滴る雨と白衣の光 Ⅰ
今年の体育大会からは学年対抗とグループ対抗で行われ、去年の雪辱を果たすときが来たと咲ちゃん命名「三馬鹿」は去年以上に盛り上がっていた。鈴ちゃんは去年途中棄権してしまい、リベンジにと再び学年別リレーの代表に選ばれた。去年こともあり私は必死で止めたものの、決まってからは鈴ちゃんの体調に気を配りつつ、私自身が出る種目にも力を入れた。
ただ天候が微妙であったため前々日まで延期という噂が校内中に広まっていたのだが、前日当日と予報を覆すような晴天となり、無事体育大会は決行されたのである。結果としては学年もグループも準優勝と私にとってはかなり良い戦果だと思っていたが、例の三馬鹿は悔し涙を流していた。だからこそ私を含む残る三人は、来年は必ず彼女たちを優勝へと導いてあげようと約束した。
ちなみに学年優勝は、咲ちゃんや千夏ちゃんがいる特別進学科の理数系列であり、体育大会後「あそこには二匹の猛獣がいる」と言われるようになった。勿論、咲ちゃんと千夏ちゃんのことである。一年生組とはいうと、私たちと同じグループであったことから私と同じ結果に終わっている。
そんな体育大会が終われば梅雨に入り、三週間後になれば地獄の期末試験が到来した。今年も体育大会明けのお疲れ会のようなモノを催そうとしてのだが、去年よりも試験範囲が広いことや内容が難しいことから、テスト明けに行うこととなった。しかし結局、テスト明けもなかなか時間が取れないことから夏休みまで先延ばしすることとなってしまったが、時間があまりない時に無理に詰めて行うよりは余裕のあるときの方が気持ち的にも楽というもの。
そして地獄のような試験が終わり、夏と共に校舎に平和が訪れた。夏服に包まれた生徒たちは早くも夏休みの予定を立てていたが、去年まで午前中で終わっていた夏期補習が二年からいつもと変わらなくなるため去年ほど遊びに出かけたりは出来なくなってしまう。
それに私たちは来年、大学受験を控えている。先生方からは夏期休暇中に二校は必ずオープンキャンパスに行ってくるよう言われているため、それでさらに時間を取られるというわけだ。
しかし先ほども話したが、私たちは来年大学受験を受けなければならない。来年の今頃は受験勉強で忙しく、きっと思い出など作っている暇などほとんどないだろう。そのため今年中に、高校生活の思い出作りをしなければならないのだ。
そんな思い出作りのための計画を六人で練っていた放課後、途中参加の予定だった千夏ちゃんに一人お呼び出しされたのである。
「ちょっとだけ、琴ちゃんと二人っきりで話したいの。」
呼ばれた私は鈴ちゃんの表情を覗いながらも承諾し、私と千夏ちゃんは教室を退出し女子トイレ前まで歩いてきた。一体何の話をされるのか見当が付かなかったが、その答えはすぐに分かった。
「徹くんから連絡があって、今週の土日だと都合がいいから三人で会わないかって。」
前々から三人で集まることは決まっていたのだが、なかなか三人の都合が良い日が合わず、今日まで引き延ばしていた。そんな私たちが再会出来るチャンスが到来した、というわけだ。
「千夏ちゃんは予定大丈夫なの?」
「おぉ、私は全然大丈夫だよ。琴ちゃんの予定さえないんだったら三人で再会出来るけど、どうなんだ。」
相変わらず、昔の千夏ちゃんの口調と今の千夏ちゃんの口調が混ざってしまっており、違和感以外の言い表す言葉が私の辞書には存在しない。本人曰く、他の人と話す際は千夏ちゃん口調のままでいられるらしいが、私や徹君と話すときだけは昔の名残で千夏ちゃん口調が混ざってしまう、とかなんとか。私や徹君のことを思っての心遣いだとは思うが、どちらか一方にしてもらえればありがたい。
「私も、今週は特に予定ないから大丈夫だよ。」
「…特にってことは、予定がないわけじゃないってこと?」
「あ、ううん。全くないから。…それより、やっと三人で顔を合わせられるんだね。」
私の一言に「そうだな」と遠い昔を思い出しているような瞳の千夏ちゃん。きっと私たち三人が再会を果たすのは、かれこれ三年か四年は経っているだろう。
私の記憶の中で最後に私たち三人が顔を合わせたのは、千夏ちゃんの中学卒業式である。当時私はあの件以来、千夏ちゃんに謝ろう謝ろうとばかり考えていた。そのためあの日、千夏ちゃんや徹君がどんな表情をしていたか、どんなことを話していたのか一切覚えていない。けれどあの日が、今のところ三人が一緒に同じ時間を共有した最後の日であったことに間違いはない。
「こうして琴ちゃんとは簡単に会えるようになったけど、徹君とは難しいからなぁ。桜咲に来てからは確か会っていないと思う。」
「私は最近だと、千夏ちゃんに再会した日の帰りに会ってるよ。それで、鈴ちゃんにナンパしてた。」
「徹君らしいな。まぁ、琴ちゃんの所有物を汚そうとしたんだから、それぐらいの覚悟だったってことだろうな。」
笑顔で指の関節をバキバキと鳴らす千夏ちゃんからは、懐かしさを消し去るような殺気しか感じられない。
「…って何で、私と鈴ちゃんの関係を知っているの?」
「ん?そりゃぁこの数ヶ月、二人の様子を見ていれば分かるってものだよ。それに、徹君から話はある程度聞いているし。」
「…私も徹君に一発入れてあげようかな。」
「言うようになったねぇ。」
千夏ちゃん同様笑顔で指の関節を鳴ら…すことはできず、千夏ちゃんのまねっこをする私に千夏ちゃんは苦笑いである。気に入らないことは昔からよく言う私ではあるが、千夏ちゃんと再会してからは更に言うようになった。きっと心に余裕が出来た証なのであろう。
「まぁそれだけ言えるようになったのも、あの子のおかげなんでしょ。」
そう口にした千夏ちゃんの表情はどこか寂しそうであった。もう私は必要ではないのね、そんな風に感じ取ってしまうのは私だけであろうか。
「…確かに、私は鈴ちゃんのおかげであまり嘘を吐かなくなった。けど千夏ちゃんと再会出来たから、私は自分の気持ちを鈴ちゃん以外の誰かに伝えることができた。だから、千夏ちゃんが会いに来てくれたおかげで、私はこうして昔の私に少しずつ戻っていけているんだよ。」
「…琴ちゃんが妹なら、私毎日が天国だな。」
訳の分からないことを口にする千夏ちゃんではあるが、関係上、私は千夏ちゃんの妹的存在だ。それは今でも決して変わっていないわけで、この先も変わることはないだろう。
「それで、徹君とはどこで再開する予定なの?」
「さっきの連絡では何も書かれてはなかったけど、琴ちゃんはどこがいいとかあるのか?」
「…無難にカフェ。」
とかいえ重苦しい話になることは九割方確実で、そんなおしゃれなところで行うべきではない。どちらかといえば、人気の少ないお店とかに集まってするべきなのだが、そんな穴場みたいなお店を私は知らない。
「まぁこの話は夜にでもすればいいし、とりあえず再会出来ることは確実だな。」
千夏ちゃんはニコリと笑い「ちょっと花摘みに行くわ」と言って、お手洗いの中へと入って行った。戻ってもいいとお手洗い入る直前に千夏ちゃんは口にしており教室に戻ろうとした私であったが、自然とその足を止め千夏ちゃんの帰還を待っていた。何故足を止めたかのは私でも分からず最初は戸惑いもした。けれど次第に千夏ちゃんといたいと思う私に気付き、そんな自身がおかしく一人クスクスと笑ってしまった。
小さな笑い声はお手洗いの中までは聞こえておらず、出てくる千夏ちゃんは知らない顔して待っていた私の顔を見るなりへにゃと口角の力を緩ました。
「ちょっと千夏ちゃん。何、私の顔を見て和んでいるの。」
「いや…。単純に嬉しいなってな。琴ちゃんがこうして、私の前にいることが。」
「…口説いているの?」
「いや違う違う。当たり前だったことが当たり前に戻った。それってさ、純粋に嬉しくないか?」
千夏ちゃんに振られ、私は「…まぁね」と視線を外しながら口にした。こういう恥ずかしいことを平然と言えるのが千夏ちゃんらしいが、口にはしない私も同じようなことを考えていた。
「…さ、用も済ませたことだし、琴ちゃんの教室に向かおうとしようかな。」
一人先に歩き出した千夏ちゃんの横に、少し早歩きで追いついた私は千夏ちゃんと並んで教室へと戻っていった。
「そういえば、何で今日途中参加になったの?試験結果悪くなかったんでしょ?」
「あぁ、まぁこの身なりでもさ、勉強ぐらいはちゃんとしてるって。」
道中気になっていたことを質問した私に、千夏ちゃんは答えるべきなのか答えてはいけないべきなのかを目をギュッと閉じて考え始めた。千夏ちゃんは数学と古典文学の点数しか教えてくれなかったが、その二つだけでもほぼ満点に近い点数を取っている。一部の生徒からはカニング疑惑が浮上しているが、試験監督の教師が何も話さないと言うことはそういうことなのだろう。三馬鹿曰く、「左脳を分けてくれ」とか。
「んーー…。別に琴ちゃん相手なら話していいと思うんだけど、アイツ的にはどうなんだろ…。」
「アイツって…。」
千夏ちゃんの口からアイツなど以前であれば考えられないが、今となっては浸透してしまっている私がいる。それでも、基本は名前呼び千夏ちゃんのイメージがある私にはそれに対し苦笑しかできない。
「…そのさ、唯ちゃんに呼ばれてたんだよ。」
「唯ちゃんって、唯先生のこと?」
こくりと頷く千夏ちゃん。唯先生というのは、私たちが一年生の時の担任であり引き続き二年の担任になった教師だ。白衣が似合う若手の教師でありながら、担当教科は日本史と謎多き二十五歳だ。ロックバンドのボーカルをしていたとか元ヤンだったとか噂されており、それが事実かどうか本人も口を割ってくれない。…それにしても、千夏ちゃんは先生のことをアイツ呼ばわりしていたとは。
「そうそう。いい加減髪の色をどうにかしろって言われてさ、んなの私の存在を抹消しているも同じじゃんかって反論してきた。私だってちゃんとした場では黒染めするっての。」
「学校もちゃんとした場だと思うんだけど。」
千夏ちゃんのいうちゃんとした場というのは、一体どこのことをさしているのやら。
「それに私は、黒髪の千夏ちゃんの方が見慣れているから…。」
「…。そんな寂しそうな顔されたら、染めるなと言われる方が無理なんだけど。」
千夏ちゃんは腕を伸ばし大きく伸びをすると、「いずれな」と約束してくれた。そして本当に黒髪に染めてくれることになる千夏ちゃんであったが、その時には私の記憶から消えてしまっており腰を抜かすことになる。
とはいえこの時はその約束にあまり期待しておらず、私は軽く「分かった」と口にし再び鈴ちゃんたちのいる教室へと足を動かした。
私たちが戻ってきた頃にはかなり話は進んでしまっており、去年同様海に行くかキャンプに行くかで話は盛り上がっていた。多数決の結果海に行くことになったが、キャンプ派であった鈴ちゃんと香奈ちゃんを説得させるのにそこから五分ほど費やすこととなった。何せ二人は肌焼けしたくないらしいが、夏はどこに行こうと少しは肌焼けするものと経験ありげな愛ちゃんの一言で治まることとなる。
予定としては八月上旬と去年と全く変わりない。場所も去年のところとなったが、予定日の当日は近くで花火大会があることからその後、みんなで花火を見る予定も追加された。浴衣姿の鈴ちゃんを見られるのは、どうやら二人っきりで行くときとなりそうだ。そもそも着てくれないかもしれないけれど。
そして予定を立てた日の晩。私と千夏ちゃん、それに徹君は、以前私が徹君と訪れたショッピングモールにて再会することとなった。この日のことは以前のこともあり事前に鈴ちゃんには伝えてはいる。徹君がいることに対して不満そうな表情を浮かべていた鈴ちゃんであったが、千夏ちゃんが同席することを知り「なら大丈夫だ」と安心してくれた。千夏ちゃんと出会ってまだ三ヶ月ほどではあるが、どうやら鈴ちゃんは千夏ちゃんに心を許したらしい。
お迎えに関してもお断りを入れたが、その日はバイトがあるからそもそも無理だと笑っていた。だが私はこの時気付いていなかった。シフトの変更があったとしても、鈴ちゃんは絶対に日曜日はバイトを入れないことを。そのことに気付いたのはそれこそ当日で、鈴ちゃんへの不安を抱えながら、私は千夏ちゃんたちと再会するんであった。




