それぞれの道Ⅱ
本来始業式があった翌日、前日とは打って変わって空は雲一つない青空であった。だが脇道には除雪作業で集まった雪が残っていたり、立ち往生した車が無人で残っており交通網が麻痺していたりと、未だ大雪の爪痕は残ったままである。
しかし、悪いことばかりではない。学校近くの商店街は小学生の通学路となっており、その道先には雪でできた足跡が点々と続いていたり、小さな雪だるまがあったりと和やかな光景を目の当たりにした。
そんなあまり見れない世界を見ながら、私と鈴ちゃんは並んで学校へと足を向けていた。
「まだ雪溶けてないね、鈴ちゃん。」
新年に入って四度目の外出となるが、電車から出て五分。寒さに耐えきれず暖房が恋しくなった私は、防寒としてマフラーを鼻の下辺りまで上げていた。ニット帽も被ろうとしたのだが、「ダサい」と鈴ちゃんに言われ、髪は少しボサっとなっている。祖母から作ってもらったニット帽は愛着があったため、「ダサい」と言われたときはかなりショックであった。
「いいじゃん雪。私は大好きだよ。でも、出来れば夏に降ってほしいかなぁ。溶けないように冷凍庫とか保存して…。」
「かき氷にして食べるんでしょ?お腹壊すのが見えてるから止めてよ。」
「大丈夫っ。壊さない程度に食べるからさ。」
「そういう問題じゃなくて…。」
これ以上私が止めに入っても、鈴ちゃんは多分雪をかき氷のように食べるだろう。夏に降ればの話だが。
小さくため息をついた私とは反対に、鈴ちゃんは何やらニヤニヤしながら考え事をしている。雪を食べている情景でも思い浮かべているのだろう。
ー相変わらず、鈴ちゃんはぶれないな。ー
微笑んだ私は、ガードレール近くの電話ボックスのそばにある二匹の雪ウサギを目にした。この辺りは温暖な気候が特徴のため、雪が降っても積もることはほとんどない。雪ウサギの形が歪なのはそのせいであるが、丹精込めて作ったことには間違いない。
いつだろうか。小学生の頃、今日と同じような勢いの雪が降ったことがあった。その時徹君とあの人で作た雪ウサギのことをまだ覚えている。三人とも形が歪で、徹君に限ってはもはや雪ウサギとは程遠い異様な生物と化していた。
ー今思えば、良い思い出だな。確か徹君。あの後拗ねて大量の小型雪だるま生産したっけ。通行人の邪魔になっていたな。ー
ボーッと昔のことを思い出しクスリと笑った私は、鈴ちゃんがしゃがみこんでいることに気付く。雪を手のひらサイズの大きさに固めており、本当に食べるつもりでいるのかと心配になる。
「鈴ちゃん。汚いしお腹壊すから食べるなんて止めて。」
私の言葉に上を向いた鈴ちゃんは、とても不思議そうにこちらを見つめていた。おかしいと思った私は鈴ちゃんの手元を見ると、手には可愛らしい雪ウサギが作られていた。
「食べないよ、可哀想だし。」
鈴ちゃんはムッとした目付きで私を睨むと、ペタペタと形を整えていった。鈴ちゃんには申し訳ないが、空腹を満たすため雪ウサギを作ったのではと、手元の雪ウサギを見た瞬間思ってしまった。残忍だなと思っていた私だが、鈴ちゃんよりも私の方が残忍である。
「…それにしても、鈴ちゃん作るの上手いね。転校先は雪の多い所だったりする?」
鈴ちゃんの横に並んでしゃがんだ私の問いに、鈴ちゃんは少し小難しい表情をしながら雪ウサギを作成し続けた。
鈴ちゃんが越してからもうじき一年が経つ。鈴ちゃんからは転校先での話よく聞いたが、鈴ちゃんの転校先は未だ話してくれない。アリスちゃんや香奈ちゃんに聞けば一発なのだが、それは何か悪い気がしたため、結局聞けずじまいであった。
「…ううん、ほとんど降ってなかった。けど毎年十二月にね、親戚の家に遊びに行ったんだ。親戚が青森…じゃなくて秋田に住んでいるから、雪がよく積もってたんだ。咲ちゃんとか優乃ちゃんとも、こうして作ってたっけ。」
鈴ちゃんが口にする咲ちゃんと優乃ちゃんは、遠い親戚の家の近所の子供だ。親戚の話をする際は、高確率で二人の名は会話に出てくるぐらい、鈴ちゃんは二人と仲が良かったらしい。
だがやはり、鈴ちゃんの口からは転校先の場所についての話はなかった。一体、鈴ちゃんの転校先の土地はどんなものか、それを知るのは本人とアリスちゃん、それに香奈ちゃんぐらいであった。
完成し終えた雪ウサギを携帯で撮った鈴ちゃんは、電話ボックスの側にある二匹の雪ウサギに並べるようにソッと置き、「可愛いね」とまた写真を撮り始めた。
歪な二匹と完璧な一匹。それは紛れもなくあの人との関係のようで、あまり気持ちのよいものではなかった私は、「遅刻するから」と適当な理由を付けて立ち上がり、足を再び動かし始めた。
「待ってよ」と鈴ちゃんが腕に抱きついてきた時、ふと雪ウサギに視線がいってしまう。だがそこには歪な二匹しかおらず、完璧な一匹はカラスに壊されていた。
それがあの日起こることの予兆だったのだろう。この数か月後、私は大きな壁に当たってしまうこととなる。
そんな事態が起こるなど知らない私は、鈴ちゃんに腕を抱きしめられた状態で靴箱の辺りまでやって来た。いつものことなのだが、私と鈴ちゃんを見る周りの視線は多く、私は鈴ちゃんを腕から引き離した。
彼女たちが私と鈴ちゃんの関係を知っているわけではない。私と鈴ちゃんがあまりにも仲が良すぎるのが原因なのだ。
冬季補習があったある下校時、私が晩御飯の材料を買いに商店街に寄り道していた際に小耳に挟んだのだ。
「一年の柊と多田って子。スキンシップが激しすぎない?」
そう話していたのは文化祭実行委員でまとめ役であった二年生で、私の苦手なタイプの先輩であった。私たちは付き合っているのではと思っていたらしい彼女はそう口にしたのだが、周りにいた他の人たちがそれを否定したため、その場は治まった。
だがそれ以来、同じ制服を着た人からの視線が増えたのだ。冬季補習合わせまだ三日しか登校していないものの、校内で噂になってしまっている。鈴ちゃんはあの場にいなかったので気になって無さそうなのだが、日が経つにつれその視線は増えている。気付くのはそう遅くないはずだろう。
ーもし鈴ちゃんがそれを知ってしまえば、絶対に何かしら変なことが起きる。そうなれば確実に、鈴ちゃんは私たちの関係を暴露する…。そうなったら、あの時みたいに私は…。ー
「おーい琴美ぃ、起きてる?」
顔を寄せた鈴ちゃんはふぅーっと鼻に息をかけてきた。肌を刺すような冬風とは違い、鈴ちゃんの吐息は温かく、どこか安心するような。そんな心地のよい風であった。
「ごめん、少し考え事。」と鈴ちゃんに爽やかな顔で対応する。それに鈴ちゃんはドキッとしたのか、頬を桜色に染め上げ「へぇ、そうなんだぁ」とわざとらしい口調で返事をした。おそらく、照れ隠しをしているのだろう。
ー鈴ちゃん、私と違って嘘下手だもんね。私もこのぐらい下手だったらあんなこと、きっと起きて無かったよ。なんで私は…。ー
「おっはよぉ、琴美ぃ!二週間ぶりだな!」
また一人の世界に入り込みかけた時、後ろから二葉愛ちゃんが勢いよく抱きついてきた。少々汗臭いのは、朝練があったからだろう。
「おはよう、愛ちゃん。相変わらず、元気ね。」
「元気が私の取り柄だからな。私から元気を除ければ、私の存在意義なんて無いに等しいし。」
何故そうと言い切れるのか不思議であるが、愛ちゃんの言葉に苦笑い気味で返事をした。
愛ちゃんが私から離れ、「んっ!」と声を出しながら伸びをした。冬だというのにノースリーブの練習服を着用しており、見ているこちらが寒気を感じる。
「よくそんな薄着で風邪引かないよね、愛ちゃん。私なら、風邪ひいて寝込んじゃいそう。」
私が教室へと足を向けると、それに連れて鈴ちゃんと愛ちゃんが後をつける。私が従えているみたいで嫌なのだが、彼女たちが私がそんな考えをしていることなど知るはずがない。
もし彼女たちが私の考えを理解しているのだとすれば、翌日には世界が滅びるだろう。
「ついさっき練習終わったし、まだ身体は熱々だからな。しばらくはこの姿でも大丈夫だろ。…まぁ、舞にこの姿見られた、絶対に怒られるんだけど…。」
最初は勢いよく話した愛ちゃんだが、後半は髪の毛をくしゃくしゃにしながら、少し嫌そうに話した。
「それは舞ちゃんの愛だよ。愛ちゃんも、心配かけないようにちゃんとしないと。」
「それはわかってる。…けど、舞が怒る姿可愛いからよ、見たいっていうか…。」
愛ちゃんらしからぬ台詞を吐いたと思えば、振り返れば少々恥ずかしそうに頬を指先で掻く愛ちゃんの姿が目に入った。
愛ちゃんが舞ちゃんのことを話すとき、いつも笑い話をしているかのように話してくれる。深刻な話をすることもしばしばあるが、それでも照れたような表情で話すことはなかった。
それを何故か怖いと感じる私は、やはりおかしいのだろうか。胸に感じる違和感は、鈴ちゃんのことを考えている時と同じ感覚であった。
「…そういえば、舞ちゃんはお休み?」
マフラーを口元から少し離した私は、愛ちゃんに問いかける。だが、肩にかけていたタオルで顔を拭いた愛ちゃんは大きく首を横に振った。
「私は朝練だったから登校早かったから一緒には来ていない。…このくらいの時間だったら、そろそろ登校してきてもおかしく無いけど…っと。噂をすれば何やらみたいだな。」
ニヤニヤしながら正門の方に目線を向ける愛ちゃんの先には、きっちりと校則通りにブレザーを着こなしている舞ちゃんがパタパタと音をたてながら走ってきた。
「舞ぃ!あと十秒以内にここまでこれたら、明日一緒に登校する権利を与えよう。」
足の遅い舞ちゃんに何たる所業だと思ったのだが、その一声で活気付いたのか、舞ちゃんは全速力でこちらへと向かってきた。その時間、約八秒。
「おぉ舞、よく頑張ったな。約束通り、明日一緒に登校する権利を舞に与え…。」
「お姉ちゃん、またそんな薄い格好で。それで風邪こじらせても、私、お世話しないよ。」
どうやら舞ちゃんは登校を共にする権利よりも、姉の体の心配をしていたらしく、舞ちゃんは息を整える間もなく、母親のように愛ちゃんを叱りつけた。しかし、怒られている愛ちゃんは一切反省の色を示していない。怒っている側としては、この行為ほどムカつくものはない。
そう、目の前でのほほんとしている鈴ちゃんに言ってやりたかった。
「お姉ちゃんは薄着のくせに、こう寒い寒い言って…。少しは厚着しようと思わないの?大体、お姉ちゃんはいつも…。」
愛ちゃんを説教する舞ちゃんは、ようやく私と鈴ちゃんがいることに気づき、思わず硬直してしまった。その数秒後、舞ちゃんは茹で上がったように顔を真っ赤にし、金魚うのように口をパクパクとさせた。
「おおおおおお二人とも、いいいいいらっしゃったのですか?」
慌てて動揺している舞ちゃんは、壊れた機械のようにカクカクと靴箱の取っ手を手にする。緊張で何かを握る癖は、姉妹揃って同じである。
「おはよう、舞ちゃん。相変わらずお姉ちゃん顔だね。」
「おい琴美。それはどういうことだよ。」
「そのままの意味です。さて、早く教室に行こっか、鈴ちゃん。」
言い逃れするように、私は鈴ちゃんの手を握り廊下を歩き始めた。二週間ぶりとはいえ、暖房の効いていない廊下は寒く、ニーハイを履いていても外と気温があまり変わらない。
「何だよったく…。ほら、舞も行くぞ。」
「ちょっとお姉ちゃん。その格好で教室に入るつもり?私も部室行くから着替えて。」
後ろから仲の良い姉妹の会話が聞こえ、気になった私は振り返るが、その時には既に二人の姿は見えなくなっていた。
「…ねぇ琴美。ちょっといい?」
二人がいた場所をボーッと見つめる私に、鈴ちゃんは話しかけながら握りしめる手の力を少しだけ強めた。
「どうしたの、鈴ちゃん?」
反応が一テンポ遅れ、裏声気味に返事をする。それを耳にしキョトンとしている鈴ちゃんの顔を見れば、羞恥で顔が熱くなる。
それに追い打ちをかけるように、鈴ちゃんは近くのトイレへと私を連れて行き、私の胸に顔を埋めた。もはや何が起こっているのかさっぱりで、私の脳内はほとんど真っ白であった。
「…私と一緒のときより、琴美、楽しそうにしてた。…私のこと、飽きたりした?」
「そんなことないよ、うん。鈴ちゃんといる方が楽しいよ。」
元気がない鈴ちゃんはしょんぼりとした表情で、私が握る手の指先に鈴ちゃんの指先を絡ましてくる。所謂、恋人繋ぎというものだ。鈴ちゃんの指先が冷たいのは、今日手袋を忘れて登校してきたためで、手袋を付け登校した私の指先との温度差が歴然である。
「それにね、鈴ちゃんのこも飽きたりなんてしないよ。毎日毎日違うことで私を怒らせて、語彙力が上がっていくばっかりだよ。」
「それって飽きる飽きないの問題じゃないよね。しかもちょっと、私の迷惑を楽しんでるよね。」
「あはは、確かに。でもね、鈴ちゃんのこと片時も忘れたことないよ。…って、何か聞いたことある台詞のような気がするんだけど。」
苦笑いを見せた私は、握りしめている手とは反対の手を同じように絡めた。変わらぬ冷たい指先に、瞬間背筋が寒くなる。
あと、頭を胸に埋めたまま大きな声を出すのは止めてほしいものだ。
「なら琴美、それを証明する証としてキスを…。」
「しません。それに、トイレでキス何て雰囲気型崩れじゃない。」
等と私は言っているが、体育大会中にトイレにてキスをした覚えが脳にこびりついている。わりと濃厚なキスを…。
「…家に帰ったら、好きなだけしてあげるから。学校では我慢して。」
そっぽを向いて独り言のように呟く私を、胸から顔を出した鈴ちゃんは目を輝かしてこちらを見ていた。
新年に入り、私と鈴ちゃんの間で誓約した「一週間に一度キスをする」という内容を少し緩め、「一週間に一日だけキスをする」に変更した。要するに、一週間に一日だけ何度もキスができるというわけだ。
勿論鈴ちゃんは大喜びで、一週間に一日、鈴ちゃんはあり得ないほどキスをするようになった。少々やり過ぎたように感じたが、誓約を変えようと言ったのは私のため、後戻りはできなかった。
それなら何故誓約を変えたのか。鈴ちゃんとキスがしたくてたまらなくなった、とか鈴ちゃんがキスを強要してくるからとかではない。徹君と出掛けたあの日以降、鈴ちゃんに対する愛という名の信頼が増したからである。
信頼が増せば、誰とでもキスをするみたいな言い方であるが、私がキスをするのは後にも鈴ちゃんただ一人である。
「…わかったら行くよ。あと数分以内に教室に入っておかないと、遅刻扱いになるし。」
「…うん!」
目の前の鈴ちゃんは悄気た鈴ちゃんなどでなく、満足そうな笑みで笑う鈴ちゃんであった。
元気よく返事をした鈴ちゃんは、私が歩くよりも先に私の手を引いて歩き始めた。まだ指は絡めているが、その指先は熱く少々汗ばんでいた。
…ふと思ったとがある。先程体育大会のこと思い出したのが原因といっても過言じゃないだろう。
ー病気じゃない、ただのパニック障害なの。ー
急に鈴ちゃんの調子が悪くなったとき、鈴ちゃんが発した言葉だ。あの時のことは未だに覚えており、それが気がかりで眠っている鈴ちゃんの部屋に入り様子を確認しているのが習慣となっていた。だからこそ言えるのだが、私は鈴ちゃんが嘘を付いているようにしか見えなかった。
体育大会以来、鈴ちゃんが調子を崩すことはあったものの、それがパニック障害であるとは思えなかった。「病気じゃない」と鈴ちゃんは言うけれど、それは紛れもなく嘘だろう。
しかし、持病があるとは言い切れない。鈴ちゃんの症状はある時はめまい、またある時は局部が痛いなどと様々である。また、鈴ちゃんが体調を崩す周期はバラバラで、ここ二ヶ月は安定している。
調べた結果、生理不順なのではという説が濃厚だったものの、それが生理だけの症状だとは私は思っていない。だが、そうであることを私は願っている。もし、何かしらの重病だとすれば、私は今度こそ鈴ちゃんと離れ離れになってしまう。積み上げてきた関係が再び失ってしまう…。
ー鈴ちゃん。本当に大丈夫なんだよね。きっと、生理が不順なだけだよね。もう、離れたりなんてしないよね。ー
不安を二人で胸に抱いたまま、私は鈴ちゃん共に教室へと入っていった。




