嘘に決意を添えて EXⅠ
ホラー映画やそれに関連するゲーム、お化け屋敷。中学の頃、アリスや香奈と体験していたために、それに対する恐怖が私にはほとんどなかった。よく香奈はホラー文化なんてこの世に必要ない、なんて言っていたけれど、ホラー文化はこの世に絶対必要だ、とアリスと口を揃えて言っていた。その度に、香奈は感情的に怒るため、その可愛らしい姿に私とアリスは夢中だった。きっとあの頃の写真をくれとアリスに頼めば何十枚も、いや、下手すれば一冊の写真集を作り満面の笑みで私に渡してくれるだろう。
ほとんど無いとは言え、私にも多少の恐怖というものはある。角から驚かされれば、多分腰を抜かす。けれどそれ以上に、友人が怯えている姿に意識が向く。クールな香奈もお化け屋敷に入った途端涙目になる。その姿も愛おしく、いつか琴美のそんな姿をこの目で見てみたいとあの頃は思っていた。
そして、その願望が今叶いそうなのである。
琴美の手元が明るくなり、手にしているものがハッキリと見える。琴美が手にしていたものは、ボサボサの黒髪ロングが印象的な血まみれの女性の生首だった。
と言っても、それが作り物だということはすぐにわかる。見た目はかなりしっかりしており、一見本物に見えるが所々違和感がある。首の切断部分がかなり綺麗に切れており、血の染まり方が違う。極めつけは、琴美が抱きしめているにも関わらず、制服は赤くなっていない。まぁ元より、偽物だということは分かっている。むしろ偽物でなければ問題だろう。
けれど、それが偽物だということに気づいていないのであろう、琴美が「いやぁぁぁぁ!」と発した激しい叫び声が耳を貫通し思わず尻餅をついてしまう。階段から転げ落ちなかったものの、一つ上の段にお尻を直撃させ悲痛な声を出したが、琴美の声音で消される。
琴美が糸の切れた操り人形のように崩れる姿が暗闇の中、うっすらと見えるのを目にし、急いで立ち上がりスカートを軽く叩く。前日に大掃除はあったものの、やはり埃が引っ付いていた。
大丈夫?と私は琴美の肩を揺らす。けれど、まるで魂のない屍のように首がガクガクとなるだけである。驚きのあまり、気を失ったのだろうか。
「ねぇ琴美。ふざけないで目ぇ覚ましてよ。」
いくら揺らしても反応はなく、さすがにいけないと感じ先生を呼びに階段を下ろうとした時であった。
先程まで何も反応がなかった琴美が、私のスカートの裾をぎゅっと握りしめた。その琴美の行動に動揺が走る。
私は恐る恐る琴美の名前を呼び撫でようと手を伸ばすが、びくりと反応した琴美に思わず引っ込める。プルプルと震える姿が怯えている子犬のように可愛らしい。
「…でよ。」
琴美は顔を上げぬまま何かを声にするが、小さくて聞き取れない。
私が「何か言った?」と尋ねると、こくりこくりと弱々しく頷く。そして、先程よりも握りしめる力をいれた。
私が覗き込むように顔を見ようとすると、タイミングよく琴美が顔を上げる。今にも泣き出しそうな顔をしているが、その涙をグッと堪えている。
「どこにも、行かないでよ。」
そう言い切った琴美は堪えていた涙がポロポロと出し、泣き声を抑え込もうと歯を食い縛った。そして無理矢理作る笑顔に、私の心は喜びと罪悪感で埋め尽くされた。
普段、琴美はあまり笑わない。正式に言えば、表面上は笑っているが心の底から笑っていない。そうやって琴美が偽っていたことが最初は理解できなかったものの、今となっては随分わかってきている。これも恋人だからだろうか…なんて、ね。
話が少しずれたけれど、とにかく琴美が本気で笑うことは少なく、偽りの笑顔も完璧に本物に似せている。それは、かの有名な小坂先生ですら騙している。
そんな、偽りのスペシャリスト琴美のバレッバレの笑顔は完全に怯えている証。その姿に私は琴美に夢中になると共に、何か見てはいけないものを見てしまった感覚になる。ここまで無防備な琴美は入浴中か睡眠中しかない。
…今なら、別にいいよね。もし怒ったら、少しでも気持ちを楽にさせるためってことにすればいいもんね。
私は固唾を呑み、そーっと琴美の頬を両手で包む。いつもなら「やめてよ!」とか「今はダメ!」などと言っている琴美だが、私がしゃがむとキスを欲するように目を閉じ唇を前に前に出す。これ本当に琴美?まさか演技?と疑ってしまうほど本物っぽく、私の頭の回線が切れそうになる。
さすがにダメだよ、私。まだ付き合って一ヶ月じゃん。こうしてキスを欲してくれるだけでもありがたく思わないと。
心の悪魔を撃退した私は琴美の唇に触れようとした。けれど、神はそれを許すことはなく、何処から聞こえる女の人の叫び声にびくりと反応した琴美はお構い無く私の身体を抱きしめる。あと数センチだというのに…。けど…。
これはこれで…いい。
普段の琴美っぽくないが、そこが愛らしく…。
怯えている琴美の頭を撫でながら、これじゃいつもと立場が逆だね、と心の中で呟いた。
しばらく頭を撫でているうちに落ち着いたのだろう、琴美がうとうとし始めていた。文化祭実行委員は明朝に招集が入ってきたと琴美が言っていたのを思い出しが、このまま寝かせる訳にもいかない。
私の脳内は二つの選択があった。一つは隠れているであろう担当者に助けを呼び掛ける。気配は感じないが、何処かに一人や二人ほどはいるはずだ。適当に人が倒れた、とでも言えばささっとやって来るだろう。
そしてもう一つ、お化け屋敷のルールを則り最後まで回りきる。他人には迷惑はかけないものの、琴美一人にかかる恐怖の負担は大きい。他人を犠牲にするか、一人を犠牲にするか。どちらにせよ、犠牲にするかことには変わりない。
…琴美なら確実に後者だろうな。他人に頼るなんてこと、琴美は絶対にしないし。
寂しい気持ちを押さえ込むと、撫でるのを止め立ち上がる。琴美の視線がそれにつられて動くのが面白く、私は吹き出しそうになる。琴美は理解してなさそうな表情を浮かべているが、気にしない方が身のためである。
「ほら琴美。ここで立ち止まってたら帰れないよ。パパっと願い事済ましてちゃちゃっと帰ろ。」
琴美の恐怖を削ぐため、私はにっこりと笑みを作り階段を登ろうとする。すると、またしても琴美が私を止めた。今度はスカートの裾ではなく私の左手をしっかりと握ってある。
今度は何?と尋ねるように私は振り返ると、うっすらと涙を浮かべながら頬を赤く染め、何かを言おうとしている琴美の姿がそれにあった。瞬間、私は息をするのを忘れるほど琴美に見入ってしまう。
「…手、繋いでもいい?」
琴美の一言で一時的に現実に戻るも、甘えるような声にまたしても夢でも見ているような気分にさせる。頬を強くつねるが痛みを感じる。夢ではない、現実らしい。
すると、ふと私の頭にある記憶が蘇る。それは私が琴美と同居をし始める際、琴美にキツく言われたことだ。
ーいい?私の母親と妹は二重人格者だから、それを呼び起こすようなことはしないこと。母親にはやたらとお酒を薦めない。妹には長い棒状の物は持たせない。わかった?ー
もし仮に琴美の母親と琴葉ちゃんが本当に二重人格者だとすれば、その血統は琴美にも受け継がれているはず。だとすれば、必然的に琴美が二重人格者であることになる。
確かに、琴美は自分自身が二重人格者でないとは一言も言っていない。いや、多分言わなかったのだろう。今となってはわかる、琴美は自分自身の話はあまりしない。しようとしない。その癖に、私は気づいていなかった。
つまり今現在、琴美は柊琴美の身体をした私の全く知らない琴美になっている、ということになる。
私は琴美の質問にいいよ、と合図をする。途端、片方の手で涙を拭き取り「ありがと」と見たことない笑顔で私に告げた。その満面の笑みに吐血しそうになるが、握っていない方の手を口にあて何とか耐えた。
琴美のことを心配するよりも私自身の身が持たない気がし、三階の奥にある広々とした空き教室まで、私は琴美に話しかけることは出来ず、お化け屋敷どころでもなかった。
私が琴美を先導しているため、後ろからは悲鳴の度に泣き出しそうな琴美の声が幾度となく耳に入る。その普通すぎる女の子の叫び声…。もはやわざとにしか聞こえない。けれど…。
…人格変わったら、私だってことわかんないのかなぁ。それはそれで…嫌だな。
そんな変なことを考えているうちに、気がつけば空き教室の前まで来ていた。どうぞお入りくださいませと言わんばかりに扉は全開である。それで脅かす側は入ってきたことに気づくのだろうか。
私が教室に一歩踏み入れるも、固まった琴美が重りとなって二歩目に行けない。無理もない。白を基調とした壁に血が飛び散っているのが扉からでもうっすらと見える。まぁ懐中電灯を灯せば、それがホームセンターで購入した木の板を白塗りにし、そこに赤い色の何かを派手に散らしているだけだと一発でわかるけれど。
しかし、ここまで来ればあとは奥に入るだけ。私は琴美を励まそうと振り返りながら声を発しようとしたが、先程まで固まっていた表情が涙を流すことなく覚悟を決めた表情に変わっており、その視線の先はじっと奥を見つめていた。人格が戻ったのかどうかはわからないが、いつもの琴美だというこに変わりはなく、私はほっと安堵の息をついた。
私が二歩踏み入れると、それにつられて琴美も教室に足をいれる。それを確認すると、私は琴美を連れ早足で奥にある机の前まで向かう。
空き教室の奥にぽつんとある机の上には先端に紐が付いてある長方形の紙切れとシャープペンシルが二つずつあるのが肉眼でわかる。そして、そのさらに奥に笹の葉が見つける。きっと、七夕祭の使い回しだろう。
私は懐中電灯を机の上に置き、綺麗に畳んでおいた地図をスカートのポケットから雑に取り出す。角が折れ曲がっていることに気がつき、気になるも見なかったことにした。
私の予想通り、空き教室を示す場所にはご丁寧にここでの行動が書かれてあった。何処にもメモ書きはなく、もしかしてと思い地図を確認してみたら、案の定ってことだ。まぁ、字が小さすぎて読めないが…。
それでも何とかして読解した結果、大まかな内容は理解することに成功した。普通に考えば、シャープペンシルと紙切れ、それに笹の葉がある時点で七夕のような設定だということはわかる。それに付け加えるかのように、名前の記入、御願いの仕方が書かれてあるぐらいだ。やり方は読めなかったけど…。
私は理解した内容を簡略化し琴美に伝えると、こくんと頷く。そして何も話すことなくシャープペンシルを手にすると、黙々と紙切れにお願い事を書き始めた。覗いてやろうかと心の悪魔が囁いてくるが、長い攻防の末、その声の元を私の心の天使が騒き消してくれる。それでも、琴美が書いている内容が気になる…。
そうこうしている間に書き終えたよ、と琴美が一人そそくさと笹の葉に向かっていた。それに気付き、私も前々から叶えたい内容を書こうとシャープペンシルを握ったが、それをすぐに下ろし冷静に考え直す。
再びシャープペンシルを持つと小さく息を吐き、丁寧に早くぎっしりと書くと、笹の葉に取り付けている琴美の元にパタパタと足音をたてて近くに寄り添う。
「ねぇ琴美。何書いたの?誰にも教えないから教えてよ。」
そう言って奪い取ろうとするが、紙切れの端に指先が当たっただけで奪い取ることに失敗する。さらに奪い取ろうとしたことが完全に琴美にバれ、もうチャンスはない。
「ねぇいいじゃん。教えてよぉ。ねぇねぇ、教えてよぉ。」
私は作戦を変更しておねだりをするように身体を擦り付けるが、琴美はこちらを睨みつける。その目付き、ねずみを見つけた猫のようだ。
私がその目付きに威圧されている隙に、琴美は笹に紙切れを結びつける。追い討ちをかけようとしたが、威圧がさらに増しており、これ以上はダメだと私の本能が伝え諦めた。
しょんぼりとしながら笹に紐を巻き付けると、琴美が私の手を握る。はいはい、わかってるよ。早くここから出ようね。
私は琴美の手を握り教室を後にしながら、琴美がいったい何をお願いしたのかを考えていた。まぁ琴美のことだ、真面目な内容であることは確実だろう。私みたいに如何わしい内容ではないはずだ。
「あ…。」
階段を降りている最中、懐中電灯の電気が突然消えてしまい、思わず声を出してしまう。それは琴美も同じで「ひゃぁ!」と気の抜ける声がポロっと口から出る。そんな声も出せるんだ、なんて言っている場合ではない。
階段には明かりが一つもなく、手すりを使って降りなければいけないほど辺りは真っ暗だ。握りしめている手で何とか琴美が離れていないことが分かるものの、まるで痙攣しているかのように手の震えが尋常ではなかった。
私は懐中電灯をポケットにある携帯と取り替えると、カメラのフラッシュ設定を照明にし辺りを照らす。辺りが暗闇のため、光が出た途端、目を閉じる。眩しすぎる…。
それは琴美も同じ。大分目が慣れ始め目をうっすらと開くと、目を強くつむり少し顔を伏せていた。
「ごめんね琴美。でもこれで明るくなったからさ、少しは楽に…。」
話している最中の私が完全に目を開いた時だった。何も前触れもなく、琴美が私の頬にキスをしてきた。琴美が不意打ちをしたという現実に、私は目を丸くする。
そして、離れ際に「ありがと、鈴ちゃん」と耳打ちすると、糸が切れたかのように崩れてしまった。私は琴美が階段から転げ落ち頭を打つ音を聞くまで、その余韻に浸っていた。音を聞いてからは、それはそれはかつてないほど焦った私であった。




