Past and Now Ⅳ
「…ん、ここは…。」
ベットに横たわるロングヘアの女の子は目を覚ますと、身体を起こし辺りをキョロキョロと見回す。
「保健室。目、覚ましたんだね。」
お昼休みが終わり五限目も終わりそうな頃、私は第一校舎の一階にある保健室で彼女が目覚めるのを待っていた。この学校は保健室が二つ存在しており、一つは第一校舎一階、そしてもう一つは第四校舎にある。どちらも設備は良いのだが、何故だか先生が居ないことが多い。そのため、誰か一人がこうして付き添っていなければならないのだ。
ちなみに、鈴ちゃんは彼女を運び終えた後に自教室に戻ってもらった。鈴ちゃんにはサボらずに授業に出てほしい私のお願いなのだが。…また、あの悲劇を繰り返したくはないし。
ロングヘアの彼女は邪魔そうに前髪を払うと、私に顔を向けてくれる。可愛らしい瞳は少し眠たげに細めており、色素の薄いその肌は水のように冷たそうである。身長は鈴ちゃんよりも小さいが、器の面では彼女の方が上のように見える。
「ごめんなさい。私迷惑でしたよね。」
「そんなことないよ。私たちが要因だったわけだし。」
深々と頭を下げる彼女。様子からして、きっと一年生だろう。
「あ、自己紹介が遅れました。私一年の…。」
「風崎晴ちゃん、だよね。学生証途中で拾ったから。」
彼女を運んでいる最中、廊下に学生証が落ちており、そこに載っていた顔が一致したため、このロングヘアの女の子が風崎晴だということが分かった。
その学生証を彼女に渡すと、再び彼女は頭を下げるとベスト下のワイシャツの胸ポケットにしまいこんだ。また落ちそうだが、スカートのポケットに入れるよりはマシだろう。
「その、色々と迷惑をかけてすみません、先輩。」
「だ、だから大丈夫だよ。そんなに気にしないで。」
先輩というフレーズについにやつきそうになるも、後輩の前で醜態を晒さないよう何とか耐え切ってみせた。元生徒会長といえど、他人との関わりはほとんど断っていたため、先輩と言われることがほとんど無かった。そのため、先輩と言われるのが少し歯がゆい。
「そういえば…あ、晴ちゃんって呼ぶけどいいかな?」
「先輩の好きな言い方で良いですよ。」
「あ、ありがとう。それで、第一校舎は二三年生の校舎だけど、何か用事でもあったの?」
以前説明したが、ここは第一校舎は二三年生の進学科の校舎。その校舎に他の生徒、更に一年生にもなると何かしらの理由が無い限りは入らないだろう。ましてや、晴ちゃんに出会ったのは三階。例え迷子と紛らわされても、すぐに嘘であることは見通せる。
「…実は、人を探していたんです。」
「人って、母校の先輩とか?」
「それもなんですが、最終的に探していたのは同級生です。私よりも背が低くて、ショートにしては少し長い髪型の子なんです。その子が中学時代の先輩に会うと言ったきり帰って来ず、私が探していたんです。もう戻っていると思いますけど。」
「それは何というか、ご苦労だったね。」
鈴ちゃんの恋人兼お世話係の私には、晴ちゃんの気持ちが痛いほど分かる。鈴ちゃんもたまに突っ走ったまま帰って来ないことがあり、その度に私が散策するハメになっている。探すこちらの身にもなってほしいものだ。
「普段は大人しい子なんですけど、その先輩のことになるとおかしくなるんです。残り香だけでご飯三杯はいけるとか言ってますし。」
「それは、また個性的な同級生だね。」
これにはさすがに苦笑いである。と言うも、鈴ちゃんもきっと同じ事を言えそうな気がしてしまい、それを想像してしまった私は思わず身震いをしてしまう。想像した方も悪いのだが。
「で、その同級生とは仲良いみたいだけど、幼なじみか何か?」
「そうではないですけど、かれこれ六年近くのお付き合いになります。元々転校生だった私に優しくしてくれたのが、親しくなったきっかけですかね。」
と過去を振り返っている様子の晴ちゃんは、窓から見える外の景色を遠い目で眺めていた。晴ちゃんとその同級生との出会いが、一体どんなものかは分からないが、晴ちゃんにとってその同級生は、とても大切な存在だということは分かった。変人だけれども。
「それよりも、私は先輩の話が聞きたいです。」
「わ、私?」
「はい」とハッキリした返事でこちらに目線を変える晴ちゃん。ただ、未だに眠そうな目をしている。…というか、これは晴ちゃんの一種の特徴なのだろうか。
「私の話を聞いても、参考にはならないと思うよ。…色々とあるから。」
他人に平気で嘘を付き、おまけに女の子と付き合っている柊琴美の体験談など、例え書籍化されても購入する人などいないだろう。そのぐらい、私の体験談は非常に価値がない。あると言ってくれるのは家族と鈴ちゃんぐらい。それでも、たった四人と少ない人数だ。
「いえ、先輩のお話が参考にならないわけありません。私よりも一年早く生まれた先輩です。私以上に濃い経験をされているのは確実です。そんな先輩のお話が無意味なんて事はありません。」
顔を寄せてくる晴ちゃんは眠そうな目を開き、私が話し始めるのを今か今かと待ち望んでいる。こういうタイプは諦めが悪いことを知っており、聞こえないように息を吐いた私は椅子から立ち上がり、窓際へと歩み寄った。窓からの景色は小さな中庭しか見えないが、この時期は桜がまだ見頃で、知る人ぞ知る隠れスポットの一つだ。他にも隠れスポットはあるが、それはまた別の話で。
「中学の頃私は色々あってね、その結果、誰のことも信用できなくなったの。そんな私を助けてくれたのは、昔別れた幼なじみだったの。その子は身勝手で計画性がなくて、昔から何も変わって無くて。けれど誰よりも、私のことを第一に考えてくれて。彼女のおかげで、私は他人のことを信頼できるようになったし、こうして気軽に話せるようにもなった。彼女は私にとって、かけがえのない…親友なの。」
「恋人」と言いそうになったが、何とか親友と誤魔化した私の心臓は少々びくついている。それこそこうして気軽に話せるようになったとしても、会ってまだ一時間も満たない人に「私の幼なじみは恋人です」とまでは言えない。言う側も勇気がいるが、言われた側はかなり困惑するだろう。しない方がおかしいというもの。あ、勿論この幼なじみは鈴ちゃんだ。
「ってこれじゃぁただの私の回想みたいだね。忘れてくれても大丈夫だよ。
「…先輩の言う幼なじみさんは、先輩のこと好きなんですね。」
「え!?ま、まぁ愛されているってのは感じるよ。…色んな意味で。」
一瞬バレたかと変な汗が背筋に流れているのが感じるも、どうやらバレてはいなかったらしい。咲さんといい晴ちゃんといい、危険な存在が増えたように感じる。一番の危険因子は小坂先生だが。最近はあまり私たちの有害になるような行動は見せていないが、気まぐれな性格が小坂先生が危険因子である印。三学期半ば辺りから忙しそうにしているため、しばらくは安心した生活が送れるはず…。もう安心できないことがあったけど。
「そういえば先輩。先輩は何故、この高校に入学しようと思ったのですか?その、先輩頭良さそうなんでトップ校でも余裕そうに見えるんですが…。」
「…偏見だよそれは。そこまで良くないし…。」
「ごめんなさい」と謝罪する晴ちゃんには申し訳ないが、それなりの頭脳を兼ね備えていると自覚している私は確かに、トップ校を狙っていた時期もあった。ただあの件以来、その道に進む意志はなくなっていた。まぁそうしたいと自身が望み鈴ちゃんと再会出来たため、後悔はさほどない。
「別に気にしてないよ。それにしても、晴ちゃん緊張してない?あれだったら、今だけ友達感覚で話してもらっても…。」
「いえ、その…。う、嬉しいんです。」
嬉しい?と首を傾げる私にはよく意味が理解できていない。私ごときと話せて嬉しいなど、物好きな鈴ちゃんぐらいだと思っていたが、ここにも物好きがいたとは。…物好きは酷いか。鈴ちゃんに至っては、私のことを好きでいてくれているのに。
「…私には憧れの人がいたんです。中学の時、迷子になった私を助けてくれた憧れの人に、先輩が似ているんです。容姿、話し方、素振り。全てがあの人そっくりで、まるであの人と話しているかのようで、嬉しいんです。」
晴ちゃんは懐かしそうに語ってくれると、私に向けて精一杯に微笑んでくれた。眉が少々ピクついているのが精一杯だと感じた証。腐ってた私の頃と性格が似ていることもあり、彼女はきっとあまり笑うのが得意ではないのだろう。
だがそんな晴ちゃんが笑って話すことが出来るほど、彼女が話す憧れの人は素晴らしい人間なのだろう。偽善者で弱くなってしまった私に比べて。
その後晴ちゃんが言うには、その憧れの人は他校だったため一度しか会ったことがなく、何らかの情報からこの高校に憧れの人が通っていることを知り、進学することを決意したらしい。インターネットという情報網が張り巡らされている現在では住所の特定も可能らしく、誰がどこの学校に通っているかなど簡単なことなのだろう。便利な道具は時として、世界を滅ぼす武器ともなると報道番組で海外のジャーナリストが話していたが、まさにその通りだと私は共感している。
その後、私と晴ちゃんは何気ない話をしている内に、五限目を終えるチャイムが保健室に響き渡る。二階からはガタガタと椅子を動かす音が聞こえ、静かだった校舎におよそ一時間前の活気が戻ってきた。
「調子はどう?確か一年はもう下校のはずだけど、帰宅は出来そう?」
「少し気を失っていたので大丈夫です。ご迷惑をおかけしました。」
元気そうな晴ちゃんに安心の息を漏らした私は、彼女のブレザーを持ってあげ、彼女と共に鍵を閉めた保健室を後にした。「大丈夫です」と言い張る晴ちゃんであったが、結果的には再び迷子になってもらっては困る私の言い分に従ってくれた。
「先輩は大丈夫なんですか、授業受けなくて。私なんか放っておいても構いませんから、先輩は…。」
「大丈夫だからここにいるの。…それに私より悪い人の方が多いというか…。」
主に鈴ちゃんだけど。
と第三校舎に入ろうとしたまさにその時であった。
「晴ちゃん、どこに行ってたの?先生も心配してたよ。」
タイミングよく階段から降りてきた女の子に声をかけられた晴ちゃんは、階段の途中で立っている少女に視線を向けた。
「珠穂…。」
晴ちゃんの視線の先にいる少女は、目視だと晴ちゃんよりも身長が低く、黒髪お下げに眼鏡と所謂真面目キャラのような容姿だが、サイズの合わないセーターや所々の刺繍からはどう考えても真面目には見えない。ただ、眼鏡越しからの澄んだ目やあどけなさから、まだ中学の名残が残っている。
「ごめん。珠穂探してたら迷子になった。」
「なんで私?けど、本当心配したんだから。」
そう珠穂と呼ばれている少女は、晴ちゃんに飛びつくと嬉しそうに頬を擦りつけていた。戸惑う私に晴ちゃんは、「いつものことです」と眉一つ動かさず説明してくれた。これが日常とすればどうにかしていると思った私であったが、過去の鈴ちゃんとの行いから考えればあまり口出せない。一週間に一日だけキスなど、同居人同士でする人などいないだろうし。
とか考えていると、晴ちゃんに抱きついていた少女がこちらをじっと見つめていることに気付いた。だが、私が彼女を見ようとした途端、晴ちゃんから離れた少女は怯えた子犬のような目で、晴ちゃんの後ろに隠れてしまった。こんな光景、前にも見たことがあるような…。
「先輩、この子が話していた同級生の浅山珠穂です。見ての通り人見知りですが、一応学年主席の特待生です。あと可愛い物には目がなく、こうして制服改造しているところはありますが、根はしっかりしています。根は。」
「そこ重要なんだ。」
晴ちゃんの後ろにいる珠穂ちゃんと目が合うも、珠穂ちゃんは更に顔を隠してしまい、顔の半分が見えなくなってしまった。どうやら人見知りは、かなり重症らしく、つい半年前の舞ちゃんのようだ。今でもたまに人見知りが発動するが、以前ほどではない。
「珠穂ちゃん、であってるよね。会ったばかりだし、仕方ないから気にしないで良いよ。」
私の言葉に力なく頷く珠穂ちゃん。先ほどのお姉さんぶりは何処に。
「晴ちゃんは珠穂ちゃんを探して迷子になって、で色々あって倒れちゃったの。それで付き添いに私がいたの。珠穂ちゃん、一体誰を探してたの?」
私の質問に口を開いてくれた珠穂ちゃんだが、声が小さくてよく聞き取れなかった。唯一聞き取れた言葉は「さ」のみ。それが名字か名前かも分からないので、これでは特定するのは不可能に近い。特に他者と極力関わらないようしている私では、特定する以前の問題である。「さ」が付く知り合いなど、この学校にはいない…。
いや、一人だけいた。と言えど、知り合ってまだ一日しか経っていないため、正式には知り合いではないだろう。…そもそも、知り合いの定義とは。
「ねぇ。探している先輩ってもしかして…。」
咲ちゃんの名前を口にしようとした瞬間、後ろからぎゅっと抱き締められた私は思わず「ひゃん!?」と変な声を出してしまう。抱きつかれた瞬間から鈴ちゃんかと決めつけていたが、胸の位置がいつもより高い場所にあることに気付き、それが鈴ちゃんでないことが分かった。…なら抱きついているこの人は、一体誰?
「わぁおぅ、良い声っ。今の録音しておきたかったよ、ことみんっ。」
と元気の良いアリスちゃんの声が後ろから聞こえ、そのアリスちゃんが視界に入った一年二人組は目を丸くしていた。それもそのはず。アリスちゃんはこれでも話題の女優の一人だ。彼女を見て驚かない方が不思議というもの。…そう考えると、私たちは異常なのかもしれない。
「ちょっとアリスちゃん。人前だし止めてって。」
「へへぇ。姉ちゃん、ここがええんかねぇ。」
「めんどくさい酔い方しなくていいから。」
聞く耳持たないアリスちゃんはソッと私の胸に手を伸ばしたが、何かを感じたらしくその手を引っ込めてくれた。アリスちゃんにしては珍しいが、ありがたいとしか言いようがない。
「ごめんごめん。…で、そこの子たちはことみんの攻略対象?」
「私を一体なんだと。…昨日入学した一年生。手前が風崎晴ちゃんで、後ろの子が浅山珠穂ちゃん。」
私が二人を紹介し終わると、アリスちゃんは私から離れ、二人の元へ歩み寄った。アリスちゃんを前に、言葉が出ない一年生二人組。珠穂ちゃんに限っては立ったまま微動だにしておらず、気を失ってしまっているのではかと心配になってしまう。私も最初アリスちゃんに会ったときは、同じような反応だったっけ。
「ええと、星城院アリスです。よく本名は?って訊かれるけど、芸名と本名は一緒だよ。学校にいないこともあるけど、気軽に話しかけてくれると嬉しいな。特に、君たちみたいな可愛い子は尚更…。」
「香奈ちゃんに怒られるよ。それとよだれ。」
「おっとこれは失礼。でも、気軽に話しかけてもらいたいのは本心だよ。」
よだれをハンカチで拭うアリスちゃんに、一年生二人組は唖然としていた。テレビで見ている清楚で綺麗な優等生イメージが強いのは一般的。それが悪戯好きで冗談好きな女学生とは誰も思いもしないだろう。私もだが。
「…あ、あの私たち下校時間なんで失礼させてもらいます。先輩、今日は本当にご迷惑をおかけしました。では。」
そう言って珠穂ちゃんの手を握った晴ちゃんは私に頭を下げ、その場から早足気味に去って行った。この状況に耐えきれなくなったのか、それとも珠穂ちゃんに気を遣ったのか。その心境は晴ちゃんにしか分からない。
「あちゃぁ、帰って行っちゃったね。ごめんねことみん。攻略の邪魔しちゃって。」
「だから私はどこのハーレムものの主人公なの。」
「…ことみんからハーレムなんて言葉を聞く日が来るとは…。私は嬉しいよ。」
「喜ばなくていいから。」
泣きの演技をするアリスちゃんの頬を抓る私。「痛い痛い」と悶えるアリスちゃんだが、その表情からは辛さは感じられない。いつものこととはいえ、少々むかつく。
ちなみに私の口から「ハーレムものの主人公」と言葉が出たのは、近頃舞ちゃんがおすすめしてくれたアニメの影響。某パンのヒーローが出るものぐらいしかアニメを見たことがなかったが、頭脳戦のシーンがかなり濃く作り込まれていたりと、思っていた以上に楽しめた。ただ疑問は多く、特に女性キャラの胸の大きさには異論しかない。
「そういえば、どうしてアリスちゃんがここにいるの?六限は移動教室じゃないはずだし。」
「あ、私お仕事で早退なの。で、靴履き替えてたらことみんの姿が見えて尾行してたって訳。」
「尾行って…。」
というか、油売る時間などあるのだろうか。
「あ、それとことみん。何かテスト明けに屋上に来いって唯先生から伝達もらったけど、何かやらかしたの?」
「アリスちゃんじゃないから大丈夫だけど、伝達ありがとう。」
「どういたしまして。それと、さらっと酷いこということみん、私は嫌いじゃないよ。」
そう笑顔で言われても、私は一切嬉しくない。これが一年前だったら、今頃嬉しさのあまり昇天しているかもしれない。…それはないか。
「ではっ」と敬礼をしたアリスちゃんはダッシュで玄関の方へと向かって行った。そこまで急いでいるのなら私など放っておけばいいのにと考えてしまうも、それがアリスちゃんらしくも思ってしまいクスリと一人で笑ってしまう。
ーそれにしても、唯先生からの呼び出しって一体なんだろ。また成績のこと…いや、テストは来週からだし違うか。ならどうして…。ー
第三校舎の一階で悶々と考えている内に六限目が開始するチャイムが鳴り、私は教師陣にバレぬよう走って自教室へ戻っていった。その間も、何故唯先生が私を呼び出したのかを考えていたが結局分からず、背中の汗を感じながら授業を受けることとなった。ただその際も考えてしまい、結局、授業内容が脳に入ることはなかった。




