けれど、それでも、だから Ⅴ
「ったく、本っ当アリス信じらんない。どうして人前で水着脱がそうとしてくるかな。」
「いや、恋人なら恋人の水着脱がすなんて当たり前のことじゃん。」
「そんなわけないじゃん!!」
かなりご立腹の香奈は私の頬を抓りながら日頃の愚痴を浴びせてくるが、当然私にとって女の子からの罵声はご褒美である。更にそれが香奈の場合、罵声一言につき一万ほど払いたい。というか払わさせていただきたい。
空がだいぶオレンジ色に染まった頃、海から出てきた私たち御一行はこの後向かう夏祭りのため身支度をしていた。そして先に終えた私と香奈は二人で近くの休憩所で一時の休息をとっていた。いつも通りの振る舞いを香奈には見せているが、この時間が止まらなければと私は香奈と話しながら考えていた。
というのも私は、女優としてのドラマの撮影などから昔から香奈と一緒に過ごせる時間は限られていた。そうなることを承知の上で私たちは付き合ってはいるが、世間一般の高校生カップルのように放課後デートや制服デートといったものしてみたい気持ちはもちろん持っている。
今までは学校もあり「勉学に支障が出ない程度」に仕事が入っており、何とかすれば香奈との放課後デート等を決行することはそう難しい話ではなかった。
しかし夏期休暇になればそれも少しだけ変わる。補習日の日がいつも以下の量なのは嬉しいことなのだが、休みの日、つまり学校等がない私が基本フリーになる日の撮影量はいつもに比べ多いものとなっている。それだけであればまだ堪えることが出来たのだが、今日の夏祭り以外の夏祭りや花火大会は仕事が入ってしまったのだ。
最初は本音を悟られぬよう遠回しな表現でどうにかならないかと監督に話をしたが、元は普段あまり参加できていない私のために合わせた予定だという事実を聞かされれば、例えどんな理由があろうと反論など出来なかった。ついでに現在行われている映画の撮影は新年が明けてすぐに公開することが決まっており、普段通りのスケジュールのままでは間に合わないことまでも話された。
そのため、今日の夏祭りが最初で最後になることが決まってしまい、私は何とかして香奈と二人っきりになれるようなシチュエーションを高山さんと夜な夜な考えていた。しかしことみんたちと過ごしたいと思うわがままな私も心の中には存在し、どちらか一方を捨てるという選択は私には出来なかった。
そのため私は、今日の夏祭りで少しだけでも香奈と二人きりになれるようにと、ことみんに共闘してもらうことにしたのだ。ことみんはりんりん…鈴と一緒に過ごしたい条件のもと了承を出してくれ、お互いのために手を組んだのであるが…。
「…何か引っかかるんだよねぇ。」
「えっ?アリス何か言った?」
「うん、香奈は可愛いなって。」
「ちょ、ふざけないでってっ。」
つい呟いてしまった私の声を香奈は聞き取っていたが、息をするように嘘を付いて誤魔化しておいた。罪悪感はあるものの、香奈には心配をかけさせたくはない。
「それにしても、ことみんたち遅いなぁ。やっぱ更衣室で脱がし合ってるんじゃない?」
「だから、そんなことするのはアリスだけだって。」
私をポカポカと殴る香奈に詮索されないよう話題を振ると、ますます香奈は私を殴ってくる。だが力が弱いため若干痛みを感じるだけで、傷が出来るようなことはない。強いて言えば、私の心が満たされるというか…。
「…っていうか、アリスが早すぎるんだよ。琴美ちゃんと舞ちゃんの髪の長さ変わらないのに、何で二人よりお手入れ早いのよ?ついでに私の髪までお世話してくれてさ。」
サイドに作ってもらった三つ編みをいじる香奈は少々気恥ずかしそうな表情を浮かべている。けれどどことなく嬉しそうに見え、それがとても愛おしく…、駄目だ死にそう。
「仕事と仕事の間で身支度しないといけないから、短時間で且つ綺麗に仕上がるように心掛けてたら慣れたっていうか。」
「慣れたって一言で完結できるようなことじゃ無いと思うけど…。」
もう少しで三途の川を渡り切りそうだったが、げんなりとした表情の香奈のおかげで何とか踏みとどまった私。まだ死ぬには早すぎる…と言い切りたいが、そういうわけにもいかない現実が直面しているのは避けられない。
「けどさ、あまり最近二人きりの時間なかったからいいんじゃない?私は嬉しいけど?」
「ばっ、バカなこと言わないでよっ!!」
さすがに少し傷ついた私だが、嬉しいと思うこの気持ちは本気である。夏期休暇に入ってから圧倒的に香奈成分が足りておらず、ここ最近家に帰宅すれば屍のように玄関で倒れ込んでしまい高山さんによく自室まで運ばれている。…なんてことを香奈に話せるわけがない。
忙しいとはいえ、私さえ何とかすれば香奈と一緒に居られる時間は作ることは出来る。しかしそうしてしまうと、普段香奈が使う自身の時間を割いてしまうことになってしまい、それは互いの時間をしっかりと確保するという約束を破ってしまうことになる。それだけはしたくないが、そうしなければ…。
「…そりゃ私だって嬉しいよ。最近アリスと一緒にいられなくて、寂しかったというかなんというか…。」
…と考え事をしていた私に向けて唐突の香奈の発言に、思わず「抱いていい?」と本音を漏らしてしまう。「駄目に決まってるでしょ」と真顔で頬を叩かれるが、こちらにとってはご褒美だ。ありがとうございますっ。
「ちょっと、叩かれたのに笑っているとか、アリスは変態なの?」
「今更変態って言われたところで、傷つく私ではないよ。」
つい数秒前に「バカ」と言われて傷ついた身の私が言えるようなことではないが。
「それに、香奈も私と同じ気持ちだって知れて嬉しいって思った。もし思われてなかったら、それこそ本当に傷つくかも…。」
「…思わないわけないし。だって、アリスのこと大好きなんだし、寂しく思わない方が異常でしょ。」
私らしくない発言に視線が落ちる私であったが、香奈の一言に思わず顔を勢いよく上げた。香奈はそれこそあまり感情を表向きにしないタイプで、長年共に時間を共有し合っている私やりんりんですら香奈が何を考えているのか分からなくなってしまうことがたまにある。それがまさしく今この状況である。
「…だからさ、そうして何か隠されると私も不安になるんだけど。」
どうやら香奈は気付いていたらしく、それでも隠しきろうと考え込もうとした私であったが善意が働いたらしく、考える間もなく私の口からは「バレてたか」の一言が出てしまった。
口にしてすぐに状況を理解した私だったが、もう既に取り返しがつかない事態になっていることも同時に理解し、香奈に向けていた視線を外すと大きめのため息を漏らした。やってしまったなという感情が一番の要因だが、もう一つの感情が私にとっては苦痛であった。
それは、自身に対する「呆れ」である。
「…どっちみち今晩には話そうとは思ってたんだけど、まぁバレちゃぁ隠しようがないか…。」
ことみんを裏切る形にはなってしまうが、バレてしまった以上隠しようがなく、私は仕方なく香奈に事の全てを話してあげた。仕事が詰まって二人で夏祭りに出掛けられないこと、ことみんと共闘して夏祭り中に二人っきりになる作戦を立てていたこと、香奈と、二人きりになりたかったこと。
私が全てを話し終えると、「そういうことね」と呆れたように肩の力を抜いた。その様子は安心しているようにも見えれば、私のように呆れているのではないかとも見ることができる。
話し終えた私はというと、香奈が口を開くまでの間、右のつま先を軸に足をくるくると回していた。私自身、香奈が口を開くまで足を回していることに気付くことはなく、心を落ち着かせようとする私が取った自然の行動なのかもしれない。
「…あのさアリス。」
いつもより重みがある声に怒られると期待していたが、香奈が見せる無の表情からはそんなモノは一切感じなかった。
「さっきも話したけど、私だってアリスと二人っきりでデートしたりしたいよ。というか、恋人ってそういうものだし。」
「それで私に隠れて二人っきりにさせてくれる作戦立ててくれたのは、本音を言えばそりゃ嬉しい限りだよ。私のこと気にかけてくれているっていう点ではさ。」
香奈が何を話したいのか何となく理解しつつも、不安になる私はきっと、少し香奈のことを疑っているのだろう。いや、疑ってしまうのはいつものことだというか何というか…。
「…って、話は聞いてるのアリス?」
「え、あ、うん。聞いてる聞いてる。私が香奈の話し聞いたことないなんてことある?」
「ある。っていうか毎度。」
香奈の即答に笑顔を歪めてしまう私のことを気にくわないのか、香奈は私の頬を思いっきり抓ると不満そうな表情をこちらに向けた。可愛らしいが、今「可愛い」などと口にすれば抓られている力はよりいっそう強くなるだろう。
「それで話を戻すけど、私を気にかけてくれた点では嬉しいと思っている。それでも、私たちのことは私にも話してほしい。誰かにではなく、私に…。」
「…香奈。」
私の頬から手を離す香奈の言う通り、確かに私と香奈の関係について香奈自身にはあまり話したことはない。話したくないという私のわがままがから香奈にはあまり話さないことにしているが、そんな私とは正反対で香奈は今の私たちと向き合っている。
「…本当、私は香奈に迷惑をかけてばかりだね。こんなにも大切にしてくれているっていうのに、私はその期待に応えられていなくてさ。」
「本当そうよ。いつもいつも私に迷惑をかけて、で勝手に落ち込んで慰めるのも私。まさしくありがた迷惑な話だよね。」
いつになく私への不満を吐き出してくる香奈。ただ言っていることは全て嘘偽りのない事実のため、私が返す言葉というのはどんな辞書にも載っていない。それに普段であれば香奈からの罵声などご褒美に感じる私であるが、今はただ香奈の声ですら聞くのが辛くなっている私がいる。
「…でもそんなところがアリスらしいし、そこの所も踏まえて、私はアリスのことを愛している。…だからってわけではないけど、今回まではそれに免じて許してあげる。」
「…いつものことだけど、香奈ってとことん私に甘いよね。ちょっとだけ不安になるのだけど。」
そんな私に甘ちゃんな香奈から視線を逸らし、「ごめんなさい」と聞こえるか聞こえないかの程度の小声で香奈に伝えた。視線から外れての謝罪など気持ちがないことを知っておりながらも、今香奈に顔を合わせば最悪泣いてしまうかもしれない。二人だけの状況であれば香奈に甘えるのも難しい話ではないが、いつどのタイミングでことみんたちが更衣室から出てくるかわから…。
と考えながら唇を噛みしめる私に、香奈は周囲を確認することなくぎゅっと抱き寄せてきた。普段であれば私が抱き寄せる側なので、いざこうされると嬉しいと言うより恥ずかしい気持ちが勝ってしまう。
「こ、こういうのは私の役割じゃないけど、今日だけはアリスのためにやってあげる。」
「…いいの?りんりん、きっとうらやましがると思うよぉ。」
香奈の胸に顔を埋めさせられていた私の声は籠もって聞き取りにくかったかもしれないが、今はそのほうがいいかもしれない。目の辺りは次第に温かく湿り始め、それに気付いた香奈はよりいっそう抱きしめる力を強くした。
「けど、こんなにもドキドキするのはアリスだけだよ。」
服を通り越して伝わってくる香奈の心音はとても正常とはいえないほど早く、夏風邪にでも感染したかと思うほど身体は熱くなっていた。だけどそれは、紛れもなくいつも私が抱きしめるときの香奈の反応で、これが欲しかったのだと私は今更ながら理解した。
「…もし、私以外の人に対してもこんな反応したら許さないから。」
「それはこっちの台詞。女ったらしのアリスに比べれば、私なんて超清楚な女子高生なんだから。」
「それ、自分で言っちゃう?」
香奈に抱き寄せられたまま笑い合った私たち。その時にはもう目頭は冷えており、目の前の濡れた衣類に少しだけ不快感を感じたが、私のじゃんと呆れてツッコミも出来なかった。
このことを更衣室から出てきたことみんに伝え、「今晩はもういいよ」と話したのだが、ことみんはことみんで何かあるらしく「そのまま決行する」という形になってしまった。私としては再び香奈と二人っきりになれる時間が出来て喜ばしいのだが、最初あまり乗る気ではなかったことみんの変化に私は疑問を感じていた。
そんな数時間後のことなど考えるわけがなく、今は大好きな人の温もりに包まれながら、私は静かに瞼を閉じた。




