好きだから Ⅱ
お昼休みから放課後などあっという間で、一応帰宅準備をし終えた私とアリスちゃんの元に珠穂ちゃんがやってきた。ただやはり上級生の教室となると緊張するのか、珠穂ちゃんは横にいる晴ちゃんの手を握りしめていた。後日周囲からは「可愛いね」と評判になっており、私とアリスちゃんは納得の表情で頷いた。
「遅くなってすみません。私の支度が遅かったのが原因で…。」
「そんなの気にしてないない。可愛い後輩の頼み事だもん。私はいくらでも待つよ。それに、そういうプレイは興奮するというか…。」
「止めなさいっ。」
香奈ちゃんがいない以上、アリスちゃんを阻止する役目は私にある。万が一にと渡されたメモ用紙があるが、これを使うことなくアリスちゃんの抑止力になってくれと香奈ちゃんには頼まれているのだが…あの紙の中身は何なのだろうか。
「とりあえず、私とアリスちゃんだけだけど、場所変えた方がいい?」
鈴ちゃんと香奈ちゃんには先に帰ってもらうよう頼んでおり、二葉姉妹はそもそも用事があるといって帰宅している。とはいえ、私たちの教室にはまだ何人かいるため、ここで話すには二人の肩身が狭いだろう。
緊張して声が出ない珠穂ちゃんに代わり、晴ちゃんは「その方が…。」と返事をしてくれたため、私たち鞄を持ち食堂の方へ向かった。食堂は基本的にお昼休みしか使えないのだがそれは食事をする場合。実際はお昼休みから完全下校時刻までは開いており、隣接してある自動販売機で適当に購入すれば放課後は駄弁りの場として使うことが出来る。
…とはクラスメートからチラホラ聞いたことがあるのだが、さすがは放課後。誰一人として食堂内にはいなかった。部活動で帰宅部生しか使用しないにもかかわらず、この人のいなさは少し異常である。
適当に飲み物を購入した私たちは、食堂の入り口からはほど遠いテーブルに一年と二年が対面するような形で座った。入り口辺りでも良かったのだが、聞かれたくない会話なようである程度の位置に決めたわけだ。
「前にもしたけど、もう一度自己紹介しておくね。私は星城院アリス。二年でことみん…じゃなかった。琴美とは同じクラスなの。」
「別に訂正しなくていいよ。違和感しかないから。」
「そう?去年の四月辺りは名前呼びだったじゃん。」
「だからだよ。アリスちゃんが私を名前で呼んだの、片手で数えられる程度だったんだから。」
私の記憶の中では初めて声をかけられたときと最初の英語の授業時のみだ。以来はずっと、ことみんと呼び続けられている気がする。
「そうだっけ?まぁ細かいことは気にしなくてじゃん?それで、みほるんは私たちに何の相談?」
「みほるん」という呼び名に困惑気味の珠穂ちゃんは、手元の缶ジュースを掴んだままカタカタと震えている。その姿は一年前の舞ちゃんのようだが、珠穂ちゃんのソレは舞ちゃん以上である。
「私が代役で話しますが、相談というのは恋愛相談なんです。」
「わぉ、女の子っぽい。」
代役の晴ちゃんが話し出すと、珠穂ちゃんは何故だか手で耳を塞いでしまった。これから珠穂ちゃんの相談事について話すというのに、その行動は誰が見ても異様と言える。
「珠穂の好きな人なんですが、まず先に話しておきます。珠穂は、先輩方と同じ学年の現生徒会長、水瀬咲先輩に恋をしているんです。」
他校の男の子だと思っていたアリスちゃんはピタリと動きを止め、珠穂ちゃんに意識が向いていた私は晴ちゃんの方へと視線を向けた。それを確認したかのように、晴ちゃんは珠穂ちゃんの恋についてあたかも本人であるかのように、淡々と語ってくれた。
珠穂ちゃんが咲ちゃんに出会ったのは珠穂ちゃんたちが中学一年生の時、つまりは私たちが中学二年生のときであった。当時の珠穂ちゃんは鈴ちゃんや愛ちゃんのようなキャラで、周りからの人望は多かった。ただ、身長が低いことで子ども扱いをされ、それを珠穂ちゃんは気に入らなかったらしい。
そしてそんな二人の出会いの要因は、曲がり角でぶつかるなどといった少女漫画展開ではなく、ただ野良犬であった。
「野良犬?」
「はい。珠穂は昔、犬に追いかけられたことがあり、犬の恐怖を植え付けられたんです。それが原因で犬が苦手になり、特に吠えたりされるともう手のつけようが…。」
という会話をしている間にも、珠穂ちゃんはビクビクと怯えていた。どうやらかなりのトラウマを犬に植え付けられたらしいが、一体どのような追いかけられ方をしたのだろうか。
晴ちゃんもその場にはいなかったらしいので珠穂ちゃんから聞いた話になるのだが、ある日の下校時、珠穂ちゃんは偶然野良犬に遭遇したのだ。更には吠えられながらじわじわと距離を詰められたらしく、珠穂ちゃんはあのときのトラウマから腰を抜かしてしまったのだ。ただ怯えることしか出来なかった珠穂ちゃんに抵抗の二文字はなく、次第に助けを呼んでいた声も出なくなり、まさに絶体絶命の状況であったのだ。
そして野良犬が飛びかかってきた瞬間、まるでヒーローのように珠穂ちゃんを庇ったのが咲ちゃんであった。反射的にでたのであろう左腕を犬に噛まれるも、咲ちゃんは痛そうな表情など浮かべなかった。更には無理矢理引き剥がすなどという武力行使をするどころか、噛まれた状態でじゃれ始めたらしい。男気があるとはいえ、中々の強者である。
一頻りじゃれ終えると野良犬は去って行き、その場には珠穂ちゃんと制服の袖が食い千切られ血まみれの腕を持つ咲ちゃんだけとなった。ただ咲ちゃんは、自らの腕を気にすることなく、腰を抜かした珠穂ちゃんを背負い家に送迎したのだ。勿論やせ我慢であることは、聞いている私とアリスちゃんでも分かりきったことだ。
自己犠牲の末大切な誰かを守ろうとしていた私ではあったが、それは馴染みのある人であったからだ。その点咲ちゃんは、見ず知らずの人を守るために自らを代償としたのである。人助けぐらいであれば、誰だって知らない人に対してもできるだろうが、誰もが自身の安全を最優先に置いている。それがごく普通のことであることは、咲ちゃんでも充分に把握しているはずだ。
「…去年の夏にさっきぃが腕に包帯巻いていたのはそれが原因か。謎が解決したよ。」
「え?アリスちゃんって一年の頃から咲ちゃんと知り合いなの?」
「知り合いっていうほどじゃないけど、たまに話すことはあったよ。で、腕に巻いている包帯は怪我なのかなって考えていたわけ。」
さすがはアリスちゃん。可愛い子には目がない。
「以来水瀬先輩は珠穂を見れば話しかけてくれるのですが、子ども扱いをしていたのは周囲と同じでした。けれど珠穂は、他の人と比べれば温和な対応をとっていたのです。」
「っことは、もうその頃から好きになったの?」
「いえ。正確にはもう少し後になるのですが、その欠片があったことには違いないと思います。」
晴ちゃんは一度怯える珠穂ちゃんに「もう少しだから」と耳元で囁いて上げる。もうすでにトラウマの話は終わっているはずで珠穂ちゃんが耳を塞ぐ必要などないはずだが、その言葉に頷く珠穂ちゃんは手の平を耳に押さえつけた。そして聞こえない程度の息を吐き「先輩」と私たちを呼んだ。
「正直私は、この恋は異常だと思っています。世間には同性同士で結婚した例もありまずが、私には何一つ理解できないいです。」
「…。」
「どうして珠穂は、水瀬先輩を愛してしまったのですか。どうして好きになったんだと思いますか。」
胸を貫くような晴ちゃんの言葉に、私とアリスちゃんは沈黙してしまった。私と鈴ちゃん、アリスちゃんと香奈ちゃんの関係を理解できない人がいることぐらい知っており、その気持ちについても理解しているつもりでいた。
だが実際言われてみて、傷ついている自分がそこにはあった。確かに一般の人から見て私たちは異常に見えるのかもしれない。晴ちゃんだけでなく、愛ちゃんや舞ちゃんだって話は聞かないがそういうことに対して思うことがあるのかもしれない。それでも、私は…。
「…誰かを好きになるなんて、そんなの生きていく上では当たり前のことだよ。」
わりとふざけていたアリスちゃんであったが、どうやら気にくわないことがあったのか、かなり不機嫌そうな表情になっている。
「…ぶっちゃけた話し、私はある女の子とお付き合いをしていて、はぁちゃんのように自分自身が理解できなかった時期があるの。どうして私はあの子と付き合っているのかな、どうして私は、あの子のことを好きになったのだろうか、ってね。」
「けどその子、私に言ってくれたんだ。好きになったからでしょ、て。」
「好きになるのに理由を求める気持ちは分かるし、私だって昔はそうだった。けれど理由なんてなかったの。その子が好き、それだけが答えで、それがたまたま女の子だっただけ。きっとみほるんも、さほど明確な理由なんて無いと思うよ。」
最初は驚いていた晴ちゃんであったが、何か思い当たることがあるのか、下唇を軽く噛んでいるのが確認できた。気になるであろうアリスちゃんも何かを口にしようと口を広げていたが、深追いは禁物と静かに開いていた口を閉じ一息置いた後、もう一度口を開いた。今度は躊躇うことなく声を出している。
「…私だってさ、未だに分かんないことだらけだよ。待ち受けている壁はいつも予測不可能で、ぶつかる度に立ち往生して…。けどさ、答えを知っている迷路をやっても楽しくはないでしょ?なら私は、出口のない迷路をするべきだと思うよ。」
「…アリスちゃん、それ攻略方法ないんじゃ…。」
「決められた解答が私たちにとって絶対に正しいとは限らない。それならさ、私たち自身が解答を作ればいいじゃん。それが私たちにとっての絶対に正しい解答でしょ?」
アリスちゃんの独自論に面を食らった私と晴ちゃんは、アリスちゃんに反論することなどできなかった。それは私も晴ちゃんも、自らが道を切り開くなどといった行為を行ってこなかったからだ。そこまでの勇気が無いとかいう話ではない、私は鈴ちゃんと「普通」に幸せに暮らせれば今はそれでいいとばかり考えていた。そんな私にアリスちゃんは伝えたかったのであろう、「普通」とは何であるかを。
無言の空間に響き渡る扉の開閉音に四人の視線は集まり、気まずそうに女子生徒が二人ほど食堂に入ってきた。どうやら私たちに気を遣ってくれていたらしく、入ってすぐのテーブルに陣取っている。通夜状態の私たちの視線を集めてしまったのだ、むしろそうしてもらわなければ困るというものだ。
「…さて、そろそろ私はみほるんの口から聞きたいな。さっきぃのことについてさ。」
珠穂ちゃんが耳を塞ぐ手を緩めた一瞬を見逃さなかったアリスちゃんは、叩き欠けるように珠穂ちゃんに問いただす。アリスちゃんが珠穂ちゃんに話しかけたのは一言だけ。たった一言だというのに、横にいる晴ちゃんは「何をしているのか」と目で訴えかけてきたのだ。その答えが分かったのは、その一言から僅か五秒ほどであった。
力が抜けたように耳から手が離れた珠穂ちゃんはそのまま項垂れてしまい、黒髪が抜け落ち…と思えば下にもちゃんと髪の毛があることからウィッグであることがすぐに分かった。
始めから謎だったのだ。晴ちゃんは珠穂ちゃんを紹介したとき「ショートヘアよりも少し長い髪型」と言っていたのだが、どうして珠穂ちゃんの髪型がお下げだったのか。
最初の謎は晴れたのは良かったが、また新たな謎が私の下に降りてきた。何故珠穂ちゃんの頭にしっかりと髪の毛が生えているというのにわざわざウィッグをしているのか。単におしゃれでとは私には思えない。
「あの…珠穂ちゃん。何で…。」
私はこの時思い出したのだ。晴ちゃんの台詞を。
ー普段は大人しい子なんですけど、その先輩のことになるとおかしくなるんです。残り香だけでご飯三杯はいけるとか言ってますし。ー
まさかとは思ったのだが、晴ちゃんの言う「その先輩」とは…。
「咲…ちゃん?」
それが引き金となったのか、頭を急に上げた珠穂ちゃんの瞳を宝石のように輝かし、先ほどの小動物さを消し飛ばすような大声で…。
「咲先輩は女神様なんですっ!!」
そう口にしたのである。




