けれど、それでも、だから Ⅱ
「「「海だぁぁぁぁっ!!」」」
と私服のまま海へと走って向かう三馬鹿の元気に圧倒される今日、私たちは予定通り昨年と同じ海水浴場へとやって来た。去年同様多くの人で賑わっているが、きっと去年以上の人数はいるだろう。無論それは、今晩開催される夏祭りが影響している。
「琴ちゃん、あの三人放ってもいいのか?」
「あぁ、うん。どうせこの暑さでやられて戻ってくるだろうし。」
「どうせって…。」
この場の空気にそぐわない態度でチャームポイントの赤眼鏡をあげる香奈ちゃんではあるが、初めて見るエスニック調のカーディガンからきっとこの日を楽しみにしてくれていたのだろう。彼女にとって去年の海は何かと不幸続きであったため、楽しみにしてくれていないかとアリスちゃんと共に心配していたが、どうやらその必要は無いみたいだ。
「…琴美ちゃん。何私を見てニヤニヤしているの。」
「…なんでもないよ。」
そう笑顔で返事をする私が気にくわないのか、香奈ちゃんは「白状して」と肩にかけていた荷物をその場に下ろすと、私の両方を強く抓ってきた。その痛みに若干涙目になるも、舞ちゃんの説得により私の両頬から香奈ちゃんは手を離してくれた。まだ日焼けをしていないというのに、抓られた両頬はヒリヒリとした痛みを感じる。
「それにしても、今日はまた一段と暑いですね。」
そう言ってカーディガンを脱ぐ舞ちゃんの服装は、白のリゾートワンピースと舞ちゃんにしては少し背中の露出度が多いセレクトではあるが、触れただけで凍りそうなほど肌の白い舞ちゃんはその魅力を十二分に引き出している。
そして去年の同じ頃に切った髪は一年で元の長さぐらいにまで伸びており、自分でアレンジしたのかローポニーテールでまとめていた。私自身も髪は長いが、あまり器用でないことからアレンジのバリエーションが少ないため舞ちゃんの器用さはかなり羨ましい。
「仕方ないだろ。何せ今日の最高気温、この夏一番の暑さらしいし。」
と後ろから大荷物を背負った千夏ちゃんが現れると、その荷物を下ろし大きく伸びをし始めた。そんな千夏ちゃんの服装はブラックのタンクトップにデニムパンツとかなりシンプルであるが、スレンダーで出るところは出ている千夏ちゃんには良い意味で危険すぎる格好だ。もう一度言おう、良い意味で危険すぎる。
「ねぇ千夏ちゃん。気温と紫外線って何か因果関係があったっけ。」
「いや、太陽高度の高さと気温は関係あるけどよ、それが直接的な理由ではなかったはずだぞ。それがどうした。」
さすが千夏ちゃんとも言える解答に舞ちゃんと香奈ちゃんは頭を傾げる中、私は二人とは違う意味で頭を傾げていた。
「実はさ、ちょっと事情があってあまり肌焼きたくないんだ。」
「…まぁあまり詮索はしないでおくよ。でもここまで来たんだしよ、少しだけでも満喫すれば?」
千夏ちゃんの言葉に渋々頷いた私だが、別に海で遊びたくないわけではない。確かに私は泳げないのだが、漫画などで見るカナヅチに比べれば泳ぐことが出来る。故に「絶対に」泳げないというわけではないのだが、私情であまり焼けたくないのだ。…とはいえ、もし私情がなくとも健康のためにはあまり焼けたくはない。
「そういえば千夏ちゃん。咲ちゃんから連絡きたの?」
「いいや、来てない。それに話しによれば午前は返信来ないだろ。仕方ないとはいえ、残念だよな。」
香奈ちゃんの質問に携帯を見ることなく解答した千夏ちゃんはベージュ色のトートバッグからペットボトルを取り出すと、蓋を開けお茶を喉に通していった。
本来の予定ならば、先に海に走って行った三馬鹿と私の周囲にいる三人、それに咲ちゃんを含む八人で海に来る予定であった。しかし、急遽生徒会の仕事が入ってしまい来られていないのだ。しかし先ほど千夏ちゃんが話したように生徒会の仕事は午前中だけらしく、その後すぐに直行してくるらしい。せめて制服ぐらい着替えてくればと思うが、きっと咲ちゃんも今日を楽しみにしていたのだろう。
「ま、あとで来るんだし心配する事ねぇだろ。それよりも、私たちは場所取り優先だろ。あの三馬鹿が戻ってくる様子はないし。」
さらさらになった黄金色の髪をポニーテールに結んだ千夏ちゃんは、「適当にレンタルしてくるね」と私に手を振りながら海の家に向かって行った。相変わらず、私の前では以前と今の口調が混ざり合っている千夏ちゃんではあるが、彼女に会う度にどちらか一方に口調を統合しようとする心遣いが感じられている。
手を振り返してあげた私は千夏ちゃんを見送ると香奈ちゃんと舞ちゃんの方を振り向き、「私たちは空いているとこでも探そうか」と声をかけてあげた。千夏ちゃんに数ヶ月前に比べれば心を開いてくれた二人だが、まだどこか千夏ちゃんに対して苦手意識があるようで、私の一声に二人は少しホッとしたような顔つきになっていた。そんな二人の気持ちを、私は分からなくもない。
「やっぱり、まだ千夏ちゃんのこと苦手?」
「あ、うん。例え琴美ちゃんの知り合いとはいえ、見た目がアレだと少しね。」
私の言葉に顔を上げてくれた香奈ちゃんは正直に話してくれ、その隣にいた舞ちゃんも、申し訳なさそうに「私もです」と口にしてくれた。真面目な二人からすれば、金髪の元不良が自身の生活に介入してくるのはもはや害悪でしかないだろう。
「まぁ私も最初は抵抗あったよ。昔の千夏ちゃんじゃなくてさ。けど、根は本当に優しい人だから、見た目は大目に見てあげてよ。」
あまり説得力の無い言葉かもしれないが、千夏ちゃんの優しさを身に染みて経験している私は千夏ちゃんが優しいことを知っている。そのため香奈ちゃんと舞ちゃんが私と同じ経験を積めば、いずれ二人が千夏ちゃんのことを信用してくれるだろう。
ちなみに、千夏ちゃんと徹君のいる前では千夏ちゃんのことを千夏ちゃんと呼んでいるが、それ以外の人たちとは千夏ちゃんと区別するようにしている。もちろんそれは、「小坂千夏」の本名が「新島千夏」であることを周囲が知らないからである。時々二人の前以外で「千夏ちゃん」と口を滑らしてしまうことがあるが、皆は「誰のこと?」と首を傾げてしまっている。
それを千夏ちゃんがどう思っているのか訊いてみようと試みたが、声に出す手前で私は口を閉ざしてしまった。
いや、閉ざしたのだ。千夏ちゃんが私に心配をかけぬようやせ我慢する姿を、もう二度と目にしたくない私の思いが、私の自覚なき行動に移されたのである。その選択が後の私たちに何をもたらすのかは分からないが、私自身、この選択は間違っていないと何となく感じている。
「…まぁ琴美ちゃんの知り合いだし、もしもの時は頼りにしているからね。」
「頼りにって。」
香奈ちゃんの言葉に苦笑いを返した私は、香奈ちゃんと舞ちゃんの様子を覗いながらちょうど良さ気な空きスペース探しを本格的に開始した。午前十時を過ぎたというのに海は大勢の人で賑わっており、何度か離ればなれになりながらも何とか位置確保が出来た。
しかし千夏ちゃんが海の家から借りた荷物を持ってきてくれた頃には、私たち三人は舞ちゃんが持参してくれた大きめのレジャーシートの上で疲れ果てていた。
千夏ちゃんが海の家から借りてきてくれたパラソルを広げ、その下で香奈ちゃんと舞ちゃんと休んでいると、ひとしきりはしゃいできた三馬鹿とその三馬鹿を探しに出た千夏ちゃんが戻ってきた。三馬鹿はすでに水着姿になっており、一足先に海を満喫してきたらしい。
「たっだいまぁぁって、香奈たちお疲れ気味だね。どしたの。」
香奈ちゃんに向かって飛びかかろうとしたアリスちゃんであったが、香奈ちゃんを含む私たちの疲れ果てた様子を見てその勢いをピタリと止めた。かなり急に止まったため、辺りは砂埃が蔓延するも三馬鹿にしか影響を受けていないらしく、三馬鹿はゴホゴホと咳き込んでいた。アリスちゃんの近くにいた千夏ちゃんではあったが、それを予想していたかのように距離を取っていたため被害を免れている。
「…アリスたちがいれば、位置取りだけでこんなに疲れなかったのに…。」
そう小さく呟いた香奈ちゃんは深いため息をつくと、疲れ果ててしまったわけを三馬鹿にわかりやすく且つ簡潔に話してあげた。
「…なんかその、ゴメンね三人とも。」
一分もかからぬ香奈ちゃんの説明の後、素で頭を下げるアリスちゃんであったが、香奈ちゃんはアリスちゃんを見ることなく「お花摘んでくる」と言って立ち上がると、そのまま海の家の方向へ歩いて行った。その後を急いで追いかけるアリスちゃんの表情は、校内や女優でも見せたことのない焦りを浮かべていた。
「琴ちゃん。アレ、大丈夫なの?」
「まぁ幼なじみだし、喧嘩なんて日常茶飯事なんじゃない?」
「さすがにそれは仲悪すぎだろ。」
私の一言で二人の後を付けようと足を動かす千夏ちゃんであったが、私が千夏ちゃんの腕を握りしめると、私は目で千夏ちゃんに訴えかけた。私と千夏ちゃんだからこそわかり合えることがあるように、アリスちゃんと香奈ちゃんにも二人だからこそわかり合えるモノがある。そしてその二人だけの領海に、私たち第三者が安易に侵入してはいけないことを。
そう訴えかけた私の視線を、きっと千夏ちゃんはしっかりと把握してくれたのだろう。「分かった」と言って足を止めてくれた千夏ちゃんは「あの子のことはアリスちゃんに任せよう」と鈴ちゃんたちに伝えてくれた。その後みんなが私の方を向いたのは、まだ千夏ちゃんに馴染めていない証拠。
「大丈夫だよ。それにあの二人が喧嘩しても、すぐに仲直りしてるじゃん。だから気にしなくても、またいつも通りに戻るよ。」
などと簡単に口にしたが、先ほどのアリスちゃんの様子を見るからに、今回ばかりはそう簡単に解決できそうな気がしない。そうならないことを信じているが、ついつい悪い方向に考えてしまうのは昔からの悪い癖。
「琴美、顔悪いけど大丈夫?」
「それただの悪口だよ、鈴ちゃん。」
私の様子に気付いたのかまたは偶然か、鈴ちゃんの言葉は私の心に突き刺さり、それに対して「大丈夫だよ」と嘘を付いてしまった私は更に心を痛めつけた。「わかった」と満面の笑みで返されれば傷は深まるばかりだ。それでも鈴ちゃんの笑顔を見れば、ほんの少しだけ心が安らぐ。
「…にしても鈴ちゃん。その水着って新しいのだよね。けどそんなの、いつの間に買ってたの?」
私の記憶が確かであれば、去年の鈴ちゃんの水着は水色や白色などの寒色系を使ったタイダイ柄でフリルの付いたバンドゥビキニだったはずだ。それが今年は淡いピンク色のチューブトップ水着と去年に比べ少し控えめになっている。
「前にバイト帰りで香奈と二人で寄り道してたの。で、今日まで内緒にしとこうって二人で決めたの。去年はその琴美の気を引こうとかなり攻めてて、それを今年着るのは少し恥ずかしいというか…。」
鈴ちゃんの口から恥ずかしいなどという言葉が出るなんて、などというツッコミを堪え鈴ちゃんの周りを何周か回りながら水着を眺める私に、鈴ちゃんは気恥ずかしそうに顔を赤らめぷるぷると震えていた。
そんな鈴ちゃんについ悪戯心が芽生えた私は、千夏ちゃんたちがこちらを見ていないことを確認すると鈴ちゃんの耳元に近付きフーッと息を吹きかけてやった。瞬間…。
「やっ…。」
と嫌がるような反応と追い打ちをかけるように「耳は、だめ…。」と口に手を当てる鈴ちゃんに、思わず私はゾクリとしてしまった。駄目だと言っているのにもう一度息を吹きかけようとしてしまうのは、私の中で何かが目覚めてしまった証拠だろう。
「…でさ、って琴美何してんだ。」
「え、いやぁその、鈴ちゃんの耳元に虫が飛んでいて、ちょっと払っていただけだよ。」
急に愛ちゃんがこちらに視線を向けたらしく、私は動揺のあまりかなり無理のある嘘を吐いてしまった。しかし…。
「そうかそうか、琴美はやっぱり優しいな。」
気付かないふりをしているのか単純に気付いていないのか、愛ちゃんはいつもに比べ抑え気味に笑うと、振り返って舞ちゃんと話の続きをし始めた。まぁきっと愛ちゃんであれば、先ほどの行いもちょっとした嫌がらせで普通なのかもしれない。
けれど…。
「場をわきまえなよ、琴ちゃん。」
と完全に気付かれていた千夏ちゃんの一言に、今更になって恥ずかしさが込み上がってきた私の身体の体温は急上昇し、「私、先に着替えてくるから」と逃げるようにその場から立ち去っていった。後ろでは何も知らない(であろう)二葉姉妹と千夏ちゃんがお見送りしてくれているなか、鈴ちゃんは耳に触れながら顔を伏せてしゃがみ込んでしまっていた。




