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貴女の存在がかわいくて、私はただただ見とれてます。  作者: あんもち
志抱くコンフェッション
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けれど、それでも、だから Ⅰ

「ハメを外しすぎないように」と夏用白衣を脱いだ唯先生からの注意が終わると、教室は一気に夏休みの空気が流れていた。けれど明日から始まる夏期補習の四文字を忘れることなど出来ず、午前で補習が終わる一年生に戻りたいと嘆く生徒は時間と共に続出した。もちろん鈴ちゃんやアリスちゃん、それに愛ちゃんもその内の一人である。

 けれど生徒の嘆きを神が聞いてくれる訳がなく、雲一つ無い晴天の翌日、運動部のかけ声共に夏期補習は何事もなくやって来た。立っているだけで汗ばむような猛暑の中、部活動生はお構いなしにグラウンドを走っていたのだが、一人また一人と水筒に口を付けていた。そんな過酷そうな光景を冷房が効いた教室から見ていた私は何だか申し訳なくなり、外を見ないよう集中の矛先を黒板にへと移行した。

 とはいえ、一つ扉を開ければそこは教室とは正反対の世界で、お手洗いに行って戻ってくるだけでも汗をかかないかと心配になってしまうほど。故に屋外での食事は自殺行為に等しく、夏期補修の間は仕方なく教室で大人しくすることになった。一応食堂も開放されているのだが、進学科と特別進学科しか校内にはいないため冷房は一切効いていない。夏期補習が始まって三日目まではいつも食堂に来ない生徒が見学がてら来ていたらしいが、一週間も経つと食堂には誰も近付かなくなってしまったとか。


「本っ当、あづいっ。今にも溶けちゃいそう。」

「気持ちは分かるけど、冷房あるだけでもマシでしょ。ほら、ちゃんとして。」


 食事中だというのに机にぺたりと頬を引っ付ける鈴ちゃんに注意するが、冷房が効いているとはいえバテてしまう気持ちは分からなくもない。私自身も、熱さのせいか先ほどから全く箸が動いていない。野菜等は食べられたとはいえ、肉やお米といった少々飲み込みにくいモノは食べられていない状況だ。


「とか言うことみんも大丈夫なの?さっきからご飯食べてないけど。」

「あぁうん。食欲が湧かなくてさ。まぁ夏場だし仕方ないよ。」

「仕方なくない。それ、夏バテの症状だよ。ほら、私の愛をあげるから元気になって。」


 とアリスちゃんは、お弁当のおかずの一つであるなすの肉味噌を箸で摘まむと、私の口の前まで運んできてくれた。二人からの視線を気にしつつも、私は「じゃぁ遠慮なく」とぱくりと一口で頂いた。


「それにしても、アリスさんのお弁当、なす一色なんですが大丈夫なんですか?」

「ん?夏バテ対策も兼ねてだけど、なすおいしいじゃん。」

「アリス、会話噛み合ってない。」


 舞ちゃんにもなすの肉味噌をお裾分けするアリスちゃんのお弁当箱を覗いてみると、肉味噌の他に焼きなす、ソース炒め、煮びたしなどといったなす料理で埋め尽くされていた。なるほど、これには舞ちゃんでも口出ししたくなるだろう。


「それになすにはナスニンって言われる栄養素があって、老化予防や美容効果が期待できる食材なんだから、食べ過ぎて悪いってことはないよ。」

「いやだから、そういうことじゃ…。」


 と何かを言いかけた香奈ちゃんだが、「ここは天国だぁ」と教室に入ってきた愛ちゃんにそれを阻まれてしまった。そんな愛ちゃんの表情は、今すぐにでも天に召しそうなほど幸せそうな顔をしていた。


「お姉ちゃん、お帰りなさい。部活動お疲れ様。」


 舞ちゃんの横に椅子を持ってきながら「ありがとなぁ」と弱々しく口にすると、椅子に座るなり舞ちゃんにぺったり引っ付いてしまった。


「おぉおぉ、まいたん、お姉ちゃんに気に入られて幸せだねぇ。」

「まぁいつものことです。お姉ちゃん、肩ぐらいなら貸してあげるけど、ちゃんと汗拭いたよね。」

「あぁ勿論。舞に嫌われないよう入念に拭いてきたし、良い香りのするやつ塗ってきたから大丈夫だ。」


 親指を上に立てた愛ちゃんは、「しばらくこのままにさせてくれぇ」と動かなくなってしまった。愛ちゃんのように部活動に入っている生徒は基本的に、午前か午後のどちらかは部活動で抜けてしまう。そのため、こうして途中参加、あるは途中退出となるわけで、夏休み前の授業に比べると少しばかり人数が少ない状態で授業を受けることになるわけだ。舞ちゃんが愛ちゃんに汗を拭いたのか確認したのはそのためである。


「大変そうだね、愛ちゃん。」

「はい。ですけど、これはお姉ちゃんが決めたことですし、それなら私は応援するしかありません。」

「…お姉ちゃん思いだね。」


 香奈ちゃんが口にしたその言葉は、きっと自然に出てきた言葉なのだろう。つい先日あんなことがあった私にとって、その言葉は聞いただけで胸が酷く痛んでしまう。

 千夏ちゃんと徹君と再会する前々日、私は妹である柊琴葉に告白された。最初は勿論驚いてしまい、しばらくの間、私は琴葉とは会話すら出来ていなかった。それに比べ琴葉は、私から距離を置くどころかいつも通りに私に接してきてくれた。その心遣いはお互い嬉しいはずなのに、何故か私はそれを正直に嬉しいと感じることが出来なかった。

 鈴ちゃんと恋人になる以前、私は人への好意は簡単には捨てきれないことを学んだ。全て捨てて楽になりたい嘘が、まだ諦めたくない気持ちに負けてしまうことを。人の好意が単純そうで重いことを。

 故に私は、琴葉が無理をして自分の気持ちを抑えていることは分かっている。やれることなら琴葉と鈴ちゃん、二人の好意に答えてあげたいが、その程度の好意を二人は望んでいないだろう。けれど私にとって二人は大切な人で私の家族。どちらか一方を傷つける選択など、私は取りたくはない。

 だから私は、きっと後悔してしまうであろう選択肢を取ってしまった。琴葉は「仕方ない」と笑ってくれたが、その笑顔はもちろん偽りの笑顔だと私は理解していた。

 思い返すだけで、私の中にある何かが黒く塗りつぶされ、あの感情が溢れ出しそうになる。いっそ吐き出した方が気持ちが楽になる、そんなことは承知だ。けれどこの感情を吐き出せば、私はまた同じような過ちを犯しそうで…。もう私は、誰も傷つけたく…。


「琴美ぃ、生きてるぅ?」

「うぇ!?あ、ご、ごめん。ちょっと考え事。」


 私の目の前で手を振った鈴ちゃんに引き戻らされ、私は「あはは」と乾笑いをするが無論鈴ちゃんには怪しそうに見つめられた。これは多分、今晩にでも問いただされるだろう。だけど鈴ちゃんには、例え下手くそな嘘を付いても話しはしないだろう。


「もぅことみんったら。まぁそんな様子なら、話は耳に入っていないよね。」

「話しぃ?」

「ほら、今度みんなで海に行くって話だよ。一応最終確認だけど、予定とかないよね?」


 とアリスちゃんは少々不安そうな瞳で私に尋ねるが、それはこちらの台詞である。


「その日は海しか予定入れてないから大丈夫。それより、アリスちゃんは仕事大丈夫なの?」

「え、あぁ…うん。というか、私の休みの日にみんな合わせてくれたんだから、私の予定がないのは当たり前だよ。」


 などと笑いながら話してくれたアリスちゃんに、「そうだったね」と簡潔に返した。そんなアリスちゃんに憂わしげな表情を向けている香奈ちゃんを、私は気にかけることもなかった。


「でさ、ことみん。つきましてはご相談があるのですが…。」


 アリスちゃんは私の耳元でそう囁くと、返事を聞くことなく私の手を引き教室から退出した。無論鈴ちゃんや香奈ちゃんには「何しに行くの?」と問われたのだが、そこはアリスちゃん、「ちょっとデートっ」といつもの軽いでその場から逃れることができた。きっと鈴ちゃんたちは今頃ふて腐れた態度を取っているだろうが、そんなことを今更気にしていても仕方が無い。

 教室の扉を閉めたアリスちゃんは私をどこかに連れて行こうとはせず、教室の前で手を離してくれた。アリスちゃんはごく稀に私に相談を持ちかけてくることがあるのだが、こうして教室の前で話を聞くのは初である。それはきっと、誰かに聞かれてもいい話だからではなく単に外の気温が暑いからであろう。廊下の窓が開いているとはいえ、教室に比べれば天と地ほどの差がそこにはある。それに先ほど相談と話したが、どちらかといえば惚気話が多かったりする。

 しかし、その稀な話の中に真面目な話を盛り込んでくることがある。それにアリスちゃんは鈴ちゃんの幼なじみであり、私と鈴ちゃんの間にある空白の時間を埋めることのできる数少ない人物。鈴ちゃんが話してくれないことでも話してくれるかもしれないのだ。

 ただ、そんな数パーセントの賭けに容易く勝てるわけはなく、今日も惚気話を聞かされるのかと半分上の空の私であったが、「ちょっと手伝って」と手を合わせて懇願するアリスちゃんの想定外の行動に、思わず「えっ」と声を出してしまった。


「ど、どうしたのアリスちゃん。何か困り事?」

「困り事、というよりは作戦の共犯者になってほしいというか…。」

「作戦?」


 頭を傾げる私に「うん、作戦」と手を合わせるのを止めたアリスちゃんは、辺りを一度気にしてから再び私の耳元に寄り添ってきた。


「そのさ、花火大会の時に香奈と二人っきりにさせて欲しいの。」


 耳元から離れたアリスちゃんは恥ずかしげに口を尖らせて、私の視線から離れるようによそ見をした。いつもは香奈ちゃんの前であってもまるで付き合っていないかのような立ち振る舞いを見せているが、二人きりになって香奈ちゃんの話をすると、やはり恋人なのだなと実感させられる。

 私が鈴ちゃんと恋人として付き合っているように、アリスちゃんと香奈ちゃんも付き合っている。キッカケなどについての詳細はほとんど話してはくれないが、色々と隠し事をしてしまっている私たち二人に比べれば楽しそうに見える。付き合っていることをあえて私たちに告白する(第四十九部)ことが重荷を背負うことなく付き合えるコツなのかもしれないが、そんな勇気を私は持ち合わせていない。それにもしそんな勇気を私が持っていれば、私と鈴ちゃんとの関係は今頃円満なものになっている。今でも充分円満だと思うけれど。


「…私は別に良いけど、わざわざその日じゃなくてもいいんじゃない?花火大会だけだったら、別日に他のところでもしているはずだよ?」

「私もそうしたいのは山々なんだよ。けど、それを見越したかのように仕事が入っていて、私が香奈と花火大会に行けるのはその日だけなの。…ったく、どうしてあの仕事受けたんだろ私。」


 闇を感じる発言に苦笑いしか出来ない私は、一度教室の扉に付いているガラス板から楽しそうな鈴ちゃんの様子を覗った。一年生二人組に咲ちゃん、それに千夏ちゃんと様々な人にふれあったことにより、多くの人たちと時間を共有する時間が増えた一方、鈴ちゃんとの時間はそれに対比して減っている。仕方が無いと言ってしまえばそこまでの話だが、私はそんな言葉で終わらせたくはない。


「…わかった。その話し乗った。」


 私の一言に目を輝かせるアリスちゃんは、私の両手をとると包むように力強く握ってくれた。


「ことみん、それほん…。」

「ただし条件が一つ。」

「例えヌード写真がご所望でも、私は香奈のためならことみんに何でも尽くすよ。なんなら、ご奉仕してあげようか?」


 目の前でワイシャツのボタンを外すアリスちゃんを止めることは容易く出来た私であるが、後日この現場を目撃した人たちによる噂までは止めることは出来なかった。

 ただ結果的にアリスちゃんの「恋人がいるから」宣言に解決したのだが、それにより夏期補習の期間中、星城院アリスの恋人に関する話題ばかりが人の少ない校内で繰り広げられていた。アリスちゃんは何一つそれに対して口出しするような姿勢を見せず、むしろ尋ねてくる人たちに惚気話を話してあげていた。勿論香奈ちゃんの名前は伏せた上での話なのでアリスちゃんが原因でバレる心配は無いのだが、その話を聞く香奈ちゃんのなかなか見せぬ喜怒哀楽が原因でバレるか、関係の無い私ですら心配になってしまった。


「そんなこと言ってたら、香奈ちゃん本気で怒っちゃうかもよ。」

「大丈夫大丈夫っ。あの子にも同じ子としてるから安心して。」


 アリスちゃんの手首をしっかりと握りボタンを外すのを阻止する私に、アリスちゃんは廊下であるにも関わらず爆弾発言を自然と口にした。しかし都合が良いことに、その時にはもうすでにアリスちゃんと私には興味の眼差しが向けられていなかった。


「…まぁいいや。で、条件なんだけど…。」

「グラビア写真?」

「だからどうしてそういう方向なの。」


 一体アリスちゃんにとって私は、どのような人物だと思われているのだろうか。


「じゃなくてっ。…アリスちゃんたちが二人きりになっている間、私も、鈴ちゃんと二人きりにさせてほしいの。それが呑めるなら、私はアリスちゃんに加戦するよ。」

「むしろその方が好都合だから。」


 私の条件に即答で親指を立てるアリスちゃん。何がどう好都合なのか私には理解できないが、とりあえずアリスちゃんが私の条件を呑んでくれたことには間違いはない。

 アリスちゃんや香奈ちゃんとは違い、私と鈴ちゃんは同じ屋根での下で暮らし、いつでもデートをすることが可能な環境ではある。けれどきっと、私たちはアリスちゃんと香奈ちゃんほどデートの回数は少ないだろう。それはアリスちゃんたちの方が付き合っている年月が長いからというわけでなく、単に私が()()()()()()()()()()()()()()()ことが原因なのである。


「それじゃぁ私が考えた作戦を話したいんだけど、それは今日の晩にでもメールするよ。ほら、さすがにあの二人をこれ以上待たせるのは、お互いにとって悪いことが起きそうだしさ。」


 もう既に起こしてしまっている気もするが、詮索しに来られる可能性も考えるとアリスちゃんの言う通り頃合いなのかもしれない。

 とりあえず一端話を保留することにした私とアリスちゃんは教室に戻るも、予想通り「遅いっ」と鈴ちゃんと香奈ちゃんは不機嫌そうな面で私たちに向かってくると何をしていたのかと問い詰めてきた。

 しかしアリスちゃん、「デートだって、お手洗いの。」と二人の頭を優しくさすってあげると、二葉姉妹が座っている場所へと歩み寄っていった。しかし、二人はアリスちゃんの言うことを信じていなかったらしく、その間二人のするどい視線は私に向けられていた。ただ咄嗟に反応できたアリスちゃんと同じ事を伝えた私ではあったが、家に帰るまで鈴ちゃんからは疑いの目を向けられたままであった。

 そんな夏期補習一日目はあっという間に終わりを告げ、気がつけば前半の補習最終日の八月初めの金曜日。私たちの夏がやっと始まったのであった。

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