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貴女の存在がかわいくて、私はただただ見とれてます。  作者: あんもち
必然デスティーノ
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とある晴れた平和な日

「琴美、髪を切りたいです。」


 春休みに入ったある晴天の日、いつもよりも三十分早く起きてきた鈴ちゃんは起きて早々、そんなことを口にした。唐突すぎる展開に、思わずフライパンから視線を逸らしてしまった私は必要以上の油を注ぎ込んでしまう。


「お、おはよう鈴ちゃん。朝から急にどうしたの?」

「朝起きたら髪がボサボサぁってなってて、邪魔だって思ったの。それに二年生になるんだし、気持ちの切り替えも兼ねてね。」


 フライパンの油をキッチンペーパーで拭き取った私は、一度手を洗ってから鈴ちゃんの髪に触れた。いつもは左右対称にぴょこんと髪を結んで気づいていなかったが、肩の位置よりも低いところまで伸びている。鈴ちゃんならめんどくさいと言ってもおかしくないが、あまりにも急すぎるというか。よくある話ではあるけれど。


「別に私に訊かなくても、鈴ちゃんのことだから好きにして良いよ。」

「私の身体はもう琴美のモノでもあるんだよ。琴美の了承も得ないと。」

「そういうことは二人だけの時にしてね。誤解を招くから。」


 鈴ちゃんの髪から手を離し、私は朝食の準備を再開した。今日の朝食は、前日鈴ちゃんからリクエストされたホットケーキ。琴葉も楽しみにしていたのだが、部活動生に春休みの三文字は存在しないらしく、春休み前と変わらない時間に出ていってしまっている。部活に入って入れば今頃、私も学校で扱かれているだろう。


「ねぇ琴美、何でそんな反応なの。私の存在理由(アイデンティティー)が消える前代未聞の事態なんだよ。それなのに、好きにして良いだけで終わらせられるの?」


 フライパンにホットケーキのタネを入れている最中だというのに、鈴ちゃんは不満そうに頬を膨らまし、私を後ろからぎゅっと抱きしめてきた。「ひゃっ?」と思わず変な声が出てしまった私を悪戯そうに笑う鈴ちゃん。もし鈴ちゃんじゃなければ、ボウルのタネを投げつけてやる。


「ちょ、ちょっと鈴ちゃん。急に抱きついてこないで。火使っているんだから危ないでしょ。」


 と怒るものの、心は動揺しかしていない。ほぼ毎日鈴ちゃんは抱きついてくるが、一年が経とうとしているにも関わらず慣れておらず、毎日ドキドキしぱっなしである。こういうとき、感情にも嘘付ける私のスキルはわりと役立つ。駄目なことだけど。

 私の言葉に無視をする鈴ちゃんは、私の肩に額をグリグリと擦り付ける。どうやら、私の反応が鈴ちゃんにはかなりのダメージだったらしい。そういう気はなかったけれど・・・。正直に話そう。


「別に興味ないわけじゃないよ。例え鈴ちゃんの存在理由が消えても嫌いにならないし。…むしろ新鮮で好きになるっていうか。」

「・・・キスしてもいい?」

「・・・あとで、なら。」


 私の反応にえへへとはにかむ鈴ちゃん。機嫌を取り戻したくれたみたいで、私を抱きしめる力が強くなった、ように感じた。嬉しいけれども、私の場合、恥ずかしさのほうが勝っている。心は先ほどからムズムズしてばかりだ。


「っていうか琴美、何かいいにおいがする。甘くてふわふわした感じの。」

「それは今ホットケーキ作っているからだと思うけど。」


 ホットケーキっ!?と私の耳元で驚く鈴ちゃんは、もう前に食べたいと言ったことを忘れているのだろう。ただ記憶力がないだけか、馬鹿なのか。・・・絶対後者だろうな。おかげで心のムズムズは晴れたよ。


「焼いておくから、鈴ちゃんは着替えたりしておいで。天気もいいし私もついて行こうかな、デートも兼ねて。」

「やったぁっ。琴美とデートだぁ!」


 私から離れた鈴ちゃんはその場で数回飛び跳ねると、自部屋に走って行った。つい数分前まで眠っていたとは思えない。いやそれよりも、先ほどまで拗ねていたのにあの元気こそ思えないって言うか。


 ま、元気な鈴ちゃん好きだし、いいんだけどね。


 ふふっと笑みが溢れた私は鈴ちゃんが戻ってくるまで、鼻歌をしながらホットケーキを焼き始めた。ボロボロだった鼻歌も、今となってはかなり上達した。人並み程度には。




「何になんで、私は店の外で待たされてるの・・・。」


 午後三時になる頃、私は前に鈴ちゃんと来たショッピングモール内のとある美容院前で、鈴ちゃんが出てくるのを待っていた。私もだいぶ毛先が傷んでいたのでカットしてもらおうとしたのだが、切られているところ見られたくないと鈴ちゃんにきつく言われ、外で待つ羽目となった。そもそも切るだけなら、理容院のほうが手っ取り早い気がする。


「・・・暇だなぁ。」


 家に居ればお菓子を作ったり掃除したりと暇を潰せるのだが、外ではなかなか暇を潰せない。鈴ちゃんのようにゲームアプリを入れていればマシになるかもしれないが、プレイセンスがない私はすぐに飽きるだろう。料理サイトも最近は家のパソコンで使っているので、私の携帯の中は必要最低限のモノしか入っていない。おまけに持ってきたトートバッグの中身はほぼ空っぽと面白くない人間の例そのものだ。


「こんなことになるんだったら、本の一つでも持ってくれば良かったなぁ。」


 誰かに話しかけたわけではないが、自然と声が出てしまう。周囲には聞こえてはいないらしいが、それはそれで恥ずかしい。反応される方がいやだけど。

 とか思っていると、靴に何か当たったような音が聞こえ視線を足下に向ける。足下には、どこからか転がってきたおもちゃのカラーボールがまだ少しだけ動いていた。

 拾おうとしゃがんだ私がボールに手を伸ばすと、赤のボーダーシャツにサロペットを着用した小さな女の子がトコトコと私の元へ駆け寄ってきた。「あの…。」と口にしてから、その女の子は無言で私が拾おうとしたカラーボールを見ていた。どうやら、このボールの落とし主は彼女らしい。


「はい、これ。落としたんだよね。」


 ボールを拾った私は、それを女の子の前に差し出す。女の子はこくりと頭を縦に振り、私からボールを受け取るとくるっと方向を変え走り出した。その子が走っていった先にはその子の両親らしき人が立っており、女の子が戻ってきたなり、私に向け小さく会釈をした。

 私は慌てて立ち上がり会釈を返す。顔を上げるとまた女の子の両親は頭を下げ、その場から立ち去っていた。すると、女の子は私に振り返り手を振ってくれた。私も手を振ってあげると嬉しそうに笑顔になってくれた。鈴ちゃんに似ていると思ってしまったのは、鈴ちゃんが幼く見えるからだろう。

 女の子の姿が見えなくなると手を下ろし、私は肩からずり落ちたトートバッグをかけながら「ふー」と息を吐いた。


 そういえば、知らない人にも優しくできるようになったな。人見知り大分治ったみたいだし。


 基本知らない人には寄らず関わらずの掟を守っていた私だったが、近頃はそうもいっていない。それが悪いことではなく、むしろ良いこと…だと私は思っている。


「琴美ぃ、おまたせぇ。」


 後ろから鈴ちゃんの声が聞こえたのもつかの間、背中には何か突進してきたような衝撃が走った。察しの通り、鈴ちゃんだ。

「う”」と汚物を吐き出す寸前のような声を出してしまった私は本気で吐きそうになり、咄嗟に手で口wo

抑える。ただそんな状況を鈴ちゃんが知るわけがなく、後ろからのハグで追い打ちをかけてきた。脳内で行われた葛藤の末、私はギリギリのところで社会的死を免れた。


「ねぇねぇ琴美ぃ、無視は酷いですぞぉ。何か言うことはないのかい?」


 また何かの影響で変な口調の鈴ちゃんは陽気に話しかけるが、一瞬死にかけた私が反応できたのはその五秒後。その間鈴ちゃんの顔がしかめっ面になったのが背中から感じられた。自身が原因だとは思ってもないだろう。鈴ちゃんらしいと言えばらしいけど。


「・・・鈴ちゃんの馬鹿っ。」

「何を唐突にっ!?」


 正論だと思うけど。

 ついさっきまで感じていた吐き気はすっかり消え、さほど力が入っていない鈴ちゃんの腕を解いた。それから大きく息を吐き、振り返り際に目を閉じた。


「鈴ちゃん。本当にばっさり切ったの?」

「うんっ。店の人にも確認されたけど、思い切ってやっちゃってくださいって。そしたら、ジャキっとね。あと次いでに、後ろの方も少し切ってもらったよ。」


 きっと鈴ちゃんは手でハサミのポーズをつくり、えへっと一面笑顔を浮かべているだろう。凄く見たいが、まだ少し鈴ちゃんを見る勇気がない。ショッピングモール(ここ)にやって来るまで切った後の鈴ちゃんの外見をずっと想像(正確には妄想)していたが、今までのピッグテールの印象が強すぎたせいでそれが出来なかった。


「ねぇ琴美。目ぇ閉じてないでこっち見てよ。私の存在理由がなくなった今、私を多田鈴だと認識してくれる人は琴美だけなんだよ。」


 私の肩を揺さぶりながら鈴ちゃんは訴えてくるが、髪を切ったところで鈴ちゃんの存在はそう簡単には消えない気がする。良い意味でも悪い意味でも個性的だし。私が言える立場ではないけれど。


「分かった。分かったから揺らすの止めて。我慢してたモノが出ちゃうから。」


 再び汚物が私の喉を通過する手前で鈴ちゃんが揺らすのを止めてくれ、私は二度目の窮地を回避した。散々だな、私。


「…じゃ、じゃぁ。目開けるよ。」


 大きく息を吸い込み、吐くと同時に目を開く。目の前にはいつもの笑顔の鈴ちゃんが。けれどいつもの髪の束はなく、それが私には違和感しかなくて…。

 その光景を目にしてしばらくした私は手で顔を覆い隠し、残った息を小さく吐ききった。


「琴美、どしたの?気分悪い?」

「…鈴ちゃんが鈴ちゃんじゃなくなった。」

「私はピッグテール(あれ)で構成されているって言ったじゃんっ!」


 思っていた以上のダメージを食らった私は正直、本来立ち直れないほどの傷を負った。けれどそれ以上に…。


「…けど、新鮮で可愛いし…鈴ちゃんのこと、もっと好きになった。」


 指と指の間からちらりと鈴ちゃんの方に目をやると、鈴ちゃんははにかみながら灯りの点いたランプのようにポッと頬を火照らせた。


「琴美に好きって言われるの、やっぱり照れちゃうな。」


 照れくさそうに頭を掻く鈴ちゃん。私の鼻を擽る爽やかで酸味のある香りはここの美容院のモノだ。家にはない香りなのですぐに分かる。


「わ、私だって、鈴ちゃんに好きって言われたら照れるよ。」

「いつも素っ気ない態度だから、慣れちゃったかと思ってた。」

「…慣れるわけないじゃん。」


 未だに手で顔を隠したままの私を、鈴ちゃんは柔らかい表情で見ている。私が顔から手を離すと、その表彰は更に柔らかさを増した。

 ふふっと首を少しだけ横に傾ける仕草はいつものこと。ただそこには幼さだけでなく、清楚さが追加されている。あと、凄く運動できそう。実際超人レベルなのだけど。


「・・・で、切った感想は?何か変わったことある?」

「頭が軽くなったことかな。身体動かしているとわりと邪魔だったから、今超開放的っ。」


 ほらっとその場でジャンプを始めた鈴ちゃん。どのくらい軽くなったのかは鈴ちゃん本人にしか分からないが、随分楽そうな顔をしている。アピールするのは良いのだが、他の方法はなかったのだろうか。公共の場で飛び跳ねるなど、私には出来ないし出来てもしたくない。


「あ、あと後ろも切ったから首筋がスースーするんだよね。夏はいいかもだけど、まだこの時季にはちょっと…。」


 ジャンプを止めた鈴ちゃんは首筋を隠すように左手で触った。香奈ちゃんも髪が短いと冬はきついと言っていたが、本当に寒いらしい。物心付いてからずっとロング(この)髪型の私には理解し難い。


「まだ夜寒いから持ってきたんだけど、鈴ちゃん使う?」


 バッグからネックウォーマーを取り出した私に鈴ちゃんは「大丈夫」と言い張るものの、身体は正直。小刻みに揺れているのが肉眼でも分かる。寒いなら寒いと言えばと思ったものの、もし私が今の鈴ちゃんと同じ状況に立たされたらきっと、鈴ちゃんと同じことを言ってしまう。そう考えるとちょっと納得。


「風邪引かれたら鈴ちゃんも困るし私も困るんだよ。鈴ちゃんの身体は私のモノでもあるんでしょ。だからほら、じっとしてて。」


 私は鈴ちゃんの頭からネックウォーマーを通してあげる。二人だけの時と自身が言っていたのに、ご都合主義とはまさにこのことだ。

 恥ずかしさを押し殺し平然を装う私だったのだが、少女のようなしおらしい表情で首元のネックウォーマーに触れている鈴ちゃんに敵うはずなく、徐々に早まる心臓の鼓動に押しつぶされそうな感覚になる。それは私を苦しませ、同等に色々な欲が満たされたような満足感を与えてくれる。


「…誤解を招くから言わないって言ったのは琴美のくせに。」


 やはり鈴ちゃんでも怒る・・・。


「けど、嬉しいからよしとする。」


 わけないか。


「全く琴美のデレは本っ当心臓に悪いんだから、突拍子もなくそういうことするの止めてよね。」

「でも、嬉しいんでしょ?」

「うんっ。」


 鈴ちゃんがされて嫌なことや嬉しいことぐらい、私はちゃんと知っている。嫌なことは極力しないと心掛け、嬉しいことはしてあげる。その中で、私の突発性デレが鈴ちゃんにはかなりの効力を発揮している。まぁ鈴ちゃんの本気の照れが見られるメリットがあるとはいえ、自傷ダメージを負わなければならないデメリットが生じるため、頻繁に行ってはない。鈴ちゃんが「止めて」と言うまでデレてあげてもいいのだが、それよりも先に私が恥ずかしさで死ぬ気がする。というか死にたくなる。


「さて、鈴ちゃんの髪も切れたことだし、あんまり時間ないけどデートしよっか。どこか寄りたいとことかある?」

「私の用事に付き添ってくれたから、琴美の行きたいとこでいいよ。」


 等と鈴ちゃんは言っているが、私たちと同じぐらいの年頃の女の子が手に持つソフトクリームに目線が向いている。欲望に忠実であることが決して悪いことではないが、鈴ちゃんには我慢してほしい。食欲以外にも。


「なら、洋服見てもいいかな?前に中学まで使ってたカーディガン引っかけちゃってね。」

「了解っ。じゃ行こっか。はいっ。」


 鈴ちゃんは握ろうと言わんばかりに手を伸ばしてくる。手を握ることすら最初は緊張していた私。まだ慣れることはないけれど・・・。


「そうだね、行こっ。」


 今はその手を握れるだけでも幸せで、強欲なことにそれ以上も求めている。いつかちゃんと話し、その上で鈴ちゃんに私の全てを受け取って貰いたい。欲求を溜め込むのは良くないだろうし。

 私を先導してくれる鈴ちゃんに、後ろから「好きだよ」と聞こえない大きさで伝える。もちろん鈴ちゃんに聞こえるわけないが、言えただけ充分だ。ついさっきも言ったのだけれども。

 そんないつもよりも少しだけ平和な春休みはあっという間に終わってしまい、春真っ盛りの四月。誰もが期待と不安を募らせ、新たな始まりへと踏み出した。

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