甘い恋に一言を Ⅴ
県内最大級のテーマパークともなれば、移動するだけでも疲れが溜まる。それがもし全力疾走だとすれば、体育会系の部活動に入っていたとしても、途中でバテてしまうだろう。
つまり貧弱な私は、場内放送で鈴ちゃんを呼ぶ以外の方法はなかった。
…けれど私には、冷静な判断をするほど心に余裕がなかった。そんなことをすれば、私は再び同じ過ちを犯してしまう。あの人を心を傷付け、結果あの人を壊してしまった行いを。
三時間近くパーク内を探索したが、鈴ちゃんらしき人物は何処にもおらず、気が付けば夕方になっていた。もう帰ったかもと諦めかけた時もあったが、きっとまだパーク内にいることを願い続け、今まで探し続けてきた。
しかし、体力の少ない私は既に限界を越しており、一度休憩する必要があった。
「すみません。カプチーノ一つください。あ、サイズはMで。」
売店で何となく目に入った物を頼むと、すぐにあの熊三匹がデザインされてある紙コップに温かいカプチーノが注がれ、ものの二十秒ほどでつり目で右目下のほくろが特徴的な女性から受け取った。
コップの熱に我満しながら、空いているベンチに腰かけると、猫舌な私はカプチーノに息を吹き掛けてからちょびちょびと飲み始めた。
「っ!」
だが、いくら息を吹こうがちょっとずつ飲もうが熱いものは熱い。
軽く咳き込んだ後、しばらく揺れるカプチーノの水面を見ながら、鈴ちゃんがどこにいるのかを悶々と考え始めた。
ーパーク内は残すところ一エリア。けれど、そこにいるとは考えられないし…。かといって、もう一度全てのエリアを探すには時間がない…。でも、鈴ちゃんをほっとくには…。ー
考え込み過ぎたせいか、無意識に熱々のカプチーノを口に含んでしまったが、何故だか熱さを感じていなかった。そのぐらい、今は鈴ちゃんのことで手一杯だった。
ー鈴ちゃんには、悪い事したな。確かに私、別れる前提で話してた。出会いがあるから別れがある。だから、きっとこの関係は永遠じゃないと思ってた。ー
どれだけ私が幸せな思いをしようとも、絶対に嫌な方向へと考えが向いてしまう。いけない癖だとはわかっているが、幸せになってはいけないと決めたときから、私はいつも考えてしまう。それが、結果的に鈴ちゃんを傷つけてしまった。
私のいけない癖の全てが、どうしても鈴ちゃんを傷付けてしまう。今後その癖が、鈴ちゃんを崩壊させることも充分にありえるのだ。
ーけど、鈴ちゃんは違う。鈴ちゃんは、私たちの関係は永遠だって言ってくれた。永久だって言ってくれた。未来永劫変わること無い決定事項だって言ってくれた。ー
それでも、鈴ちゃんは私の事を愛してくれている。どれだけ傷付けようが、あの人と同じように私の事を愛してくれる。あの時は、その好意を受け取らなかったために、私は未だそのことに悔やんでいる。もう戻ることのできない関係になってしまい、二度と出会うことはない。
だから、もう鈴ちゃんを傷付けるような行いはしない。昔のような曖昧な答えではない。はっきりとした決意だ。
けれど、それを鈴ちゃんが理解してくれるかは、私次第だ。嘘を吐く頻度は減ったものの、やはり何かしら嘘を付いてしまう。それを何としてでも抑え、私の本心を話すことが出来れば、きっと鈴ちゃんはわかってくれるだろう。
ークリスマスの日。嫌な思いはもうしたくないって鈴ちゃん言ってたけど、もう嫌な思いさせちゃったな。…けど、もう絶対にそんな思いになんかさせない。もう、絶対に…。ー
両手で持っていた紙コップに入ったカプチーノをぐいっと飲み干すと、自身の弱さにイラついたあまり、空になった紙コップをそのままぐしゃっと潰してやった。
まだカプチーノの温もりが残る潰れた紙コップをゴミ箱に捨て、一度切り替えるために私は強く両頬を叩いた。頬に綺麗なもみじマークを付け、まだ重い足を再び動かそうとしたその時であった。
視線が向かい側にある観覧車乗り場に吸い込まれ、そこには二つ結びの金髪の少女の背中姿が確認できた。距離で身長が小さく見えるが、服装や動きが鈴ちゃんと同じであったため、鈴ちゃんであることを確信した。
「鈴ちゃんっ!!」
私の口から今までに無いぐらいの大声で鈴ちゃんの名前を呼ぶと、並んでいた鈴ちゃんが振り返ってくれる。しかし、鈴ちゃんの乗車は次の次。あそこまで行ってしまえば、無茶しなければ出ることは出来ないだろう。
ー…なら、私が無茶しなくちゃじゃん!!ー
もう後悔したくない。もう鈴ちゃんを傷付けたくない。その思いを胸に、私は鉛のように重い足に「私は長距離走者。まだまだ走れる。」とお得意の嘘を言い聞かせ、その足でまた走り始めた。
すると、思った以上に私は走ることが出来た。嘘で疲れを紛らわした足は、まるで切断されたように軽く、今なら陸上部の人にでも勝てる気しかしなかった。
そして、鈴ちゃんの目の前に観覧車が来たタイミングで、私は鈴ちゃんの元へたどり着くことが出来た。しかし休む間もなく、私と鈴ちゃんはそのまま観覧車の中に入っていった。
「こと…。」
「ちょっと…ストップ。」
鈴ちゃんに話しかけられるも、走ったばかりの私は息を整え、首に巻いてあるマフラーを外しコートも脱いだ。ニットワンピも脱ぎたいところだが、屋外で下着一枚になるのには抵抗しかなかった。
観覧車内を屋外と言うかは分からないが。
観覧車が五分の一を過ぎたところで、やっと私は落ち着きを取り戻した。途端、急に寒さを感じ、すぐにコートを羽織った。
その間、鈴ちゃんは何も話すことなく、ただ私の様子を見ているだけであった。
「ふーっ…。鈴ちゃんおまたせ。ごめんね、落ち着くの遅くなって。」
私の言葉に鈴ちゃんが頭を横に振ると、そこで会話が途絶えてしまい、外から年季の入った機械の音が一定のリズムで私たちの空間に響いていた。
それはここのテーマパーが十年以上は経営しているからだろう。鈴ちゃんが引っ越す前に来た記憶があるのが、そうだと言える証拠だ。確か、鈴ちゃんと初めて観覧車に乗った時も、こんな夕暮れどきだった。
そんな懐かしい出来事を思い返しながらどことなく景色を眺めていると、鈴ちゃんがわざとらしく二度咳払いし、ちらちらと私の様子を伺っていた。どうやら、鈴ちゃんも私と同じような思いを抱いているみたいだ。
小さく息を吐いた私は、少し不安そうな表情をする鈴ちゃんに顔を向けた。
「…琴美。その…ごめんなさい。勝手にどっかに行っちゃったりして。今日は琴美の誕生祝いだっていうのに…。」
「ううん。鈴ちゃんが謝る必要なんて無いよ。私こそ、ごめんなさい。」
頭を深々と下げて謝る私に、鈴ちゃんは「何で琴美が謝るの?」と怯えているような目で問いかけてくる。
私は顔を上げ、視線を少しだけ鈴ちゃんから逸らした。
「私ね、母親があんなのだから、世間体とかつい気にするの。一度色々とあってね、それ以来ますます気にしてた。それで、鈴ちゃんと付き合うにあたって、やっぱり考えちゃったの。同性同士だからとか、いつか別れるときがくるんじゃないかって…。」
胸に手を当て苦しそうな様子を見せる鈴ちゃん。それは私も同じ事。
それでも話さないといけないのは、二人の関係を崩さないためでも鈴ちゃんのためでもある。けれどそれ以上に、私が変わるためにも、全てちゃんと話さなければならなかった。
「…でも、鈴ちゃんは違った。鈴ちゃんは、私との関係は永遠だって言ってくれた。それでね、私、あぁ、鈴ちゃんが恋人でよかった。鈴ちゃんとずっと一緒にいたい、もう絶対に傷つけない。そう、決めたんだ。」
本音を言うのは、嘘を付いている時よりも決して良い気分だとは言えない。嘘ばかりの人生を送ってきた私には、本音を話すだけでも動悸が止まらなくなっていた。あの日から、ずっと。
「もし、私がまだ嘘を付いているんだと思ったら、私はそれでも構わない。けど、これだけは覚えていて欲しい。」
一呼吸の間を空け、私はハッキリと今の気持ちを言葉にした。
「私は、鈴ちゃんのことが大好きだよ。」
鈴ちゃんの目の前で好きだと言ったのは、これが初めてかもしれない。どんな時も少しの嘘が加えられてたが、今の発言には嘘一つ吐かなかった。
その言葉を聞いた鈴ちゃんは、しばらく硬直状態に陥っていたが、その後目には涙を浮かべていた。そして顔を伏せ、声をあげて泣き始めた。
「鈴ちゃん。大丈夫?何か気に触ること言った?」
鈴ちゃんの前でしゃがみこんだ私に、鈴ちゃんは顔を伏せたまま「違う」と潤い満ちた声で返答した。
「嬉しいの。琴美に好きだと言われたことが、こんなにも嬉しいことだなんて…。こんな感覚、初めてだよ…。」
そう言って私に泣き顔を見せてくれた鈴ちゃんに、私は不本意にもドキっとしてしまう。 ここまで泣き顔を可愛いと思ったのは、後にも先にもこの一回であった。
「私も大好きだよ、琴美。世界で一番、琴美のこと愛してるから。」
涙をこらえ白い歯を出して笑った鈴ちゃんは、しゃがんで様子を伺っていた私に飛びつくように抱きついてきた。バランスを崩し腰を付いてしまった私だが、鈴ちゃんは気にすることなく私の顔にすりすりとしてくる。まぁ、鈴ちゃんが幸せならば、どんな形でもいいのだけど。
すると、小さな膨らみを感じると共に、鈴ちゃんの服から漂う甘い香りが私の鼻を擽った。これは…チョコ?
「鈴ちゃん。鈴ちゃんって確か、チョコ食べれないはずだよね。食べれるようになったの?」
「別に食べれるようになった訳じゃないけど…。やっぱり琴美レベルの女子力保持者なら、気付いてもおかしくないよね。」
「いや、私同等の女子力を持っていても、多分この距離なら誰でもわかるよ。」
むしろ、ほぼゼロ距離で匂いに感づかなければ、それは嗅覚の末期だろうが。
ちょっと待ってて、と鈴ちゃんは私からすんなり離れると、私の膝の上に乗ったまま、鞄の奥から何やら慎重に物を取り出している。すんなりと離れたことに少し落ち込んでいたが、鞄から出てくる小さな箱が出ると話は別であった。
「小さな…箱?」
水色のチェック模様の紙に包まれている小包は、お洒落にリボンまでも付いてある。
その箱に視線を向けていると、「はいっ」と鈴ちゃんは私の顔の前に見せた。箱の表面の左端には「琴美へ」と書かれており、私へのプレゼント、もしくはバレンタインプレゼントだということが一発でわかった。
「…いいの、こんなの受け取って。」
目の前の出来事に少々動揺する私に、「じゃないと誰の物なの」と目尻にシワを寄せる鈴ちゃん。もう涙は乾いており、すっかり元の鈴ちゃんへと戻っていた。
言われるがまま、私は箱を受けとるとその場で丁寧にラッピングを外し、箱を取り出す。中は無難な真っ白い箱でこれといった特徴はない。本当にただの白い箱だ。少しは手を加え欲しかったが、こういうところが、やはり鈴ちゃんだなと思い許せてしまう。
ふふっと軽く笑いながら、私は箱の蓋を開け中身を取り出した。中から出てきたのは、シルバーカラーにブルートパーズがセットされたハート型のアクセサリーであった。周りに少量だが、ダイヤモンドが散りばめられており、私には勿体ない代物だった。
「この前一人で買い物に行った日にね、一目惚れしたの。それを付けた琴美に。」
人の膝上に乗ってきゃっきゃっと一人で盛り上がっている鈴ちゃんに苦笑いを送ると、早速首に付けることにした。若干サイズが大きいものの、気にならない程度で特に問題はない。
と、あることを思い付いた私は、大きく息を吐き…。
「どう、鈴ちゃん。似合う?」
と言いながらドヤ顔で髪を靡かせてみせた。例え素人でも、母親の血を引いており多少の演技は出来る。妄想で楽しんでいる鈴ちゃんに向けての、ほんのお礼にと…。
「琴美、キュン死にそう…。」
鈴ちゃんが妄想していた私だったのか、演技力のせいかは分からないが、鈴ちゃんは顔を両手で隠しながら膝上に乗ったまま倒れ込んだ。そんなにかと思ったが、隠しきれていない笑顔を見ればそんな思いはぶっ飛んでいった。
「…やっぱり私、鈴ちゃんのこと好きなんだな。」
嬉しさで悶絶している鈴ちゃんを見ながら、私の口からはそんな言葉が勝手に出ていた。そんな自分が何だかおかしく、私は唇をほころばせた。
その後、鈴ちゃんの悶絶は続き、私と鈴ちゃんは二周目にへと突入してしまった。それでもまだ続けており、さすがに私は鈴ちゃんを無理矢理現実に戻した。




