Past and Now Ⅵ
夕陽が地平線に沈みかけ、辺りは夜になる前のある意味不気味とも言える暗さになっている。駅前で遊んでいた子供たちの声はいつしか消えており、聞こえてくるのは仕事帰りや下校中の人たちの世間話となっていた。いつもは気にして聞いていなかったが、こうして聞くのも悪くないかもしれない。
けれどやはり、隣に琴美がいないのはやはり心細い。家でも学校でもお出かけでも、いつも琴美の側にいたために、一人になる時間が嫌いになっている。
「…琴美、どこにいるのさ…。」
自宅の最寄り駅前広場で項垂れる私は、琴美と自身の鞄を持ったまま琴美を待っていた。この行動に至った経緯は、遡ること約二時間前となる…。
小坂千夏が私に手を差し伸ばしてから、彼女は私にいくつか質問を突きつけてきた。主に私の自己紹介をしたような内容であったが、その他にも琴美との関係性なども少なからず質問された。何を考えているか分からないが、質問を終えた後「それが答えか」と何やら意味不明なことを口にしてから、ほんの少し様子がおかしかった。
その後、彼女の助言から駅前で待っておいた方が確実だと言われ、琴美の道具を持ち、こうして琴美の帰りを待つことにしたのだ。彼女曰く、「絶対に見つからないとこにいる」とか何とか。彼女に琴美との関係を問いても、彼女は一言も話してくれなかった。気にくわなかったが、彼女の相手をする暇などない私は吐き捨てるようにお礼を伝え、あの場から走り去った。
その後香奈ちゃんには帰ってもらうようメールを送り、咲ちゃんからは大丈夫かと簡単なメールが送られてきた。大丈夫なわけないが、これ以上誰かを巻き込みたくなかったため、私は大丈夫だと嘘のメールを返した。他人に嘘を付くのはやはり私には合わないようで、罪悪感で染まった心を酷く傷つけてしまう。琴美にも嘘を付いているというのに、これ以上は耐えきれないというか。
痛む心臓の鼓動を手で抑え荒れる息を落ち着かせると、私は再び携帯を取り出しイヤホンを耳に装着した。学校の課題を終わらせるときぐらいしか音楽は聴かないため、こうして外でイヤホンを付けるなどほとんどない。語弊を生む発言であったが、一応課題はちゃんと提出日までに出している。琴美という最強の家庭教師は自慢物である。
ちなみに琴美は自身が楽器を扱うことが出来ることから、クラッシックやオペラといった類で且つ落ち着きを与えてくれる曲が好みであるが、対する私は少しダークなメタルバンドやスピーディーなクール系バンドが好みである。特に最近は、結成して一年も経っていない女子高生バンドがお気に入り。
十分おきに電車がやってくるため、周囲の人々は減るどころか増えているように感じる。この中から琴美を探すのは至難の業であるが、必ず見つけると誓った私は人混みの中へ入って行った。電話という方法もあったが、きっと琴美は電話に出てくれないだろう。そもそも、テスト期間のため持ってきていない気がする。
「琴美、どこにいるの。」
人混みの中から琴美の名前を叫ぶも、反応するのは知らない人ばかり。再び人混みをかき分け、一分後にまた同じ台詞を叫ぶも結果もまた同じ。何度も何度も繰り返すが、琴美が出てくるような空気はなかった。
まだ帰ってきていないのだろうと、駅前広場に戻ろうと振り返ったときだった。
ちょうど後ろにいた人にぶつかってしまい、私は尻もちをつきそうになる。だがタイミング良くキャッチしてくれ、尻もちを免れた。ただ本日二度目であることは事実。
「あの、助けてくれてありが…。」
とその見たことある男の人に、思わず口を閉ざしてしまった。
「お、確か鈴ちゃん、だったっけ。久しぶりだな。」
たばこ臭い制服姿の彼は、以前クリスマス時期に琴美と手を繋いでいた…。
「誰?」
「助けてもらった相手にそれかよ。飯塚徹、元生徒会長のお友達だよ。」
彼は私を立たせると、ブレザーの汚れを落としてくれる。こうも気安く異性に触れるのは、日頃の行いからだろうか。
ー琴美も、その一人だったのかな。-
そう思うと助けてもらった恩は憎しみへと変換されていた。
「そんな敵意剥き出しの顔するなよ。可愛い顔が台無しだぞ。」
「うるさい、この女たらしが。」
「恩人とは…。」
彼は頭を掻くと、何やら辺りを見渡し始めた。彼が何を探しているのかは検討がつく。
「琴美ならいないよ。…色々あったから…。」
「色々って、あの見た目不良なくせに中身はバリバリ優等生の千夏にか?」
「何で知って…って、千夏って誰?彼女は千夏じゃ…。」
彼は私の言葉を聞くなり、「まだ話してないのかよ」と何やら怒り気味にぼそつくと、人目を気にせず近くの壁を思いっきり左手で殴った。骨が折れたような音が聞こえたが、痛い様子を一切見せていない。強いのか馬鹿なのか。
流血する左手をポケットにしまい込むと、動揺する私の頭を右手で撫でてくれる。琴美よりも大きく力強い男の人の手。父親以外男の人に撫でられたことがないために、その手の温もりに甘えそうになってしまう。
「か、勝手に撫でないで。私の頭を撫でて良いのは、琴美ぐらいなんだから。」
「鈴ちゃんは元生徒会長の所有物かよ。」
撫でるのを止めてくれると、彼は携帯を取り出すとカタカタと操作し始め、何かを発見したらしくその手を止めた。私的には手を止めた理由を知りたいのだが、それよりも左手の安否が気になる。左手を入れたポケットはじんわりと湿ってきているし、左腕が小刻みに震えているようにも見える。誰が見ても大丈夫ではないことが理解できる。
にも関わらず、彼は携帯を閉じると「元生徒会長はあの辺を通って帰ってくる」などと言って、私を周辺が見やすい位置に案内までしてくれた。我慢している様子はなく辛そうでもないが、きっと演技に違いない。琴美と同じく他人に迷惑をかけたくないタイプなのかもしれないが、琴美同様バレバレでむしろ心配になる。
「…ねぇ。その、左手大丈夫じゃないよね。」
思い切って訊いてみた私に、彼は「これか?」と言って左手を見せつけてくる。先ほどよりも左手は赤く、指先からぽたぽたと血が流れてきている。辺りは騒然となり、中には口に手を当てている姿も見られる。だというのに、彼は何故だか笑顔である。変態なのか。
「見ての通り、常人なら今頃悲鳴もんだ。けどまぁ、見慣れてしまえばなんてこともねぇよ。」
「でも…。」
「それよりも、今は元生徒会長のことが優先じゃないのか?今千夏から連絡があって、どうやら元生徒会長は次到着する予定の電車に乗っているってよ。多分もうそろそろだと思うぜ。」
と再び左手をポケットにしまい周りの人々にガンを飛ばせば、彼を見ていた人々は各々の帰路に向かって散っていく。よくもまぁ、琴美はこんな危なっかしい人と付き合えてきたものだ。これに関しては褒めざるを得ない。
「…あのさ、徹は琴美の何なの。何が起きているのか知っているみたいだし、私に話して。」
琴美がいないことを願いつつ、私は彼に詰め寄ると彼を見つめる目を尖らせる。琴美のこともだが、彼女…小坂千夏についても詳しく知っていそうなところから、彼は琴美と彼女の関係性を知る重要参考人みたいな人物だ。きっと、何かしらの情報は持っているのは確実だろう。
「鈴ちゃんも元生徒会長と似て、世話焼きなんだな。」
「せ、世話焼きだなんて…。」
「だけどな、これだけは俺の口からは話せないんだ。元生徒会長も自身の口から話たいらしいし。それに、聞きたけゃ本人に訊くのが一番だろ?」
真剣な物言いに口を瞑った私は諦め、彼から二歩ほど距離をとった。顔を俯かせる私に「そんなに悄気るなよ」と彼は言うと、次に意外なことを口にした。
「ま、一つだけなら教えてやってもいい。ただし、条件付きだが。」
彼の怪しい取引を持ちかけられ、勿論私は早々に頷く。条件という言葉が気になるが、聞けるのであれば条件の一つや二つなど容易い。
「だろうな。まぁ、こう簡単に決めるのは止めとけよな。世の中物騒なんだしよ。」
「心配しなくとも、私の貞操を奪えるのは琴美だけだから。」
「いやそこじゃねぇし。」
頭を掻きむしる彼は少々めんどくさそうな顔をしている。…それにしても、悪そうな人たちはどうしてこう頭をよく掻いているのだろうか。ストレス?禁断症状?ただ痒いだけ?
「まぁいい。とりあえず条件としては、今回の二人の件に関しては、鈴ちゃんは一切手を出さないこと。無論仲介するなど論外だからな。これは、俺たち三人の問題なんだ。それに鈴ちゃんが口出ししたら、琴美はずっと成長しないんだ。だから、この通り。」
彼は急にその場で正座を組むと、地面に頭を付ける、所謂土下座を私の前で行った。これにはさすがに仰天し、「止めて」と彼を立たそうと試みる。
しかし、所詮女の私が全力を出すものの、彼はぴくりとも動いてくれない。無理矢理限界突破してやろうかと思ったが、身体に負担をかけるなと忠告されているため、今の全力が私が出せる最大である。
「分かったから立ってよ。この件に関しては、私は琴美に加担しないし手も出さない。だから、お願い。」
私の言葉が通じたらしく、彼はぱぁっと顔を笑顔に変えると、すぐさま立ち上がってくれた。演技にだまされた私は怒りをぶつけてやりたかったが、今だけは我慢することにしよう。覚えていろ。
「ま、どうせ介入したところでって話だけど。まぁ条件呑んでくれそうだし、約束通り教えてやるよ。」
一度タバコを吸おうと学ランの裏ポケットから取り出したが、私の表情から察してくれポケットに戻した。タバコのにおいが苦手なのは子供の頃からで、影響は確か近所のおじさんだったと思う。毎度会う度タバコしか吸っておらず、父親とよくもめてたっけ。って、過去に浸っている場合ではない。
「俺たちはさ、小学校からの腐れ縁なんだ。つまり、鈴ちゃんが引っ越してから、俺と千夏は元生徒会長に出会ったんだ。」
「…ってことは、琴美を知り尽くしているといっても過言じゃないね。」
「…まぁ、そうなるな。俺が話せるのは今はこれだけしかないけど、この一件が終われば知りたいこと教えてやるから。」
彼は笑顔でそう言うと、何かに気付いた様子で振り返った。その先には、疲れ切った姿の琴美がいた。目の輝きを失っており、気にしていた頬の痣は、やはり学校で見たときよりも青くなっている。
近づこうとしたが、先に琴美お側に行ったのは徹で、私が目の前にいるにも関わらず、琴美の頭を撫でて上げていた。私は殴ってやろうかと拳を作るも、「手出し無用の条件」を思い出しその拳を静かに下ろした。
「千夏に聞いたよ。会ったんだな。あいつ、悲しんでたぞ。やっぱり、私の言葉ではもう届かない…。」
「違うっ。何もかも私が悪いの。あの日だってそう。私がちゃんと向き合って上げれなかったから、千夏ちゃんは…。」
撫でられていた手を振り放すと、琴美はらしくない大声を口にした。そして一度顔を伏せると、徹を無視して通り過ぎ、その先の私の前で止まった。
「鈴、ちゃん。」
たどたどしい口調で私を呼ぶ琴美に、私は「何?」とできるだけ優しい声で返事をして上げる。琴美が深呼吸を繰り返している間に、徹は「頑張れ」と私に口ぱくで伝えると、軽く手を振りながらどこかへ行ってしまった。お礼を言いたかったが、琴美を放って置くわけにもいかず、ただ彼が消えていくのを見ているしか出来なかった。
琴美は言葉が出ない様子で、口を金魚のように動かしていた。しかし、私は何も口出しすることなく、琴美が話してくれるのを待っていた。徹の話から何となくだが、この件に私は首を深く突っ込むのはいけないと悟った。だからこそ、琴美のために待って上げるのが最善の策である。
そしてようやく決心が付いた琴美は息を呑み、ゆっくりと口を開いてくれた。
「今日の晩、私の部屋に来て。そ、大切な話がある、から。」
琴美の言葉に無言で頷くと、持っていた琴美の鞄を渡して上げる。「帰ろっ」と私が呼びかけるも、生気を失っている琴美はもはや壊れた人形同然であった。
帰り道はもうすっかり夜となっており、季節に似合わぬ風が私たちに吹いてくる。その間、お互い話しかけることがなく、聞こえてくるのは犬の遠吠えと私たち二人の足音ぐらいであった。
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お風呂から出た私は身体のお湯を拭き取ると、ドライヤーで入念に髪を乾かした。約一ヶ月前は髪を乾かすのに時間がかかっていたが、今はあっという間に終わることができる。いつもは使わない良い香りのするクリームを肌に塗り、私は洗面所から退出する。
と、琴美の妹である琴葉ちゃんと遭遇し、お互い少し気まずい雰囲気が生まれる。私たちが帰宅してきたときから、不安そうに琴美に声をかけていた。しかし、琴美は帰ってきてからも一言も話してはくれず、晩ご飯時の重苦しい空気といえば。
「…お姉ちゃんのこと、頼みます。」
それだけ私に伝えると、琴葉ちゃんは洗面所に入り鍵を閉めてしまった。その意味がよく分かっていなかった私であったが、閉じられた洗面所に向けて「ありがと」と言い琴美の部屋のある二階へと向かう。
先にお風呂に入っている琴美はすでに部屋で待機しており、琴美の部屋の前に辿り着いた私は、一度息を吐いてからノックをした。中からは「いいよ」と少し元気を取り戻した琴美の声がし、ひとまず安心した。
「入るね…。」
扉を開けた私は琴美の部屋に入ると、丁寧に扉を閉じる。琴美と恋人になってからはほとんど部屋に入ったことがなく、異様なほど私は緊張している。これが初夜を迎える心境なのだろうか。
そしてその部屋の先のベットに、琴美はごろんと横になっていた。表情は死んでいるが、それでも今の状況では可愛いと思える。
「スッキリしてるね、部屋の中。前入ったときよりも物がない気がするんだけど。」
「…前って、バレンタイン前のことじゃん。無くなっているのが当たり前だよ。」
琴美の部屋は私と同じ七畳と、一人部屋にしては大きい方。そんな琴美の部屋には木製のベットに木製の勉強机、木製の本棚と同じく木製タンス、そしてローテーブルがあり、かなり木製づくしの部屋になっている。琴美曰く「心が安らぐ」とのこと。今落ち着いているのは、そのおかげなのだろうか。
大きな家具をそのぐらいで、観葉植物や貝殻などを使いおしゃれで典型的な女子部屋に仕上がっている。基調は白とナチュラルなアルダーのため目にも優しい。
「普通は増えるもんだよ。でも確かに、琴美が自分に何か買うようなイメージないし。」
「それ貶してるの?」
「いやいやそんな滅相もない。」
いつもと同じやり取り。けれど琴美に笑顔はなく、つい一年前の琴美に戻ってしまったように感じる。時より見せていた悲しい表情に。
それを見る度苦しくなっていた私は、今回も勿論のごとく苦しめられている。胸を鎖で締め付けられるような、心臓を握られているような…。何にせよ痛ましいことに変わりない。
「…突っ立って無くて、早くこっち来て。」
依然として待遇は冷たく、だがいつまでも凹んでいる場合ではない私は「分かった」と返事をすると、ローテーブルの側にある白い座布団に腰掛けた。それを確認した琴美も、ベットから起き上がるともう一つの座布団に座った。パジャマ姿の琴美は幾度となく見てきたのだが、こう面と向かって見ると愛おしく目を合わせられない。今目線を合わせれば、確実に犯罪を犯しそうになる。
琴美が座ってから一分ほどが経過したが、まだ琴美は話してくれない。私が一方的に適当な話題を振っても、琴美は無言を貫いたまま目を閉じていた。気持ちの整理をしていることには違いないが、何も目を瞑らなくても…。
更にそこから一分が経ち、やっと気持ちが整理できたらしく、琴美は目を開け「鈴ちゃん」と私を呼んだ。あえて琴美の邪魔にならないように視線を外していたため、琴美に呼ばれてから反応するまでに少し時間がかかった。
「…私ね、鈴ちゃんにずっと隠していたことがあるの。けれどそれを知ってしまったら、鈴ちゃんは私のこと嫌いになる。だから、今まで話せなかったの。」
「…だけど話さなければ、私は今までと変わらない。自分自身に約束したの、いつか鈴ちゃんに話すって。それが、今日なの。」
琴美は辛そうな表情を浮かべながらも、隠していた理由について話してくれた。やはり琴美は私に隠し事をしていたらしいが、それはとうの昔から知っている。それも多分約一年前の、海に行った頃だと思う。いや、それより後だろうか。
何にせよ、知っていたことに変わりなく「知ってた」と琴美に聞こえるボリュームで教えて上げた。琴美はしばらく黙ってしまったが、「そうだよね」とぼそつくと、再び口を動かし始めた。
「鈴ちゃんに嫌われるのは怖いし辛いことだけど、これ以上隠す方が辛い。だからせめて、鈴ちゃんが私を好きでいてくれる間に、私は真実を全て、鈴ちゃん話すから。」
「…私が変わってしまったのは中学一年生の時。つまり今から、約四年前の話なの…。」
通夜のように静かな空は次第に雲行きが怪しくなり、琴美が話し始めた頃には、窓を叩きつけるような本降りとなってしまった。雨音は時間が経つにつれ大きくなるが、私の耳は琴美の声以外受け付けなかった。




