only dream of you Ⅲ
家に戻ってきた頃には日がかなり落ちており、近くに電灯のない私たちの家の辺りは真っ暗となっていた。標高が高い位置にあるため、平野部よりも気温は低く、また何処からともなく吹く風が私とお姉ちゃんの熱を奪っていた。
「ただいまぁー!!舞、今日の晩御飯は何にするんだ?」
鍵を開けた私よりも先に、お姉ちゃんは家に飛び込むように入り込む。無理もない。お姉ちゃんはダンス衣装のまま帰っており、かなりの薄着である。
「また同じ台詞…。今日はカレーだよ。ニンジン多めの。」
スーパーの袋をお姉ちゃんに渡すと、玄関の鍵を閉め私の靴と散らかっているお姉ちゃんの靴を靴箱にしまいこむ。
「げ…。ニンジン…。」
スーパーの袋を片手で持ったお姉ちゃんは、嫌そうな顔つきで靴をしまう私を見る。
「お姉ちゃんは好き嫌いが多いんだから、ちゃんと食べないとね。」
少し悪戯っぽく言った私に、お姉ちゃんは「この悪魔め…。」と私に聞こえない程度の大きさで呟いた。お姉ちゃんは気づいていないが、私の耳にはちゃんと聞こえていた。「そんなこと言うお姉ちゃんには、カレーの具、ニンジンだけにしますよ。」と言っても良かったが、さすがに可哀想だと思った私の優しさに免じて言わないことにした。
お姉ちゃんからスーパーの袋を貰うと、鞄を置くよりも先にキッチンに向かい、冷蔵庫に入れなければならない食材を次々にしまいこんでいった。明日は日曜日のため学校は休み。そのため、明日の分の食材も買い込んできている。
食材を全て整理し終えると、私は鞄を持って自室に戻る。いつもと変わらない部屋の香りを嗅いだ途端、今日の疲れが一気に身体にのし掛かってきた。このまま寝てしまってもよいのだが、お腹を空かせたお姉ちゃんをほったらかしにしてしまえば、何をしれかすか検討がつかない。
鞄を勉強机の横にかけ、朝テーブルの上に準備しておいた私服に着替え、脱いだ制服を持ったまま再び階段を下り、洗面所にある洗濯機に制服を入れた。その横の風呂場からは、シャワーを浴びているであろうお姉ちゃんの鼻唄が聞こえてきた。
「お姉ちゃん。今からカレー作るから、お湯いれてゆっくりしていていいよ。」
私の言葉に「おうっ!」と返事をしたお姉ちゃんは、また鼻唄を歌い始め、湯はりのボタンを押した音が歌と重なって耳に入ってきた。
そんなお姉ちゃんが可愛らしく、ついクスっと笑った私は、キッチンに戻る間、どんな様子でお姉ちゃんが歌っているのか考えていた。
だがキッチンに着いてから、これはただの妄想であると私は気づき、私自身にため息をついた。
カレーが煮込み終えるとほぼ同時に、お姉ちゃんが寝巻き姿でリビングに現れた。と言っても、無地の黒シャツに中学時代の夏用体操ズボンである。
「お姉ちゃん。ちゃんと髪梳かした?」
私の言葉に一瞬びくつくも、「おう。ちゃんと梳かした。」と嘘をつく。昔からなのだが、お姉ちゃんは髪を梳こうとはしない。それはただ単にめんどくさいのが理由。お互い容姿がほとんど同じであるため、髪だけでもとお姉ちゃんはよく言うが、それ以前に、一人の女性として髪を梳かないのはどうかと思う。
私はコンロの火を落とし、エプロンに付いてあるポケットに常備しまいこんである櫛を取り出すと、リビングのソファに座ったお姉ちゃんに歩み寄る。夏休み明け前に親戚の叔父さんから譲り受けたソファだが、ログハウスの家には合わない赤色をしている。遠慮したものの、ソファの柔らかさの虜になってしまったお姉ちゃんのうっとりとした顔に勝てるはずもなく、結局頂いてしまった。
「ほらお姉ちゃん。髪梳くからじっとしていて。」
ソファの後ろに回り、お姉ちゃんの髪を梳き始めると、お姉ちゃんはリモコンを使いテレビの電源を入れる。山の中とはいえ、ちゃんと電線は繋がっているためインターネットも使用できる。
調度お姉ちゃんがよく見ているバラエティ番組が始まり、お姉ちゃんはそれを見るなりクスクスと笑い始めた。テレビをあまり見ない私には、それのどこが面白いのかさっぱりである。
「お姉ちゃん。笑うのはいいけど、じっとしていて。怪我しても…。」
「大丈夫だって。舞のことだから、そうなる前に何かしら対策するだろうし。」
「そういう問題じゃ…ない。」
私のことを信用していることはわかっている。けれど、危ないものは危ない。対策はするが…。
…そんなことではなく、じっとしてくれなければ困る。お姉ちゃんが動く度、シャンプーの甘い香りが鼻を通り、私をおかしくしそうだったからだ。
生返事をしたお姉ちゃんは、私の言うとおりにじっとしてくれ、私はほっと一息をつき再びお姉ちゃんの髪を梳いていく。
「お姉ちゃんは可愛いんだから、めんどくさいとか言わずにちゃんと髪梳いてよ。」
私の正論に一瞬言葉を詰まらせたお姉ちゃんだが、「んなことねぇし。」と荒れた口調で照れている。
「お姉ちゃんは可愛いよ。口が悪いのはあれだけどね。」
「…それはどうしようもない。」
「どうしようもなくない。ちゃんとした口調になれば、お姉ちゃんはモテモテだよ?」
実際、お姉ちゃんの評価はかなり良い。食いしん坊でよく食べる割りには足や腕は細く、白くて綺麗な肌、極めつけは私より少し短いサラサラとした髪の毛。これだけの物を所持しているお姉ちゃんがモテないわけがないのだ。
「舞は私のこと、いつも可愛い可愛い言ってるけど、双子何だから見た目変わんねぇじゃん。」
お姉ちゃんは照れつつ、私も同類だと言っているが、双子だとしてもお互いの性格や好みなどは百八十度逆である。口よりも先に手が出るようなお姉ちゃん。口すらも出ない私。野菜が嫌いなお姉ちゃん。タンパク質類が嫌いな私。ロックバンドが好きなお姉ちゃん。クラッシックが好きな私…。
どれだけ私とお姉ちゃんが双子だとしても、互いの世界観は違う。よく感じる胸苦しさは、片方の世界が息苦しいだろう。
けれど、私の世界とは反対の世界を見ているお姉ちゃんに、私は好きになった。憧れを越える「恋」としての。
だがわかっている。憧れを越えた私の「恋」は決して報われないことを。そしてそれを壊そうとしても、お姉ちゃんへの憧れがそれを拒む。
つまり、私の恋が終わると同時に、私とお姉ちゃんの関係は「ただの姉妹」となってしまう。
「それに…モテなくても、私にはさ…。その、舞がいるだけで十分だから。」
お姉ちゃんにとって私という人間との関係をどう捉えているのかは、お姉ちゃん以外誰も知らない。「仲が良い双子姉妹」なのか、または「ただの姉妹」なのか。それ以外か。
だから、まだ何もわからない私は前者を選ぶことにした。
お姉ちゃんの照れたような口調に胸が痛くなる。それは苦しいからではなく、嬉しいからだ。
「…そう言ってもらえるだけで、私は嬉しいよ。」
止まっていた手の動きを再び稼動させた。ソファに置いてあるヘアゴムをお姉ちゃんにとってもらい、お姉ちゃんの髪を梳かし終えた私はそれを受け取る。そして、食べるときに邪魔にならないよう、お姉ちゃんの髪をポニーテールに束ねあようとするも、髪質的に出来ないことを思いだし、いつも通りに髪をまとめた。
ヘアゴムを受け取る際、ほんの少しだがお姉ちゃんの指先が私の手に触れた。お風呂から出たばかりのお姉ちゃんのため、その指先はまだ温かかった。そう感じるのは、私が冷え性であることもある。
そして、指先が触れた瞬間、私の心臓の鼓動の音が大きくなり、髪をまとめるまでの間、私の心臓はドキドキしたままであった。
「これでよしっ。髪まとめ終えたから、ご飯にしよ?お姉ちゃん、お腹空いているでしょ。」
心臓の鼓動を殺し、私はいつも通りに声をかけながら櫛をポケットに戻しキッチンに向かう。
コンロの前に立てば、キッチン内からでないとその様子が確認できない。そのため、コンロ前で何かあってたとしても、お姉ちゃんからは何も見えないのだ。
料理中に出しておいたカレーを盛る皿を手にする前に、私は自らの左手を広げ、それを鼻の辺りまで近づけた。周囲からカレーのにおいがするものの、まだお姉ちゃんの髪の香りが残ってある。甘くて優しい香りが。
その香りを吸い込んだ私の身体に、罪悪感とともに高揚感までもが圧し掛かってきた。心拍数が上がるにつれ、冷たい私の身体が次第に熱くなっていく。
「…お姉ちゃん…。」
息が荒くなる寸前に発した独り言だったはずなのだが、タイミング悪く、ちょうどお姉ちゃんがキッチンに入ってきた。
ハッとした私は少々遅れてだが、左手を身体の後ろに隠す。
「き、聞いてた?」
鼓動を無理矢理抑えながら、私はお姉ちゃんに質問する。だが、質問されたお姉ちゃんは「何?」と首を傾げた。どうやら聞かれていなかったらしく、私の心が軽くなった。
「あ、そうだ。」
お姉ちゃんはそう言い、ドタドタと部屋に戻っていった。と思えば、またすぐに部屋からかけ下りてきた。かなり早い戻りなのだが、息づかいは変わっていなかった。
「お姉ちゃん。何そんなに走ってきたの?家に穴が空いても知らないから。」
ご飯をお皿に盛り、カレーをそこにかける動作を二回ほど行った私は、そのうち一皿をお姉ちゃんに渡す。しかし、お姉ちゃんは何故か受け取ろうとしなかった。確かにニンジン多めだが、そんな理由でお姉ちゃんが食べるのを拒否したことはない。
腕が疲れてきたため、一度カレーを台の上に置いた。その際、お姉ちゃんが体を使って何かを隠していることに気づいた。だがそれがどんまものか、あまり思い当たることがない私にはわかるはずもなかった。
私が声を出そうとした時、お姉ちゃんは隠していた菓子パン二つが入りそうなぐらいの大きさの紙袋を、私に突きつけるように渡してきた。
「そのさ。昼のお詫びと盗撮したお詫び。」
先程まで忘れていた昼の記憶が蘇り、私は違う意味で体が熱り始めた。
昼の出来事、それはお姉ちゃんが無断で私の恥ずかしい姿を盗撮し、それを香奈さんに送っていたことだ。
お姉ちゃんがその動機に至ったわけ。それは私が新しい下着を購入し、それがかなり大人っぽいものだった。それを香奈さんに話したところ、証拠はと香奈さんに言われたらしく、結果、穿いているところを写真に納めたわけだ。
つまり、香奈さんも共犯者である。
それを見た私は大声を出したあと、その場で泣きじゃくった。もうお嫁に行けない、何てことを言っていた記憶がある。
その後、お姉ちゃんと香奈さんが協力して泣き止ませたものの、私はしばらく口を閉ざしたまま、お姉ちゃんたちから距離をおいて歩いていた。今思えば、子供みたいな動機である。
「…開けてもいい?」
尋ねる私に頷くお姉ちゃんを確認し、私はその紙袋を受け取った。紙袋の大きさにしては軽く、疑問に思いながらも丁寧に開けた。
中に入っていたのは、私が前々から欲しかった花柄のシュシュが二つ入ってあった。一つは水色、片方はピンク色である。それを見た途端、私は嬉しさのあまり「わっ」と思わず声を出してしまう。
「これ、学校近くの商店街に売ってあるシュシュだよね。何でコレが欲しいって分かったの?」
私の当たり前の回答が出る質問に、当たり前のように「舞の姉なんだから」とお姉ちゃんは返答する。そう返ってくることは百も承知だが、それでも私は質問した。
「お姉ちゃん。ありがとう。私、凄く嬉しい。けど、何で二つも買ったの?」
「だってよ、同じの連日使い続けたら、さすがに飽きるんじゃないかってさ。」
「多分平日は使わないよ。使っても放課後とかだと思うから。」
「は?じゃぁ舞は、今度から髪下ろしたまま登校するのか?」
「いや、いつも通り左に束ねるけど。」
「なら必用じゃねぇか。」
「え?」
「え?」
この時、私は何となくわかってしまった。多分お姉ちゃんは、私が髪を結ぶために買ったのであろう。
だが実際、私の髪質ではシュシュなどほとんど効力を発揮しない。そのため、たまにアリスさんがするような腕にシュシュがしたいがために欲しいと私は思っていたのだ。そのことを、髪を梳かないお姉ちゃんがわかるはずなかった。会話が成り立っていなかったのもそのためであろう。
クエスチョンマークで脳が活動休止になる前に、私はシュシュをどう使うのかをちゃんと話しておいた。
「…気分害した?」
「い、いえ。気分を害するなんてことないから。」
よかったぁと一息ついたお姉ちゃんは、安心しきった顔であった。もはや、昼のお詫びであることを覚えていないだろう。
「なら一個は必要ないな。明日、店に戻って返品でも…。」
「お揃いがいい。」
「ん?」
「お揃いがいいから、返品しないで。」
私自身、何故こんなことを言ったのか覚えていない。けれど多分、これは私の本心だろう。
ポカンと口を開けたまま固まっていたお姉ちゃんだが、口を閉ざし微笑むと、私の頭を撫で始めた。慎重はほとんど変わらないが、若干お姉ちゃんの方が高い。
「…昔から何か買う度に、舞はお揃いがいいって言うよな。」
「うん。だって私、お姉ちゃんのこと…。」
「好き」の一言が私の喉を詰まらせ、声にならなかった。だが、鈍感なお姉ちゃんはそれを悟ったらしく、微笑みから何かを企んだような悪そうな顔になった。
「私も、舞のこと大好き。すっごく愛しているよ。」
そう頭を撫でながら言い、お姉ちゃんは一瞬の隙をつくと私の頬に軽くキスをした。キスをされてから数秒ほど固まった私はその後、耳まで赤く染まりまた体に熱が戻ってきた。
「ーーっお姉ちゃん!!」
「ははっ、姉からのキスごときで恥ずかしがっていたら、いつまで経っても嫁には行けないぞ。」
笑いながらお姉ちゃんは二人分のカレー皿を手にし、そのままテーブルへと向かっていった。
キッチンに一人残された私は、その場で腰を抜かし膝から倒れこんだ。
お姉ちゃんに…キス、された。
お姉ちゃんにキスをされたところをゆっくりと指で触れる。まだ少し、お姉ちゃんの唇の感触が残っている。とても柔らかい感触が…。
お姉ちゃんに好意を持ち始めた中二の頃、私はある夢を見た。大人になった私とお姉ちゃんが手を繋いでデートをする夢を。そしてその最後に、キスをした夢を…。
夢の中では唇同士だったが、決して起きるはずのない夢だと思っていた私には、それだけでも十分な価値があった。
余韻に浸りたかったのだが、リビングからお姉ちゃんが私を呼ぶ声が聞こえてくる。ただもう食べ始めいるらしく、スプーンの音が鳴ったり止まったりしている。きっと、ニンジンの取り分け作業を行っているのだろう。
私はシュシュの入った紙袋を握りしめ、キッチンを後にした。
その晩、私は自室で思い出しては興奮しての繰り返しで、翌日、高熱を出してダウンしてしまった。
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私はある夢を見た。お姉ちゃんに告白される夢を。決して叶うことない夢を。その夢の途中で目覚めた私の目には、大粒の涙が流れていた。私がどれだけ頑張っても、夢のようにいかないと私は悟ってしまった。
だから、お姉ちゃんを想うこの気持ちも、お姉ちゃんに愛されたいこの気持ちも、お姉ちゃんに対する全ての気持ちを、私は夢にすることにした。そうすれば、夢のままこの想い全てをお姉ちゃんを傷つけることなく壊せる。夢は夢のままが丁度いい、そんな言葉をある本で見たことがあり、そうすることに決めた。
だが、夢を夢で終わらせないと救いの手のようなものが私の前に表れた。その手の主がお姉ちゃんであることを、今の私は知るよしもなかった。




