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貴女の存在がかわいくて、私はただただ見とれてます。  作者: あんもち
志抱くコンフェッション
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Past and Now Ⅶ (2)

 文化祭が終わったことにより、校内はいつもと変わらぬ落ち着きを取り戻した。とはいえ、三週間後の期末考査を前に、その静けさも一瞬で振り払われた。

 また、三年生は高校受験に向け勉強し始めており、ピリピリした空気が三年生の教室からは漏れていた。同時に、抱えたことのないストレスが身体に押し寄せ、何かしらの方法で発散しなければ身が持たないような先輩もいた。

 そんな先輩たちにとって、私はストレスを発散させるただの道具でしかなく、放課後、体育館近くのお手洗いに呼び出しされた私のお腹にいつもより強い蹴りが襲ってきた。


「~~~っ!!」


 お腹を押さえながら倒れる私に容赦なく、先輩は追い打ちをかけるように再びお腹を蹴る。過去に何度も蹴られたお腹には青くなった痣がいくつもあり、そこを蹴られる度、激痛が私の精神を痛めつけてきた。女の先輩とはいえ、運動部の脚力は計り知れなかった。


「おいおい、昨日よりもストレス溜まってんだろ。まだ十回しか蹴ってねぇのに、柊の奴へばっているぞ。」


 女子トイレにも関わらず携帯をいじる男の先輩は、女の先輩に問いかける。


「まぁね。偏差値高い高校に行け行けって両親がうるさいんだよ。少なくとも、現役のあいつらより頭良いっての。」

「副生徒会長の言う台詞かよ。」

「事実なんだし、仕方ないじゃない。」


 お腹に手を当てて蹲る私に目もくれず談笑する先輩たち。この場から逃げたいのは山々だが、痛むお腹がそれを拒んでいた。当時は確か、主人の言うことも聞けないのかこの身体(不良品)が、とでも思っていただろう。

 あ、それとひとつ。私の発言が現在と比べ酷いと感じているかもしれないが、大人しかったと話しただけであり、言動が良いとは一言も言っていない。今はほとんど口にはしないが、ごく希に鈴ちゃんと口喧嘩する際は出てしまうことがある。まぁその喧嘩もほとんど無いわけで、実質口にする機会はほとんどない。良いことだが。

 女の先輩、副生徒会長は笑顔を消すと私の髪を掴み、準備しておいた水入りバケツの中に私の顔を思いっきり突っ込ませた。ゴボゴボと藻掻く私は水面から顔を出そうとするも、非力な私が部活動生の腕力に勝てるはずがなかった。凍りそうなほど冷たい水の世界はバケツの色と私の泡のみで、聞こえていた先輩たちの声は水中に入った途端にシャットアウトされていた。

 もうこれ以上はというところで、副生徒会長は私をバケツから出すと、ゴミを捨てるかのように私を放り投げた。その際ブチブチと、何本か髪の毛がちぎれるような音が耳に入り、同時に頭皮に痛みが走ってきた。しかし、先ほどの蹴りに比べればマシである。


「うわっ、汚っ。こんなに汚されたら私、お嫁に行けない。」


 誰が見ても分かるぐらい下手くそな演技。ある意味才能があるというか、もはや色々な意味で天才である。


「ま、頭良いだけで馬鹿は寄ってくるから困らないんだけど。あぁあ、私疲れたから後頼むわ。煮るなり焼くなり好きにして構わないからさ。」

「俺こいつタイプじゃないんだよ。それに〇るなら副生徒会長とが…。」

「〇すぞ低脳。」


 と言って副生徒会長は中指を立てると、横たわる私におまけの一発をかましてきた。ミシッと骨が軋むような身体の内部から聞こえ、思わず声を上げそうになった私だったが、唇を噛み何とか声を堪えた。何故この時声を無理に我慢したのか、それはある先輩に脅されていたからだ。

 当時私は校内のマドンナ的存在の千夏ちゃんと親しい関係にいたために、それをよく思わない人たちがいた。そして初めていじめられた際、「この事を話せば、あいつがどうなっても知らないからな。」と千夏ちゃんを盗撮した写真を見せつけながら脅されたわけだ。

 優越感に浸っていた二人の先輩は私をその場に放ったまま、女子トイレから出て行った。誰かに助けを呼ぼうにも放課後、体育館近くのお手洗いに近づく人たちは数人と少なく、そもそも誰かに頼れるような人望を私は持っていない。

 横腹を抑えながら立ち上がった私は、壁にもたれながらズルズルと重い身体を動かす。髪に残る水滴が制服をも濡らし負け犬のような私であったが、泣くことはなく辛いとも思っていない。むしろこれで千夏ちゃんが被害を受けないと考えれば、どんな仕打ちでも請け負う覚悟はあった。

 全ては、大切な人のために。自分の安全よりも他人、大切な人が優先という考え方が芽吹いたのはこの時よりも前だが、大切な人を守るためであれば()()()()()()使()()考えをするようになったのはこの頃であった。それが、自らの手を汚すことになったとしても。


「琴ちゃんどうしたの、そんなボロボロで。何かあったの?」


 何とかしてお手洗いから出て私であったが、そこにタイミング悪く千夏ちゃんと会ってしまう。しかも、私がいじめられていた痕跡を断つ前である。


「…ちょっとお手洗いでこけちゃってさ。そしたら、掃除当番の人たちがバケツの片付けを忘れてたみたいで。」


「本当なの?」と疑ってくる千夏ちゃん。それもそうだ。このところ、私がいじめられた直後に千夏ちゃんとばったり会ってしまっている。まるで私とその周囲の状況が分かっているかのような絶妙なタイミングで。

 最初はたまたまとばかり思っていたが、次第にそれが偶然だとは思えなくなっていた。ただ千夏ちゃんは知らないふりをしているだけで、私の事情を全て知っているのかもしれない。


「…本当だよ、千夏ちゃん。私が、千夏ちゃんに嘘付くはずないじゃん。」


 そして千夏ちゃんに、私は嘘を付くようになってしまった。千夏ちゃんに迷惑をかけないためとはいえ、大切な人に嘘を付くのは辛い…。けれどこれで千夏ちゃんが安全でいられるのであれば、私はいくらでも嘘を付くことを決めている。


「…そう、ならいいけど。何かあったら私に話してよ。友達、なんだから。」


 千夏ちゃんは私の手を強く握ると、その場から去って行った。一度こちらを気にした表情で振り返ってくるが、私はニコリと笑みを送る。その表情に千夏ちゃんも笑顔を返してくれ、再びどこかへと行ってしまった。


「…大丈夫だから…。」


 笑顔を消した私は濡れた髪をかき上げ、大きく息を吐いた。そして私もそこから立ち去ろうとした時…。


「大丈夫じゃないだろ、琴美。」


 どこからか現れた徹君が私に声をかけられると、私の腕を掴んだ。


「離してよ徹君。私が何したって…。」

「見たんだよ、琴美がいじめられているとこ。何で俺や千夏に相談しなかったんだよ。」


 徹君の言葉に動きを止めた私を確認し、徹君は私の腕を放してくれた。


「何で相談してくれなかった。誰かに脅されて…。」

「そんなことないっ!それに、徹君には関係ないじゃん!!」


 徹君を突き飛ばしてしまった私は我に返ると「ごめんねと」と徹君に近寄る。大丈夫だと彼は言うが、表情からは大丈夫という言葉は見つからなかった。


「…けど、徹君には関係ないの。私だけの問題だから…。」

「だから、そうやって一人で抱え込むなよっ。昔からそうだけどよ、そんなに俺たちが頼りないのかよっ!」

「…だから、だから違うのっ!!頼りなくなんかないっ。けどこれは、千夏ちゃんや徹君のためにも、私自身が請け負わなければならない糧にならないとなんだよっ。」

「琴美といい千夏といい、もう少し自分を大切にしろよっ。どうしてそうやって、自分を傷つける方向に走るんだよ。いい加減に…。」


 と何かを口にしようとした寸前で、戻ってきた千夏ちゃんに口を押さえられる徹君。例え歳が二つほど離れていたとしても、男女の力の差はハッキリしている。それでも、徹君が千夏ちゃんに抵抗できないのはある理由がある。それは徹君が女の子に手を出せれないことにある。

 以前にも話したが、徹君の父親は現役ボクサーであり、徹君の喧嘩強いのはその父親の影響である。ただ当初は喧嘩に使うために教えて貰ったわけではなく、彼の妹を守るために身につけたらしい。彼の妹については話したことがなかったため、この際ついでに話しておこう。

 徹君には二つ下、つまり私の妹琴葉と同い年の妹がいる。ただ生まれつき身体が悪く、ほとんどの時間を病院で過ごしているため、私や千夏ちゃんは一度も顔を見たことがない。名前すらも教えてくれないためその存在すら疑心暗鬼であってが、たまたま電話で会話をしている徹君を見てからはその疑いは晴れた。しかし、未だに彼女の存在は不明である。

 そんな妹を守るためにも、徹君はボクシングを習ったというわけだ。ちなみに、徹君が女の子に手を出さないのは、「女は全員砂糖菓子だから」とか。分かりにくいので翻訳すると、女の子は妹のようにか弱いし非力だから、俺が守ってやらなくては、である。翻訳者は勿論のこと千夏ちゃんである。


「千夏っ。俺が手を出せないことを逆手に取るんじゃねぇよ。離せよ。」

「離すつもりはないし、このまま連行するつもりだよ。大声が聞こえたと思えばこれだから、本っ当、迷惑のかかるったらありゃしない。」


 息を吐く千夏ちゃんは徹君の口を押さえたままズリズリと引っ張っていく。そして「また後でね」と言い、今度は徹君とともにこの場から消えていった。戻ってくる様子はなく、私は息を漏らすとその場にしゃがみ込んだ。腹部の痛みからか安心からか腰が抜けてしまい、しばらく動けそうになかった私は、放課後と体育館近くであることをいいことに、一人で静かに泣き始めた。

 今までは何も隠し事もなく仲の良い幼なじみであった千夏ちゃん、徹君、それに私。しかしそれがいつしか当たり前になってしまった、依存してしまった私は、互いに互いが離れないためにも、傷つけないためにも隠し事が増えてしまった。それが私たちの関係を崩す要因だと知ることなく…。


 ******


「…さっきの話までが、私が千夏ちゃんと徹君に会ったお話。それと、これから話す出来事の序章かな。はい、お茶。」


 いったん話を止めていた私は鈴ちゃんに温かいお茶の入ったコップを渡して上げると、再び座布団の上に座る。紅茶の方が良いと鈴ちゃんは言っていたものの、明日は普通に平日であり、紅茶は珈琲よりもカフェインがあるため飲ませるわけにはいかない。それにきっと、紅茶を飲まなくても鈴ちゃんは起きてくれるだろうし。

「ありがとう」といって受け取ってくれた鈴ちゃんはお茶に息を吹きかけると、コップに口を付け、舌を使ってチビチビと飲み始める。人並みに熱い物が苦手な鈴ちゃんであるが、飲む姿は子猫のようで愛らしい。今すぐに抱き締めたいが、そんな状況ではないことぐらい分かっており我慢するしかなかった。…というか、今の今まで冷たい態度を取ってきた私だ。例え鈴ちゃんでも許してはくれない…はず。


「…それで、ここまでで何か質問ある?ないなら先に進むけど。」


 私の言葉に「はいっ」と手を上げて返事をした鈴ちゃん。その反応に一応、「どうぞ」とノってあげる。


「徹に会ったときも気になってたんだけど、新島千夏と小坂千夏、同一人物なのに何で二つも名前があるの?」

「それは…私でも分からない。きっと両親の離婚か、小坂先生のとこに養子として引き取られたんだよ。家族事情は最悪だったし。」


 自分で言っといてなのだが、もし両親が離婚、もしくは養子として引き取られたとして、何故小坂先生なのか疑問である。家族関係が悪くとも、千夏ちゃんは家族や親戚の話はしてくれた。しかし、そこに「小坂唯」の名は一度も出てこなかった。記憶が曖昧で確実にとは言い難いが、ほぼ確実だとは思っている。

 もしそうだとすれば、千夏ちゃんとの関係を一切持ち得ない小坂先生が千夏ちゃんを養子に取るのはおかしいというもの。謎は深まるばかりだが、この件について、私は保留することにした。


「それ以外は?無ければ話すけど。」

「…質問じゃないけど、一言だけ言えることがあるんだよねぇ。まぁ、当たり前すぎるんだけど。」


 鈴ちゃんの言葉の意味を理解できてない私は「どうぞ」と手招きする。まぁ鈴ちゃんといえ、先ほど質問してくれた内容から真面目な回答をするだろ…。


「徹たちは、ロリ琴美を見ていたってことだよね。いいなぁ、私も見たかった。」


 …数秒前の自身の発言を取り消したい。


「あのね鈴ちゃん。今はそんなふざけたこと…。」

「ふざけてなんかないよ。ロリ琴美が可愛いかどうかなんて、すごい重要なことで当たり前なんだよ。だって琴美だよ?可愛くないわけないじゃん。」


 頭を抱える私に、この状況で話す必要のない話を始めようとする鈴ちゃん。らしいといえばらしいが、これから話す内容のことを考えれば先が不安になってしまう。ただ、今はそれが私の心を和らげたくれているのは事実であり、そこは感謝しなくてはならないというか。…というか、ロリ琴美とは。


「私の幼い頃の写真みたいなら今度見せてあげるけど、別れた頃とあんまり変わってないと思うよ。」

「それでもいいの。どんな琴美でも、私は愛しているんだから。」


 満面の笑みの鈴ちゃんの純粋さと「愛している」という言葉にうるっと来てしまった私であったが、熱いお茶ごと体内に摂り込んでやった。鈴ちゃんの純粋さに流れそうになった涙は止まったのは良かったものの、考え無しに熱いままのお茶を飲んでしまい、喉が焼けそうな痛みに涙が出てしまう。情けないというか、ただただ馬鹿らしいというか。

 涙を拭う私を心配そうに見守っている。とても「あ、大丈夫です。火傷しそうになっただけなんで。」とは言えない。もしこれが先ほどの感動(?)の涙の方であれば話していたかもしれないが、火傷しそうなど口にした途端、鈴ちゃんからの怒濤の心配台詞が飛んでくる。心配されているのはありがたいことだが、これ以上話を違う方向に転化させるのは明日の授業に支障が出るというもの。どうせ鈴ちゃんは寝ると思うけれど。


「…そんな心配そうに見ないでよ。今から話す出来事に比べれば、こんなの全然平気。それより、質問タイムは終わりでもいい?質問以外も受け付けるけど。」


 鈴ちゃんは無言のまま頭を横に振る。どうやら質問等は全て言い終えたらしく、私は今一度お茶を喉に通すと一息間を空けてから、再び口を動かし始めた。あ、今度はしっかりと飲む前に息を吹きかけたので、つい数十秒前のような過ちは起こさなかった。


「話したように、私は母親の影響と千夏ちゃんを守るために、暴力、暴言、無視、窃盗といったあらゆるいじめを受けてきた。最初は勿論嫌だったけど、感覚が麻痺した過去の私は全てを受け入れ「これで千夏ちゃんが安全なら」と自分に言い聞かせてきたの。」

「…そして感覚が麻痺した私は、精神的にいじめられていることを知らず、自身が徐々に壊されていることも知らなかった。次第に私は追い詰められていき、いつしか他人を信用できなくなった私はあの日、ついに壊れてしまったの。」


 未だ思い出せば残る感触を揉み消すように拳を作る私は、あの日のことについて鈴ちゃんに話し始めた。


 ******


 いつも通り喫煙所(ベランダ)に出た私は、制服姿のままタバコを口に咥え火を灯す。そして開けた携帯の画面には母親からのメールが表示されていた。三日に一度の頻度で送ってきていることから、まだ私のことを大切に思ってくれているのだろう。


「まだ返信してないの、お母さんからのメール。」


 携帯を閉じようとしたタイミングで唯ちゃんもベランダに入ってくると、私が手にしていた携帯と咥えていたタバコを奪い取ってきた。タバコは後でどうにでもなると考え先に携帯を奪い返そうとしたが、唯ちゃんの華麗なターンにかわされてしまう。


「こんなに貯めて…。親を大切にしないと、私みたいな人生を送るわよ。」

「…余計なお世話だよ。」


 私は唯ちゃんの一瞬の隙を突いて携帯を取り返すと、母親に返信することなく携帯をポケットにしまった。タバコも奪い返そうとしたのだが、唯ちゃんが吸い始めてしまったので、仕方なく私は新しい物を取り出した。

 取り出している最中、横にいる唯ちゃんはゴホゴホとむせてしまう。教師という立場上タバコを没収してくる唯ちゃんは基本吸わない主義のため、においでよくむせている。それでもタバコを吸っているのは、私にどうしてもタバコを止めてもらいたいからである。私も好きで吸っている訳ではないので、止めろと本気でせがまれればきっと止めるだろう。

 ただ私がタバコを吸うのは、吸っている間だけは何も考えなくて良いからという単純な理由だ。自分でも馬鹿らしい動機で犯罪を犯したと思っているが、後悔以上に得た物は多い。


「んっ…。それで、柊さんとはどうなの。また以前のように戻れそう?」


 咳払いを一つし終えた唯ちゃんは窓にもたれ掛かると、悪戯そうな笑みでこちらを見てくる。タバコは私が購入してベランダに設置しておいた室外用の灰皿に捨てた。容器内部が酸欠になるよう構造しており、火を揉み消す必要は無く安全な内部構造となっている。


「ふぅ…。例え私が一方的に戻りたいと願っても、琴ちゃんがそれを拒んだら戻れねぇよ。だから、この先のことは琴ちゃんにしか分かんねぇし、決められねぇんだよ。」


 新しいタバコを出し一服した私は唯ちゃんにそう告げると、タバコを灰皿の上に置き、腕に付けてあぅたヘアゴムでぼさぼさの髪を一つに結んだ。


「その髪、学校行くんだから綺麗にしなさい。まぁ私は、会った頃のあなたみたいで嬉しいけれど。」

「ならこのままでも…。」

「校則守らないと、編入取り消しにするわよ。今回のあなたの件に関しては、私が全責任を負いかねているのよ。」

「分かっているって。唯ちゃんには感謝してるよ。」


 髪を結い終えた私は、こちらに背中を向けてむせる唯ちゃんに視線を移すと、そっと近寄り後ろから抱き締めてあげる。途端唯ちゃんの咳はピタリと止み、落ち着いた様子で「どうしたの?」と声をかけてくれた。


「…私さ、本当に唯ちゃんに感謝している。唯ちゃんが私を拾ってくれて向き合ってくれたから、私はこうして生きて来れた。おまけに真人間になる手伝いもしてくれた。感謝仕切れないぐらい感謝しているよ。」


 私の言葉を聞いてくれた唯ちゃんはクスリと笑うと、私の左手に唯ちゃんの左手を重ねてくれた。


「私も、あなたには感謝しているわ。あなたに出会って私は、様々なことを教えられたわ。私に教師になる夢を見せてくれたのは、紛れもなく新島千夏、あなたのおかげよ。」

「…。」


 唯ちゃんに助けられた日のことをつい思い出してしまい、私は思わず涙を溢しそうになった。涙もろいところは、例え落ちぶれていても昔と変わらない。


「…本当、泣き虫ねあなたは。そんな、いかにも不良ちゃんと言われてもおかしくない格好なのにね。」

「…うるせぇよ。それに、元は優等生だぜ私。涙もろいなんて当たり前だろ。」


「偏見よ、それは」と唯ちゃんは口にすると、重ねていた左手を離しこちらに振り返ると、私を優しく抱擁してくれた。母親に比べて少し大きな胸とほのかに香るシシリアンレモンは私に安らぎをもたらしてくれるとともに、緩んだ目からは引っ込めていたはずの涙がポロポロと出てしまっていた。唯ちゃんに出会った頃は鬱陶しいとばかり感じていたが、今ではそれが唯ちゃんから離れられなくなった要因になっていたわけで。


「…なぁ唯ちゃん。今日一緒に寝ないかって言ったら、唯ちゃんは笑うか?」

「…私があなたのこと、笑ったことあるかしら?明日も学校あるのだから、早くお風呂に入ってらっしゃい。」


 唯ちゃんの言葉に軽く頷いた私は置いておいたタバコを灰皿に捨て、唯ちゃんとベランダに背を向けた。髪を結んだというのにすぐに外すとは思わなかったボサボサの髪をほどきながら洗面所に向かった私は、涙を拭い再び昔のことを思い出していた。


 ******


 洗面所の扉の音が聞こえ千夏が入浴したのを確認した私は、一度冷蔵庫に向かい缶ビールを取り出す。そしてベランダに戻るとビールの蓋を開け喉に流し込んだ。千夏の教育のために彼女の前では飲まないように心掛けており、飲み会もほとんで行っていない。そのため、こうして一人の時間にならない限りは、私はお酒を口にしない。

 とはいえ、お酒が格別好きではないので一月に一缶飲むか飲まないかの頻度で飲んでいる。別に飲まなくとも生きては来られるのだが、飲んでいるこの時間だけが、あの人といられるような気分にさせてくれる。ただの思い違いに過ぎないが。


「…あなたはいつも、一人で飲んでましたよね。幼い私にはその気持ちが分からなかったですけど、今なら何となく分かりますよ。不器用なあなたなりの考慮だったんだすね。」


 缶ビールをベランダのテーブルに置き、私は手すりにもたれ掛かり夜空を見上げる。あの人はよく幼い私をどこかに連れて行ってくれては、星雲や星団の話をしてくれたため、星空に関して言えばそれなりの知識はある。


「私はまだ、あなたみたいな人に夢を見させてくれる人間にはなれませんが、あの子を、千夏に手を差し伸べることが、あなたに近づくことができる一歩だと思っています。だから私は、あなたが見せてくれた夢にすがって生きていますが、いつしかあなたを越えるような人になります。それが、私の生きる理由です。」

「…こういった話をあなたとすることも夢でした。」


 視線を缶ビールの方に向けた私は手にすると、月に向けて缶ビールを持ち上げた。缶ビールが歪んで見えるのは、きっと酔ってるからに違いない。酔いやすい体質とはいえ、たかが少量で酔ってしまうとは。我ながら情けないというか。


 ー今度は私が、彼女たちを救ってあげる番ですよね。-


 缶ビールの中を一気に飲み干した私に突発性の頭痛が襲ってくるが、数秒足らずで治まると、目を閉じ千夏が戻ってくるまで、昔の記憶に浸っていた。

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