嘘に決意を添えてⅢ
前日の大雨の影響でステージ建設やテント建てなどが完成していなかったため、私達文化祭実行委員や先生方、それに業者の方が明朝四時から準備を行った。その結果、終わった頃には既に朝日が昇っていたおり、昨日とは一転し雲ひとつない晴天に、私達は神に反逆したい気分だった。
そのため、とても清々しい顔で登校してくる生徒が憎らしく、一部の実行委員と生徒が喧嘩を始めていた。幸い女子校のため、血生臭い光景を目にすることはなかったが、それでも醜い彼女たちの口喧嘩に、私は喧嘩を止めることも加担することもなく、ただただ遠くで失笑しながら彼女達が先生に連れていかれるのを眺めていた。
その後、各クラスごとで催す準備がクラスごとで行われていた。ちなみに私の今日の仕事としては、使われている道具の管理のため倉庫で数を数えている。文化祭中は仕事がないという理由から引き受けたが、時間が経つにつれ人が減っていき私以外誰もいなくなった頃には、私の心には心細いという感情が芽生えていた。
倉庫の中には細かいもや大きなもの、中には何故こんなものがというものも少からずある。特に、ユニフォームが入ったかごの奥にある何処のものか分からない民族仮面が大量に見つけたとき、私は腰を抜かしそうになった。
「テントの残りが八個で、それに使用する鉄の棒が三十二本。カラーコーンのあまりは…七本のはず。」
私はチェック表に印をつけながら一つずつカラーコーンを数える。赤のあまりが二本、青のあまりが三本、黄色と緑がそれぞれ一本ずつだ。
「コーンもオッケーっと。あと確認してないのは…。」
「琴美、そこで何してるの?」
鈴ちゃんの声が耳に入り、私は倉庫の入り口に目をやる。そこには、扉からチラリと顔を出してこちらを見る鈴ちゃんがいた。けれどいつもならば、まだ登校してきていない時間のはずだ。
「おはよう鈴ちゃん。どうしたの?こんなに早く学校来て?」
私はチェック表を丁度側にある机に埃が舞わないようソッと置くと、鈴ちゃんの側に近寄る。
「…朝部屋に行ったらいなかったから…。琴葉ちゃんも知らないって言うから。」
鈴ちゃんは心配そうな顔で視線を逸らしながら告げられ、私は鈴ちゃんに連絡ひとつせずに出ていったことに気づく。
「ごめん。急ぎすぎて連絡忘れてた。」
私は両手を合わせて頭を下げると、「心配しんたんだから…。」と私の耳元で小さく囁くと、私が顔をあげたときには手を背中の後ろに回し、んっと唇を前に突き出してきた。その仕草に、私は首を傾げると鈴ちゃんはイラッとした表情に変わった。
「分かんないの?キスしてってことなんだけど。」
その一言に私は鈴ちゃんの頭を撫でようとした手を引っ込め、二三本後ろに下がる。
「今ここで?たまに人がくるんだよ。バレたらどう責任とりつもりなのよ。」
私は先程机に置いたチェック表を鈴ちゃんにバレぬよう手を伸ばすが、机に擦ることはなかった。
「その時はその時だよ。バレないように何かしらのことはするつもりだから、ね?」
「…ね?じゃないから!」
柔らかい眼差しを私に見せつける鈴ちゃんに、私は一瞬喉が詰まってしまうがすぐに立て直す。
「だいたい、鈴ちゃんは何でそんなに私とキスしたいのよ。恋人同士だから?欲求不満対策だから?」
私は机のそばまで下がりチェック表で口元を隠す。いつ鈴ちゃんが身を乗り出してキスをしてくるか分からないのでその対策だが、こんな薄い壁一枚ならば簡単に突破されてしまうかもしれない。そんな不安感がじわじわと私の心を蝕んでいく。
「不満だと思うことあるけど、恋人同士だからしたいんだよ。」
「恋人同士でも、毎日キスなんてしません。新婚じゃあるまいし…。」
私はそう吐き捨てるように告げると、まだ確認していなかった器具運搬車を数え始めた。
鈴ちゃんと恋人になってからというもの、私達はほぼ毎日キスをしている。まぁほとんど、私が油断している隙に鈴ちゃんがキスをするという形なのだが、それでもキスをしていることに間違いはない。
「だいたい、毎日キスしてて飽きたりしないの?」
私自身言うべきでなかったと後悔しつつ、それを顔に出すことなく黙々と数を数える。
「飽きたりしないよ。だって琴美とキスできるなんて嬉しいもん。」
私の背後からギュッと鈴ちゃんは抱きしめると、お腹回りの肉を揉み始める。そのコンボに私は「ふぁ!?」と久しぶりに変な声を出してしまう。驚きのあまり、チェック表を落としてしまうが、それを拾う前に私は鈴ちゃんから離れた。
「琴美、お肉前よりついてるよ。食べてあげようか?」
「食べなくていいです!」
私は歯を食いしばりお腹回りを腕で覆う。文化祭実行委員会の担当の先生が小坂先生だということもあり、実行委員で集まる際はお菓子を食べいた。そのため、お腹回りに少しずつお肉がついてきたのだ。
「ならさ、琴美は私とキス、飽きたりしたの?」
先程まで笑顔だった鈴ちゃんは一変して、少し寂しげな表情で私を眺めた。その表情に私は鈴ちゃんを抱きしめたくなるが、その気持ちを抑え込む。
「べ、別に飽きたってわけじゃない。でも、そんなに毎日したら飽きちゃうかなぁってね。」
「私の目を見て言ってくれる、琴美?」
「…うん。」
私は髪を指で回すのを止め、一度息を吸い込んでから鈴ちゃんを見る。未だにこちらを寂しげな表情で眺めている鈴ちゃんに、私はとうとう理性を抑えることができなかった。
私は唾を飲み込むと、鈴ちゃんを黙って抱きしめた。鈴ちゃんから抱きしめることはあるが、私から抱きしめることはほとんどない。そのため、鈴ちゃんは今この状況をあまり理解できていない。
「え!?ちょっと琴美ぃ?何、どうしたの?」
やっと状況を読み込めたらしく、鈴ちゃんはそう言いながらも少し嬉しげな声で私を心配する。
「いや…。そんな目で見られたら、私の理性、抑えきれると思ってる?」
「だからって、バレたらどう責任とりつもりなのって言ってたじゃん。」
「その時はその時だよって言ったよね。対策してるならいいじゃん。それに…。今日は私から色々したいって決めてたし…。」
私はだんだんと声が小さくなっていき、最終的にはぶつぶつと呟く程度まで小さくなった。私は恥ずかしく、少し強めに力をいれる。
「色々って?」
「…色々だよ。」
そう言うと、私は鈴ちゃんに抱きついたまま壁の方まで追いやると、鈴ちゃんからソッと離れる。鈴ちゃんは私のとった行動に、やはり不思議そうに首をかしげていた。
「…ここまでしてあげているんだから、責任、とってよね。」
私はそう鈴ちゃんに告げると、唇を鈴ちゃんの頬にソッと当てる。頬に塗っているであろう香りが、初めて嗅ぐ私の鼻をスーっと通る。その初めての香りは、いつも使っている柑橘系とは程遠い石鹸の香りで、何故かお風呂上がりの鈴ちゃんの顔が頭のなかから浮かび上がる。
こんなの、何処のお店で買ったんだろ。こんな香りがするクリーム、家には置いていないはず…。
そんな、どうでも良いことを考えながら、私はゆっくりと鈴ちゃんの頬から唇を離すと、それと同時に抱きしめていた腕も離した。
すると、私は急激に体温が上昇したような 感覚になり、すぐさま落としていたチェック表を拾うと、照れている表情をそれで隠す。
「…今は、これで我慢してくれる。」
私はチェック表から渋々目を出し鈴ちゃんを見るようと試みるが、目の半分ぐらいだしたところで鈴ちゃんの不意のキスが私の頬にピタッと引っ付く。その小さな唇が触れる感覚は、毎日しているわりには未だに慣れず、私は死と隣り合わせの生活を日々続けている。
鈴ちゃんはその小さな唇をソッと離すと、顔を伏せて私のベストをギュッと握る。胸に近いところを握るのはわざとだろうか。
「…仕方ないから、我慢する…。」
鈴ちゃんは顔を伏せているのでどんな顔をしているか定かではない。けれど照れていることには間違いなく、寂しげに告げた言葉は甘えているようにも聞こえ、私の心臓を良い意味で締め付ける。
やっぱり、鈴ちゃんは可愛いな。
私は笑みを浮かべると、鈴ちゃんの髪をとくように触れる。私ほどではないが、鈴ちゃんも入学式以来髪を切っていないため髪は肩を少し越している。二学期に入ってからは鬱陶しいとといい 、いつものツインテールを止め一つに結っていることが多い。当初はポニーテールも可愛いと思っていた私だが、やはりツインテールの方が鈴ちゃんは似合っていると近頃思う。
「二人とも、そこで何してるの?」
私たちに尋ねるような声が急に聞こえ、私と鈴ちゃんはお互い触れているものをパッと離し、すぐさま入り口に身体を動かした。そこには、チョコスティックを口にしている小坂先生が不思議そうにこちらを見ていた。
「あ、いや。その…何と言うかぁ…。」
「琴美のお手伝いしてたんです。」
私がおろおろとしていると、横にいる鈴ちゃんが小坂先生にそう伝えた。
「お手伝い?貴女が?」
「先生、私がお手伝い出来ないとでも思ってるのですか?」
「だって貴女、そういうことしないタイプの子だし。」
「先生は私を何だと…。」
鈴ちゃんは安堵が混ざっているようなため息をつき、左手首につけてある腕時計に視線を動かし、ハッとしたような表情で小坂先生に視線を戻した。その表情に何かを感じた私も、ポケットから腕時計を取り出し時刻を確認した。まだオープニングセレモニーまで時間はあるが、私はセレモニーが始まる十分前まではここに居なければならない。実行委員や下ごしらえをしなければいけない生徒以外は、体育館に十五分前には入場しなければならない。
そして現在、時刻は九時ちょつどまで十八分前。小坂先生は鈴ちゃんを連れに来たのだろうと、私もやっと理解した。
「理解したようね。ほら、多田さんは早く教室に戻りなさい。貴女以外は登校してきてるわよ。」
小坂先生は倉庫内にヒールの音を響かせながら私たちに近づいてくると、鈴ちゃんの右手を握り倉庫から連れ出そうとする。けれど、鈴ちゃんはそれに反抗しているのだろう。小坂先生は一歩もそこから動いていなかった。
「多田さん?教師に反抗とは良い度胸ね。」
「私は今日、琴美とずっといるんです。琴美とちゃんと体育館に向かいますから!」
「私情はどうでもいいから、早く行くわよ。」
お互いがお互い、力を精一杯出しているのだろう。鈴ちゃんも小坂先生も顔が段々赤くなっている。目を凝らして見ると、両者息を吸っていない。だがそれよりも、何故小坂先生が口にしているチョコスティックが落ちないのかが気になって仕方がなかった。後で小坂先生に尋ねたところ、小坂先生が口にしていたのはチョコスティックではなくチョコレート味のロングガムらしい。一般のスーパーなどでは売っておらず、わざわざ海外から個人輸入したらしいが、今の私は知るよしもなかった。
「鈴ちゃんも小坂先生も。呼吸不全で死にますよ。」
私はそう言うと、二人の間に入り込み手を互いに手を外す。すると、すぐさま鈴ちゃんが私の背中に回り込んできた。そして、先程私が顔をチェック表で半分ほど隠していたように、私の背中から顔を半分ほど出し小坂先生を敵意剥き出しで睨み付ける。
私に隠れたところでと思うものの、鈴ちゃんよりも強力な敵意を笑顔で見せつける小坂先生を見るとなると、鈴ちゃんの気持ちもわからなくもない。
だからって、私を盾にするなんて…。
私は呆れ気味のため息をするために目を閉じた。僅か二秒であったが、私が目を開けたときには、先程まで後ろで隠れていた鈴ちゃんが小坂先生の腕によって首を絞められている。鈴ちゃんの顔色が先程よりも見違えるほど青くなっている。
私は小坂先生を止めようと手を伸ばしたときには遅く、鈴ちゃんは力が抜けたようにガクリと目を閉じた。さすがに教師ということもあり手加減はしてあるはずだが、「貴女も?」と顔で伝える小坂先生を見ると、手加減しているようには思えない。
小坂先生は、鈴ちゃんを側にあった運搬用一輪車に乗せるとそのまま無言で倉庫から出て行った。その後ろ姿は、自らの手で殺めた人間を運んでいる殺人鬼みたいで、私は九時を知らせるチャイムが耳に入ってくるまで、その場で立ちすくんでいた。




