変わらない過去、変える今 Ⅲ
時間の経過というものはとても早く、気がつけば土曜日となっていた。半開きのカーテンから、朝の日差しが部屋に入り込む。いつもならば、土曜日補習と題した八十分ほどの授業があるはずだったのだが、二ヶ月に一度だけ休みがある。つまり、今日がその日である。
枕元に置いてある携帯を手にすると、日頃の疲れが取れると前日張り切っていた鈴ちゃんが私の部屋に入り込み私の横でスヤスヤと寝ていることに気付いた。私が覚えている幼い頃の鈴ちゃんの寝顔とさほど変わらず、私の心は朝から高まっていた。手にしている携帯で撮りたいが、音で起きてしまうため、私は諦めることにした。
鈴ちゃんを起こさないようゆっくりと起き上がると、踏まないように慎重にベットから出る。途中、謝って携帯を鈴ちゃんのお腹の辺りに落としてしまうが、鈴ちゃんが目覚めることはなかった。
学校が無い土曜日であるにしろ、私は鈴ちゃんを起こしている。しかし、テスト勉強のこともあり、先日まで、鈴ちゃんの平均睡眠時間は三時間である。最近は通常授業を眠らず受けていることもあり、今日ばかりは多目にみることにした。
七時半か…。待ち合わせが十一時だから、十時五分の電車に乗れば間に合うかな。なら、家を九時四十分ぐらいには出なくちゃね。
頭の中で予定を整理した私は、鈴ちゃんを起こさないよう、ゆっくりと部屋を出ていった。
髪にパーマを当て、白のハイネックニットに黒のハイウエストデニム、そしてベージュのチェスターコートを着用した私は、柊琴美ではない誰かになっていた。これにつばの広いハットなど被れば、鈴ちゃんですら私であると認識できないであろう。
実際、被っているのだが。
去年の誕生日、一時出張から戻ってきた父親に買ってもらったが、少々サイズが大きい。すぐに成長するから少し大きくても大丈夫、と父親は言っていたが、これ以上成長されると迷惑である。身体的に。
私は自宅の最寄り駅から電車で三十分近く移動し、その後七分歩いて大型ショッピングモールに着いた。
で現在時刻は十時五十分。私はそのショッピングモールのお手洗いで鏡と睨み合っている。それに至った理由はある。
外はかなりの風が吹いており、髪がボサボサになっていないか、服装は乱れていないかなどとチェックをしているわけだ。しかし、強風で電車が止まらなかったことが、何よりもありがたかった。
鏡の前で一度クルリと回り全体を確認した私は、「よし」とガッツポーズをとり、待ち合わせをする予定のエレベータ近くのお店の前に向かって歩いって向かった。
一分弱歩き、エレベータ近くの雑貨屋の前で足を止めた私は、まだ来ていないことを確認し、雑貨屋に入っていく。こういったお店は今でこそほとんどないが、中学の頃は一人で来ることが多かった。
そんな過去が今では懐かしいくなるのと同じぐらい、まだ私は一人なのだと感じる。友達がいないから一人なのではない、恋人がいないから一人なのではない。
本音を話せる相手がいないから、私は一人のままなのだ。
いつか私は、鈴ちゃん達に嘘偽りなく全てを話さなければならない。そのことについて、私は前々から理解している。
けれど、私が話した前と後で、皆に対する私の存在意義が百八十度逆転すると考えると、私は話すことができない。成績優秀で親近感のある優等生の本当の素顔なんて知れば、私だってその人に対する価値などガラリと変わる。
もちろん、「だからどうしたの?」、「どんな形であっても、私は琴美の友達だよ」と言われることを願っている。しかし、そんな言葉に対する信用など私にはない。
矛盾しているな、私…。今も昔も変わることなくね。矛盾した結果、あんな惨事を招いたのにも関わらず…。本当、馬鹿よね。
アンティーク柄のコースターを四つ手にすると、私はレジに向かって支払いをする。私用と、琴葉用と、母親用。それに鈴ちゃん用である。父親はあまり小物類を好むような性格でないため購入していない。
ありがとうございました、と若い女性が深々と頭を下げると、私も吊られて小さく頭を下げ、もう一人の女性から紙袋を貰い店を後にした。
すると、「あの人綺麗よね。大学生かな?」「あれだけ綺麗ならモデルの人でしょ。」と先程のレジにいた二人が、私について話しているのをたまたま耳にしてしまった。二人には申し訳ないが、大学生でなければモデルでもない。ただの一女子高生である。
…あぁやって人を見かけだけで判断する人、私は苦手だな。
止まっていた足を再び動かし始めた私は店から出て辺りを確認するが、まだやって来ていない。携帯を開け時刻を確認すると共に、相手に向けてメールを二通送信する。女性を待たせるなど、男性としなってはならないと思い、早く来るように送ってある。
ちなみにだが、鈴ちゃんと琴葉には嘘をついている。あの日私は「実行委員の先輩」と二人に伝えたが、実際は違う。正直に言うなれば、私はある男性と会う約束をしていたのだ。話しても構わなかったのだが、琴葉はともかく、鈴ちゃんのリアクションが怖かったため嘘をついたのだ。
結局、鈴ちゃんにもまだ嘘つきっぱなしだな、私。信じてみるなんて、やっぱり嘘なんじゃない。
携帯を握る手に力が入るが、その手を包むように他人の手が私の手に触れた。その手の主に目線をやると、そこには飯塚徹の姿があった。相変わらず、煙草の香りがする。
「来るのが遅いから、来ないんじゃないかと思ってた。」
私は彼の手を振り退け鞄に携帯をしまいこみ、ハットを外し抱きしめるように前にやった。
「仮にも元生徒会長様の呼び出しだ。遅刻はともかく、欠席なんてした日には、翌日の機嫌が悪くなるだろ。…って言っても、元生徒会長からの呼び出しなんて滅多になかったけどな。」
私の手を触れた手で頭を掻きながら、笑顔でそう話した。文化祭に会ったとき、あれほど生徒会長は止めろと言ったが、今はまた戻っている。もう注意する気はない。
彼が言うように私は中学時代、他人を呼び出すことはほとんどなかった。多分片手で数えれるぐらいに。それすらも、私自身の用ではなく、生徒会の仕事の手伝いで呼び出しただけである。
今のところ、文化祭という名目以外ではまだ鈴ちゃんとはデートをしたことがない。つまり、実質他人を私情で呼び出すのは初めてとなる。
「何で君なんかが初めてなのよ…。」
「初めてって何がだよ。」
「…君には関係ない。ほら、早く行くよ。」
小声で言ったはずなのだが、彼の耳には届いていたらしく、私はタイミング良く遣ってきたエレベータに入る。少し反応が遅れた彼も「待てよ」と言うも入ってきた。
私は四と書かれたボタンを押すと、扉が自動で閉まった。エレベータの中はガラガラで、私と彼の二人しかいない。見知らぬ他人でないことが嬉しいが、彼だと思うと話は少し別になる。
「…それで、俺を呼んだ理由は何だよ。元生徒会長直々の呼び出し。普通じゃ考えられないことだからな。」
「つまり、君にとって私は変人だと。」
「変人…とまではいかないが、似たようなものだろ。」
「似たようなもの…。酔狂者みたいな?」
「それはない。」
何故そこまで断言できるかは分からないが、もし私の言葉に異論しなければ、彼の高そうな黒靴の先を踏んでやろうかと思っていた。
後で調べてみたところ、彼が履いている黒靴はかなり高価なもので、踏まなくてよかったと後々安心するのだが、今はまだ知らなかった。
「…わかっているとは思うけど、煙草は今日は止めて。喫煙所に行くのも禁止。でなければ、私から離れて歩いて頂戴。」
「そう言うと思って、今日は所持していない。服だってよ、元生徒会長が嫌がらないように、わざわざ新品揃えてきてるから大丈夫だ。」
私の質問に即答した彼は、これ見よがしに服を整える。確かに、彼がライダースジャケットにニットなど着ているのは以外だと、今日会ったときから思っていた。どちらかというと、彼にはビジュアル系の服装を着ているイメージを抱いている。勝手なイメージだが。
「どうだ、カッコいいだろ?」
そう自信気な笑顔を見せつける彼に言われるも、それを適当に流す。社会は外見を重視するが、彼に至っては外見だけで判断してほしくはない。職場に配属された当日には、きっと警察のお世話になるような人物だ。それは今後も変わらないだろう。
エレベータが四階で止まり扉が開くと、そこには多くの人で賑わっていた。このショッピングモールの四階は若者受けの店が多数存在する。服屋や雑貨屋、文房具専門店。中には怪しげな店までも揃ってある。
「…ねぇ君。今日はこれで解散しない?」
「集まってまだ十分も経ってないぞ。少しは頑張れよ。」
「無理よ。あの中に入れば最後、もう自宅には戻れないわ。」
「どんな迷宮だよ、それ。」
彼は少し笑うと、紙袋を持っていない反対の私の手を握りしめてた。それはとても急で、私は思わず紙袋を彼の顔にぶつけてしまった。中身がコースターなのが唯一の救いだ。
しかし、触れた彼が悪いのだ。こんなことが起きるのなら、重量のあるものを購入しとけばと、私は少し後悔する。
「何勝手に触れてるのよ、変態。今すぐ通報するよ。」
私は携帯を取り出すと、緊急通報ボタンを指で指したまま彼に見せつけた。
「あのな。こんなことで通報されてたら、俺は何回刑務所に入っているんだよ。と言うか、中学の頃は繋いでくれてただろが。」
「中学の頃だって九割方嫌だったの。勝手に人の体に触ってさ。欲求不満なら君の妹さんでも使えばいいのよ。」
「自分の妹に触らせてくれなんて言わないだろ。そもそも、あいつの体はもう見飽きたし触り飽きた。」
「な、何てこと言うの。変態度合いも大概だわ。」
一体何が起これば、そんなこと言えるのか。
「それによ。人混み嫌いだろ、元生徒会長。だからよ、その。少しは楽になるかと…。」
「ーっ、…別に大丈夫です。好意だけ受け取っておきます。」
彼はたまに、顔を真っ赤にして俯くことがある。理由について大まかな見当はつくが、それが何故そのような行動をとるのかは、今でこそわかるものの昔の私には理解するはずもなかった。
私は足を動かすも、後ろでため息を漏らす彼をほっておく気にはなれず、仕方なく彼の左手を握った。
「今日は私ごときのために時間費やしてくれたんでしょ。このぐらいのことでしか出来ないけど、それでも…。」
「構わない。むしろ嬉しすぎて死にそう。」
急に息を吹き返したように反応する彼。そのまま死んでくれても構わない、と言うか死んでほしい。なんて私の口から言えるはずもなかった。
胸を締め付けられるも、彼らしくない笑顔にその締め付けは緩くなる。彼のこの笑顔に、私は幾度となく中学の頃助けられた。それは多分、今後も変わることない事柄であるはずだ。
「…ほら、早く行くよ。年頃の少女の買い物は長いんだからね。」
「少女何て何処にいるんだよ。見当たr…。」
「今すぐ通報しようか、この変態さん。」
私の言葉に返すことことができなかった彼は、渋々と私に連れて歩き始めた。何だかんだ言って、彼も嬉しそうに笑みをこぼしているのだが。
…こんな状況を鈴ちゃんが目の当たりしたら、一体どれだけ怒られるんだろ。きっと、キスでは抑えきれないだろうな。
彼と繋がっている手を見ながら、そんなことを考えていた。




