好きだから Ⅳ
自宅の最寄り駅よりも二つ前の駅で降りた私は、咲ちゃんのオススメのお店に案内された。いつものメンバーで行くカフェ「はんでぃ」はヨーロピアンモダンのお店に対し、こちらは一昔前の空間に引き戻されるようなアンティーク調のお店だ。どこぞの映画のロケで使われたと咲ちゃんは来る前に話していたが、その映画についての情報は無いらしい。映画に詳しい人であれば分かるのかもしれないが、私はさほど映画に詳しいわけではないし見ているのは洋画ぐらい。
店内は平日ということもありあまり人が入店していないが、いつもの光景なのだろう。気にすることなく咲ちゃんは私の手を引いて一番奥のテーブル席に向かって行った。見たところ、店員はコーヒー豆を焙煎している白髭を蓄えているおじいさんと、テーブルに向かう最中に厨房にいた女性のみとかなり少ないが、チェーン店のように店が大きいわけではないので二人でも大丈夫なのだろう。
「琴美さんは何が飲みたい?私はもう決まったから。」
席につくなり私にメニューを手渡してくれた咲ちゃん。アメリカンのような無糖の珈琲が飲みたい気分ではあるが、今朝だけでもう三杯も飲んでしまっている。カフェイン中毒というわけではないが、自身で抑制しなければいずれ中毒になるのも時間の問題である。
「じゃぁカフェラテにしようかな。」
私がメニューを閉じたのを確認した咲ちゃんは「了解」と口にすると、鞄を持って厨房の方へと姿を消した。急な出来事に思わず立ち上がってしまい周囲の痛い視線を受け取った私は、申し訳なさそうに再び席についた。
携帯を弄ることなく待つこと数分。咲ちゃんは二つのコップを手にして厨房から出てくると、何事もなかったかのように私の前にコップを置いた。良い香りが鼻の内側いっぱいに広がるが、そんなことを気にしているような状況ではない。
「咲ちゃん。普通に厨房の方に入って行ってたけど…。」
「あぁうん。ここじいちゃんのお店だから。こうして飲みに来ては手伝いをしているんだよ。」
咲ちゃん言う通り、振り返った私に会釈するおじいさんの胸元には「水瀬」と英語筆記体で書かれているのが確認できる。どうやら本当にこの喫茶店は咲ちゃんの祖父のお店らしく、であれば厨房に入っていったのも納得できる。であれば、先ほど厨房内にいた女性は咲ちゃんの母親か姉のどちらかであろう。
「そういえば咲ちゃん。どうして私なんかにお茶誘ってくれたの?仲の良いクラスメートなんて山ほどいると思うんだけど。」
「そんなことはないけど、愛とかアリスとかにはよく絡まれたり絡んだりしてて、琴美さんとはそういったことしていないなって思って。」
出来立てだというのに咲ちゃんは息を吹きかけることなくコップに唇を当てゴクッと飲むが、熱そうな素振りを一切見せていない。熱いモノに抵抗があるのかもしれないが、だとしてもこれは異常である。
「別に絡んできても大丈夫だよ。…めんどくさくなければだけど。」
例を挙げるとすれば、何故かテンションが異常に高いアリスちゃんと愛ちゃん、それに鈴ちゃんたちの絡み方だ。いい感じにお酒が回ったおじさんたちのようなやり取りを行っているのだが、彼女たちはそれを素面で成し遂げている。ああなってしまえば、止められるのは香奈ちゃんか唯先生の二人しか私は知らない。
「そんな絡みはしないって。そもそも琴美さん、あまり人と話したりするの得意じゃなさそうだし。」
「まぁ得意不得意で分けるのなら、不得意になるかな。」
今でこそこうして話せるようにはなっているが、元々私は非常に大人しく友達といえる人は千夏ちゃんと徹君、それに鈴ちゃんだけであった。それに千夏ちゃんたちの件があって以来はますます話せなくなってしまったわけで、未だに知り合いと話している最中も緊張することが希にある。
「けど、不得意なだけで話せないわけじゃないからね。どちらかというと聞く専門なだけで…。」
「大丈夫大丈夫。…っても、私も基本は聞き専なんだけどな。」
再びコップに口を付ける咲ちゃんに吊られ、私もカフェラテを喉に通した。もちろん私は熱さに抵抗がないため、息を吹きかけてほんの少しだけ冷ましてから頂いた。余談ではあるが、カフェオレとカフェラテは言語が違うだけで意味は全く同じである。しかしラテの方がオレに比べ苦みが強いため、苦いのが好きだという人はラテがオススメである。…などと言っているが、私は今までこの二つの味の違いを見分けられたことは一度たりとも無い。
「っん…。けど、なんかそれは予想通り、かな。咲ちゃんが自分の話をするイメージ、あんまりないかも。」
「予想通りって。けど、そういう機会がなかったから、誰かに自分の話をすることがなかったのかもな。」
「?それってどういうこと?」
問いかける私に「しまった」と口に手を当て目をそらす咲ちゃんは、何やらぼそぼそと呟き始めた。私が唯一聞き取れたのは「まぁいいか」の一言だけで、つまり最後のほんの一部分だけとなる。
「琴美さん。ここの話は他言無用でお願いできる?」
両手を合わせ懇願する咲ちゃん。その様子から、咲ちゃんは未だ誰にも話したことがないような隠し事をしていることが分かる。大きな隠し事をしていた私だからこそ、そのことが分かるのかも知れない。
「…それじゃぁ、私の秘密も話してあげる。その方が、今後もお互いフェアな関係でいられるしさ。」
「むしろ私にとって好条件過ぎるけど、琴美さんはそれで構わないのか?」
確かに咲ちゃんにとって好条件なのだが、それは私も同様である。千夏ちゃんとの一件を聞いた咲ちゃんからの好感度が下がってしまうかもしれないデメリットはあるものの、咲ちゃんの秘めたる過去を知れる良い機会でもあるし、話すことで今以上に良い関係を築き上げることも出来るかもしれないのだ。そう考えると、デメリットに比べメリットの方が充分にでかいというもの。
「うん、大丈夫。なんなら、私から先に話してあげたって…。」
「いや、それは遠慮するよ。私が始めたことだし、ここは私から話すべきだし。」
咲ちゃんは手にするコップをテーブルに置くと、「私さ、未だに両親の顔を覚えていないんだ」と唐突にカミングアウトしてきた。
「私が生まれる前から両親は共働きでさ、幼少期から中学までこの喫茶店で姉と一緒にじいちゃんとばあちゃんに育てられていたんだ。ばあちゃんは四年前天国に行ってしまって、今厨房で作業しているのが私の姉さ。」
私は再び厨房の方に視線を向けるが、位置が悪くロングスカートの裾しか見えなかった。結局この日は咲ちゃんのお姉さんを見ることが出来ず、髪の毛は短くスレンダーな身体付きをしているという咲ちゃん情報でしかお姉さんを知ることが出来なかった。
「咲ちゃんの両親はさ、そのどんなお仕事をしてるの?」
「…父は寿司職人で母は通訳者。フランスの方で暮らしているらしいけど、二人が同時に家にいることはほとんどないって。」
「また何か凄い職種だね、両親ともに。」
と苦笑いしつつも、共働きという点は私の両親と変わりない。ただ二人とも定期的に帰ってくるため、顔を忘れるということはない。
「数年に一度帰って来るのだけど、記憶にあるだけでも二回ほどしか会ってなくてね。ほとんど無いも同じみたいな感じだよ。そのおかげで、顔を覚えていないんだけどな。」
皮肉染みた台詞を吐く咲ちゃんは表情では笑っているものの、瞳の内は何一つ笑っていない。むしろその瞳からは怒りを感じる。
「けど、それが自分の気持ちを話せなくなった直接的な理由とは私は思えないのだけど…。」
「あぁ。両親がいなかったから話せなくなったわけでなく、いなかったことで作り上げた環境が今の私を作り上げたんだ。」
咲ちゃんはコップの中身を飲み干し、少々雑にテーブルに置いた。ガシャンとヒビの入ったような音に客や咲ちゃんのおじいさんは驚いていたが、何事もなかったかのように会話を再開し始めている。まるでこの光景が日常であるかのように。
「ごめん。少し熱くなった。」
「う、ううん。誰だって感情が高まることあるし、気にしてないよ。」
その場では心配がらせないよう繕った私であるが、内心驚きっぱなしである。
「それで、両親が作ったっていう環境って一体何なの?」
「…じいちゃんががこの喫茶店を始めたのは、私が二歳の頃でな。琴美さんも聞いたことはあると思うけど、子どもにとって二歳は自立するために必要な期間なんだ。」
咲ちゃんの言う通り、二歳頃の子どもは親が手を貸すことに反抗する、第一次反抗期こと「イヤイヤ期」がやって来る。これは子どもが親から自立するための第一歩であり、同時に親に甘えたがる時期でもある。親にとってはこの期間はストレスが溜まる一方の期間であるが、しっかりと子どもを甘やかし且つしつけることで自立させる期間なのだ。そして、このイヤイヤ期がない子どもはほどんどいない。
「何となくだけど分かったよ。咲ちゃんが自身の気持ちを吐かない原因が。」
性格や発達障害、気付いてあげられない場合を除いて。
「…私が殻に籠もるまでにかかった時間なんて本当すぐだったよ。誰も私の話を聞いてくれないって気付けば、自然としゃべらなくなるものだよ。」
先ほどから私にのみ聞こえるボリュームで話すのは、おじいさんに聞かれないためなのだろう。
「誰にも期待しなかった私だったけど、努力だけは期待を裏切らないことを知ってからは努力し続けてきたの。勉強や運動、料理だって私の期待通りになる、努力は期待を裏切らない、だから私はどれだけ嫌なことでも努力してきた。全ては、誰かに認められるために」
私はアリスちゃんや愛ちゃんたちのように、咲ちゃんとあまり深い関係ではない。深い関係ではないのだが、最初に出会ったとき同様、誰かに似ていると感じると共に懐かしさまでも感じる。いや、誰かに似ているのではない。咲ちゃんは、今でも他人からの「絶対的な価値」を得ようとしている柊琴美そのものである。
「…咲ちゃんとは違う理由にはなるけど、私も、他人に認められるために本当の私を殺していたの。」
そして私は、つい数週間前鈴ちゃんに話した私自身の過去について全てを咲ちゃんに語った。自身が依存する相手を守るため、自ら孤独を選んだこと。他者に自身の価値を認めさせるため、他人が理想とする私を作ってきたことを。
「琴美さんにも、そんな辛い過去が…。」
「ありがと。でも、自分が引き起こしてしまったことだから辛くはない。けどやっぱり、後悔はしているかな。」
「後悔?」
頭を傾げる咲ちゃんに頷き返す。
「私は千夏ちゃんたちを傷つけた後、完全に本心を閉ざしたの。だというのに彼女たちは、私に手を差し伸ばし救ってくれた。そんな人たちを裏切ってしまった私は、今もずっと後悔している。」
「…なるほど、な。」
「だから咲ちゃんにはそうなる前に、ちゃんと話せるようになって欲しい。自分の思いを、誰かに。」
私は立ち上がると、前のめりで咲ちゃんの両手を握りしめる。だが咲ちゃんは動揺することなく、大きく息を吐いき「後悔か」と何度も自身に言い聞かせているかのように呟き始めた。
「けど私には、そんな相手いないんだよ。私のせいで誰かを傷つけたわけじゃないし、琴美さんみたいに親しい関係の人なんて私には…。」
「なら…私が咲ちゃんの本音聞いてあげる。」
私の台詞に視線を合わせてくる咲ちゃんであるが、口にした本人も驚いている。けれど、咲ちゃんを助けたい気持ちは本物だ。私のように傷つけて後悔する前に、傷つけずに後悔もさせたくない。もし過去の私と対話出来る機会があるのであれば、同じことを話しただろう。
「喫茶店での会話は他言無用なんでしょ。なら咲ちゃんが話したいときに私を呼んでよ。秘密を共有した仲なんだから。」
私の瞳には表情一つ変えない咲ちゃんがただ黙って握られた手を見ている姿が写されているだけで、他のモノなど一切入ってきていない。もし横に鈴ちゃんがいるとしても、今だけは視界に入ってこないだろう。
咲ちゃんの両手を握ったまま黙り込んでいると、私の鞄の中から着信音が鳴り始めた。私や咲ちゃんにはしっかりと聞こえてきているが、かなり鞄の奥にしまっているので周囲には聞こえていない様子である。
そしてこのポップな音楽は、何故か私の携帯ロックを解除した鈴ちゃんが自分用にと勝手に変更した音楽だ。それもつい先日の話である。
咲ちゃんの両手を離しあたふたと鞄の中から携帯を取り出す私に、咲ちゃんは何故だか急に笑い出した。咲ちゃんにそのわけを聞こうにも、携帯がなかなか見つからず焦る一方である。
そうこうしている内に携帯の着信音が鳴り止み、同時に携帯を握った私はすぐに手放した。メールの一つでも送って安心させてもよかったが、鈴ちゃんのことだ。さほど急ぎの電話ではないだろう。
「ごめん咲ちゃん。ばたばたしちゃって。」
と謝罪する私だが、お腹を抱えて笑う咲ちゃんの耳には聞こえなかったみたいで。
しばらく笑いっぱなしだった咲ちゃんであったが落ち着いたらしく、目頭を拭いながら私に謝ってきた。この謝罪は確実に、咲ちゃんが笑い続けていたことに対するものであろう。
「いやぁ、ちょっと緊張の糸が外れてな。琴美さんって何だか堅実的なイメージだから話しづらそうだなって思い込んでてさ。けど慌てている姿を見て、偏見だったなってね。」
「…まぁそういわれても仕方ないしね。」
「けどまぁ、こうして私と向き合ってくれたのは琴美さんだけで、正直凄く嬉しかったしまた話したいなとも思った。」
少々落ち込んでしまった私を励ますかのような咲ちゃんの言葉に顔を上げると、そこにはほほを緩ませている咲ちゃんの姿があった。
「もし琴美さんでよければ、私の話し相手になってくれるか?似たような心境だった琴美さんとなら、本音で話せる気がするし。」
「それは私も。まだ私もスタートラインに立ったばかりだし、お互い頑張って話せるようになろ。」
立ち上がった私は咲ちゃんの前に手を差し出すと、咲ちゃんも立ち上がってくれ差し出した手を握った。変な同盟が結ばれたが、私も咲ちゃんも気にしていない。それよりも本音を話せる人が出来たことに、今は心底喜んでいる。
「…と、話しも切りも良いし、今日は解散とする?さっきの着信、家族の方からだろ?」
「え!?あぁ多分ね。相手までは確認してないけど、きっとそうだと思う。」
相手は鈴ちゃんだと知っている点は嘘を付いてしまったが、家族という点に関しては嘘ではない。血は繋がっていないし恋人だとはいえ、同じ屋根の下で暮らしていれば家族同然だ。
「まぁ琴美さん綺麗だし、心配になるのも当然だろうな。」
「咲ちゃんだって美人さんなんだから、きっと心配しているよ」と返そうとしたが、咲ちゃんの場合禁句であることに気付き「ありがとう」とお礼にすぐさま移行させた。きっと家族と口にするだけでも辛いはずの咲ちゃん。そこに追い打ちをかけようとした私は、まだ一分にも満たない同盟を破棄するところであった。
「それじゃぁ私は家に帰るね。もし何かあれば気軽に連絡してきて大丈夫だから。」
「おう分かった。琴美さんも、話したいときは前日に連絡してアポ取ってくれれば大抵大丈夫だから、気軽に連絡してくれよな。」
鞄を持った私は咲ちゃんに手を振ると、その足で喫茶店から退出した。途中咲ちゃんのおじいさんが駅まで送ろうかと心配してくれたのだが、仕事の邪魔をするわけにはいかなかったので丁重にお断りした。しかしこのお断りは間違いであったことが帰宅途中で判明する。
電車に乗り込んですぐ鈴ちゃんにメールを入れようと携帯を握った際、咲ちゃんの連絡先を交換し忘れていたことに気付いたのである。もし早めに気付いたとして咲ちゃんのおじいさんに駅まで送られていたのなら、咲ちゃんの連絡先を得られていたかもしれないというわけだ。
しかし後日、アリスちゃんから咲ちゃんの連絡先を入手したことで咲ちゃんと連絡し合えるようになったが、何故私が咲ちゃんの連絡先をほしがったのかとしばらくアリスちゃんに問い詰められることとなったしまった。




