っているとすればおしゃべりな愛ちゃんは誰かに話しているはず。そんな噂話が私の耳元に入っていない時点でバレていないことは分かりきっている。
だからこそ、バレぬよう慎重に愛ちゃんたちを私たちからどう離そうかとずっと考えていた。そんな私に対してなのかは定かでないが、愛ちゃんからの提案を私が呑まないはずなどなかった。
「あ、じゃぁ飲み物お願いできるかな?舞ちゃんもいることだし、あまり重いモノはね。」
しかし私とアリスちゃんのわがままで現在動いていると言ってもおかしくはなく、関係の無い二葉姉妹にとっては迷惑でしかない。さすがに何かしらの考慮をしなければ、二人に申し訳なく感じる。
「お、そうか?まぁ私がいるから何とも無いと思うけど、サンキューなっ。」
愛ちゃんはにかっと笑みを浮かべるが、何故だか私は、愛ちゃんのこの笑顔が作っていると確信してしまった。それが一体何を根拠に嘘だと確信したのかは分からないが、いつもと変わらぬ笑顔の奥底に何かが隠れているような、そんな不安を漂わせる何かを私は感じてしまったのだ。
「…なぁ琴美。私の顔に何かついてるか?」
「あ、ううん。何でもない。お金は後で出すから、私と鈴ちゃんはお茶をお願いしてもいい?」
誤魔化し方が雑ではあったが、愛ちゃんにはその程度の誤魔化しでも気付かないことは何度か経験しており、案の定「了解っ」と親指をたてると舞ちゃんの手を握りアリスちゃんや千夏ちゃんとは反対の方向へと歩いて行った。人混みで見えなくなるまで私は見送っており、その間舞ちゃんは複雑な表情を浮かべながらも目が合った私にぺこりと小さく頭を下げた。その様子に二人に何かあったのかとモヤモヤするも、今は作ってくれた鈴ちゃんとの時間を有効活用しないといけない。
「ねぇ琴美…。」
私と鈴ちゃんの二人っきりになった途端、甘えるような声で私の名前を口にする鈴ちゃん。瞬間私の鼓動が大きく高鳴り、暑さで出る汗とは違う汗が私の首元を流れた。今どんな表情で鈴ちゃんが私を見ているのかがとても気になるが、今振り返れば私は公共の場であるにも関わらず…。
「その…空腹で倒れそう。」
期待を裏切られ振り返った私の前には、両手をお腹にあててしゃがみ込んでこちらに苦笑いを浮かべている鈴ちゃんの姿があった。と、お腹が盛大に鳴り響き、えへへと恥ずかしそうに顔を赤く染める鈴ちゃんに、もはやこちらとしては何も言い返す気は無い。
「…はぁ。全く、呆れて言い返す気も失せたよ。」
「せめて呆れてじゃなくて可愛さでにして。」
「…そこに自覚持つのはわりとヤバイと思うよ。」
こういうことを、世間では自意識過剰というのだろうか。まぁきっと、冗談めかしい発言をするのは私の前だけだと思うが、それも鈴ちゃん本人ではない私には知るよしもない。
怒りながらもどこか嬉しそうな鈴ちゃんは、不機嫌に頬を膨らましながら「ほらっ、一緒に行くよ」と私の手を強引に掴み引きずるように引っ張ってきた。言うことの聞かない犬のリードを無理矢理引っ張る少女のようなその様子に、ふふっと小さく声を出して笑ってしまった。鈴ちゃんに聞かれていないかと少し心配したが、不機嫌な表情から一変。ずらりと並んだ屋台に目を輝かしており、再び呆れつつも「鈴ちゃんらしいな」と微笑んだ。
本当であれば私たちはあまり動いてはいけない役割。しかし鈴ちゃんと二人きりだということに浮かれていた私は「少しだけ」と、鈴ちゃんにバレぬようこっそりとアリスちゃんに「少しだけ二人で楽しむ」の一言をメールで伝えておいた。
そのまま携帯を閉じた私であったが、この日帰宅の際に携帯を開けて確認しても、アリスちゃんからのメールはなく既読の二文字もなかった。だがそれは仕方が無いことだと思い込んでしまい、私はアリスちゃんに問うことなく携帯の電源を切ってしまった。




