Past and Now EXⅡ
「かぁな、遊びに来ちゃった。」
夕方の四時頃、そんなことを口にしながらさり気なく入ってきたアリスは、大きなあくびをしながらカーペットの上に寝転んだ。一応女優だというのに、お腹まで見せて…。
「その服借り物でしょ?そんな扱いでいいの?」
「ん?まぁ大丈夫なんじゃない。」
アリスはごろんと寝返りを打つと、近くにあったテレビのリモコンを手にしスイッチを入れた。アリスにとって私の家は、もはや自分の家のような存在なんだろう。
「っていうか、何でセーラー服なの?今の映画の役、確か入院中の女の子じゃなかったっけ?」
ベランダにかけてある洗濯物をかごに取り込んだ私は、アリスの近くに座ると洗濯物を畳み始める。アリスのセーラー服姿など見るのは中学生以来だが、かなり新鮮に感じるのは歳のせいだろうか。
「学校のシーンが少しだけあって、その時に着ることになったの。でもやっぱり、セーラー服は似合わないんだよな私。」
「それは分かる。」
私の即答に襲いかかってくるアリスであるが、別に間違ったことは行っていない。銀髪に赤と青の対象的な瞳はもはやどこぞのキャラクターで、お世辞にも似合っているとは言えない。そうはいうが、可愛いので気にはしない。
ちなみに今アリスが収録している映画は、新年が開けてほぼすぐに辺りに公開される映画だ。あらすじを簡潔に説明すると、自殺志願の主人公が余命一年のヒロインに出会い命の大切さを知る物語。アリスはその余命一年の少女の役に抜擢されており、現在絶賛奮闘中である。
「ちょっとアリスっ。こ、こしょばいから、や、止めて。ふ、ははぁ。」
私に抱きついてくるなり横腹をこしょばすアリス。私の苦手な部位をアリスはほとんど知り尽くしており、例えどこかが耐えられるようになっても、別の箇所をこしょばされるだけである。
「へへぇ。ここがええんじゃろぉ?おぉ?」
「ちょっと、お、おっさんみた…ははは、はははっ。」
親父くさい台詞を並べていくアリスに一言物申したいが、こしょばいがゆえ思うように声を出せなかった。
しばらくしてやっと手を止めてくれたアリスは息を吐くと、床にぐったりする私に馬乗りで乗っかかってきた。抱きしめていたときよりも重く感じるが、その分アリスからの愛も感じられる。
「どう?参った?」
「…降参ですよ。私がアリスに敵うとでも思った?」
「全然っ」と満面の笑みを散らすアリス。少々むかつくが、可愛らしい笑顔に思わずキスしてしまいたい気持ちでそんな感情は消え去った。しかし、今日はアリスはお仕事帰り。そんな思考などさすがにないだろう。
「…ねぇ香奈。私がキスしたいって言ったら、香奈は私の気持ち受け取ってくれる?」
私の気持ちを察したのか、真剣な眼差しを送るアリスは物欲しそうに唇を尖らしたまま私の答えを待っていた。艶付きのある唇からはアリスがよく使うイチゴのリップの香りが漂い、一度耐えた欲望が再び形となって戻ってきた。
「…んはぁ。そんな誘うようなことされて、私が断るはずないじゃない。」
「ふふっ、知ってる。」
アリスは一度私の上から降りると近くに座り、私の頭を撫でてくれる。
「けど、私に合わせなくていいんだよ。香奈がキスしたいって思ったら、全然キスして構わないから。」
「そしたら遠慮無しにアリスがキスするから嫌だ。」
私の答えに不満そうに頬を膨らますアリスに、私は腕を伸ばすと膨らましているアリスの頬に触れると、そのまま身体を起こし顔を近づけ唇を軽く重ねた。
「…こういうのはさ、たまにするからこそ意味があると思うんだけど。」
「…私は毎日したいのぉ!!」
アリスから唇を離したのも束の間、アリスはまた私を抱きしめると、そのままキスをしながら床に押し倒してきた。甘い香りと肌の温もりが私の思考をおかしくさせ、同時にアリスをめちゃくちゃにしてやりたいと最悪な考えまで脳には思い浮かんでいた。アリスが聞けば悦ぶだろうが、私にとっては大問題だ。今すぐに引き剥がさなければ、私はアリスを襲いかけない。
けれどアリスからの愛を素直に受け取った火照る身体は正直で、乾ききった喉や気持ちを潤すのに必死であった。理性という言葉など、私はとうに捨てている。理性を本能と両立するなんて、私にはできなかった。
絡んでいた舌がほどけるのを感じ、私はいつの間にか閉じていた目を開ける。目の前にいるアリスは今にも溶けそうなぐらいに顔を赤く染め、髪はボサボサに乱れきっている。落ち着きかけていた私の欲望を増幅させ、今にも飛びかかろうとした私であったが…。
「…ごめんねぇかぁなぁぁっ。」
突如として泣き始めるアリスによって、欲望ごとその考えは消え去った。急な発言にポカンと口を開けた私であったが、身体を起こすと馬乗りになっているアリスの涙を拭う。
「どうしたの泣き出して。私された覚えないんだけど。」
アリスは無言で頭を横に振ると、鼻をすすりながらも話してくれた。
「香奈はこんなにも可愛いくて私のことを愛してくれているのに、私はそんな香奈をめちゃくちゃにしてやりたいって考えてしまってるの。今年で十七になるのに欲望を抑えられないとか、バカみたいじゃん。」
という理由で泣いていたらしいアリスだが、現に泣き出すまで自身の欲望に耐え切れていなかった私は、どれほど涙を流せばいいのやら。泣き終えた頃には、体内の水分は枯渇しているに違いない。
「…バカは生まれつきなんだから、今更泣いたところで治らないよ。」
「容赦ない追い打ちっ!」
「…けど、欲望に忠実なのは良いことだと思うよ。」
「欲望に忠実なのは動物的本能だから、否定する気持ちも分からなくもない。けどそれはストレスを溜めているようなモノだし、何しろ我慢は身体に良くない。アリスは頑張ってきてるのだから、私の前では、ね。」
とついつい格好付けてしまう私だが、この発言は全くのブーメランである。
アリスも我慢する方ではあるが、私のように効率よくストレスを発散できないタイプではない。故に今回のようなケースは希であり、むしろ先ほどの言葉は私自身に言っているようなモノだ。
「…なら、今からベットに…。」
「それは無理。」
甘やかすとはいえ、さすがにそこまではさせない。そもそも、週末ではあるがまだやらなければならないことがあり、明日は明日で朝からバイトを入れているわけであんなことをしている暇はない。暇があればいいというわけでもないが。
「そっか」と寂しそうな笑顔を浮かべるアリスは私の上から降りようとしたが、私はそれを引き留めるように抱きしめてあげた。
「けど、このくらいならしてあげる。」
「…ありがと。」
アリスは私にお礼を言ってくれると、私の胸に顔を埋めた。いつものアリスであればよだれを垂らすような状況であるが、そのまま夢の世界へと落ちてしまった。近頃はメールすら送ってこない日があることから、今回の役がどれほど大変かを理解しているつもりでいたが、私の思っていた以上に大変であることが今のアリスの状態から分かった。
「…余命一年のヒロイン、か。こんな役、アリス以上に適任な子いるじゃん。演技力はないけど。」
スヤスヤと眠るアリスの頭を撫でながら、聞いていないだろうがアリスに話しかけた。
「ねぇアリス。アリスは昔から、人の目を気にしすぎだよ。家庭環境がそうさせたのは分かるし、私が言えるような立場でないことも分かっている。」
「けど、前に夢について話してくれたでしょ。あのとき私、凄く安心したの。夢を見てこなかったアリスが、ちゃんと夢を見ていたことに。だからさ、そうして夢を見続けて欲しい。それで、叶えて欲しい。」
夢のない私が言えたような台詞ではないが、現実に翻弄されていたアリスには幸せになって欲しいと願っている。これまで私は、幾度となくアリスのことを見てきたからこそ、こういった考えを持つようになったのだろう。
近くにあったビスケット柄のクッションにアリスの頭をのせ寝かせ、私は洗濯物を畳み終える。アリスの専属メイドである高山さんに迎えに来て貰ってもいいのだが、会えない日々が続いていた今、アリスとは一秒でも長く側にいたいため、ポケットに入れてある携帯には触れないようにした。もちろん、アリスにはちゃんとしたベットで眠ってほしいが、道中で覚められれば私の身は安全でなくなる…いやなると断言してもいい。
とはいえ、アリスのスケジュールをマネージャー並みに管理している高山さんにとって、アリスは自身よりも大切な存在。もし連絡無しに帰りが遅くなれば、彼女は夜な夜なアリスを散策しかねないだろう。…そんな長居させるつもりはないが。
私はアリスが着用するセーラー服のスカートから携帯を取り出すと、いとも簡単にパスワードを解除する。何故アリスの携帯を使うかというと、アリス本人からの方が信頼性があることと携帯のパスワードが会っているかの確認の二点からだ。ちなみに、私がアリスの携帯のパスワードを知っているかというと、以前に何故か教えてくれたことがあるからである。まぁなんとなく、知ってはいたのだが。
携帯を開けまず目にしたのは、春休みにホテルに泊まって際に撮られた私の寝顔であった。その後すぐに目覚めた私は何度も消してと頼んだのだが、結局まだアリスは消していないらしい。アリスが私の写真を消すなんてことをしないのは分かっているのだが、ホーム画面に設定されているのは少々どころか凄く恥ずかしい。
高山さんに連絡を入れた私はアリスの携帯を閉じようとしたのだが、やはりさきほどのホーム画面が気になって仕方なく、眠っているアリスに「ごめん」と一言口にし勝手にホーム画面を変更した。そもそも勝手に私の寝顔をホーム画面にしているので謝る必要は無いけれど。その代わり、とってもいい写真に変更してあげた。私自身も少しばかり恥ずかしくも嬉しい写真であるため、アリスであれば昇天ものだろう。
と変更したところで思わず「にひっ」と変な笑い声を漏らしてしまい、思わずアリスに視線を向ける。起きていないとばかり思っていたのだが、アリスを目をかっぴらいた状態でこちらを見ていた。その姿は、どこそのホラー映画に出てくるような霊そのものである。
「かぁなぁぁ。私の携帯で何してたの。」
怒り口調ではあるが表情は完全に笑っており、私がやったこともすでに把握済みであろう。
「高山さんに連絡。それと、携帯のホーム画面変えといたから。」
私は手にしていた携帯を横になっているアリスに渡す。にやにやとこちらを見ながら携帯をゆっくりと開けるアリスなのだが…動作がかなりゆっくりと洗濯物を片付けたい私を焦らしてくる。アリスの反応を見てから甘い考えをするべきではなかったと後悔するも、時すでに遅しである。
二十秒ほど私を焦らしていたアリスだったが、だうやら私の反応の薄さに飽きたのかすんなりと携帯を開いた。つまらなさそうな表情ではあったが、携帯のロックを外した途端、花が咲いたようにぱあっと笑顔を浮かべてくれた。そこから硬直してしまったのは言うまでも無いだろう。
「そのさ。私たちお互い愛し合ってるんだから、そういったこと、してもいいと思うのだけど…。」
私が変えておいたアリスのホーム画面は、その春休みにホテルに泊まった際自分たちで撮影したキスしあっている写真だ。あの場では成り行きで撮ることとなったが、さすがのアリスもホーム画面に設定するほどの勇気は持っていなかったみたいだ。
「あ、でもアリスが嫌だって言うなら、止めてもらって構わないから。ただの提案だし、全然気にして…。」
「…ぃっ高すぎっ!!何この香奈のキス顔、たまらなく可愛いんだけど。特にこの尖った唇とかもう柔らかそうったらっっ。おまけに、ちょっと初々しく照れている感じとかもう国宝級の可愛さじゃん!こんな表情されて平常心でいられる人なんているはずないじゃんっ!」
硬直が溶けたアリスは左手で鼻を抑えながら、怒濤の褒めラッシュをかましつつ携帯のホーム画面に食いついていた。まさかここまでとは想定外であったため、私は唖然としながらアリスとの距離を少し置く。
「それにここの…って、なんで香奈は私から離れているの?」
「むしろこの状況で離れない方がおかしいよ。」
急に真面目なことを言い出したと思えばこれである。相手がアリスだから距離を置くだけで済んでいるが、これが知らない人だとすれば通報案件である。
「私のこと好きなのは身に染みて分かっているから、少しは落ち着いてよ。」
「香奈への愛は語りしれないほど膨大なんだよ。それだけで原稿用紙八十六枚は書ける。」
リアリティーのある数値と断言から本気さはビリビリと伝わってきている。きっとアリスなら成し遂げてしまうだろうが、そんなものを書いたところで得をするのはアリスぐらいであろう。私自身も嬉しいと感じるかもだが、それもきっと最初の十枚ほどだろう。
ただ、私への愛も同時に強く伝わっており、そんな自信ありげな顔を向けるアリスに、「ばか」と笑顔で言ってあげた。




