伝えたい想い、募る愛Ⅳ
私は今、見てはいけないものを見ている気がする。インターホンを鳴らしても反応がないので入ってみればこの様だ。
「これは姉妹というより…恋人…。」
私は目の前で抱きつき合っている二葉姉妹を眺めながら、頭を抱えて呟いた。
「本っ当ゴメン!」
テーブルに額をつけて全力で愛ちゃんが謝り始める。
「別に構わない。それより、早く顔あげて。」
私は携帯の通知を確認しながら愛ちゃんに伝える。昼を跨いだというのに、アリスから返信が来ていない。いつもなら、昼休憩の時間には返信が来る。そうでなくても、必ず既読はしてくれている。
けれど、今日はその既読すらない。メールの横に既読の文字が無いだけでここまで不安になるとは、私は思いもしなかった。
今の役、今まで無いぐらい難しいって言ってたな…。
こんな日もある、そう私は思い携帯をしまうが携帯に意識がいってしまう。平気なフリをしても、心奥底ではとても心配しているらしい。
せめて、既読だけでもつけといてよ。
私は携帯をポケットにしまい何とか携帯から意識を逸らすと、目の前でまだ謝っている愛ちゃんを見る。
「謝りたければ謝れば。けど、頭だけでもあげて。あの子が起きたら私が危ないから…。」
「危ないって?」
「いや、何でもない。何でも…。」
私はそう言いテーブルの上に置かれてあるカップを手にし、愛ちゃんに淹れてもらった珈琲を啜る。
苦っ…。
私は苦さで吐き出しそうになるが、何とかして耐える。愛ちゃんが「無理するなよ。」と言い、私の前にソッとガムシロップとミルクを差し出す。私は「ありがと」と告げ、カップを一度テーブルに置き、その二つの中身を全て珈琲の中に流し込んだ。
「香奈って珈琲飲めなかった?」
愛ちゃんは少し不思議そうな顔でこちらを見ながら珈琲を口にする。私は空いた容器をテーブルの上にある小さな小皿の上に置く。
「飲めないことはない。けど、甘くないといけない。」
私はそう告げると、ガムシロップとミルクを入れた珈琲を口にする。
甘い。
私はほんの少し上機嫌になった。
「なら、苦いものが苦手、みたいな。」
愛ちゃんはカップから口を離し、にこやかな顔をして告げる。私もソッとカップから口を離す。
「正解。私、苦いの本当に無理。特にあの緑色の液体、言葉を吐くだけでも無理。」
「青汁のこと?」
「言わないで!」
私は思わず大きな声をだし手で耳を覆う。愛ちゃんは「そんなに。」と目を見開いて驚いている。驚くのは構わないが、割れてしまうので力強くカップを置くのは止めてほしい。
私はカップを持つ手とは反対の手で眼鏡の位置を調節する。最近徹夜で勉強しているため、視力が下がってきている。授業中も目を細めなければ黒板が見えないため、よく琴美ちゃんのノートを写させてもらっているが、さすがにもう迷惑はかけれない。
夏に行き忘れた視力調査、何処かで埋め合わせをせねば…。
私は一人、悶々と考えながらまた珈琲を口にする。
…あっ。
私はあることを思いだし、カップをテーブルの上に置いて床に置いてある鞄を手にし、中からコンビニで買ってきたシュークリームが入ったナイロン袋を取り出す。
「これ、お見舞いの品。ちゃんと愛ちゃんのもある。」
「はい。」と袋をテーブルに置くと、愛ちゃんが目を輝かせながら中身を覗いていた。
「これ、私も舞も好きなやつじゃん。何で知ってんの?」
「何でって…。と、友達の好みぐらいわかるわよ…。」
私はそう言い、プイッと視線を逸らす。視線の先には床にベットを敷いて横になっている舞ちゃんがいる。何やら良い夢でも見ているのか、あどけない寝顔である。どんな夢を見ているのか、私も見てみたいものだ。
「舞なら心配しなくてもいいよ。いつものことだから。」
頬杖を突いた愛ちゃんが、私と同じ方向を向いてそう私に告げた。
「いつも?」
私は視線を愛ちゃんに戻す。
「うん。舞はね、昔から身体が弱くてさ。よくああやって寝込んでさ。」
「そう、なんだ…。」
私がまた眼鏡の位置を調節すると、愛ちゃんは席から離れ舞ちゃんの側に寄りしゃがみこむ。そして、舞ちゃんの目にかかる前髪をはらう。
「前にも言ったけど、舞はいじめられてたんだ。身体が弱いから何かしらの病気に感染している、そんな偏見を舞の周りの子は持っていて、それで…。」
私も席から離れ、愛ちゃんがしゃがみこんでいる右横に寄り添うようにしてしゃがむが、愛ちゃんの結んである髪に当たりそうになり、私はもう少し右にずれる。
「本人には、身体やいじめのことあまり気にしなくて良いと言ってたけど、一番気にしてたのは私でさ。高校でもいじめられるんじゃないかって。それで、半ば強引に県外の高校を選んだんだ。」
「…姉らしいところ、あるんだ。以外…。」
「以外って…。私ってそんなに姉らしくなかった。」
「お世辞にもらしくない。」
私がそう言い唇をほころばせると、愛ちゃんは不機嫌そうに私を睨み付ける。けれど、すぐに愛ちゃんも口元が緩んだ。
「何だ、香奈ってそんな風に笑えるんだ。」
「…な、何変なこと言ってるのよ、馬鹿。」
急に愛ちゃんがらしくないことを言うので、私は動揺と恥ずかしさで頭がいっぱいになり、近くにあった水色のクッションで顔を隠した。
「おーい、香奈…。」
「見ないで!その、恥ずかしいから…。」
「恥ずかしい?」
愛ちゃんの復唱に私は顔を隠したまま頷く。
「私、あまり感情を表に出せないから、見られると恥ずかしい。それに、笑っているところなんてもってのほか。」
「どうして?」
「どうしてって…。」
私はクッションを握る力を強める。
「私自身のこの顔が、あの緑の液体よりも嫌いだから。」
私は跡が出来るのではないかと思うほど、クッションに思いっきり顔を押しつける。クッションの柔らかさが何処と無く、懐かしいく感じる。
私の言葉に少しの間、愛ちゃんは口を閉ざす。けれど、そんな静かな空気を換気するかのように、キッチンからポットの音が聞こえてきた。「ちょっとごめん」と愛ちゃんは言い、まるで逃げるようにキッチンに向かう。この空気に耐えれなくなったのだろう。その気持ちはよくわかるけれど、否定をしてほしいという気持ちが何故か私にはあった。
「…私の馬鹿…。」
私はクッションで声を遮るようにして呟くと、制服のスカートをツンツンと引っ張られていることに気付き、私はクッションからそろりと目だけを出す。スカートの裾を引っ張っていたのは少し寝ぼけた顔をした舞ちゃんだった。
「起きたんだ。お湯沸いたらしいから何か飲む?」
私はホッとしたようにクッションから顔を出してそう告げ立ち上がろうとする。けれど、未だに舞ちゃんがスカートの裾を引っ張るのでスカートが脱げそうになった結果、私は愛ちゃんの視線を確認しつつ急いでしゃがみこむ。今日は特に何もないと思い、子供っぽい下着を着用しているからだ。もし見られたりしたら、アリスには迷惑だが私は自ら命を絶つ予定だ。
「舞ちゃん。離してもらっても良い?スカートが脱げちゃうから。」
私は強引に舞ちゃんの手を離そうとするが、かなり強めに握っているので簡単にはいかない。絶対に起きていると思いつつも、私は少しムキになり先程よりも強めに力を入れた。それでも、強力接着剤を使ったかのようにがっしりとスカートを掴んである。このまま舞ちゃんの手を切断しても良いだろうか、というかなりバイオレンスな考えが浮かび上がると同時に、舞ちゃんがパッとスカートから手を離し私に抱きついてきた。
「へ?ちょ、ちょっと舞ちゃん!?」
私は動揺のあまりつい大きめの声を出してしまうが、愛ちゃんが反応していないのが幸いだ。さすがに声が届いていないのであろう。
「私、香奈さんのこと好きですよ。」
舞ちゃんが私の耳元で変なことを言い出すので、私は「は?」と思春期真っ盛りの少年のような返事を返す。
「特に、香奈さんの顔です。」
「顔って…。私、あんまり笑えない。いつもつまらなそうな顔してる。それに私は…。」
私はそこまで言ったのにも関わらず、口を閉ざしてしまう。その様子に舞ちゃんは何かを察したらしく、頭をそっと撫でてくれる。アリスよりも手は小さいものの、アリスよりも撫で方が上手い。いや、上手すぎる。
「話さなくても、何となくわかります。多分、香奈さんも私と同じような経験をしたんですよね。」
耳元で囁く舞ちゃんの吐息がとても冷たく、さっきまで熱かった私の体温を一気に下げる。その声はいつもと変わらない優しい舞ちゃんの声だが、今の私には悪魔の囁きにしか聞こえなかった。
「香奈さんは皆様に迷惑をかけたくない、その気持ちはよく分かります。けれど…」
「何二人でイチャついてんの。」
舞ちゃんの言葉の間に愛ちゃんがやかんを持って入ってくる。私はすぐさま、舞ちゃんから離れるとまた眼鏡の位置を調節する。
「い、イチャついてなんかはない。舞ちゃんが引っ付いてきただけで…。」
私はそう言いチラリと舞ちゃんを見ると、こちらをじっと見ている舞ちゃんは笑顔で首を傾げる。そんな顔をされると、私が言った先程の言葉を撤回したい気持ちで一杯になる。
「…何でもない…。」
私は髪の毛を指先でくるくると回しながらそう言うと、舞ちゃんは一瞬素の顔に戻るが先程よりもにこやかに私に笑いかけた。その私たちのやり取りを見つめる愛ちゃんは不満そうな顔をしている。ただ、それは単に不満そうな顔をしているわけでなく、どちらかというと妬いていると言うべきであろうか。その真意は何となくわかるが、それを口にしてはならないと私の脳は言っている。
「…ならいいけど。」
愛ちゃんは吐き捨てるように言い、テーブルの上に置いてある珈琲メーカーにお湯をいれる。前に来たときにはなかったものだ。後で話を聞いたのだが、たまたま舞ちゃんが電器店の前を通ったときに半額以下の値段で売られていたらしく一目惚れだったとかなんとか。
「それで、二人は何話してたの?」
お湯をいれ終え珈琲メーカーの作動スイッチを愛ちゃんは押す。お湯をいれなくても沸騰するのにと思うものの、私はソッとしておくことにした。
「香奈さんは可愛いですねって話です。」
そう言って、舞ちゃんは私に飛びつきぎゅっと抱きしめる。
この子、こんな子だったけ?
私は不信に思いつつも愛ちゃんがまたこちらを睨み付けているので、私はまたすぐに離れる。離れた理由はもうひとつあるのだが、それを口にすることは、同時に私の死に直結する。
「可愛いなんて褒めても、何も出ないよ。」
私はもう一度愛ちゃんを見る。先程より目付きは良いものの、やはりまだ不満そうにこちらを睨んでいる。漫画やアニメだと、愛ちゃんの背後には黒いモヤモヤが漂っているだろう。
私は少し呆れ気味にため息をつき立ち上がると同時に、ポケットに入れてある携帯から着信音が流れ始めた。
「ごめん、ちょっと電話。」
私はそう言って廊下に走ってでると、ポケットから携帯を取り出す。そこには「アリス」と表示されていた。
私は着信音を切り、すぐに携帯を耳に当てた。
「「あ、もしもし香奈?」」
元気そうなアリスの声が私の耳を通ると、私はホッと安堵の息をつく。
「アリス、ちゃんとメール見た?」
私は玄関の辺りまで歩いて向かい、壁にもたれ掛かる。壁から香る木の香りが、モヤモヤとしていた私の気持ちを浄化する。
「「ごめん、まだ見てない。」」
「…やっぱり。」
私は怒ったようにそう言うが、口元が僅かに緩んでいることにアリスは知るよしもなく、ただただ私に謝罪する。
「大丈夫。別に心配してない。」
「「そう?私が香奈だったら心配するなぁ。」」
「ふーん。何か意外。」
「「意外って…。だって香奈のこと好きだし、恋人同士だし。」」
「か、簡単に好きとか恋人とか言わないで。」
私はつい大きな声を出したことにハッとする。リビングの方に視線をやると、何があったというような不思議そうな表情で二葉姉妹が見ていた。とりあえず、私は苦笑いを彼女たちに向けた。
「それに、ほ、本当に心配してない。いつかこんな日も来るだろうとは思ってた。」
「「…ま、香奈らしいけど…。」」
「でも!」
私はもう一度リビングの方に視線をやる。いつの間にか二人はリビングの奥に消えていたので私は胸を撫で下ろすと、一度目を閉じて小さく深呼吸をする。息を吐き終えた私は、ゆっくりと瞳を開けた。
「…声聞けなくて、寂しかった。」
私の言葉に氷付けされたようにアリスは黙りこむ。海で遊んだ日以降、二人で出掛ける約束はしたものの、有名な監督が制作する映画のヒロインに抜擢されたため、多忙なスケジュールが私たちの約束を崩壊させた。その度に、何度も何度も謝罪文が私のメールボックスに送信されていた。大丈夫、心配しなくていいと私はアリスに返信したものの、幼少期からずっとアリスといたため、日が経つにつれ、私の寂しさも増していった。
「私さ、今日アリスに会えると思って、とても楽しみだった。けれど、会えるどころか既読すらなくて…。」
「「香奈…。」」
「心配はしてない。けれど私、アリスに嫌われたのかなってちょっと思って…。」
「「…ねぇ香奈?」」
私は震えそうな声を抑えながら「何?」と返事をする。いつの間にか、私の視線は足先にあった。
「「今度の週末、デートしない?」」
私は目を見開きながら顔をあげ、携帯に視線をやる。
「でもあの日、月刊誌の表紙撮影があるとか…。」
「「そんなの、適当に事務所の後輩ちゃんにやらせるよ。そもそも私、撮影される側よりする側のほうがいい。それに…。」」
「それに?」
「「…それに私だって、香奈に会いたい。我慢は駄目だって言われたしね。」」
「…馬鹿。」
私は眼鏡を外し、目元にある熱いものを指で払い除ける。
「今回はちゃんと行ける?」
「「絶対に大丈夫。駄目だと言われても逃げてくる。」」
「逃げてきたら私にも迷惑かかるから止めて。」
私の言葉に「全くだね」と笑うアリスの声に、私は心が張り裂けるぐらいキュンキュンし、「ばーか」と晴れやかな表情で言った。リビングで起こっていることを知ることもなく。




