Past and Now Ⅲ
「琴美ぃ。そろそろ機嫌直してよ。ほら、帰りに購買で琴美の好きなアイス買ってあげるからさ。」
お昼休み。お弁当を食べ終えた私と鈴ちゃんは一度みんなと別れ、トイレに向かう最中であった。正確には、お手洗いに用があるのは私だけで、鈴ちゃんは所謂連れなのだ。断りを入れたのだが、今日はいつも以上に拒否された。理由は訊かなくとも何となく理解している。
春にしては気温が暑くアイスを口にしてもいいのだが、横にいる黒髪姿の鈴ちゃんを見ればそれだけで全身が冷える。いや、さすがに言い過ぎか。
「鈴ちゃんの黒髪姿なんて、一生見ないと思っていた。」
「それは、多分無いと思うな。大事な時ぐらいは黒くするよ。」
ため息をついた私は鈴ちゃんの髪に触ろうとしたのだが、異様な殺気を漂わせる鈴ちゃんの厳しい目つきに手を引っ込めた。かつらがズレると理由づけられているが、そんな簡単に外れるようなものではないはず。経験が無いので分からないけれど。
「…というか、そんなに私の黒髪姿嫌なの。私でもそろそろ傷つくんだけど。」
「嫌なわけじゃないけど、そのぉ…。金髪が定着していたせいで、違和感を感じているって言うか。」
前に鈴ちゃんが髪を切った際も同じような心境だったが、その時は新鮮で好きの気持ちが勝っていた。
ただ今回は違う。身長も声も鈴ちゃんなのだが、髪色が違うだけでまるで鈴ちゃんに似た人物にしか見えなくて。一日だけと言えど、今日というこの日はきっと、永遠に記憶に残るだろう。苦い記憶だが。
「だから、別に機嫌が悪いわけではないから心配しないで。我慢できなくはないから。」
当然嘘である。
「…それなら、いいんだけど…。あ、でもはアイス奢るよ。まだ今月リッチだし、お高いのでもいいよ。」
「遠慮しとく。食費だって半分出してくれているんだし、鈴ちゃんが好きなように使って。」
「だから奢りたいのっ。前にも言ったけど、これは私が好きでやってることなの。」
つい二ヶ月ぐらい前、私は鈴ちゃんからバイトをしていることを告げられた。カフェで働いていることは、鈴ちゃんと共にバイトをしている香奈ちゃんから聞いたのだが、場所がどこかまでは教えてくれなかった。あの香奈ちゃんセンサーが搭載されてあるアリスちゃんですら知らず、カフェと言えど、いかがわしいお店ではないかと心配することがある。まぁ今のところは特に変わった様子はないので安心だが。
「好きでやっているって…。鈴ちゃんがそれで良いのなら、私は付き合うよ。」
「やったっ!なら琴美は何が食べたい?定番のバニラ?季節限定のイチゴ?私は当然バニラっ。」
とまるで子供のようにはしゃぐ鈴ちゃん。いや、私にとっては鈴ちゃんはいつまでも子供だろう。このことを口にすれば、意地張って大人っぽいまねごとを始めるのは容易に想像できる。見てみたい気持ちもあるが、笑えばそれはそれで鈴ちゃんに怒られそうな気がする。というか、絶対怒る。
「…にしても鈴ちゃん。だいぶ甘いもの食べられるようになったね。前はバニラアイスですらほとんど食べなかったのに。」
「本っ当、あんな美味しいもの今まで食べてこなかったとか、人生の半分は損したよ。」
「さすがにそれは言い過ぎ。」
私の厳しい発言に、少々拗ねてしまった鈴ちゃん。つまらなそうに頬を膨らませているが、そんな姿ですら愛らしく感じてしまう。何というか、ペットみたいで。
実は春休み期間中、鈴ちゃんは甘いものを克服するための修行を積んでいた。事の発端としては、新商品の感想が欲しいと鈴ちゃんがバイト先で頼まれたのがきっかけだ。鈴ちゃんは決して甘いものが食べられないというわけではないが、極端に甘いものモノやチョコレート菓子といった類が苦手。カフェでバイトをするには致命的で、故にこの期に克服することを決めたのだ。
当初はにおいで白旗を揚げるほど弱かったのだが、今ではある程度のモノであれば口にすることも可能になった。とはいえ、チョコレート菓子は未だに慣れず、現在進行形で克服中である。
「確かに言い過ぎたけど、そのぐらい美味しかったって事だよ。甘いからって食べてこなかった私が憎いよ。」
「まぁ食わず嫌いは誰にでもあることだし、食べれるようになっただけでも良い方だよ。」
苦笑いで鈴ちゃんに話す私にも当然、苦手ではなく食わず嫌いな食材の一つや二つは存在する。鈴ちゃんには食べろ食べろと言いつけているが、私は食べる気になどなれるはずがない。人にあれこれ言っている立場なのだが。ちなみに、鈴ちゃんにはまだ話していない。言えば喧嘩になることぐらいは目に見えている訳だし…。
「琴美は何か苦手なモノでもあるの?琴美も確か、甘いモノ苦手だったんじゃなかったっけ。」
「それこそ極端に甘いモノは駄目だけど、チョコレートとかは平気だよ。」
「裏切り者。」
「そんなつもりじゃ…。」
甘いモノが苦手な鈴ちゃんの方が悪いというか…。いや、何でも無い。
「にしても、やっと今日琴美と二人っきりになれたね。午前中なんて、顔すらも合わせてくれなかったし。私本気で泣きそうだったんだから。」
「確かにそうだけど、事前に話してくれなかった鈴ちゃんも悪いんだよ。だから今日はお相子だよ。」
もし鈴ちゃんが前日にでも話してくれていたら、私もこれほどまで引きずらなくて済んだかもしれない。多少だとは思うが、今よりはマシだろう。
「そうだけどさ、私が黒髪にするなんて言って、琴美は信じるの?どうせ信じてくれないから話さなかったの。」
言い方に問題があるが、鈴ちゃんの言っていることは確かだと思う。例え鈴ちゃんのことを信じ切っていたとしても、それだけは冗談だと思ってしまうだろう。日頃の行いも原因の一つだが。…むしろ、信じてもらえるとでも思っているのだろうか。
「でもやっぱり、何か一言ぐらいは欲しかったな。ということで、次回から何かあれば、私に報告して。どんな些細なことでも良いから。」
「何か、琴美お母さんみたい。」
みたいではなく、もう私は鈴ちゃんの保護者みたいなもの。…それ以前に、恋人だし。
屋上から近いお手洗いは、最上階である四階ではなくその下の三階。しかも屋上の入り口とは全く反対の場所に設置してあるため、一番近いといえどわりと距離がある。つまり、早めに行かなければ最悪の事態も起こりうる、というわけ。この歳になってまずありえない話だが、早めに行っておいて損はない。って、何言っているんだろ。
あときっと疑問に思っているはずだが、私たちの学校も従来の学校と同じく、一般生徒の立ち入りは禁止されている。飛び降りや転落事故を防ぐためというのが学校側の理由だろうが、このご時世、そんなことなど果たして起きてしまうのだろうか。…まぁ起きているから、立ち入りを禁止しているのだろうけど。
ただ私たちの学校は規則にさほど厳しくなく、屋上の件についても同様。ある程度の縛りはあるが、利用目的等を許可書に書いてさえいれば、屋上の立ち入りは可能となる。とはいえ、お昼休みの自由解放時以外に使用する人はなかなかいない。男子校ならば喧嘩や何かで使うことがあるかもだが、何せここは女子校。喧嘩など無縁の土地である。
「琴美がお母さんなら、私は琴美の夫かな。それならアレ言ってほしいなぁ。ご飯にする?お風呂にする?それとも、わ、た、しっ。みたいなぁ!それで私は、有無を言わず琴美を…えへへ。」
身体をくねくねと動かしながら、鈴ちゃんは妄想に浸っている。よくある新婚夫婦の定番のやり取りを想像しているに違いないだろう。こういったことは外では止めろと言っているのだが、周りはこちらに見向きもしていないため放っておいても構わないだろう。…という本人も、少しだけ想像してしまったわけで。
ー…例え新婚じゃなくても、そのぐらいならしてあげるのに…。言われてはしないけど。ー
「琴美はさ、妻役と夫役ならどっちがいい?私は断然夫役が良いんだけど。」
「会話がおままごとする前みたいなんだけど。」
そもそも夫役が良いのなら、そんな質問をしなくても…。
「でさ、もし私が夫なら、琴美は私の帰りを待っててくれるよね。で私が帰ってくるとお帰りなさい、あなたって、ひゃぁ!!今すぐにでもやってもらいたいっ。」
「とりあえず私は専業主婦確定なんだね。でも私、ちゃんと職に就きたいな。」
「なら社内恋愛だね。残業で二人っきりになった途端、もう待てないって言う私に、琴美は「だめぇ」って悪戯っぽく笑…。」
「そろそろ止めないと、さすがに私も怒るよ。」
私の笑顔の圧力に、鈴ちゃんも黙らざるを得なかった。最近はよく笑顔になる場面が増えたのだが、私の笑顔はどうやら圧が含まれているらしい。意識はしていないが、笑顔の練習が必要なのは確実だろう。笑顔の練習など、している人は多分私ぐらいだろう。…いや、そんなことはないか。感情を表に出すのが苦手な香奈ちゃんだって練習している…はず。
「にしても、最近鈴ちゃん変だよ。私が他の子と話すだけで嫌そうな顔するけど、私が好きなのは鈴ちゃんだけだからね。誤解しないでよ。」
「…琴美に好きって言われるの、やっぱりまだ照れるな。…でも、嬉しぃ。」
とはにかみながら「ありがと」と口にした鈴ちゃんは、私の手にそっと触れる。そして握りたそうにこちらを見る鈴ちゃんのご期待通り、私は辺りを見渡してから手をギュッと握ってあげた。ご満悦な鈴ちゃんは指を絡めてこようとしてくるが、そこまで私は鈴ちゃんを甘やかしはしない。…私だってそうしたいが、ここでは出来ないというか。
それにしても、近頃の鈴ちゃんは少々どころか、かなり様子がおかしい。誰かと仲良くするだけで怒ったり妄想が激しかったり、前にも話したが、何かに焦っているように見える。本人は「特に何も」と心配をかけないよう考慮してくれるのだが、それはつまり何かを隠しているという証拠。隠し事をされるのがここまで辛いとは思いもせず、それをしてきた自身が忌々しい。
けれどゴメンと言って、鈴ちゃんが隠していることを全て吐いて欲しいとまでは考えていない。話してと頼めば鈴ちゃんは話してくれなくはないはず。ただそれは私のエゴを一方的に押しつけているようで悪いし、何せ今まで鈴ちゃんにしてきたというのに私だけ良い思いをするのは、あまりにも身勝手な行動。それに未だ、私は鈴ちゃんに隠していることがあるわけで。
ーお互いに隠し事増えたのは、きっと私のせいでもある。だからこそ、私が話さないといけないんだよね。-
「ねぇ鈴ちゃん。ちょっといいかな。」
お手洗いについた私は再び辺りを見回し、鈴ちゃんの手を握ったままお手洗いに入った。あ、ちゃんとスリッパに履き替えたのでご安心を。
そのまま私は奥の方へ突き進むと手を離し、鈴ちゃんに詰め寄った。鈴ちゃんの後ろには壁で退路は断っている。お手洗いには人がおらず、まさに絶好の機会。
「こ、琴美?い、今は止めない?まだ歯磨いてないしさ、私汚いよ。」
「いや、何を期待してるの。それに、鈴ちゃんなら許せるし。」
「琴美が良くても私が嫌なの。…ってゆうか、キスするんじゃないの?」
「鈴ちゃんの頭の中はキスばっかなの!?」
答えを聞かなくても、鈴ちゃんは「うん」と即答するだろう。
「そうじゃなくて、鈴ちゃんに話しておきたいことがあるの。…その、他人には聞かれたくない話だから…。」
「…妊娠?」
「誰のっ!?」
鈴ちゃんがその発想に至るまでの時間、わずか二秒。その発想力を他のところで使ってほしいものだ。例えば…勉強とか。
「私の話を聞いて鈴ちゃん。私、鈴ちゃんに話したいことがあるの。ふざけないで聞いてっ!!」
ついうっかり大声を出してしまい入り口の方に視線を向けるが、誰かが入ってくるような様子は感じ得なかったので一安心…。
「あのぉ…。そこで何しているんですか。」
一息つこうとした矢先、どこからかか弱い声が聞こえ、私と鈴ちゃんは声がする先に同時に顔を動かした。
その先は個室の扉が少しだけ開いており、そこからこちらを覗く可愛らしい瞳が…って。
「「で、でたぁーーーーっ!!」」
私と鈴ちゃんは抱き合いながら大きな声を叫び、私はその場で腰を抜かしてしまった。それを上手く支えてくれる鈴ちゃんはさすがだと思う。
「大丈夫琴美?立てそう?」
「微妙…。それよりも、色々と危なかったかな。」
当初の目的はお手洗いに行く予定。もし我慢できていなかったら、今頃大惨事になっていただろう。その場合、私の人生は終わったも当然だった。我慢強さは母親譲りだろう。
「それよりも、今のアレって…。」
私は先ほどの扉を指差すが可愛らしい瞳は消えており、全開になった個室にはパーマをかけたロングヘアの女の子が目を回しながら倒れていた。




