好きだから Ⅲ
「もう春も終わりかな。」
そう言って寂しそうに駅のホームから夕陽を眺めながら、先ほど購入したコンビニアイスを口にするアリスちゃんは、一口目から早々、険しい表情を浮かべてはジタバタと足踏みをする。確かに気持ちは分からなくもないが、一口目から頭が痛くなるのは理解できない。よっぽど特殊な食べ方をしない限りは一口目から痛みを感じるなど到底ないだろうが、アリスちゃんは至って普通に食べているだけで痛みを感じている。…というか、特殊なアイスの食べ方とは一体何なのだろうか。
「かといって、アイス食べるには少し早くない?」
「前にアイスは季節ごとに限定商品があるって聞いて気になってたの。学生タイムじゃないと、気楽にコンビニにも行けないしね。」
苦痛に満ちた表情ながらも、美味しそうにアイスを食べるアリスちゃんを私は親のように見守る。テレビ越しのアリスちゃんはクールで大人びた雰囲気を醸し出しているが、こうして時間を共有しているときの姿はどこにでもいる普通の女子高生である。
「普段はコンビニ使ってないの?」
「基本は専属の方が買いに行っているから、休日とかでも一切使ってないかな。それに私が外出するとさ、色々と迷惑かけちゃうし。」
アリスちゃんはぺろりとアイスを平らげると、レジ袋からもう一つアイスを取り出し開封した。その他にもレジ袋には大量のお菓子を購入しており、それを見るだけでアリスちゃんは嬉しそうな笑みを溢した。購入する前に止めようとはしたのだが、楽しそうに品定めしていたアリスちゃんを見てしまえばそんな気など失せるも当然である。
「迷惑って言っても、握手とかサインとかぐらいなんじゃ…。」
「ちりつもだよちりつも。あ、ことみん。一口あげるよ。」
アリスちゃんが開封したてのアイスを私の口元に向けてきたので、私は少々遠慮がちに一口いただく。購入時に「さくら味」とパッケージに表示されていたが、どの辺がさくららしいのかイマイチ伝わってこない。
「ちりつも、ね…。」
「そう。それに専属の方とか香奈とコンビニ行っても、太るからって買いすぎは厳禁なんだよ。そこまでバカではないから、私だって加減はしてるっての。」
そのレジ袋の中を見て、加減をしているとは一切思えないのだが。
「にしても、アリスちゃんってスタイル良いなりには結構食べるよね。ダイエットとかしているの?」
アリスちゃんは何度かファッションモデルとして洋服の広告に載ることがあるのだが、スタイルの良さから本当にモデルになってしまうのではと噂されるほど。そんなアリスちゃんがスタイル維持しないわけがなく、もしこれで「していない」なんて言葉が出てきたときには、アリスちゃんはダイエットをしている全人類を敵に回すことになるだろう。
「?そんなことする時間があるなら、私は香奈といちゃつく時間に使うのだけど。」
あたかも当たり前ではと言ってきそうな目で私の発言を不思議がるアリスちゃん。…それにしても、理由が理由である。
「…そういえばさ、前々から気になっていたんだげど…。」
「私と香奈について、でしょ?」
苦笑いで質問しようとした私に、アリスちゃんは先にその質問を口にしてしまう。香奈ちゃんやアリスちゃんが付き合っていると告白してくれてたはいたが、何故二人が付き合い始めたかまでは耳にしたことがない。そもそも二人がそのことについて一度も触れたことはなく、触れようともしていない。
アリスちゃんは食べかけのアイスの棒を握ると、そこから数歩前に歩きこちらに振り返る。
「…ことみんはさ、印象に残っている物語の冒頭を全て覚えてる?」
「え…。」
「確かに冒頭のインパクトが強い物語は覚えているのかもしれないけど、全て覚えているかと言われると覚えてないでしょ。結局この世界は結果が全てだから、最初なんてそんなモノだよ。」
アリスちゃんの過去に一体何があったのか謎が深まるあまりばかりだが、私に何を伝えたいのかはハッキリと分かった。だからこそ私は、アリスちゃんにこれ以上の追求をすることを止めたのである。果たしてアリスちゃんの言葉が真意なのかは分からないが、私にはどうも何かを隠しているようにも見える。
「…にしても、みほるんの変貌は凄かったねぇ。私ですら、ちょっと驚いたというか。」
溶けかけのアイスを一舐めしたアリスちゃんは、へへっと舌を出して苦笑いを向けた。やること言うことは目も当てられない状況の時もあるのだが、顔の良さがそれらを許す。…本当、顔は良いのだが…。
とはいえ、確かに珠穂ちゃんの豹変ぶりには私もアリスちゃんも驚かされたわけで、私たちは晴ちゃんに言われたようにあの場から去ったのである。その先輩のことになるとおかしくなる、そう事前に晴ちゃんからは聞いていたが、それは私の想像以上であった。
「咲先輩は女神なんですっ!!」と叫んだ珠穂ちゃんはその後すぐにテーブルの上に立つと、咲ちゃんについて長々と話し始めたのである。外見や内面以外にも咲ちゃんの仕草や口調等、咲ちゃん関することを熱弁していた珠穂ちゃんに「人見知り」と言葉は消えており、空気を読んで私たちから距離を取っていた女子生徒もその豹変ぶりに会話を止めざるを得なかった。
その横で珠穂ちゃんをテーブルから下ろそうとしていた晴ちゃんは、「今日はお開きということで」と私たちを帰してくれた。本来ならば今日、珠穂ちゃんについて色々と質問したかったのだが、その騒動だけで十分理解できたわけで…。
「でも、アリスちゃんも変わらないじゃん。香奈ちゃんの話をするとき、いつもより嬉しそうだもん。」
「そりゃそうだよ。だって香奈のこと好きなんだし。」
公共の面前でよくもまぁ「好き」だとハッキリ言えるものだが、これこそがアリスちゃんの強いところなのだろう。鈴ちゃんのことは勿論で好きで、鈴ちゃんに関する話を聞いただけで心は弾んでいる。だがそれを本人や第三者の前で言える勇気までは持っていない。もしそんな勇気を私が持っていたならば、私は鈴ちゃんに軽々千夏ちゃんのことを話していただろう。
「アリスちゃんは凄いね。ちゃんと自分の気持ちを隠していないところとか、尊敬する。」
「そんなことないよ」と満更でもない笑顔を浮かべアリスちゃんはアイスを食べきると、開封したパッケージの中にアイスの棒を放り込む。
「でも私がこうして気持ちをさらけ出すことを教えてくれたのは、香奈なんだよ。」
「香奈ちゃんが?」
コクリと首を縦に動かしたアリスちゃんは、一度腕時計に視線を落とすと「大丈夫か」と顔を上げる。
「今でこそ私は気持ちをさらけ出しているけど、中学一年の頃までは香奈にすら自分の気持ちを隠していたの。」
近くにあるベンチに腰掛けると、ちょいちょいと私を手招きしてくれる。一年前ならば一緒にいるだけでも緊張していたのだが、今となってはそんな緊張など全くない。良いことなのか悪いことなのか。
「私にはさ、実は許嫁がいてその人と結婚させられる予定だったの。私はそれが嫌だったんだけど、そのことを両親に話すことが出来なかってね。」
許嫁などこのご時世にまだ存在しているのかと驚かされたが、それよりもアリスちゃんの中学生像が私は一切想像できない。それは、これほど自分の欲求に忠実なアリスちゃんが欲求を我慢するなど考えられないからである。
「そんな私の気持ちを悟ってくれたのかな。香奈はそんな私にしびれを切らしてさ、ほっぺた叩かれたんだ。目を覚ませ、アリスの人生はアリスが決めるべきだって。それまでの私はさ、両親が敷いてくれたレールに乗っていたばかりだったの。外れる道はいくつもあったんだけど、その道に進む勇気が私にはなかって…。」
「でも私は香奈に言われて目が覚めたの。このままではいけないって。それで私は、前々からやってみたかった女優になったの。まぁそのせいで親とは事実上縁を切ったんだけど、私はそれで構わなかったし覚悟もしていた。それに、この選択は間違いではなかったしね。」
アリスちゃんはこちらに視線を向けにかっと笑い、何故だか私の頭を撫でてくれる。アリスちゃんの心境がよく分からないが、今だけはアリスちゃんにされるがままにしておこう。
私は今まで、いつも笑顔で毎日を楽しむアリスちゃんの姿しか見てこなかったので、アリスちゃんが話していたことを全て受け取ることが出来ていない。アリスちゃんが嘘を付くとは思っていないが、今だけはアリスちゃんが嘘を付いているように思えてしまう。それは誰かに本音をさらけ出せれない私だからこその考えなのかもしれない。
「…だから私は香奈に約束したんだ。」
「え?」
「嘘を付かないって。まぁ隠し事はしちゃうんだけどね。」
「えへへ」と苦笑いになってしまったアリスちゃんはホームに入ってきた電車に乗り込むと、「じゃぁね」と投げキスをしてくれる。罪悪感もあったのだが、私はその投げキスを受け取ったかのように投げキスを返してあげた。アリスちゃんは胸を射貫かれたように両手を心臓にあてるが、結構嬉しそうである。
そのままアリスちゃんは仕事へと向かって行き、取り残された私はベンチに座ったまま大きなため息をついた。久しぶりと言うほど久しぶりではないが、一人になってしまった私はふと携帯を手にすると、いつのまにか鈴ちゃんに向けてメールを作りきっていた。無自覚であった。
消してしまおうにも完成したメールを消すのはなんだか勿体なく、二十秒の葛藤の末転送することにした。すぐには返信しないだろうと携帯を仕舞うも、そのわずか十秒後には通知の振動がスカート越しに伝わってきたのである。暇なのかと不安になるが、その暇を作ってしまったのは私である。
先に帰っていてと鈴ちゃんに伝えてはいるが鈴ちゃんがそんなことをするわけがなく、鈴ちゃんからのメールには「香奈とお茶している」と簡潔に書かれた文と二人で自撮り写真が貼られてあった。写真には楽しそうな鈴ちゃんと恥ずかしそうな香奈ちゃんがお互いの頬を擦り合わせており、一人でクスッと笑ってしまう。これが知らない相手であれば説教モノだが、相手は鈴ちゃんの幼なじみである香奈ちゃん。どんな間違いが起きたとしても、最悪の事態にはまずならないだろう。
写真を保存し帰宅しないかとメールを送ろうとしたのだが、私は作成してたメールを消しゆっくりしといていいからと伝達しておいた。一緒に帰りたいのは山々であるが、元々私が作ってしまった時間を私が奪うのはわがままにもほどがあるというもの。それに楽しそうな鈴ちゃんを見て、帰ろうと持ち出すのが無理というモノ。
一人で帰ることが決まった私は鈴ちゃんのためとはいえ、ついため息をついてしまう。例え相手が香奈ちゃんで安心できるとはいえ、誰かに鈴ちゃんが取られるのは少し嫌というか…。心がドロドロになるような苦しいような、これが世にいう「嫉妬心」というものなのだろう。
「お、琴美さんじゃん。」
イヤホンを取り出そうとした矢先、どこからともなく登場してきた咲ちゃんに声をかけられ、私は咄嗟にイヤホンと携帯を鞄にしまい込んだ。仲が良くなったとはいえ、咲ちゃんは生徒会長だ。不純物の持ち込みや使用は校則で禁止されており、バレれば携帯を一週間没収され校長や生徒指導を巡るスタンプラリーが…。
「別に使ってても大丈夫だって。校則は校内だけ、だろ?」
と咲ちゃんは鞄から携帯を取り出し、堂々と使い始めた。使うにもしても、生徒会長としてもっと周りを意識するとかしても良いのではないだろうか。
「そういえば琴美さん。今日は愉快な仲間たちはお供にしてないのか?」
「さっきまでアリスちゃんはいたけど、仕事でもう行っちゃってね。」
携帯を弄る手を止めた咲ちゃんの質問に、ちゃんと答えてあげる。鈴ちゃんたちについても話しても良かったのだが、咲ちゃんには以前鈴ちゃんとの関係を勘づかれそうになったことがあり、開きかけた口をきゅっと閉じた。
「…咲ちゃんも、今日は一人なの?」
「登下校は基本一人なんだよ。中学から桜咲に入学したのは私だけでな、途中の駅で乗ってくるクラスメートもいないんだよ。みんなは駅で待っているって言うけど、待たせるのは申し訳ないというか。」
「ちょっと以外」と思っていたことがぽろっと出てしまい、私は弁解しようと言葉を探していたが「よく言われる」と咲ちゃんはあまり気にするような様子を見せなかった。
「生徒会長といってもな、ドラマや漫画のようにちやほやされているわけじゃないって。」
「いや、そこまでは考えてないから。」
「即答だな。」
苦々しく笑う咲ちゃんは一度携帯の画面を確認すると鞄にしまい込み、今度は財布を取り出して中身を確認し始めた。一体何のためにと思っていたが、咲ちゃんが顔を上げた直後にその答えを把握した。
「琴美さん、今からお茶でもしない?」
小腹が空いてくる絶妙な時間帯のお誘いに断る理由など無く、私は鈴ちゃんにメールを送ることを忘れ、そのお誘いにのることにした。




