とある晴れた特に変わったことがない平穏な日
「お姉ちゃんお帰り。美容院どうだった…って見たら分かるね。」
始業式が始まる二日前、日頃のお礼にとお姉ちゃんが私の言うことを一つ聞いてくれることとなった。お姉ちゃんのことが好きな私は最初「キスして欲しい」と言おうとしたのだが、普通に頼んでも即了解が得られそうなので、「お姉ちゃんの女らしいところが見たい」と私は伝えた。
の結果、お姉ちゃんは美容院に行きイメチェンしたわけだが…。
シンプルなポニーテールにツイストを加え、お化粧も派手にならない程度にやってもらっている。服は私チョイスで貸した黒のふわふわしたチュールスカートに花柄ブラウス、それにライダースジャッケトと合わないかと心配だったが、案外似合うというか凄く良い。
「何か私らしくないけど、こんなので良かったの?」
邪魔そうに結った髪の束を触れながら、困り気な顔で私を見つめるお姉ちゃん。むしろそれがいいんです。
「うんうん。らしくないお姉ちゃんが見たかったから、大丈夫だよ。」
「っそれ褒めてないだろ。ま、舞がいいんだったら構わないけど。それに、らしくないのは私も同意見だし。」
と言って、その場でくるくると回ってみせるお姉ちゃん。スカートを履く前は「嫌だ嫌だ」と拒んでいたお姉ちゃんだが、今はちょっぴり楽しそうに見える。あまり履かないスカートが気に入ったのだろう。
「…どう?スカートも悪くないでしょ。」
「まぁ履くことに関しては言うことないけどよ、ちょっと問題がな。」
「問題?」と首を傾げる私に、お姉ちゃんは蹴りの構えをとるとそのまま足を振り上げるも、スカートが邪魔をして全然足が上がっていなかった。この時点で、もう何となく問題が何かが分かってしまった。
「何せ、動きにくいんだよな。可愛いとは思うけど、ダンスでは使えないかな。」
うん、全く予想通りの答えだ。
「あ、でも社交ダンスには使えると思うよ。お姉ちゃん綺麗だし、中世のお嬢様みたいになれるよ。」
「貴族かよ私は。それに、あんな年寄り臭いのはしたくないし。」
「偏見にもほどがあるよ。」
最近では若者向けの社交ダンス教室やサークルまでもあるらしいが、「年寄り臭い」イメージを持つお姉ちゃんは絶対に入らないだろ。
「それに、そもそも相手がいないし。あれは確か、男女で踊るもんだろ。私には出来ないよ。」
「それも偏見だよ。」
日本ではまだあまり浸透していないらしいが、海外では普通に同性同士で踊っているようで、タンゴの世界大会で同性ペアが入賞したことを日本人はあまり知らない。映画にもそういったシーンもあるが、昔の映画ともなると知る人は少ない。
そんなことをお姉ちゃんに話して上げると、「舞の頭の中ってどうなってるの?」と興味ありげな瞳が私の瞳に入ってくる。お姉ちゃんが部活で居ない日はよく映画を見ているが、それでこれほどまで知識が増えるとは思ってもみなかった。映画だけではない気がするが。
「ま、いいか。にしても、同性同士でも踊れるんだな。ならかじるだけかじっといても良いかもな。参考になるかもだし。」
「参考、にはならないんじゃないかな。けど、かじってみるだけでも良いと思うよ。」
ヒップホップやロックダンスを得意とするお姉ちゃんには良い戦果は得られないかもだが、何かに挑戦する意志を持つことは今後のためにも大切にしてもらいたい。
「んじゃ、そういうことで・・・。」
お姉ちゃんは私の両手を取ると、期待の目で私をじっと見つめてきた。私に良くないことが迫っていることは確実であるし、それが何用かも何となく分かる。
「舞、今から私の相手して。」
やっぱり。
「無理だよ。お姉ちゃんに比べて私は全然動けないし、ダンスなんて体育大会で踊ったぐらいでド素人なんだよ。」
「大丈夫っ。読み込みが早い舞ならいける。」
「どういう根拠なの。」
それから私は「ご飯の支度しないと」や「洗濯物取り込まないと」などと言い訳したが、お姉ちゃんの謎の根拠で全て打破された。これ以上弁解しても無駄だと悟り、「もう、ちょっとだけだから」とめんどくさそうに口にし肩の力を抜いた。今日の晩ご飯は少々手抜きになるかな。
「よし、なら早速踊…。」
「りません。まず一度動画で確認してから。そんなノリと勢いでいけるようなモノじゃないんだから。」
「凄い経験者っぽいこと言ってるけど、ま、その通りだな。部屋からパソコン待ってくるから、舞は適当に待ってろな。」
お姉ちゃんはそう言い残すと、ドタドタと部屋へ駆け上がって行った。いつものこと過ぎて怒る気にもなれない。
お姉ちゃんは冗談交じりで話したのだろうが、社交ダンスを夢見た頃があった私は一応調べたりして、それなりには踊れたりする。確か中学一年の頃、バズ・ラーマン監督の「ロミオ+ジュリエット」見た後、他の作品もあるのかと調べた際に「ダンシング・ヒーロー」を知り、その影響からだと思う。
ちなみに、「ロミオ+ジュリエット」は言わずと知れたシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」が原作。台詞は原作のままだが、時代設定を現代に変えたりといくつか変更点はあり、原作とはひと味違う作品となっている。興味ない人ではあるが、興味がわけば一度見てみたらいい。
ひとしきり見終わった私たちはそれぞれ練習を開始し、一時間後私たちは玄関前に集合した。多少は踊れる私であるが、踊ったことがあるのは右手で数えられる程度。つまりさほど無いわけで、それも三年も前のことだ。出来るとはいえ、興味津々だった全盛期に比べれば全く踊れていなかった。
ただ数回踊っていたこともあり、勘を取り戻すのに必要な時間は少なく済んだ。どうせならとお姉ちゃんが踊るパートも覚えようと調子に乗ったのが運の尽き。体力の少ない私は練習ごときでへばってしまった。
とはいえ、私のお願いを聞いてくれたお姉ちゃんからのお願いを断るわけにはいかず、私は平気な顔を装い無理をしている。元々お姉ちゃんが私に対する日頃の感謝ということでお願いを訊いてもらったものの、私たち姉妹は持ちつ持たれつの関係。そのため、貰いっぱなしは腑に落ちないという考えが私にはあった。
それに、お姉ちゃんは私の趣味に付き合ってくれるくせに、私はお姉ちゃんの趣味に付き合ったことがほとんどなかった。だから、お姉ちゃんの趣味に付き合う良い機会だと考え、踊ることを決めたのだ。
「舞ぃ。どう?上手く出来た感じ?」
私の進捗報告を訊くお姉ちゃんに私を疑うような素振りはなく、一息ついた私は「それなりに」と簡潔に答えた。
「お、そうかそうか。舞が出来るなら、多分安心して踊れるだろうな。早速踊ろうと思うけど…。舞、その格好で踊れるのか?」
不審そうな顔で私の服装を舐め回すように見るお姉ちゃん。何か良い服がないかと両親の寝室に入った際に見つけた黒のイブニングドレスを着ているが、社交ダンスではわりと代表的なドレスらしく、そこまでは問題ないはず。ついでにヒールサンダルも見つけたのだが、何故両親の寝室に置いてあるかは謎である。
「まぁ、公式大会に出るわけじゃないし、服装は何でもいいと思うよ。お姉ちゃんだって、長めのスカート履いてるわけだし。」
「それは、舞が着て欲しいからって頼んだからだろ?それに、いちいち着替えるのめんどうだし。」
なら、着替えた私の立場はどうなるのだ。
「お姉ちゃんらしいね」とため息混じりの言葉を漏らし、持ってきたラジカセの電源を入れた。CDは先に挿入しているため、準備さえ出来ればいつでも踊り始められる。選曲はイギリス出身のシンガーソングライターであるジョージマイケルのCareless Whisper。彼の最大のヒット曲で日本ではオリコン洋楽シングルチャートで四週連続一位を獲得した、悲しみや切なさを秘めた曲となっている。
「そういえば、二人で練習してないけど大丈夫?少しやってからにする?」
「別にしなくて大丈夫だろ。姉妹だし意思の疎通は天下一品だろ。」
「そこまで、じゃないと思うけど。」
意思疎通は可能だと思うが、天下を取れる自信は無い。
苦笑いの私を置き去りに、お姉ちゃんは最終確認で鼻歌を歌いながら踊り始めた。いつも楽観的でふわふわなお姉ちゃんも、踊っている最中は真剣そのもの。その瞳に、私はいつも心を奪われ見惚れてしまう。息が出来なくなるほど胸は締め付けられ、無理をした身体に過剰な負担がのし掛かる。お姉ちゃんを好きでいればいるほど、駄目だと分かっているから苦しくなる。ただそれは私が悪いだけで、お姉ちゃんは決して悪くない。
ーいっそこの想いが消えてくれれば、私たちはただの姉妹に戻れるのに。けど、それは…。-
「…ぃ。舞、聞いてるのか。」
いつの間にか私に顔を近づけていたお姉ちゃんは、私のほっぺたを摘まみ引っ張ったり戻したりして私の現実に引き戻した。若干面白半分で行っているように見えるが、それよりもお姉ちゃんの顔が近いことが気になるというか、恥ずかしい。
「だ、大丈夫…。それと、顔近い。」
「大丈夫って何だよ。ってか、いつものことじゃん。何で照れてんだよ。」
「て、照れてなんてない。」
らしくない荒い声で怒ると、お姉ちゃんはぽかんと口を開けたまま小さく一度頷いた。私が急に声を荒げたことに驚いているのだろう。お姉ちゃんの前ではあまり怒りの感情を表向きにしないため、珍しいと思っているはずだ。
「…ほ、ほら。確認終わったなら準備してよね。あまり遅くなると、晩ご飯の支度遅れ…。」
「舞、今日は止めとこっか。」
ラジカセの方を向いていた私だったが、お姉ちゃんの一言に「えっ」と声を上げ振り返ってしまう。
「なんで…。」
「何でって。無理してるだろ。見たら分かる。」
「む、無理なんかしてないから。」
「おい、ちょっと舞っ。」
お姉ちゃんはそう言うと私に近づき、手をそっと差し伸ばし首に触れる。冷たいお姉ちゃんの手にびくついた私は、思わず目を瞑ってしまう。
「首元、汗で濡れてる。やっぱり無理してるだろ。」
「…して、ない。」
良心が胸をチクチクと傷つけてくる。どうやらバレていないと思っていたのは私だけで、お姉ちゃんにはバレていたらしい。
「何で嘘、ついた。」
お姉ちゃんの投げつけるような鋭い声に、私は唇をきゅっと閉じた。きっぱりと「違う」と言えば、状況は変わっていたかもしれない。言えなかったのは、お姉ちゃんにこれ以上嘘を付きたくない善意が私を邪魔しているから。例え今すぐ私の善意が消え「違う」と弁解しても、お姉ちゃんに疑われるだけ。
しばらくの沈黙の後、お姉ちゃんは再び私の方へと手を伸ばしてくる。怒られると咄嗟に判断し、私はまた目を閉じた。叩かれる覚悟は充分に出来ているし、されるだけのことはした。
覚悟を決めていた私だったが、お姉ちゃんの手は頬を通り越し私の背中にそっと触れる。同時に、お姉ちゃんは私に身体を密着させてきた。当然の出来事に思わず「ひゃっ」と女のような声をだしてしまう。女なんだけど。
「こんな姉だけど、舞が思っている以上に心配しているんだぞ。だから、変に嘘付かないでくれよ。」
「し、心配って。私、お姉ちゃんに心配させるようなことしてない。…むしろ私が心配している立場だし。」
「分かってないなぁ。こう見えて心配性なんだぞ私は。」
お姉ちゃんは片方の手を背中から離すと、そのまま私の頭をぽんと撫でてくれる。私よりもちょっとだけ大きなお姉ちゃんの手は女の子にしては固いものの、そこから伝わる温度は他の誰よりも温かく、私の心をいつも落ち着かせてくれる。私が泣きじゃくっているときも、落ち込んでいるときも、今みたいな状況の時も。
「…で、どうして嘘なんて付いたんだ。怒ったりしないから、ちゃんと答えて。」
「…お姉ちゃんと、一緒に踊りたかったから。お姉ちゃん、いつも私に付き合ってばかりで、自分のことは付き合わせないでしょ。だからその…。」
自白した私を怒ることなく話を聞いてくれたお姉ちゃんは、私が再び話しかけようとすると「分かった」と一言。
「趣味に付き合ってくれなくても、支えてくれてるだろ。食生活を気にかけてくれているし、身体に良い物作ってくれて勉強も教えてくれる。私が健康で踊り続けられるのは舞のおかげだ。だから、そうお返ししようとかいいから、私を心配させることだけは止めてくれよな。」
見えはしないが、お姉ちゃんのお願いにコクリと頷く私に、お姉ちゃんは満足げに笑顔を浮かべているだろう。そう思うと、私も自然と頬の筋肉が緩んだ。情けない表情だが、お姉ちゃんに見られていないのは幸いと言える。
「っ言うか、お姉ちゃん。近すぎだから。離れてよ。」
安心した途端、急に恥ずかしさが込み上がってきた私は、思わずお姉ちゃんに冷たい態度を取ってしまう。良い雰囲気だったというのに、これでは水の泡である。
「姉妹なんだし普通だろ。もしかして舞、実の姉に抱きつかれて照れ…。」
「るわけないじゃん。お姉ちゃんのばかっ。」
悪戯そうに笑うお姉ちゃんの腕を振りほどくと、私は野犬のような目をお姉ちゃんに送る。照れていないわけがなく、今も耳元辺りまで赤くなっている。ただ「はい、照れてます」と馬鹿正直に言えるほどの勇気を私が兼ね備えているはずがない。もしあっても話さないが。
ー…照れないはず無いじゃん。だって私、お姉ちゃんのこと…。ー
「舞、どうしたんだ?私が何だって?」
どうやら思っていたことが声になっていたらしく、私は思わず口に手を当てお姉ちゃんから視線を逸らした。まだはっきりと話してはいないようだが、もし先ほどみたいに黙り込んでしまったら、問い詰められることは確実。何か、何か話さないと。
「…お姉ちゃんのこと、好きなんだから。」
口から出た言葉は今一番言ってはいけない言葉で、表情こそ我慢したものの、引いていたはずの汗が身体中からにじみ出てきた。気分も更に悪くなり、吐き気が波となって押し寄せてきている。喉はムカムカして熱く、詰まる異物で息苦しい。
「…私も好きだぞ、可愛い妹だし。そんな、今にも死にそうな面しなくてもいいだろ。」
同じようなやり取りを、確か数ヶ月前にもした覚えがあり、そのときと同じようにお姉ちゃんは「好き」と私に伝えてくれる。前と違う点があるとすれば、頭を撫でてくれないことと、少し焦っているような表情になっていること。それでも、お姉ちゃんの好きは私と同じ好きではないことは知っていて、嬉しいけれど聞くのが辛く、今すぐにでも耳を塞ぎたい。
「それより、無理しているんだろ。今日は私が晩ご飯作るからよ、舞はそこで休んでな。」
私が物心つく頃から設置してあるベンチを指差すお姉ちゃんは「おまじない」と言って額をこつんとぶつけてくると、そのまま家の中へと入って行った。立ち去ったお姉ちゃんを確認すると、ベンチとは反対方向へと走り出し、二分後川にやってきた私は四つん這いになると、喉に詰まった異物を吐きだした。落ち着いたと安心するも、浮遊した異物を目視しまた一吐きしてしまう。
異物が流れていったことでやっと落ち着きを取り戻した私は、燃えるように熱い喉を川の水で潤す。砂漠で窮地に立たされた人は、きっと今の私と同じ感覚なのだろう。
「はぁ…はぁ…。お姉ちゃんの、ばかぁ…。けど、好きぃ…。」
水面に映る私の顔は涙や汗でぐちゃぐちゃで、私自身目を伏せてしまうような、そのぐらい悲惨な顔になっていた。
「おねえちゃん、ごめんなさい…。私、決めたから。」
この気持ちに嘘を付けば付くほど、お姉ちゃんへの愛が私を蝕む。夢は夢で終わらせられると信じていた私だったが、これ以上はもう限界だった。
だから私は決めた。もうこの想いをお姉ちゃんにぶつけることを。結果はもう見えていることだが構わない。好きな人を想うだけで苦しくなるぐらいだったら、玉砕してしまう方がまだマシと言うもの。
それがいつになるかはまだ分からないが、覚悟を決めた私はドレス姿のまま入水し木木の間から見える夕日を眺めると、「やってやるからぁ」と大きな声で叫んでやった。
気持ちは晴れやかになった私だったが、濡らしてしまったドレスの後始末に困るも、何故かつい笑ってしまった。




