Thinking of you with love at Christmas.
貴女が教えてくれたお店は隣町であったが、見た目は勿論味も想像を絶するほど美味であり、窓から見える夜景もとても美しいものであった。
「ここのお店良いでしょ。今度また来ようね。」と貴女は無邪気に笑いながら、そう私を誘ってくれた。「そうね。」と私は返したが、別に行かなくても構わない。どれだけ美味しい食べ物でも、どれだけ美しい夜景でも、今目の前にいる貴女以上に価値のある物なんてない。
場所なんて関係ない、お金なんて関係ない。今貴女と入れるだけで、私は充分幸せだから…。
電車を使って帰らなかったのは、アリスを一般の人から守るためでもあり、人酔いする私の私情のためでもある。
これら二つは守れたものの、聖夜ともなると道路は混雑しており、結局私の住むマンションに着いたのは日が変わる三十分ほど前であった。途中でレンタルビデオに寄ら無ければ、もう少し早く帰ってこれたのだが。
玄関を開けたその先は、山奥の洞窟のように暗かったが、何故だか二人で「ただいま」と声を揃え暗い廊下を歩いていく。
リビングの電気を点けると、アリスは「うわっ」と目を隠す。急な光だ。仕方ない。
鞄をテーブルに下ろしコートを脱ぎ一旦椅子に掛けておき、湯はりのボタンを一押し。その間、アリスは如何にも高そうな白のコートをソファーにぽいっと置き、ベランダに干してある私の服を取り込んでくれた。私の家で泊まる際の恒例行事である。
その様子を確認し、私は椅子にかけたコートを手にし自室に戻る。コートはクローゼットにしまい、服を脱ぐと大きめのグレーのティーシャツワンピを着る。
そして今日着た服を持ち自室から洗面所へと直行。洗濯用ネットに服を入れ洗濯機に入れ、私はリビングへと戻ってきた。そこには、テレビを付けたままうたた寝しているアリスがいた。
「アリス、そんなところで寝ていたら風邪引くよ。」
そう声をかけようと近寄るが、あどけない寝顔の前ではそんな言葉は出なかった。
「…はぁ。本っ当、自分勝手なんだから。風邪なんて引いたらどうするのよ。幸い明日は日曜だけど、普通なら終業式なんだから全く。中三のゴールデンウィーク前日に浴槽で寝て風邪ひいたの覚えてないの。私の自宅で。」
愚痴を溢した私だが、しばらくアリスを見ている内に、いつの間にか、私の口から愚痴は出なくなっていた。
ー良い顔で寝て、そんなにいい夢でも見ているの?私以外の人が出ていたら承知しないんだから。ー
ムスッと片頬を膨らませると何故だか無性にイライラしたため、私はソファーに座りアリスの左横にピッタリと引っ付く。
服の上からではアリスの肌の温かさは感じ取れない。けれど密着状態のおかげで、アリスの寝息が聞こえてくる。アリスの膝上にあるテレビリモコンで消音に設定すれば、更に寝息が大きく聞こえてくる。
ー顔には出さないけど、アリスは相当疲れているんだろな。毎日演技の練習に学校の勉強、それに私。あまり休めていないんだろな。ー
よだれが垂れかけているアリスの横顔を眺めつつ、私は唇をほころばせる。今なお人気上昇中であるアリスの寝顔を見れるのは、やはり恋人である私だけの特権だろう。
ふふっとつい声を出してしまった私に反応したのか、アリスはバランスを崩しそのまま私の膝の上に倒れた。垂れかけのよだれが私の太ももに垂れる。
「ちょっとアリス、汚い。拭きたいから少しのいてよ。」
私はユサユサとアリスを揺らすと、「う~ん…。」と眠気の残った声を出しながらゆっくりと目を開く。
「…ふぇ。かなぁ。えへへ。」
まだ眠そうなアリスはニコニコとしながら、私を抱きしめるかのように両腕を開く。その発言といい表情といい、理性が飛びそうだったのだが、頬に光る一筋のよだれが理性を呼び戻す。
「えへへ…じゃない。よだれ垂れたんだから、そこのティッシュ取って。そのぐらいはやってよね。」
私はローテーブルに置いてあるティッシュ箱に指を指す。私の位置からでは少し距離が足りないが、アリスの位置からだとギリギリ届く。
とろんとした目付きで何やら考え始めたアリスは、その十秒後、何かを思い付いたような表情を私に見せる。
「どうしたのアリス。早くティッシュ取ってよ。それとも、ポケットにティッシュがあるみたいなこと思い出したの。どちらにせよ、早くし…。」
私が言い切る前にアリスはごろんと顔を膝に向けると、よだれが垂れたところをペロペロと舐め始めた。その姿はまさに仔犬である。こんなことを、前にも思ったことがあるが、それがいつかは明確でない。
と、今はそんなところではない。
「アリス!?ちょっと止めて、くすぐったい。くすぐったいから。」
どれだけ私が言っても、アリスは止めることなく舐め続ける。舌先が触れる瞬間が一番感じてしまい、その度に私は変な気持ちにしてしまう。感じたことないような感覚なのだが、その変な感覚が妙に私の心を満たしてくれる。
ー何これ…。こ、こんなの、私、おかしくなったみたい、じゃん。今感じているこの気持ちっぃ!ーーっ、…ん。そういうこと、じゃない。ー
声をグッと堪えている内に、アリスは舌で掬うように太ももを舐めると満足したらしく、体を起こして甘えるように頬を私の頬に引っ付けると、猫のようにスリスリと頬を擦り付ける。
「うへへぇ。かなぁのほっぺた、めっちゃ柔らかぁい。へへ。」
酒で酔ったかのような振る舞いをするアリスだが、決してアルコール飲料を飲んでいるわけではない。
アリスは目覚めてから数十分の間、高確率で酔ったように私にデレデレになる。アリスらしからぬ発言をしたり、スキンシップが過剰になったりと影響は様々であり、その度に私は迷惑をかけられているわけだ。
勿論、酔わないときもある。前にホテルで泊まった時は酔わなかったはずだ。あまり覚えていない内容があるが。
「アリス、何かおじさんみたい。」
「おじさんでいいよぉ。この柔らかいほっぺたを堪能できるのならぁ、へへぇ。」
「…もう。止めなさい。」
アリスの酔いは数十分ほどで治まるのだが、この道十年以上の付き合いがある私には、酔いが治まる前に治めることができる。
方法は幾つかあるのだが、私は今回、「ちょっぴり強めの刺激」を与えることにした。
アリスの肩から少し距離をおくと、アリスの額に右手で少し強くチョップを与える。額がほんのり赤くなっていれば、アリスは起きるはずだ。
サッと右手を戻した額は、肉眼でギリギリ見えるぐらい赤くなっていた。
ーよし、赤い。ー
とは言え、十年以上の付き合いでも、アリスが思う「ちょっぴり強めの刺激」は未だ分かりにくく、額が赤くなったとしても、酔いが覚めないこともある。
「痛ぁいっ」と随分と間抜けな声を出しながら、アリスはソファーにバタンと倒れ込む。役者魂が残っているらしく、倒れ方も死んだような倒れ方をする。昔は毎度のごとく心配していたが、今となってはごく普通なこととなっていた。
「…はっ。私今、死んでた?」
しばらく倒れていたアリスは急に起き上がり、自身の状況に少々取り乱している。アリス自身、酔っている間の記憶は全くなく、目覚めてからの数十分の記憶は一つもないと言っていた。
つまりアリスは、気がついたら目が覚めているという不思議な感覚をよく体験している。
「死んでない。寝て酔っていたから起こしてあげただけ。…全く、世話が焼けるんだから。」
頭を掻きながらめんどくさそうに話す私に、アリスはムッと唇を尖らせる。ドラマで見る表情以上に生で見ると可愛さが増していて、その唇に触れたいなどと変な考えが頭の中を過る。
ごくりと唾を呑み込んだ私だが、駄目だと自身に言い聞かせ、いつもならば眼鏡が飛ぶぐらいの勢いで首を大きく横に振る。
「急に頭振ってどうしたの、香奈?さては、私でエロい妄想でもしていたのかな、ん?」
尖らせた唇を横に広げて笑うアリスの考えは的中しており、私は返す言葉が見つからず、その場で耳まで赤く染めて固まってしまう。
「…もしかして香奈。本当にエロいこと考えていたの、私で?」
アリスの質問に曖昧に私は頷く。恋人の目の前で変な妄想をして、それを本人に悟られてしまう。そんな失態を犯した私は、今すぐ首をつって死んでしまいたい気分になり、片目から涙がポロリとこぼれ落ちる。
「えっ、あっ、べ、別に泣くことないじゃん。何かこれじゃ、私が泣かしたみたいじゃない。」
「な、泣いてない。目にゴミが入っただけ。」
変に強がる私は涙を拭うが、ポロポロと涙が流れる。ここに来て我慢していた涙が一気に出ているのだろう。
アリスが私の元に来た際、正直なところ、私は泣き出しそうになっていた。顔を伏せたのは、何としてでも耐えていたためで、いつ涙が溢れても可笑しくない状況であった。
「…香奈。」
心配そうに私を見つめているアリスは、私の涙を拭ってくれる。指先が肌に触れた時は何をされるか分からず恐怖で目を瞑ってしまったが、その必要はなかったらしい。
「香奈の泣き顔は珍しいから、そりゃぁ写真に収めて香奈アルバムを潤したいよ。けどね、香奈には泣き顔、似合わないかな。」
「…アリス?」
「香奈はね、ほら、感情を表に出すのが苦手じゃん。だから、泣き顔もレアなの。けど、悲しい顔は似合わない。たまに見せる笑顔こそ香奈らしいから、泣かずに笑ってよ、ね?」
にこりと笑顔を見せたアリスは、そう言って若干震えている私の唇に軽くキスをした。触れてすぐ唇は離れたが、アリスの唇の感触がわずかに残っている。
「アリ…。違ぅ。悲しくて、な、泣いてるわけじゃない。う、嬉しいの。アリス、に、会えて。」
途切れ途切れの私の声を、アリスはうんうんと頷いてくれた。ただ頷いているだけなのだが、アリスはちゃんと聞いているのだろう。その姿は実家の祖母のようだった。
「…そっか。香奈は私に会えて嬉しいのか、可愛い奴め、可愛い奴め。」
私の頬を伸ばしながら、アリスは私をいじるような口調で「可愛い奴め。」と連呼し始めた。最初は頬を伸ばされた痛みが強かったが、次第に全身の熱くなるのと同時に痛みはふっ飛んでいった。
「ありしゅ、ひぃたひ、ひぃたひほぉ。」
「知ってる。でも、今の顔、相当可愛いよ。携帯のロック画面にしたいぐらい。」
「ふぇんふぁい。」
「そうだよぉ。私は変態だよぉ。女の子限定だけどね。」
聞き取りにくいはずの言葉を理解できるのは、さすが長年の付き合いとでも言おう。
「嬉しいなら泣かない。泣きながら迎えられても困るからね。香奈は笑顔が一番だよ。」
「そ、そんなことない…。私、アリスにすらどう笑っていいかわからない。私の笑顔なん…。」
「香奈は優しい笑顔をしているよ。どれだけ香奈が否定しても、私はその笑顔が大好きだよ。」
その言葉が胸に刺さった私の目頭が再び熱くなるのを感じると、私はアリスを強く抱き締めた。
「ありじゅぅ、あびがどぉ。わだじも大好きだぼ。」
「だから、嬉しいなら泣かないの。笑って、香奈。」
一旦アリスから離れ目の周りの涙を手で拭き取ると、私は大きく息を吸ってからアリスに笑顔を向けた。
「私も、アリスのこと大好きだよ。」
言い終えた私は、再びアリスの細い体を強く抱き締めた。
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「ところで何だけど。さっき、香奈アルバムとか話していたけど、何それ?」
アリスに抱きついたままかれこれ二分ほど経ったのだが、未だ離れる気はない。
「あぁそれね。私の携帯の写真フォルダ名。正確には、香奈学校生活版、香奈プライベート版とかかな。あと寝顔とか食事中とか色々合わせたら、多分写真集五つぐらいは出来ると思うよ。」
アリスは満面の笑みを浮かべるが、その写真の大半が盗撮であることは間違いない。私の了承を得て撮った写真など、ほんの数枚程度だ。
「今すぐに消して。じゃないと、このまま絞め殺す。」
アリスの体に巻いている腕をアリスの首に動かし、そのまま首を絞める。勿論冗談のため、手加減はしているのだが。
「別に携帯の写真データ消しても、自宅に保存してあるメモリーカードがあるからね。ちなみに、そのうちの一つには、香奈の恥ずかしい姿がわんさかと…。」
「今すぐ絞め殺してやる、この盗撮魔が。」
お風呂場からお湯が溜まった音が聞こえるなか、私はアリスの首を手加減なしで思いっきり絞めてやった。しかし、アリスは抵抗することなく嬉しがっており、呆れた私はそのままソファーに押し倒してやった。
その後は…色々と凄かった。
終業式が終わった後、私はアリスが住む家にお邪魔しメモリーカードを没収しようとしたが、いざメモリーカードを奪おうとすると、アリスの部屋のテーブルの上にはあり得ない数のメモリーカードがいくつも積み重なっており、それが約十セットほど置いてあった。
アリス曰く、「そこのメモリーカードの九割が私の写真」らしい。
ちなみに、そのメモリーカードの容量は全て十六ギガであったことは、私が数枚家に持って帰る途中で気が付いたのだった。




