嘘に決意を添えてⅣ
私が全力ダッシュで体育館に向かている頃には、体育館から盛大な拍手が渡り廊下まで響いていた。その音が耳に入るなり、私の足が急に勢いを無くす。無理もない。私が担当していた倉庫は運動場の端、学校の東側に位置しており、体育館はその反対の西側に建てられてある。昔の私であれば、体育館の目の前どころか中間地点にすら着いていないであろう。日頃から走り回らせられる鈴ちゃんに感謝だが、運動を一切してこなかった私の身体は走らされる度、毎度悲鳴をあげている。
そして、走らされた翌日は、大抵筋肉痛になる。
私は歩きながら息を整えると、人一人が通れるほど開いてある扉から体育館に入る。体育館の中が暗いのもつかの間、すぐに体育館の天井の光が点灯し、私はギュッと目を閉じる。
「お、やっと来たわね。遅かったようだけど、何か不具合でもあったの?」
私がゆっくりと目を開けると、扉のすぐ側に小坂先生が腕を組んでステージの方を眺めていた。先程とは変わり、白衣をきっちりと着こなしており眼鏡を外してある。ここまではよかったのだがそうもいかず、白衣の胸ポケットにはラムネ菓子の容器が二つとチョコバーが入ってある。そして見逃しそうになったのだが、ポケットからコーラの蓋が僅かに見える。
言うまでもないが、口にはキャンディーを口にしている。虫歯にならないのかが心配だが、先生曰く、生まれてから一度も虫歯になったことがないらしい。
「不具合…と言うべきでしょうか。」
殺人現場とでもいうべき光景を見せつけられため固まっていたなんてことはこの場では言えず、私は首を傾げて苦笑いでそう伝えた。
「…まぁ、不具合だろうが何だろうが、私にとっては関係ないことだけど。」
なら何故質問した、と声にするのを我慢し「そうですね。」とこちらも苦笑いで返事をした。
「…。」
小坂先生はステージに向けている視線を私の方に移し、観察するように私の足から頭をじっと見つめた。白衣も着てあることからそれっぽいのだが、小坂先生は理系科目とはだいぶかけ離れている日本史担当だ。
「…何をじっと見つめているんですか。少し恥ずかしいんですが…。」
元々人に見られることに抵抗力が極端にない私は、鈴ちゃんに見つめられることが多々あったために抵抗力がかなりついてきた。けれど、小坂先生のようなクールな感じではないため、恥ずかしいというより怖いに近い感覚が今の私にはあった。
「…わからないな、私は。」
小坂先生はそう言うともう片方の扉を音を出さないようゆっくりと開くと、左手で私を呼ぶようなジェスチャーを送ってくる。それに小さく反応すると、辺りを確認し、ササッと小坂先生の側まで近寄る。
「先生、私に何のようですか?また何か雑用でも…。」
私は嫌な気持ちを押さえ込み小坂先生に尋ねると、小坂先生はゆっくりと扉を閉じた。体育館の入り口付近は、一日を通して日光が当たる時間がほとんどない。そのため、体育館に入っていた時よりもかなり暗く、私の目はどうにかなりそうであった。片方の扉から出ている光が、私にとっては救いである。
「大事な生徒に雑用何てさせるわけが無いじゃない。」
「文化祭実行委員は雑用だと思うのですが。」
「それはあんな点数だからでしょ。本当なら一週間、放課後残らせても良かったのよ。」
「…前言撤回します。それで、私に何のよう…。」
私が最後まで言い切らないうちに、小坂先生は私に近づくと、私の後ろにある扉に手をつける。所謂、壁ドンというものだ。
「せ、先生!?」
私は現在の状況があまり理解できず、ただただ動揺している。片方の扉はまだ少し開いており、そこから入ってくる僅かな光が、ちょうど小坂先生だけを照らしている。
「先生、一体何の冗談ですか。」
私は少し顔をあげてそう告げる。小坂先生は私よりも目元が上にあるので、いつもの鈴ちゃんのような気分だ。
「…わからないんだよな、私は。」
「な、何がですか…。」
小坂先生がずいっと顔を寄せてくるので、私は顔を逸らす。鈴ちゃんとキスしているような感覚にはならないものの、まだ信頼していない人間(小坂先生)に見られる恐怖感と髪から香る石鹸のような香りに、私の心臓は恐怖と興奮でドキドキしていた。
「貴女の魅力にってこと。」
小坂先生は私にそう告げると、片方の手で口にしてあるキャンディーを取り出す。そしてごみ箱替わりであろう。コーラが入ってある反対のポケットの中にあるナイロン袋に、小坂先生はそのキャンディーのゴミを入れた。本来なら、まだ一時限目なのだが、ナイロン袋には大量のお菓子のゴミが入っていた。質問したいことだらけだが、私は小坂先生の言葉に反応し、視線だけを小坂先生に向けた。
「魅力って…。何ですか、急に。」
「貴女、多田さんと付き合っているんでしょ。」
突如、小坂先生の口から放たれた言葉に、聞こえているのではないかと思うほど鳴り響いていた心臓の鼓動が余韻を残すことなくピタリと止む。
「…な、何ですか?じょ、冗談にもある程度の限度ってものあるの…。」
再び心臓の鼓動が活動を始め、私は作り笑いで誤魔化そうとしたが、小坂先生にそんなもの通じるはずもなく、「真剣に聞いているのですよ。」と言っているような眼差しを私に送っていた。その殺意のある眼差しに、私は小さく息を吐く。
「…もしそうだとすれば、先生はいつから私と鈴ちゃんの関係を知っているんですか?」
私が小坂先生に聞こえる程度の声で尋ねると、「やっぱりね」と小坂先生は小さくため息をついた。
「一学期の初めの頃から不思議だとは思ってたわ。学校始めに学校側から貰った新入生一人一人の資料があってね、貴女と多田さんの住所が同じだったの。私も、最初は同居程度だと思ったわ。」
「なら、今でもそう思ってください。」
「それはちょっと無理ね。何せ多田さん、同居人としては貴女に対するスキンシップが過剰すぎる。多田さんの性格のせいかもとは思ってたのだけど、朝頬にキスをしたのを見ればね。」
「いつからいたんですか!?」
「その時ぐらいからかな。貴女が倉庫担当に自ら志願したことは嬉しかったのだけど、それを口実にするのはよくないんじゃない?」
小坂先生に色々と言われ、私は肩身が狭くなる。小坂先生はまだ頬にキス程度の関係だと思っているが、勿論そんなわけはない。唇同士など、実に何回してきただろう。
「それで、私が鈴ちゃんと付き合っていることと、私の魅力がわからないことは何か関係性があるのですか?」
恥ずかしい気持ちを抑え込み、私は僅かな光が漏れている扉に視線を動かす。オープニングセレモニーが終わったというのに、未だに出てくるようすはない。見えるとすれば、校長先生の眠るような呪文にうたた寝している実行委員の先輩だ。校長先生のお話でなくても、明朝四時集合は体調に悪い。私自身、目を閉じればコロッと寝てしまうだろう。
「関係性…か。あると言えばあるけれど、ないと言えばないわ。だって貴女…。」
私が逃げようとすることに感づいた小坂先生は、足を踏み出そうとする私の右腕を壁ドンをしている反対の手で掴んだ。もし小坂先生が男の子だとすれば、私は恥を捨てて大声で助けを求めるだろう。本音を言って良いのなら、今すぐにでも叫びたい。
けれど、そんな乙女のような考えはー
「前科者じゃないの。」
ー微笑みながら言った小坂先生の言葉によって頭の中から吹っ飛んでいった。
先程まで感じていた先生に対する恐怖の心は、先生に対する殺意で黒く染まっていた。心臓の鼓動は破裂するのではないかと思うほど早くなり、掴まれている腕の手には大量の汗をかいていた。今の私は、人を殺める前の殺人鬼のような心境で、もし私の腕が自由でかつ凶器を持っていれば、確実に小坂先生を殺めていただろう。
「前科者の貴女に惹かれたのだから、それほどの魅力があるんでしょ?」
私は精一杯の力で掴まれている腕を外そうとする。鈴ちゃんほど力は無いのでイケると思った私だが、そう思った途端、小坂先生はグッと掴む手に力をいれた。それでも鈴ちゃん程ではないが、今の私の全力では敵うわけもなく…。
「先生は…よく、性格悪いって言われませんか。」
私は片方の手が開いていることに今更ながら気付き、たまたまスカートのポケットに入ってあるシャープペンを小坂先生にバレぬようそっと手に取る。手にした瞬間、小坂先生がポケットに手を入れていることに気づいたのだが時すでに遅し。私はシャープペンシルで突き刺すかのように、シャープペンシルの先を小坂先生の喉に突きつける。
「…言わなくてもわかるんじゃないの?今の発言を聞けば。」
シャープペンシルの先を喉に突きつけているにも関わらず、小坂先生は依然として微笑んでいた。ただ、小坂先生の額からは一粒の汗が流れていた。今日の最高気温は二十度であるため、暑さによるものではない。きっと、私に対する恐怖が芽生えたのだろう。
「それよりも、貴女も性格悪いって言われないかしら?」
壁から手を離すと、小坂先生はシャープペンシルを突きつける手の腕を掴む。力を入れているだろうと思い、私はシャープペンシルを突きつける力を強めた。けれど、小坂先生はそれほど力をいれておらず、シャープペンシルの先が喉に突き刺さる。喉からは血が流れ出し、シャープペンシルを伝って私の手を赤く染める。
私の手を染めた瞬間、激しい頭痛と共に脳裏に嫌な記憶が蘇る。その急激な痛みに身体が反応し、手にしていたシャープペンシルを落としてしまう。シャープペンシルについてある小坂先生の血が床に飛び散る。
「あ、そ、その…。」
私は謝罪の言葉を口にしようとしたが、動揺のあまり声が出ない。喉に何か異物が引っ掛かっているような気分で、今すぐに異物を吐き出したい。
私のそんな情けない姿を見ていた小坂先生は何かに気づいたように少し開いてある扉に視線をやると、小さく息をつき私に視線を戻す。そして、私の腕を掴んでいる手を離し、私の頭をソッと撫でた。
「…興味本意で少し言い過ぎたわ。ごめんなさいね。」
小坂先生は私の耳元で囁くと、いつから流れていたのか気づかなかった私の涙を犬のようにペロリと舐める。勿論、私は驚いたのだが、今の私に拒否権はない。何せ傷を負わせてしまったのだ。本来ならば、すぐさま生徒指導室行きだろう。
「それに、そろそろ潮時みたいだわ。」
その言葉の真意がこのときはわからず、先程小坂先生が視線を向けた方にやる。そこには、不満そうな表情でこちらを見る鈴ちゃんがいた。扉の隙間からは、生徒だろう声が聞こえている。
「あ…。」
この状況から不満そうな表情で見ていることを悟った私は、小坂先生に掴まれている手を振り除ける。以外にも簡単に離れ、私は小坂先生を見るよりも鈴ちゃんに近寄る。
「鈴ちゃん。あのね…そのぉ…何と言うか…。そう、事故!事故なの。先生がね、その…。」
私のしどろもどろの言い訳に、やはり聞く耳を持たない鈴ちゃん。「別にいいもん。」とプイッと顔を逸らした。
「だからぁ…。そんなじゃなくて…。」
私はそう言い、チラリと小坂先生を見る。小坂先生は喉の辺りを手で抑えながら、再びキャンディーを舐め笑顔でこちらを見ている。あんなことがあったのにも関わらず、何故ここまで普通でいられるのか不思議である。
小坂先生は私の視線を感じるなり、「行きなさい」というようなジェスチャーをする。その真意がすぐにはわからなかったのだが、オープニングセレモニーが終わったのだろう、扉の向こうから聞こえる声によりそのジェスチャーの真意を理解した。
私は小さく首をたてに振り、鈴ちゃんの制服の裾を握りしめながらその場を後にした。小坂先生を殺めようとした僅かながらの殺意と、鈴ちゃんにどう説明すれば良いと考えが混ざり合い、私の脳はゴチャゴチャになっていた。




