それぞれの道Ⅴ
家に帰れば、クリスマスパーティーにも劣らない盛大な料理が私と鈴ちゃんの帰りを待っていた。その中でも、鰤のカルパッチョは美味であり、ドーナツ一つにしておいた甲斐があったと感じた。ドーナツ三つほど食べた鈴ちゃんだが、何故だか私の倍以上食べたことにはあまり降れないでおこう。
料理も美味しかったのだが、何と言っても琴葉のピンクのフリル付きのエプロン姿に私は感動してしまった。母がプレゼントで買って以来、着ないからと言って封印してあったが、何しろ今日は特別らしい。
感動のあまり写真を撮り過ぎたせいか、鈴ちゃんの視線が痛いものの、特別だからと許してもらえた。ここまで誕生日に特別待遇されたのは初めてだったため、調子にのった私の携帯の写真フォルダにはピンクのフリル付きのエプロンを着た女の子の写真でいっぱいとなった。後日、その大半を琴葉本人に消されたが。
食事を終えた後は、翌日も学校ということで一時間ほどだが、三人でゲーム大会を始めた。ゲームに興味がなかった私だったが、こうして一緒に遊べるならやってもいいかなと二人を見て思った。
「鈴ちゃんおかえり。お風呂のお湯、ちゃんと抜いた?」
お風呂から戻ってきた鈴ちゃんは「抜いた抜いた」と適当に返事をすると、冷蔵庫に入ってある炭酸水を手にし私が座るソファーの横に腰かけた。
「本当に抜いたの?先日そう言って抜いていなかったじゃん。しばらくは言い続けるつもりだからね。」
お昼の情報バラエティー番組の録画を見ながら、私は少し意地悪に注意した。
「大丈夫。ちゃんとお湯が無くなるまで確認したから。」
「いや、何もそこまでしなくても。」
へへっと笑う鈴ちゃんの頭をそっと撫でた私は、テーブルに置いてある雑誌を取り番組で話しに上がった店に付箋をつける。このような雑誌が、ここ柊家の書斎には数多く存在してある。書斎と言っても、父が帰ってくることがほとんどないため、現在は私の部屋の本棚に入りきらない本を置くスペースとなっている。その冊数は未知である。
「何か良いお店でもあるの、琴美?お洒落なカフェも良いけどさ、ガッツリ肉料理も良いと思うよ。」
「それは鈴ちゃん個人の希望でしょ。それに、そんなとこ行ったら、調子のって食べてお腹壊すに決まってる。」
「ならせめて、焼き鳥専門の…。」
「却下。」
悲しそうな顔をする鈴ちゃんは、私の側まで寄ると開いている雑誌のページを眺めた。
「ケーキ特集?」
「そ。鈴ちゃんとのデート用のね。」
先月発売された雑誌には、クリスマスということでケーキ特集がされていた。ド定番のケーキもあればユーモアなケーキまで載っており、そこから更にテレビで紹介されたお店に、こうして付箋を入っているのだ。
「琴美ぃ。やっぱりケーキ、食べたかったの?」
覗き込むように私を見る鈴ちゃんの表情は少し暗く、こちらまで暗くなりそうだったが何とか押しとどまった。
「ケーキは食べたらなくなっちゃうけど、思い出は形になって残るからいいよ。それに、鈴ちゃんとの外出デートは初めてだしね。」
恋人になる以前は二人で買い物にも行っていたのだが、このような関係になってからは二人で外出することはほとんどなかった。デートも、文化祭以来一度もしていない。
デートという言葉に反応した鈴ちゃんは、何かを考えているらしく少し上の空である。そして、たまににやりと笑う。怪しすぎる。
「鈴ちゃん。外ではそんな顔しないでよ。馬鹿っぽく見えるから。」
「ば、馬鹿じゃないもん。それにいいじゃん。琴美とのデートの妄想するぐらいさ。」
「訂正する。外では妄想しないでよ。」
それに何やら怒りを感じたらしい鈴ちゃんは、雑誌のページを捲ろうとした私の腕をカプリと一噛みした。しかし手加減してくれているだろう、痛みを一切感じず、その微笑ましい姿は小さい頃の琴葉とよく似ている。
が…。
「っ!ちょっと鈴ちゃん!何舐めてるのよ。汚いから離れて。」
振りほどこうと腕を動かすが、ガッチリと固定されておりびくともしない。そのため、私はしばらく鈴ちゃんにペロペロされた。その間、私は口を抑え声が漏れるのを我慢し続けた。
「〰〰〰っ!!ん…、んんん!!」
「…ぷはぁ。治療終了っ!」
気が済んだ鈴ちゃんは、私の腕から口を離した。歯を立てていなかったので歯形はなかったものの、舐められた所は唾液でびちゃびちゃである。もし立場が逆ならば、鈴ちゃんは舐められた箇所を上重ねするように舐めるだろう。
いや、まぁ私も一度同じようなことをしたことがあるのはずだが。
「鈴ちゃん、どうして腕なんか噛んだりしたの。それに犬みたいに舐めて。鈴ちゃんには人間としてのプライドを兼ね備えてないの?」
「私が人間じゃないみたいな言い方、わりと傷つくから止めてよね。」
鈴ちゃんは舐めた方の私の手をとると、今度は私の指先を舐め…させてたまるかと、無理矢理鈴ちゃんを手から剥がした。「何で!」と鈴ちゃんは驚いているが、こちらからすれば何で先程から私を舐め回しているのかが疑問でしかない。どうでも良い理由であることはわかっているが。
「鈴ちゃん、さっきから一体どうしちゃったの?まだお腹空いているなら、食品庫にジャッキーあるから食べたら?」
「だから、私を犬扱いしないで!それ以上私を犬扱いしたら、治療した琴美の腕を食べちゃうんだからね。」
鈴ちゃんは不愉快そうな表情を浮かべ、私の腕をかぶりつこうと両手でしっかりと掴み、口を大きく開き小さな歯を腕に当てた。これ以上鈴ちゃんを犬扱いすれば、本気で私の腕に噛みつくだろう。犬みたいに。
私が「ごめんね」と一言謝ると、鈴ちゃんはコクりと頷き掴んでいた腕を離してくれた。
「…それに、何で治療?ここ最近、怪我なんて一つもしてないんだけど。」
私が気付いていないだけで怪我をしているのかともう一度腕を確認するが、やはり目立つような傷は何処にもない。きっと、鈴ちゃんの見間違いだろう。
「ほら、傷なんてないよ。鈴ちゃんの勘違いだったんだよ。」
そう言ってかぶりつかれた腕を鈴ちゃんに見せつけたが、鈴ちゃんは私の太ももに頭を乗せたまま小さく頭を横に振った。少しばかり痛いが、本の少しだ。我慢できる。
「だって私、今日琴美のこと傷付けたもん。ケーキぐじゃぐじゃにして、最悪の誕生日にしちゃったじゃん。」
傷付けたと言うよりも怒らせたの方が合っているが…。まぁ、別に構わないか。
「そんなことないよ。家族以外に誕生日祝ってもらったの、鈴ちゃんたちが初めてだし…。」
「…私が引っ越す前にも祝ってあげました。琴美にとってはその程度のことだったんだね。」
「そういうことでは…って言っても信じてもらえないよね。…ごめん。」
頭を下げた私には、幼稚園の頃に鈴ちゃんに祝ってもらった記憶が確かに存在してあるが、この状況で話したところで、鈴ちゃんは例え私でも信じてくれない。
「でも、琴美を傷付けたことにはかわりないっていうか…。だからさ、今出来る範囲なら何でもしてあげるから…。」
「何でも…。」
鈴ちゃんがそう言って赤く染てた顔に女の顔を加えた途端、私は今だかつてないほど最悪の考えが脳を過った。下手すれば犯罪に走ってしまうその考えを私は脳内から削除し、鈴ちゃんが出来る範囲のことを一つずつ脳から取り出すも、すぐにあの考えが蘇ってきた。
を繰り返すこと実に二十秒。諦めた私は犯罪に手を染めないよう、簡潔に伝えるため鈴ちゃんに再び視線をやった。何故この時数十秒だけ記憶が良いのか、私は自身が憎くて仕方がなかった。
「…ならね、鈴ちゃん。お願い言うから、笑わないで聞いてくれる?」
「内容によっては笑うよ。さっき犬扱いした仕返しとして。」
「…ならそこにある洗濯物全部片付けて貰おっかな?」
と言って、私は窓際に畳んで集めてある洗濯物を指で指すと、鈴ちゃんの私の太ももに載せた頭が少しだけ浮き上がった。その目線先はやはり洗濯物に向いている。二日分ともなれば量は多いが、一人で片付けれないことはないだろう。私はだが。
そして鈴ちゃんから出た言葉は「やだ。」と、私の予測範囲内のものであった。けれど…。
「…キスしてくれるなら、頑張る。」
嫌そうな顔で洗濯物を見ていた鈴ちゃんが頬を赤くしはにかむめば、やはり私の鼓動は大きく弾み始めた。ただ、少し違うとすれば、私も鈴ちゃんとキスがしたいという考えがあったことだろう。
ーって、何変なこと考えてるの私は。鈴ちゃんとキスがしたいなんて、そんなの…。ー
いつの間にか、私の視線は自然と鈴ちゃんのその小さくて柔らかそうな唇に吸い込まれていた。見たらダメと自身に言い聞かせても、従うどころか徐々に徐々に鈴ちゃんの唇に近づいていた。
「!?いや、冗談だよ琴美。無理しなくていいんだよ。」
ここに来て鈴ちゃんは焦り始め、私の目を合わせようとしなかった。私が珍しいことをしているからだ、無理もない。
が、私の本心は諦めるという言葉を知らないらしく、鈴ちゃんの頭を優しく両手を当てると私と目線が合うように再び私の太ももへと鈴ちゃんの頭を置いた。それでも、鈴ちゃんは頭こそ動かさなかったものの、目線は合わせてくれなかった。
私が指先でちょんと鈴ちゃんの唇を触れると、怯えたようにびくりと反応し目をぎゅっと閉じてしまった。「鈴ちゃんって、こんな顔するんだ。」と思ったときには既に私の本心は限界を超えており、怯えている鈴ちゃんに優しくキスをした。
時間にして十秒ほどであったが、その時のキスの味は今までのキスよりも爽やかで、同時に血のような味も少し感じた。
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翌日になれば、昨日私が誕生日だというのを知ったクラスメート達からの大量のプレゼントが机の上に置かれてあった。平日であったために買いに行く時間が無かったからとお菓子の詰め合わせが大半であったが、他人から多くの誕生日プレゼントを貰ったことがなかった私は、登校して五分後に教室の真ん中で泣いてしまった。
その日を境に、私の口から吐く嘘の量がかなり減った。今まで言いたかったことも言えるようになり、あまり馴染めなかったクラスメートとも仲良くなることができた。
その代償と言うのはおかしいかもしれないが、私の周りに人が増えたことによって、鈴ちゃんの外でのスキンシップが少し過剰になっていた。特に「頬っぺたにキスなんて日常だろ?」と言った愛ちゃんの影響もあり、鈴ちゃんが私の頬にちゅっちゅちゅっちゅとキスをしてくる日々が長いこと続いた。一週間の内一日だけキスの掟など、もう鈴ちゃんの脳には断片すら残っていないだろう。
そんなこんなで一月が終わり気付けば二月。春物の服のカタログがやって来たと共に、あのイベントもやってきたのであった。




