変わらない過去、変える今 Ⅴ
私がまだパスタを食べているなか、私の前にいる彼は何度も何度もあの人宛にメールを送り続けている。つい五分前ほどからやっているのだが、進展する様子は一切感じられない。彼の弱々しいため息がその証である。
「何で返事がないんだよ、あの人は。携帯故障しているのか。」
彼の独り言は人一倍声が小さく、他人には聞き取りにくいのが特徴。しかし、長年聞いてきた私には、聞き取るなど容易いものだ。
「故障ではないと思う。君からメールアドレスを貰った日から、私は毎日のようにメールを送っているの。携帯が故障して修理に出したとしても、一ヶ月も音信不通になるわけがない。」
「…かなり迷惑だぞ、それ。」
彼は引き気味の反応を見せるが、予想の範囲内である。私自身も迷惑だとは元から分かっているが、あの人といち早く話したい気持ちを制御することができなかった。
パスタを食べ終えると、セットとして付いてあったブリュレを味わった。
「そういえば、君はあの人と同じ高校だったよね。何か理由とか知らないの。」
「高校に入学したものの、週一程度しか関わっていないから、これと言った理由はわからないな。」
彼はそう言い、コップの水を飲みきった。ちなみに、これで四杯目になる。
「ただ、数ヵ月前に留年したと本人の口から聞いた。もしかすれば、去年同じクラスメートにいじめられて、それで引きこもったのかもしれない。」
「あの人に限ってそんなことわない。って、留年したってホントなの?」
私の問いに、彼は「やらかした」といった表情をしていた。どうやら、私には内緒にしていたからだろう。彼が彼自信のことについて私に隠し事をすることはない。けれど、あの人のこととなると、彼は少しだけ隠し事をしている。その内容が、例えどんなことでも。
私の険しい表情に、彼は小さく息を吐く。そして数秒目を閉じると、彼はゆっくりと瞼を開けた。
「高校に入学した翌日、俺はあいつに会うために三年生の教室に行ったんだ。けど、あいつの姿は三年の全クラス探してもいなかった。」
七割ほどブリュレを食べたところで私は手を止めると、彼の前にブリュレの入ったココット型の容器をコトンと音を立てて置いた。動機は簡単である。
食べはじめは美味しいと感じていたが、半分をきったところで甘ったるくなっていた。たかだが六十ミリほどの容器に入ったブリュレだが、限界である。
あと嫌がらせではないのだが、カラメルの層は綺麗に私が食べていたため、彼には甘いところしか残っていない。そのぐらい、このブリュレは甘かった。一体、どんな作り方をすればこんなものができるのだろうか、逆に知りたい。
「それでまた翌日、俺はもう一度三年生の教室に向かったんだが、その途中であいつに会ったんだ。」
彼はブリュレの容器を持ち上げ、それをラーメンを食べるため使用していた箸でちょびちょびと口に入れる。スプーンを貸さないのは、私が使用したからだ。どれだけ私と彼の付き合いが長いからといえ、スプーンの貸し借りなどありえない。
無論、彼はすぐに顔を歪め、テーブル上にあるコップの水を飲み干した。激甘ブリュレとガッツリ肉ラーメンを食べているようなものだ、無理もない。
「…二年も見ない間に、あいつは革命的に変貌していてよ。声で何とか認識したが、声がなければ、俺はあいつだとは思わなかったはずだ。そのぐらい、あいつを構成する全ての事柄は変わっていたんだ。」
まだ顔をしかめている彼の発言の意味が、私にはよく理解が出来なかった。あの人を構成するすべてが劇的に変貌。お人好しで優しいかったあの人が変わるとすれば、きっと荒れに荒れていることとなる。
「あの人が変わるなんてことありえない、絶対に。あんなことがあったにも関わらず、私に優しく接してくれたんだよ。百歩譲っても無理。」
「俺だって最初はそう思っていたし信じたくなかった。けれど、これが現実なんだと俺はあいつに告げられたんだ。本人の言うことだ。偽りなんて一つもない。」
彼は何とかしてブリュレを完食し終えると、表情を歪めたまま携帯を開き何やら探し始めた。その間、たまたま通りかかった店員が空いている皿を返品すると言い、私と彼の皿を何処かへと持っていってしまった。フードコートのため自ら容器を返さなければならないので、店員には感謝である。
「っと、あったあった。あいつの全身がわかる写真が一枚だけあるんだが…。見るか。」
彼は携帯を伏せた状態で私の前にソッと置いた。それに触れようとした私だが、あと数センチのところで無意識に手を止めていた。触れかけの指先が、小さく震えている。
その様子に気付いた彼は私の顔を一通り見た後、伏せた携帯を表向けようとする。だが、表になる前に「止めて」と私は声にした。こちらも無意識である。
「…ま、唐突なことだし、元生徒会長が動揺するのも無理はないだろ。俺もそうだったしな。もう少し落ち着いてからでも良いと思う。」
彼は携帯を閉じポケットにしまうと、「悪い、ちょっと用足してくる」と言って退席し、私は一人になってしまった。昔ならば、一人でいる時間を寂しいと思ったことはない。しかし今はその逆で、私は一人でいるこの時間が心細いと感じていた。
「鈴ちゃん…。」
意識なく口から鈴ちゃんの名前が出た途端、無性に鈴ちゃんの声を聞きたいと思ってしまった。何故だかは分からないが、今すぐにでも鈴ちゃんの声を耳にしたいという願望が、私の心を満たしていた。
当分彼は戻ってこないだろうと思い携帯を取り出すと、連絡先の中にある「鈴ちゃん」の欄を一押しし、携帯を耳に当てた。だが直ぐに反応することはなく、私はめげずに何度もコールする。
と、かけ直し四回目で呼び出し音がプツリと切れる。そして鈴ちゃんの声が私の耳の奥にまで入ってきた。
『どうしたの琴美。迷子、痴漢、それとも誘拐?』
何を根拠に変なことを言い出すのかと思ったが、私が家を出た時には、まだ鈴ちゃんは私のベットで爆睡していた。電話越しに聞こえる鈴ちゃんの声は心配そうな声だが、まだ少し眠そうである。多分電話に反応しなかったのは、つい先程まで寝ていたからだろう。まぁ、今日ばかりは多目に見ているので怒りはしない。
「鈴ちゃんは私の保護者なの。けど、大丈夫だよ。心配させてごめんね。」
『ごめんね、じゃないよぉ。目が覚めたら琴美の姿がなかって本当心配したんだからさ。』
「本当にごめんって。でも目覚めたのってついさっきだよね。四回かけ直してやっと出たんだから、ね。」
『あぅ~…。琴美には直ぐにわかるんだね。でも、心配したのは事実だよ。』
「わかってるよ。ありがとうね、こんな私を心配してくれて。」
『な、何今更変なこと言ってるの。私は琴美の恋人なんだよ。心配するなんて当然のことだし。』
恋人と言葉を聞いた私はつい黙ってしまうが、クスっと笑うと再び口を開いた。
「そうだね、恋人なんだし、心配するなんて当たり前だよね。」
私の言葉に、今度は鈴ちゃんが固まってしまった。何となく理由はわかるのだが、まさかこれほど効果があるとまでは思ってもいなかった。
しばらく沈黙した時間が経つと、電話からは鈴ちゃんが何やらボソボソと声を出していた。電話越しだろうか、音しか聞こえてこない。
「…鈴ちゃん。どうしたの、やっぱり怒っているの。」
もちろん、鈴ちゃんが怒っているとは思っていない。きっと鈴ちゃんは、私が恋人であると発言し照れているのだろう。
私と鈴ちゃんは付き合っている。けれど最近、恋人らしいことをしておらず、私自身付き合っているのかどうかわからなくなることがある。それは鈴ちゃんも同じだったのだろう。まぁ、恋人らしい行為など、恋愛漫画等を読まない鈴ちゃんにはわからないことだろうが。
『…ってきてよ。』
携帯から聞こえてきた鈴ちゃんの声はよく聞き取れず、理解した内容は文章の最後のみであった。
「鈴ちゃん。ちょっと聞こえないよ。もう少し声の大きさ上げてくれると嬉しいんだけど。」
コップに口をつけ唇を潤わせている最中、彼がお手洗いから戻ってきた。早いと思ったのだが、彼は男の人である。早いのも当たり前かと、私自身につっこんだ。
耳から携帯を少し離すと、「直ぐに切るから」と口パクで彼に伝える。すると、どうやら理解したような彼は手を横にパタパタと動かす。どうやら「構わない」らしい。
「ありがとう」と笑顔で彼に口パクで伝えると、また耳に携帯を当てた。
『早く帰ってきてよ。その…寂しいからさ。』
私が携帯を耳に当てた同時に、鈴ちゃんの力のない小さな声が耳に入り、瞬時に私の胸はどきついた。しかしこれ以上、動揺した姿を彼の前で晒してはいけないと、私は高鳴る胸の鼓動を気合で抑え込む。無駄な足掻きだが。
何とかして、私は胸の高まりを殺し目を閉じて一息。落ち着いたことを確認し、私は声を出した。
「できるだけ早く帰ってくる。遅くても夕飯作れるぐらいまでには帰れるはずだよ。」
『…本当?』
決して断言できる話ではないのだが、鈴ちゃんの幼く甘えかかるような声の前では、早く帰ってくるとしか言うことができなかった。鈴ちゃんには申し訳ないが、夕飯を作れるような時間には帰宅できないだろう。
『…でもいいの。先輩たちとのお出掛けより私を優先して。』
「あ…。だ、大丈夫。妹の世話をしないといけない、なんて言えば分かってくれるよ。」
今日彼と出会うことは、鈴ちゃんと琴葉には文化祭実行委員なや先輩たちと出掛ける話になっていた。そのことを、先程鈴ちゃんに言われるまですっかり忘れていたのだ。その証拠に、私の発言に少し動揺が混ざっていた。
大丈夫って何が大丈夫なのよ。どれだけ鈴ちゃんがどんくさくても、これは流石にバレるに決まっている。
だが心配はいらなかったらしく、携帯から聞こえた鈴ちゃんの声は『そぉなんだ。』と少し嬉しそうであった。その声に、私は胸を撫で下ろした。
『それじゃぁ、早く帰ってきてね琴美。』
鈴ちゃんはそう言うと、『ちょっと切るの待って。』と言って黙り混んでしまった。四方から聞こえる人の声が、その何とも言えぬ静けさを更に増す。その間が、私を不安にさせた。
「鈴ちゃん」と名前を言おうと口を開けると、電話から何やら小さな音が聞こえてきた。ただその音を表現する言葉を、私は今はまだ所持していない。
「鈴ちゃん。今何を…。」
『朝…し忘れてたから…。今しとこうと思って。』
「し忘れたって、何を…。」
『いってらっしゃいのキス。してないでしょ?』
「なっ…。ちょっとりn…。」
まだ話の途中だというのに、鈴ちゃんは電話を切ってしまい、耳には不通音と人の声しか聞こえてこなかった。かけ直そうとしたが、あんなことをした鈴ちゃんが素直に電話に出てくれるとは考えがたく、大人しく諦めた。
携帯を耳から離すと、周りの声がよりいっそう増して聞こえてくる。しかし、鈴ちゃんのキスした音が脳裏にこびりつき、それを思い出すと、他者の声は消えていた。
「余韻に浸るのもいいけど、早く帰りたいんなら話進めるぞ。」
彼以外は。
「え、な、何でなの。」
動揺を隠しきれず、私はあたふたとしてしまう。そのせいで、手にしていた携帯を思わず地面に落としてしまった。私は急いで拾い上げると、派手な音を立てながら落ちた携帯は傷一つ付いていなかった。私と彼は揃って息を吐いた。
「ったく、危なっかしいな元生徒会長。焦ったときのテンパり具合は、生徒会内でもトップだったもんな。」
「へ、変なことを思い出させないで、馬鹿。」
鈴ちゃんに対しての照れと彼に対しての怒りが混ざり合い、私はこの感覚をどう感情に表せばよいかと思った。そしてそれが、私の苦しみを少しだけ軽くしたように思えた。
とりあえず、彼にはお礼をしなければと、鞄の中からキャンディーを二つほど取り出すと、勢いを殺すことなく彼の顔面に投げつけてやった。




