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貴女の存在がかわいくて、私はただただ見とれてます。  作者: あんもち
必然デスティーノ
49/97

それぞれの道 Ⅳ

  冬の夕暮れは夏よりも早く、十七時を過ぎた頃にはもうすっかり夜である。商店街も夏の同じ時刻よりも人が少なく、とても静かな通りとなっていた。

  朝店の角にあった雪はもうほとんど溶けており、電話ボックスのそばにあった雪うさぎは無惨な姿となっていた。残っていたのは石の目と耳である葉っぱのみで、私の心には少々寂しい気持ちが残っていた。


「ほらことみん。何ぽけーっとしてるの。」

「ごめん、ちょっと考え事。別に大したことないから。」


  いつもの溜まり場である喫茶店「はんでぃ。」にて、私とアリスちゃん、それに舞ちゃんの三人はボックス席にてのんびりと残りの三人を待っていた。鈴ちゃんは進路調査の件で香奈ちゃんは図書委員のお仕事、愛ちゃんは部活動とみんなそれぞれである。

  本当は、私は一人で帰ろうとしたのだが、正門で待ち伏せしていたアリスちゃんと舞ちゃんに捕まり、現在に至るわけだ。まぁ、待ち伏せしていた理由は何となく分からなくもないが…。


「ねぇ何でことみん誕生日のこと言ってくれなかったの?言ってくれれば、誕生日会の一つや二つやるのにさぁ。」


  コーヒーカップを片手に持つベストにカーディガンを羽織るアリスちゃんはとても綺麗で、上品なお姉さんとでも言える。珈琲をブラックにしてくれたら更にお姉さんぽく見えるが、アリスちゃんはあまり苦い食べ物が好きではなく、珈琲が来た際、大量の砂糖を入れていた。

  私の周りは体重が重くなりそうなものを好んで食べているが、太ったという話は一切聞かない。ある意味ホラーである。


「そ、そうですよ。私、琴美さんにはその、たくさん迷惑かけてますし。誕生会、盛大に行いますよ。」


  ちびちびとエスプレッソを飲んでいた舞ちゃんがコップから口を離し、途切れ途切れだが勇気を振り絞って話してくれた。そして舞ちゃんの目の前にあるのは、再提出用の進路調査用紙が空白で置かれてあった。


「いいよ二人とも。誕生日なんて別に大したことじゃないし。」


  笑顔で断った私の前にちょうどカプチーノが運ばれ、店員が去ったのを確認してから口にした。いつもはホットコーヒーかアイスコーヒーなのだが、今日はそんな気分ではなかったため、何となくカプチーノにすることにしたのだ。


「大したことないって言うけど、ことみんの両親にとってはとても大事な日なんだから、大したことじゃないなんて言わない。友達の誕生日を祝うのも、私たちの役目ってもんよ。」


  にかっと笑ったアリスちゃんにつられ、アリスちゃんの横にいる舞ちゃんがこくりと首を小さく縦に振った。


 ー友達…ね。その言葉、あまり好きじゃないんだよね…。ー


  「琴美ちゃん、私たち友達だよね。」や「友達のお願いを聞いてくれないの?」などと「友達」という言葉を一種の挨拶のよう連呼して、用が済めばまたいじめる。そんな光景はイヤほど見てきた私は、例え本当に仲の良い人でも「友達」という言葉を使ってほしくないといつしか思っていた。

  それでも、他人に嫌な思いをさせてはならないと、私はいつも作り笑いに「ありがとう」と言葉を添える。我ながらクズな対応だとは思っているが、こうでもしなければ共存することができない。


「にしても誕生日を忘れるとは、ことみんはかなり忘れっぽいんだね。」

「多分私の母の遺伝かな。母も私同様忘れっぽいし。特にお互い、自分の事に関する記憶は飛びやすいかな?」

「自身に関するってのは一体どういったものなの?」

「私にも詳しくはわからないかな。ただ、一つだけわかることがあるの。」


  コップをテーブルの上に置いた私は、あるノートを鞄から取り出し適当なページを開き二人に見せた。二人はおもちゃに興味を持った犬のような目でノートの見開きページをくまなく確認したが、次第に困惑したような目へと変化していた。無理もない。


「そこに書かれてあるのは、私が今まで忘れてきた内容とその回数だよ。」

「ま、毎度メモ、とるんですか?」


  驚く舞ちゃんに私は「うん」と頷く。まぁメモったところで、対策したことはほとんどないが。


「誕生日…。年齢…。男の子の、名前…?共通点が全然見つからないんだけど…。」

「だよね。多分私以外にはだけど。」

「何か共通点でもあるの?」


  アリスちゃんは首を傾げ、忘れた回数が多いものの共通点を悶々と考え込んでいた。そしてぶつぶつとそれらを連呼する姿は、刑事ドラマのシーンを思い出す。どんな内容かまではほとんど覚えていないが、最終話に主人公である刑事さんが妻を庇って撃たれたのは覚えている。

  …っと、今はそんな話ではない。


「アリスちゃん。多分、あと何年経っても答えにはたどり着かないと思うな。」

「そんなに難しい共通点なの?」

「んー…。私の性格から考えれば、少しは答えが見えるかも。」

「ことみんの性格…。美人なわりには発言が大胆で、たまにおっちょこちょいで、おまけにお人好し過ぎて自分のことをほったらかしにする…。んー…。わからん。」


  色々と何かを抉られている感じがするが、悩み込むアリスちゃんをニコニコと見つめていた。


 ーわかるはずないよ、きっと。だって、全ての事柄が共通点に当てはまっているわけじゃないし。あくまで、一番あてはまっている共通点だし。ー


  悪戯っぽく微笑んだ私を見るなり、何かに気づいた舞ちゃんは何やらメモをとり始めた。


「誕生日、名前、運動…。他のもだけど、やっぱり琴美さんと同じなんだ、私。」


  そう呟いた舞ちゃんは、メモをとった紙をびくびくしながらアリスちゃんに渡した。ギャルとそのパシりにしか見えないのは何故だろうか。


「…興味がないもの?まいたん、流石にそれは無いんじゃない?何か確信があるのならわかるけど。」

「確信、はその…あ、あります。メモに書いた内容、私も、興味がないんです。琴美さんと私、同じ匂いがする…です。」


  舞ちゃん自身の推測をたどたどしい口調で話してくれた。眉をひそめて疑っているアリスちゃんには申し訳ないが、舞ちゃんの推測はドンピシャで合っていた。

  そのことをアリスちゃんに伝えた際、「分かんないって」とケラケラと笑った。


「で、何で誕生日とか興味ないの?自分がこの世に産まれた特別な日だって言うのに。」

「だって、誕生日とか歳とるだけだし、歳とってるなって実感させる年齢なんて知りたくない…。それに、あまり関わりのない人の名前を覚えたところで、私にメリットなんてない…。それに…。」

「…歳とるって…。ことみん、お年寄りみたいなことを言うね。」


  再びコップに口づけたアリスちゃんとは別に、推測が合っていた舞ちゃんは満足げな表情でドーナツをかじっていた。


「歳をとるのは嫌なことだけじゃないよ、ことみん。私にも、歳なんてとりたくないぃって時季があった。けどね、お年寄りはお年寄りなりの楽しみ方があるんじゃないかな?」


  アリスちゃんの視線の先には、カウンター席でカップを片手に店長と話しているお年寄りが二人ほど座っていた。

  ここは所謂全国チェーン店ではなく、店長が個人的に始めたお店。一時期(十三部参照)は多くの客で賑わっていたものの、今は近くに住む人や私たちのような学生がほとんどである。

  売り上げはきっと悪いはずで、それでもお店を続ける理由など私はわからなかった。けれどアリスちゃんに言われた今なら、続ける理由が少しわかる気がする。


「今ことみんが楽しんでいることがあるように、お年寄りが楽しんでいることがある。今出来ないことでも、歳をとれば出来ることだってある。そう考えたら、少しは歳をとるってことを嬉しいと思えるんじゃないかな?まぁ説得力皆無だけどね、同い年なんだし。」


  コーヒーに二個ほど角砂糖を入れたアリスちゃんは、それをスプーンで混ぜながら、人生についてのアドバイスを私に語ってくれた。歳をとるのが本気で嫌だった私だが、正直、歳をとるのも悪くないと少し思った。本当に少しだけども。

 

「それにしても、ことみんが自分のことを話してくれるのって始めてなんじゃない?学校来ない日があるから、私だけかもしれないし。それにまいたんも。前までおどおどしてあいちんの後ろに隠れていたけど、今はそんなことほとんどない。自分の意見だって言えるようになっているし、二人とも、何かあったの?」


  今度はアリスちゃんが悪戯そうに微笑むと、私と舞ちゃんはお互い顔を見合わせた。

 

 ー…言われてみれば、まだたどたどしかったりもするけれど、舞ちゃん自身の意見をちゃんと述べている。それに私も、鈴ちゃんと徹くん、それに香奈ちゃん以外に本音を話したの、初めてかもしれない。ー


  今思えば確かに、私は入学時に行った自己紹介以外、鈴ちゃん香奈ちゃんを除くクラスメートに自身のことを話したことがなかった。聞かれることは多々あったが、毎度何かと理由をつけて逃げており、自ら自身について話すなど考えたこともなかった。あれもこれと、クリスマスの一件があったからであろう。


「…うん、あった。やっとスタート地点に立てたようなものだけど、ここまでやって来れたのはきっとあの子のおかげ。だから私は、もっと自分に素直になろうと思ってる。」

「わ、私はその…。覚悟、決めまして…。そのためにも、コミュ障を直したい、でひゅ。」


  最後の最後で噛んでしまった舞ちゃんに、思わず私とアリスちゃんは晴れやかな笑い声を口にした。ここまで大きな声で笑ったのは、実に何年ぶりだろうか。

  噛んだことに対して恥ずかしそうにしていた舞ちゃんだったが、私たちの様子を見るなり小さくはにかんでくれた。初めて見せてくれた舞ちゃんの表情には、つい一年前まで中学生だったことを思い出させるような幼さが残っており、それが何処となく懐かしいと思えるのは、きっと鈴ちゃんのおかげだと、改めて鈴ちゃんの大切さを実感した。


「そういうアリスちゃんだって、何か変わった気がするよ。具体的には分からないけど、変わっているよ、絶対。」


  一頻り笑った私は、笑いすぎで流れた涙を拭い、紙ナプキンで拭き取った。

 

「…私もさ、冬休みに色々とあってね。…私さ、香奈と付き合っているんだ。恋人としてさ。」


  急なカミングアウトに固まる舞ちゃんは、今頃脳内には疑問しかないだろう。二学期始めに香奈ちゃんから告げられていた私だったが、アリスちゃんの口から「恋人」という言葉が出れば流石に驚いてしまう。


「それでね私、仕事を辞めようかと思ったの。人気が上がるにつれ、香奈との大切な時間が比例してて、香奈にはいつも寂しい思いをさせている。だから、仕事を辞めて香奈との時間を多くとってあげたいと思ってたの。」

「アリスちゃん…。」

「でもね、辞めないことにしたの。香奈はこんな私でも、大好きだって言ってくれた。仕事をしている私のことも大好きって。それで、その時に決心したの。辞めないって。それと、もう香奈のことを悲しませないって。」


  元から静かな店内だが、私たちが座るボックス席は更に静かで、周囲の声など耳に入ってはこなかった。

 

「何かしんみりさせちゃったね、ごめんごめん。さて、三人がやって来るまで、私たちだけで女子トークしちゃおっか。まいたん、何か良いお題なんてない?」


  顔に喜色を浮かべたアリスちゃんは、舞ちゃんに無茶ぶりをぶつけ、焦る舞ちゃんの姿を見て声を出して笑った。

  けれど、私にはわかる。あの笑顔の奥底の顔を。悲しい辛そうな表情を。

  多分、アリスちゃんは分かっていたのだろう。全て両立させることが不可能ーー全て完璧にすることが不可能だということを、アリスちゃんは知っているのだろう。

  それでも裏では毎日頑張っているが、その努力を一切見せず、露にするのは結果のみ。私とは違う理由だが、アリスちゃんもまた本当の自分を殺している。そんなことで、誤魔化せないと分かっていて。

  今も、仲睦まじく舞ちゃんとおしゃべりしているアリスちゃんの言葉が本心なのかは本人のみしか分からない。けれど、アリスちゃん自身を殺していることに変わりはない。


 ーアリスちゃんは一体、何を隠して生きているのだろう。ー


  いつの間にか、私自身の誕生日であることを忘れており、頭の中はアリスちゃんのことでいっぱいであった。


「ーってことがあ、ありまして…。あ、来ましたよ。」


  舞ちゃんの声の先に顔を動かすと、入り口の方から愛ちゃんと香奈ちゃん、それに鈴ちゃんがこちらへと歩いて来ていた。愛ちゃんと香奈ちゃんはいつも通りであったが、鈴ちゃんに限っては今にも死にそうな顔をしていた。そこまで進路のことを考えてなかったのか、私の恋人は。


「悪いな遅れて。本当は十分早めに着く予定だったんだけど、ちょっとした野暮用がな。」


  そう言って愛ちゃんが私の横に座ると、愛ちゃんからほのかにクリームのような香りが漂ってきた。スポーツ後のケアとしては、少し香りが甘い気がする。


「吹奏楽部の子がそろそろコンクールの練習が始まるって嘆いていた。愛ちゃんも、そんな感じなの?」


  私の正面、つまりはアリスちゃんの横に座った香奈ちゃんが愛ちゃんに訊くと、愛ちゃんは「うんうん」と頭を大きくふった。


「高校総体用の演技の練習が始まってさ、その音源渡されて覚えてこいなんて言うし…。知らねぇ曲だし分かんないっての。」


  愚痴混じりに言葉を吐くと、愛ちゃんの正面に座った鈴ちゃんと共にメニュー表を眺め始めた。

 

 ー…?ー


  この時私は、ある違和感を感じた。その違和感というのは、鈴ちゃんがおとなしすぎることだ。例えどれだけ脳を活用して疲れきっても、積極的に私の横もしくは正面に座ろうとする。

  にも関わらず、鈴ちゃんは私の斜め右横に座っていたのだ。それ以外は特に目立った変化はないが、それだけでも私は気になって仕方がなかった。

  鈴ちゃんは私の心配をよそに、愛ちゃんと同じ抹茶ラテを頼むと、何やら愛ちゃんと話始めた。と思えば、愛ちゃんと共に御手洗いの方へと歩いって行った。

  途端、私の左横にいる舞ちゃんからただならぬ気迫が漏れ始めた。その気迫は正面でイチャイチャしている二人にも感じ取れるほどで…。


「お姉ちゃんが鈴ちゃんと御手洗いに…。でも、単に御手洗いに行っただけかもしれないし…。けど鈴ちゃん、わざわざ鞄なんて持っていかなくてもいいよね。二人だけの秘密とか言って、きっとイヤらしいことしているに違いない。だってお姉ちゃん、可愛い子にはセクハラばっかしているし…。私だけじゃきっと抑えきれないんだよね…。けど…。」


 ーうわぁ、めんどくさっ。ー


  ここまで人に「めんどくさい」と思ったのは、私が思うに一年ぶりだろう。誰をめんどくさいと思ったかまでは覚えていないが、こういった感情を抱く原因の多くはあの時のクラスメートか徹くんだろう。


 ー姉のシスコンぶりに問題があると思ってたけど、妹はその倍は問題がありそう。私が言える立場じゃないけど…。ー


  ボソボソとお経のように呟く舞ちゃんに、ため息をついた私は「大丈夫だよ」と撫でようと手を伸ばした時だった。


 ーいや待てよ。確か今日、帰ってからキスをするねって私言ったはず。…もしかして、耐えきれなくなって近くの愛ちゃんを!?でも毎日、それなりに愛情を与えて…。…足りなくなった、ってこと?ー


  急に鈴ちゃんと愛ちゃんがキスをしている光景が頭を過り、居ても立っても居られなくなった私は、御手洗いへと走り出した。「店内では走らないぃ!」とアリスちゃんは言っているが、声からして少し面白がっていた。

  だが今の私には構っている余裕などなく、十秒ほどで御手洗い前にたどり着いた。


「大丈夫…大丈夫だから私。落ち着けぇ。」


  胸に両手をあて祈るように自身に言い聞かせた私は覚悟を決め、扉の取っ手を握った。


「愛ちゃん。やっぱりこんなに大きいもの、私のに入りきらなかったじゃん。」

「うわぁ、中ぐちゃぐちゃじゃねぇか。どうするんだよ。琴美にバレたらヤバイだろ。」

「平気。このまま入れて帰るって、家で出すから。」


  …御手洗い内から聞こえる声に、私の頭の何かが切れた瞬間であった。


「鈴ちゃん!愛ちゃん!二人揃って御手洗いで何イヤらしいことしている…ってあれ?」


  扉を派手に開けた私は、殴り込みに入るように御手洗いへと入ったが、特にイヤらしいことをしているわけでなかった。


 ーそう言えば、鞄を持っていったとか舞ちゃん言ってたっけ。ー

 

  二人の手には大きく開いた鞄があった。中は何やら白くて赤くて…茶色?

  おびただしい情報が私を襲い、脳が機能停止しかける寸前に、鈴ちゃんが顔を真っ赤にして声を出した。


「い、イヤらしいことなんてしてないやい!琴美の馬鹿ぁ、変態ぃ!」

「あ、あんな会話を聞いてたら、嫌でも変なこと考えちゃうじゃん!!」

「何さ。琴美はあんな会話を聞いたぐらいで、頭の中がお花畑になるっていうの?」

「鈴ちゃんにはその台詞言われたくない!大体、鈴ちゃんのいつもの行いが悪いからそう思っても仕方ないじゃん。」

「私だけが悪いみたいな言い方するの止めてよ。琴美にだって問題あるじゃん!」

「はいはい、二人ともうるさいっ!」


  私たちの口論を止めに入った愛ちゃんは、私と鈴ちゃんの口を手で押さえつけた。まだ言いたいことが山ほど残っており、私は強引に愛ちゃんの手を外そうと試みるがびくともしなかった。両手を使っての結果がこれである。私の貧弱っぷりは才能物だ。


「んんんんーっ!んんんんんん…。!(愛ちゃん!息苦しい…。)」


  私の苦しそうな声に、気が済んだ様子の愛ちゃんは私から手を外してくれた。しかし、鈴ちゃんには容赦なく押さえつけたままであった。

  掴まれた所が跡になっていないかを確認するため、私は鏡の前に立ち鏡に映る自身を見る。少し赤くなっているものの、跡になりそうなほどではなく安堵の息を漏らした。


 ー…にしても、さっきの鞄の中身、何が起こればあんな惨事になるのよ。ー


  鏡から離れた私は、まだ愛ちゃんが鈴ちゃんを押さえ込んでいる間に、落としてしまっている鈴ちゃんの鞄を手にした。いつもは私の鞄の中身よりも重いはずだが、今日は異常なほど軽い。


 ー何これ?何をどうすればこんなに軽く…ん?何この匂い…。ー


  鼻に通るこの香りは…ケーキ?


「そもそも、鈴が無理矢理突っ込むからって、琴美ぃ!?何勝手に見てるんだよ!」


  私の動きに気づいた愛ちゃんの怒鳴るような声に驚き、つい鞄を離してしまった。と同時に、愛ちゃんの手が口から離れた鈴ちゃんからは、悲鳴に近い声が聞こえてきた。


「え、いや、その。鈴ちゃんの鞄の中身が何でそんなに汚れているのかなって…。見ちゃいけない物だったりした?」


  再び愛ちゃんに怒られると思えばあまり変なことを口にしたくはないが、黙っていても怒られそうで…。

  そのため、私は偽りなく思ったままを言葉にすることにした。


「見たらいけないってことじゃ…。あぁでも、これじゃ渡せないな。」

「え、渡せない?」


  よく分からないことを話した愛ちゃんは、困ったように唇を噛む。鈴ちゃんも何やら弱った顔をしており、私だけが状況を読み込めていなかった。


「あぁほら。今日誕生日だろ、琴美。それでよ、鈴がケーキ買ってやるんだって言って。それで、サプライズで買ってきたから隠すって鈴が鞄に突っ込んだ結果がこれってわけ。」

「な、何勝手に話してるの!二人だけの秘密だって行ったじゃん!」

「琴美が鞄の中身を見ているこの状況で、適当な嘘ついても無駄だろ?」


  二人の会話で、私はやっと鈴ちゃんの異変の原因に理解した。野望用とか言っていたのは、鈴ちゃんとケーキを買いに行ったことで、クリームのような甘い香りは店内に漂うケーキの匂いが服に付いたもの。

  そして鈴ちゃんが大人しかったのは、いつも鞄に入れている道具を詰めたリュックを背負った際の負担、もしくはケーキが鞄内でぐしゃぐしゃになっていたからで。


「鞄に入りきらないほどのケーキって、まさかホール!?」


  私の声に口喧嘩の最中であった鈴ちゃんと愛ちゃんはくるっとこちらに顔を向けると、同じタイミングで頷いた。


「だってよ、鈴が…。」

「誕生日と言ったらホールケーキじゃん。大きなケーキをみんなで食べるってもんでしょ。」

「…らしくて。」


  (無い)胸を張って腕を組む鈴ちゃんに、ツッコミたくなるのは私だけだろうか。私の記憶が正しければ、クリスマスにも似たようなことを口にしていたような。

 

「イヤイヤ鈴ちゃん。普通にピースサイズのケーキを買うって考えはなかったの?わざわざホールを買わなくても…。」

「誕生日だから大きなケーキを買ったわけじゃないよ。」


  誕生日じゃなければ何でこんな大きさのものをと思いつつ、頭を抱えていた私は片目を開き、鈴ちゃんの少し照れたような表情を…。何で照れてるの?


「そのね。私いつも迷惑かけてさ、琴美に嫌な思いさせちゃて。それでそれで、琴美にお礼がしたくて…。」


  もじもじする鈴ちゃんは私と目を合わせることなく、唇を尖らし少し遠くを見ていた。嘘っぽく見えるが、鈴ちゃんが照れ隠しする際によく使っているのを私はよく知っている。


「でもケーキはもう無くなっちゃったし。珍しくこんなことするから、やっぱり失敗する…。」


  鈴ちゃんがまだ話をしている中、私は鈴ちゃんの身体を包み込むように抱きしめた。その場にいる鈴ちゃんと愛ちゃんは、私の急な行いに目を見開いた。


「え、ちょっと琴美?愛ちゃんが見ているよ。そういうのは後で…。」

「鈴ちゃん。私、迷惑なんて思ってないよ。」


  私の言葉に「ふぇ?」と変な声を漏らす鈴ちゃんに、私は話し続ける。


「確かに、何でこんなことするのとか、ちゃんと言った通りにしてとか思うことはあるよ。けど、迷惑だなんては思ったことないよ。その分、私は毎日鈴ちゃんから愛情を貰っているから。ケーキ何ていらなかったのに。」

「でも琴美、私…。」

「それに、ケーキは食べたらなくなるけど、鈴ちゃんと思い出は一生無くならないから。だから、充分だよ。」


  言い終えた私は鈴ちゃんを見ようと頭を下げる。するとバッチリと鈴ちゃんと目が合い、頭の片隅で「あ、これキスする雰囲気だ」などと思ってしまい、つい鈴ちゃんの頬にキスをしてしまった。愛ちゃんがすぐそこにい…。


「ち、違うの愛ちゃん。これはその、一種の感謝の伝え方であって別にそんな深い意味は…。」

「?何焦ってんだ、琴美?」


  腕を組んで不思議そうに私たちのやり取りを見る愛ちゃんの不意を突くような台詞に、抱きしめたままの私と鈴ちゃんは「えっ?」と声にしてしまった。


「頬っぺたにキス何て日常だろ?私も舞や部活の同級生とかにするし…。会話みたいなもんだろ。そんなに焦るようなものかぁ?」

「…あ、そうだよね。キスなんて会話みたいなもんだよね。あはは。」


  愛ちゃんが少し世間の感覚とズレていて良かったと、私はこの時初めて感じた。キスが会話?何処の海外の風習よ。


「まぁ鈴。サプライズは失敗したけどよ、ケーキが無かったって祝えるし。」

「でも…。」

「そんなにケーキ付きで祝いたいなら、今度個人的に琴美と食べに行ったらいいだろ。わかったなら戻るぞ。お迎えも来たようだし。」


  少しめんどくさそうに頭を掻く愛ちゃんは、扉の方にちらり目線をやる。そこには舞ちゃんが半分ほど顔を出してこちらを凝視していた。いや、多分私と鈴ちゃんを見ているわけではないだろう。


「…わかった。今度、琴美とデートするもん。」


  そう言って私から離れ逃げしようと鈴ちゃんだが、私は逃げる鈴ちゃんの手を握る。「まだ何かする気か?」と愛ちゃんが気だるげに話しているが、愛ちゃんにも責任はある。


「二人とも、私の誕生日を祝う前に、まず鈴ちゃんの鞄の中身をどうにかしなさい。それまでは祝うの禁止!」

「「え、だって…。」」

「だってじゃない!!」


  キスをした動揺とサプライズを考えてくれたことに対しての嬉しさが混ざり合った結果、私は少し怒り口調で二人を叱りつけた。けれど心は正直で、片付けている二人を見ながらいつの間にか、私は笑顔になっていた。

  その後、私たちはボックス席に戻り、ドーナツでの私の誕生日会が始まった。最初の会話は「何で誕生日のことを忘れていたのか」という愛ちゃんからの質問であったが、私は三人が来る前に話したこと全てを偽りなく話してあげた。

  そして、私の奥底にあった死んでいた感情に色が付いたことを、今を楽しんでいる私は気づいていなかった。


 

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