滴る雨と白衣の光 Ⅱ
午後一時四十五分。予定よりも十五分ほど早く着いた私は、集合となる一階の西入口からショッピングモール内へと入り、すぐそこの輸入食品を取り扱うワンダーショップで時間を潰していた。徹君と着た際や鈴ちゃんが髪を切った後に行ってみたいと思っていたのだが、結局時間がなく行けず終いであったため、ついにその願いが叶ったというわけだ。
自宅から一番近いスーパーに売られてはいないような食品ばかりでいくらでもいられそうな私ではあったが、そうなることを踏まえてあらかじめ五分前にアラームを予約していた。だったのだが…。
「こらっ。どこで油売っているんだ。」
アラームに気付いていなかった私は、後ろからの千夏ちゃんのチョップで我に返るのである。振り返るとそこには、黒のカットソーにベージュのチノパン、それに黒のキャップと昔のイメージなど微塵もない服装である千夏ちゃんが少々不満げな様子を見せている。他にもスニーカーやバック、それにベルトまでも黒で染まっており、白のワンピースがお似合いだった頃の千夏ちゃんなどそこにはいなかった。
「どうせ琴ちゃんのことだから、早めに着いてここで時間潰していると思ったら、案の定これかよ。」
「ごめん千夏ちゃん。でもここ、色んな海外の食材が…。」
「分かってる分かってる。けど今買えば傷むモノだってあるだろし、また帰りに寄ってあげるから我慢しろ。」
昔の千夏ちゃん口調と今の千夏ちゃん口調が入り交じった会話はとても違和感ではあるが、最初の頃に比べればまだ慣れた方。
「分かった」と答えた私の手を握りしめる千夏ちゃんに「行くぞ」と言われ、まるで母親に引きずられる幼児のように集合となる西入口に連れられた。そこにはすでに徹君の姿があり、私たちが向かってきていることに気付くと、ありがたくもこちらに向かって歩いてきてくれた。
「よ、元生徒会長。数ヶ月ぶりだな。」
タバコの匂いがしないスモーキーパープルの七分袖ニットを着た徹君は私たちにヒラヒラと手を振ると、私と千夏ちゃんは同じく手を振り返す。
「…本当あのときはよくもまぁ、私が抜け殻だったことをいいことに鈴ちゃんをナンパしてさ。もし機嫌悪かったりしてたら、今頃ここにはいないと思って。」
「心配しなくとも、俺はあの子好みじゃないから。」
「…殴るよ?」
ドスの効いた私の声に「はいはい」と生返事を返す徹君。それを見るなり千夏ちゃんは私に「殴れ」と拳をぶつけるようなジェスチャーを見せつけてきた。…本当に殴ってやろうか。
「けどさ、またこうして三人で会えたんだから、今は素直にそれに喜ばないか?」
徹君の一言に私と千夏ちゃんの拳は下がり「そうだね」と声を並べた。もう決して時間を共有し合えると思っていなかった私にとっては、徹君の言う通り、心の底から素直に喜べる。それはきっと千夏ちゃんだって同じだろうし、言い出した徹君だって同じなのだろう。
「まぁ私や徹君は道外したけどよ、それでも再会出来ただけいいってもんでしょ。」
どこにでもいそうな一般女子高生の私と、髪を金に染め一見悪そうな千夏ちゃんと徹君。周囲はきっと、私たちが昔幼なじみだったなど考えもしないだろう。私だってきっと、周囲と同じ立場であればまず真っ先に通報するだろう。…それはないか。
「…だからさ、二人には謝らないといけないの。」
「何でだよ。元生徒会長が謝る必要なんて…。」
徹君の言葉に顔を横に振った私は「あるんだよ」と口にした。
「私はさ、二人に沢山迷惑かけて、もう会わないとばかり思ってた。けどそんな私を、二人は探してくれた。だから私は、二度も裏切ってしまった二人に謝れなければならないの。…本当、ごめんなさい。」
膝の辺りまで頭を下げて誤る私にギョッとした顔をした千夏ちゃんは「頭を上げて」と無理矢理私の頭を上げさせた。
「そんなことまでして謝る必要ないでしょっ!!前にも話しただろ。琴ちゃんのせいじゃ…。」
「やめとけ、千夏。」
千夏ちゃんの言葉に重ねるように徹君が止めに入ると、頭を上げた私の前に立ちふさがった。
「…確かに元生徒会長のお節介で、俺たちはバラバラになった。もしそんなお節介がなければ、俺たちは苦しい思いはしなかっただろうな。」
徹君からの思いもしない一言に千夏ちゃんは私の前に割り込むと、勢いよく彼の胸ぐらを両手で掴んだ。それこそ本当に殴りかかりそうな瞳を徹君に向けているものの、当人は怖じ気づくことなく平然の面持ちである。
それもそうだ。徹君には私にそれだけのことを言える権利がある。そんな言いたいことを本人を目の前にして堪えるなど、彼にはきっとできないししてほしくない。そして私は、徹君を止める権利など持っていなければ、徹君に対して怒る権利もない。そのぐらいに覚悟はしてきてある。
「だから何だって言うんだよっ。琴ちゃんだって私たちと同じくらい苦しんでたんだよ。それを…。」
「だから何だよ。」
千夏ちゃんの両手を胸ぐらから引き離すと、千夏ちゃんを見ることなく私に視線を向けてくる。
「俺は別に元生徒会長に裏切られたなんて思っていない。それにもし元生徒会長が俺たちのことを裏切っていたとしても、俺たちを守るために身体を張った元生徒会長を裏切るなんてことはできねぇ。」
「徹君…。」
「だから、そう思い詰めるな。俺たちは、元生徒会長を責め立てたりしないからよ。」
私の頭を撫でてくれた徹君はいつも通り笑っており、それを目にした千夏ちゃんまでも「徹君らしいな」と先ほどの怒りを忘れて徹君の横で笑っていた。先ほどまでの台詞から、てっきり徹君は本気で私のことを責め立てるとばかり思っていた。そんな彼からの意外な言葉に、私は思わず「なんで」と返してしまう。
「なんでって、そりゃダチだからだろ。それ以外に理由なんてねぇよ。」
そう言うと私の頭から手を離し、後ろを振り向く徹君。
「あぁ見えて徹君は恥ずかしがり屋なの。女たらしのように見えて、触れたことがあるのは私たちぐらいなもんよ。」
耳打ちしてくれた千夏ちゃんはにかっと白い歯を見せると、「ほら、前向きな」と徹君を半ば無理矢理こちらを振り向かせた。抵抗する徹君の頬は少しだけ赤くなっており、どうやら本当に恥ずかしがっている様子。その姿は初々しい頃の鈴ちゃん、いやたまに見せてくれる鈴ちゃんそっくりで…。
「…ちょっと琴ちゃん?何顔を赤くしてるの?」
「え、あ、いやぁぁ何でもないよ、何でも。」
鈴ちゃんの恥ずかしそうな姿を妄想していた、などと例え鈴ちゃんとの関係性を知っている二人を前にしても正直に言えるはずがない。
「…徹君、その、ありがと。こんな私のことを友達だと言ってくれて。」
「…別に当たり前のことだ。それに、千夏だってそうだろ?」
「えぇ?そこ私に振る?」
悪戯そうな笑みを浮かべる千夏ちゃんはしばらく間を空け、「確かに、ね」と答えてくれた。
「私たちは琴ちゃんに助けられた。なら今度は私たちが琴ちゃんを救う番でしょ?ギブアンドテイクの関係というより、友達としてそれは当たり前な行いだよ。」
「二人とも…。」
思わず涙が零れそうになる私だが、泣いてはいけないと必死に堪えた。泣けばきっとスッキリするかもしれないが、数年ぶりの再会を涙で始めたくはなかった。
「…ほら、何だか湿っぽくなっちゃうからこの話は止めよ。でさ、寄ってみたいお店とかあるんだけどさ、琴ちゃんたちはどこか行きたいところあるか?」
きっと一番この日を楽しみにしていただろう千夏ちゃんは、鞄から案内図を取り出し開けて見せた。そこにはいくつか丸で囲った印があり、千夏ちゃんが行きたいお店に間違いないだろう。
「…って、千夏。これじゃぁ多すぎんだろ。もう少し減らせって。」
「えぇ。だって久しぶりの再会だよ。んなの楽しまなきゃ損じゃん。」
「それにしても量が量だよ。」
そんなやり取りをする二人に思わず笑ってしまった私に、顔を見合わせる二人も笑い始めた。その時にはもう私の瞳からは涙は枯れてしまっていた。そして、この二人が友達で良かったと心底思えた。
一頻り笑い終えた私たちは結局、ゲームセンターやカラオケ、それに軽いショッピングといった極めて普通の外出を楽しんでいた。とはいえ三人とも、何か特別なことをしようとする考えはどこにもなかった。
約四年前、私は二人を思うが故二人を傷つけてしまった。そして、もう誰にも依存しないよう、誰も傷つけないよう私は偽りの仮面を被り続けてきた。その考えは間違っていたともそうでないとも言えるが、私がこうして「柊琴美」でいられるのはその考えが間違ってはいなかったと言えるかもしれない。
だがそれでも、私は過去の私の行いが良かったとは思えない。もし私の仮面が外れていれば、千夏ちゃんや徹君、それに鈴ちゃんたちを傷つけずに済んだかもしれない。もっと自身に正直になっていれば、これから迎える私のエンディングも変わっていたのかもしれない。
けれどそれは「予想」なだけであって、もう「結果」は出ている。ならば私のすることは一つ、この「結果」を最高のエンディングへと導くことだろう。
そのためにも私は、千夏ちゃんや徹君に特別なことは今後やっていかないしそのつもりもない。きっと「変わらない」ことが一番いい結果になると信じており、千夏ちゃんや徹君も理由は違えど同じことを思っているだろう。だから三人とも、再会したとはいえ昔のように接しているというわけだ。それに「特別」という言葉は、私たち三人には似合わない。
まぁそんなこんなで時間はあっという間に過ぎていき、気がつけば夕陽もほとんど沈みかけていた。一応晩は外で食べるとは琴葉には伝えているが心配なので一度メールを送っておいた。鈴ちゃんにも送ろうかと迷ったが、事前に色々と話しているのでその必要は無いだろうし、この時間に私が帰っていなければそういうことだと分かってくれるだろう。
携帯をベージュ色のトートバッグにしまい込んだ私と買い物袋を持たされていた徹君は、千夏ちゃんのもと仕切り付きの焼き肉屋へと案内された。最初は個室のあるお店にしようかと話し合っていたが、高校生の資金では到底入れるようなところは少なく、お手軽で空間を仕切れる焼き肉になったわけだ。
そして何故仕切りや個室を優先的に選択したかというと、これから三人で話す内容を私たち三人だけで共有し合うためである。
「っしょ。ったく、俺は千夏の専属執事じゃないんだぞ。」
テーブル席の奥に荷物を置いた徹君はぐったりした様子で座ると、いつもの癖でタバコを取り出そうとズボンのポケットに手を入れる。しかし私や千夏ちゃんがいることに気付き、その手をゆっくりとポケットから出した。それにきっと今日は持ってきていないだろうし、私や千夏ちゃんに気を遣って数日は吸っていないだろう。肺に溜まった匂いは一日二日では取れないらしく、本日の徹君からは一切タバコの匂いはしなかったのがその証だ。これを機に、徹君には喫煙して貰いたい。
「でも持ってやるって言ったの徹君だろ?なら、ちゃんとその責任を全うするってものでしょ?」
「とはいえ限度ってものがあるだろ。」
千夏ちゃんを睨む徹君。まぁ確かに、千夏ちゃんの言い分も分かるが徹君の言い分も分からなくもない。何せ買い物袋の八割方が千夏ちゃんが購入した袋なのだ。徹君が不満を持っても仕方が無い。
「なら徹君は、このか弱いお姉さんにその大荷物を持てと言うの?」
「…どこらへんがか弱い…。」
「おい。今何て言ったんだ。もう一度…。」
「二人ともっ!!」
ヒートアップした二人の合間に入り込んだ私に謝る二人。「全く」と席について私の横に、千夏ちゃんもいそいそと座った。
「…残念だけど千夏ちゃん。私には鈴ちゃんがいるからね。」
「…急にどうした?」
いや、それはこっちの台詞。
「そんないそいそしていれば、誰だってそう思うよ。」
「いや別に、琴ちゃんの隣に座れる日がまた来るなんてって思ったらよ、嬉しくてさ…。」
「…そんなの、私だって同じだし。」
「へ?」とふぬけた表情を見せる千夏ちゃんの顔に、つい照れ隠しでメニューを押しつけてしまう。それをおもしろがって見ていた徹君に片方の手でおしぼりを投げつけてやろうかと思ったが、水を運んできてくださった店員とバッチリ目を合わせてしまう。店員は苦笑いを浮かべたまま水の入ったコップをテーブルに置くと、早々に仕切りのすだれを下ろし戻って行ってしまった。
「…死にたい。」
「いやそこまでする必要は無いだろ。」
おしぼりとメニュー表を下ろした私は両手で赤くなった顔を隠すと、隣にいる千夏ちゃんの太ももに倒れ込んだ。チノパン越しではあるが、千夏ちゃんの太ももからはほどよい温もりと鈴ちゃんに勝るパンのような柔らかさを感じる。
「…徹君。このままお持ち帰りでも…。」
「ここはクラブでも居酒屋でもねぇよ。ほら、適当に選ばねぇと食べられないぞ。」
徹君が私たちを放ったままメニュー表を眺めている間、千夏ちゃんは太ももにうずくまる私の髪の毛を楽しそうに弄っていた。昔もよく私の髪を弄ることがあり、可愛くアレンジしてもらっていた。だからこの弄られている間に、私の心は落ち着きを取り戻すことが出来た。
「ほらっ、いい加減顔上げろよ元生徒会長。もう注文し終えたし、ぼちぼちしたら肉が来るぞ。」
「…私をお肉で誘惑しようだなんて、それはとんだ甘い考えだよ。」
「起き上がっといて何を言う。」
千夏ちゃんの太ももから離れた私の周囲にはお肉の香ばしい香りが漂っており、私や千夏ちゃんの食欲をそそらせてくる。家の庭ではたまに家族や親戚で焼き肉をすることはあるが、こうして身内以外で焼き肉に来たのは多分これが初めてだろう。
「まぁ欲求に忠実なのはいいことじゃん。不満でストレス溜めたりするよりはさ。」
「性欲以外ならな。ほら、きたみたいだぞ。」
余計な一言を付け加えた徹君は、何事もないかのように運ばれてきた肉や野菜を焼き始めた。千夏ちゃんは仏様のような優しい瞳で徹君を見守っていたが、テーブル下の拳はぷるぷると震えており戦闘準備はできているようだ。
「まぁ食べながらでも話そうぜ。今までのことについて。」
焼きながらそう口にした徹君は、お肉や野菜の焼き目を確認しながら私と千夏ちゃんの様子も覗う。
「…なら、俺から話す…。」
「ううん。ここは年長者である私から話すべきだよ。それに二人も、二人の事情より私の事情の方が気になるだろ?」
徹君の言葉に重ねて言った千夏ちゃんの言葉は間違っていない。徹君の事情については再会することもあり「それなりに」話しをされていたが、千夏ちゃんと同じ高校であった彼ですら千夏ちゃんの諸事情について詳しくはなく謎めいていた。どうしてしばらくの間姿を消していたのか、どうして私たちと同じ学年であるのか、どうして「新島千夏」から「小坂千夏」へと改名しているのか。
私は徹君と目が合うと同時にコクリと頷き、返答待ちの千夏ちゃんに視線を向けた。それで理解してくれたらしく、千夏ちゃんは頼んであったウーロン茶を一口飲み丁寧にジョッキをテーブルに置いた。
「…私が、琴ちゃんと再会したいと思うようになったのは、最初の高校二年の時にある人に出会ったからだ。」
「ある人、って…。」
「…小坂唯だ。」
二秒ほどの間を空けた千夏ちゃんから出てきた言葉は、馴染みのある教師の名であった。




