伝えたい想い、募る愛Ⅰ
ー私と恋人にならない?ー
鈴ちゃんの口から出た言葉が確かそんな感じのものだった。鈴ちゃんが私に過剰なほどのスキンシップをしていることに間違いないが、それが愛ゆえのスキンシップだと、私は考えもしなかった。鈴ちゃんがこれまで行ってきた行為が全て、愛ゆえの行為であると言うなら、私は少し引いてしまう。それが、今言える最大の本音だ。
鈴ちゃんが告白してきた時、鎖が緩んでいた私は正直嬉しかった。それまでの告白は、あの女優の娘だからと言う理由が多かった。ごく稀に「琴美だから」という理由で近づく人もいたが、私を見る眼差しの奥には、やはり「琴美だから」なんて理由はなかった。彼らの心の奥底は、色々な色の絵の具をごちゃ混ぜにしたような、ドロドロとした汚い色をしていた。下心が丸見えであった。
鈴ちゃんと同じように、女の子から告白されることも少なからずあった。しかし、あの子を除いて、彼女たちもまた汚い色をしていた。「この子と一緒にいれば、私も有名になれる」なんて考えを持つ子など幾らでもいた。だから、鈴ちゃんもそうなのではないかと告白された瞬間はそう思い、私は恐怖で怯えていた。
けれど、私を見る鈴ちゃんの眼差しは、あの女優の娘としてではなく柊琴美として見ていた。 汚い色を持った人たちが沢山いたから鈴ちゃんの気持ちが分かった、そう言っても過言はない。下心があるかどうかと言えば、ある方に分類される気がするが、そうであれ鈴ちゃんの色彩はドロドロとしていない。それが決めてと言っても良かった。
けれど、鈴ちゃんに気持ちを返答したときから、私は鈴ちゃんの顔を見れなくなっていた。
夏の暑さが残るまま、新学期が始まった。窓を全開に開いた教室には、外からの蝉の声が響き渡るが、それでも夏期補習に比べて大人しくなっているような気がする。蝉の寿命は一週間から二週間辺りだが、三年から十七年は地中で生活をしていると聞いたことがある。長い年月を我慢したのにも関わらず、たった数日ほどしか生きれないことに皆は口を揃えて可哀想だと言うが、私はそう思ったことはない。むしろ、たった数日の生命だというのに三年から十七年間も我慢できることに、私は蝉を尊敬する。私なら、成虫にならず幼虫のままひっそりと暮らしたい。
「ちょっと琴美ちゃん、聞いてる?」
私の前の椅子に座ってこちらを見ている香奈ちゃんに呼ばれ、私は我に戻る。
「…ごめん、聞いてなかった。」
私がそう言うと、香奈ちゃんは小さくため息をついた。
「新学期早々、私と琴美ちゃん以外来てないなんて。一体どういうこと…。」
「私と一緒じゃ、駄目?」
「別に駄目というわけじゃ…。」
香奈ちゃんが言っているように、いつもの六人のなかで私と香奈ちゃんしか学校に来ていない。アリスちゃんはお仕事の都合で休んでいると香奈ちゃんから聞いた。二葉姉妹は、妹の舞ちゃんが前日に高熱を出して倒れたらしく、姉の愛ちゃんが看病すると言って休んだと担任の小坂先生から聞いた。いつもは姉妹が逆転しているが、こういうところが姉らしいと私は思った。
そして、鈴ちゃんはと言うと…。
体調不良とか言ってたけど、大丈夫かな…。
何処かどう悪いかは聞かなかったが、鈴ちゃんも体調不良で学校を休んでいる。私も休んで看病すると言ったのだが、学校が午前中ということもあり鈴ちゃんが学校に行けとうるさかったので、私は渋々学校に登校してきた。
あの時、私は久しぶりに鈴ちゃんと会話をした気がする。海に行った日以降、鈴ちゃんから話しかけることはあるものの、私から話しかけることはなかったからだ。会話もほとんど相づちを打つ程度に聞き流していた。
「アリスはともかく、鈴ちゃんと舞ちゃんが心配。」
香奈ちゃんはそう言うと口に手をあてて、一つ小さくあくびをした。今日提出である課題を一つやっていないことが昨日発覚し、今朝の四時まで徹夜していたと言っていた。始業式で船を漕いでいたのもそのせいだろう。
「香奈ちゃんはアリスちゃんに厳しいね。」
私は帰宅する支度をしながらそう言う。ペンケースとファイルしか持ってきていないので、通学鞄はとても軽い。行きは課題などが入っていたが、それでも通常授業がある日に比べるとやはり軽い。今の量ならばいつもの鈴ちゃん見たく、鞄をぐるぐると回せるかもしれない。
「アリスには学校も仕事も頑張ってほしい。だから敢えて、私はアリスに厳しくしてる。」
あくびをして出た涙を拭いながら、香奈ちゃんはそう言ったが、眼鏡を外している香奈ちゃんに見とれ、半分ほどしか覚えていない。
「それでも、厳しすぎない?色んな物没収してるんだし。」
鞄にペンケースとファイルを入れ閉じる私に少し目を細めてこちらを見る香奈ちゃん。私の言葉に不満を持っているわけではなく、眼鏡を外しているからである。彼女曰く、強度の近視のため眼鏡が無ければ何も見えないらしい。
私が香奈ちゃんの目の前で手を振ると、香奈ちゃんは小さく頷き眼鏡をかけた。何故頷いたかは分からない。
「私だって、それは知ってる。けど…アリスのため、だから。」
口を尖らせてそう言う香奈ちゃんの頬は、ほんの少しだけ赤くなっている気がする。相変わらずの仏頂面だが、香奈ちゃんの動作で何となくは気持ちが理解が出来はじめている。
「…香奈ちゃんは優しいね。」
私の口から出た何気ない言葉に、香奈ちゃんは小さく頬を膨らませ私から目線を逸らした。しかし、香奈ちゃんの頬はハッキリとした赤色に染まっていた。
「…それで、私はあの姉妹たちのお見舞いに行くけど、琴美ちゃんはどうする?」
いきなり話題を元に戻す香奈ちゃんに、私は少し反応が遅れ動じてしまう。「深呼吸したら?」と鞄を手にして立ち上がる香奈ちゃんに言われ、大きく息を吸ってそれを魂が出てくるような勢いで全て吐き出した。
そしてまた小さく息を吸い、それと同じぐらいの息の量をため息ながらについた。
「私も、二葉家に行って様子見たいけど、家に鈴ちゃんが居るから遠慮しとく。」
私がそう言うと、「そう…。」と少し寂しげな声で香奈ちゃんは言った。一緒に行くと言えば良かったと思ったが、舞ちゃんには愛ちゃんが付いているので鈴ちゃんほど不安ではない。それに、私が行けば何かと看病のための指導をしそうだ。お節介だと思われたくないから行かないのも理由の一つだ。
ちなみに、香奈ちゃんは私と鈴ちゃんが同じ家で暮らしていることを知っている。この前メールのやり取りでついぽろっと話してしまったのだが、特に気にしてはないらしく、それを言い広めるようなこともしていない。どうしてなのかを知りたいが、香奈ちゃんは別にと言うだろう。聞くだけ無駄である。
私も席から立ち上がり鞄を手に持ちクラス内を見渡した。やはり新学期ということもあり、いつもより人が残っている。この学校は夏休みが終わる二週間前に夏期補習が終わる。よって、部活動生以外は二週間ぶりの登校となる。残って話したいのも分かるような気がする。
「…行くよ、琴美ちゃん。」
香奈ちゃんに手を握られ、私は教室を出た。正しく言うのならば、香奈ちゃんに手を握られ、半ば強引に退出させられた。
教室の前を通る度に、中から話し声が聞こえてくる。夏期補習が終わってからの二週間の話だということは言うまでもなく確定だ。私と香奈ちゃんの横を通りすぎる二人組も、旅行に行ったなどと話していた。他人の旅行話など自慢話にしか過ぎない、何てことを昨日のラジオで話していたのを思い出した。
「…琴美ちゃんは二週間あった期間、何してたの?」
手を握っている香奈ちゃんが、そう私に質問した。
「…特に何も…。」
私はそう告げると後ろを振り返り、先程通りすぎた二人組を見た。仲良く話している二人にいつの間にか、私は羨ましいと思っていた。
香奈ちゃんに告げたようことに間違いはなく、鈴ちゃんとはあの日以降、仲が良くも悪くもないクラスメートのような関係に陥っていた。先程も言ったよう、私から鈴ちゃんに話しかけることはほとんどなく、伝えたいことは琴葉を使って伝えていた。だが伝えてもらっている内容は、お風呂先入るねやご飯出来たからおいでという、最低限の会話だ。私自身、鈴ちゃんにはほんの少し悪いと思っている。しかしいざ話しかけようとなると、鈴ちゃんに対する気まずいという感情が私の鎖の隙間から漏れ始め、結局話さず終いとなっていた。それが何日も何日も続いてしまい今に至る。
私が顔を振り戻すと、香奈ちゃんに握られていた手がいつの間にか離れ、目の前には少し怒っているような顔をした香奈ちゃんがこちらを見ていた。
「ごめん香奈ちゃん。行こっか。」
私はそう言い香奈ちゃんの横を通りすぎる。すると、香奈ちゃんが勢いよく振り返り、私の右手を力強く握りました。急なことだったため、私は少し躓きかけます。
「ちょっと香奈ちゃん。急に手なんか握らないで。」
私は少し大きめの声でそう言い振り返る。その目線の先には、目を鋭くしてこちらを睨み付けているように見ている香奈ちゃんがいた。その表情に、私は思わず唾を呑む。
少し間をおいたあと、香奈ちゃんは小さくため息をつき、私の右手を離した。握られた右手が少々赤くなっている。
「琴美ちゃん。」
香奈ちゃんに名前を呼ばれ、私たちの間に緊迫した空気が流れる。香奈ちゃんのことだ。きっと私と鈴ちゃんがどうなっているのかは予想の範囲内だろう。話せれていないということは知らないだろうが、私たちの間に何かあったことは知っているはずだ。
校内で一番大きな木から葉っぱが風に煽られて校舎内に入ってくる。まだ元気な緑色をしているが、ごく稀に色に暖かみを持った葉っぱもある。
「香奈ちゃん…。私ね。」
私が口を開くと、香奈ちゃんが私の開いた口を指で摘まんだ。私は指を離させようと口を開こうとするが、指先に全ての力を放出している香奈ちゃんに勝てるはずがなかった。
「喧嘩してるんでしょ。鈴ちゃんと。」
香奈ちゃんはそう言い、指をゆっくりと離す。私は少し大きめに息を吸いこみそれを吐くと、香奈ちゃんに向かって小さく頷いた。
香奈ちゃんはそれを確認すると、何やら小さな声で独り言を話していた。私は耳をすますが、それでも聞き取れないほどの声の大きさだ。
私が耳をすますのを止めしばらくすると、香奈ちゃんが独り言を呟くのを止め、再び私の手を握り歩きだしました。
「で、でも別に喧嘩じゃないよ。口を聞いていないだけで…。」
「それ、喧嘩だよ。」
一瞬で反論された私は少しうつむく。そして「香奈ちゃんには分かんないよ。」と小さく呟やいてしまう。
それを聞き逃さなかった香奈ちゃんは、私の手を握ったまま走り出した。鈴ちゃんによく引っ張られていたため足が早くなり、香奈ちゃんほどの足の早さならば早足程度でもついていける。
玄関口に向かうと思えば香奈ちゃんはそこを通りすぎ、気が付けば、私たちがいる進学コースの校舎と総合コースがある校舎の間の渡り廊下まで来ていた。どこからか聞こえてくる部活動生たちのランニングの掛け声が徐々に小さくなっていき、次第に香奈ちゃんの荒い息づかいが私の耳に入ってくる。その息づかいは、発作を起こしたときの鈴ちゃんに少し似ている。
私が普通コースがある校舎を眺めていると、荒い息づかいが治まった香奈ちゃんが大きく深呼吸をした。そして息を吐き終え、再び私を見た。
「私、そういう琴美ちゃん嫌い。」
突如香奈ちゃんに嫌いと言われ、私は動揺する。
「き、急にそんな事言われても…。私の何が嫌いなの?」
こんなこと言わなければ良かったと私は今更ながらに後悔するがもう遅い。香奈ちゃんは鞄を投げ捨て私の制服の胸ぐらを両手で掴んだ。掴まれた瞬間、私は中学の頃の記憶が脳裏を過った。
「そういうところ…。」
香奈ちゃんにそう言われるが、私は何もした覚えがない。香奈ちゃんと接する機会が他の子よりも少ない。アリスちゃんが香奈ちゃんと仲が良いということもある。そのため、私が香奈ちゃんの気のさわるようなことはしていないはずである。
「何で一人で解決しようとするの…。琴美ちゃんも…鈴ちゃんも…アリスも…。」
香奈ちゃんは顔を隠すよう伏せる。香奈ちゃんのワイシャツにぽたぽたと滴る汗が、私は涙にしか見えなかった。
「香奈ちゃん…。」
「どうして私に話してくれないの?」
急に香奈ちゃんが顔を上げたため、私のあごに頭が直撃する。かなりの勢いで上げたため、痛さも倍増しているように感じる。
「「ーーっ!」」
私と香奈ちゃんは悶絶したような声を出しながらその場でしゃがみこむ。以外と香奈ちゃんは石頭だったので痛みがすぐに収まることはなかった。
「琴美ちゃん、大丈夫?」
まだ痛いはずなのだが、香奈ちゃんは私に寄り添い心配する。私も香奈ちゃんを見習い、「大丈夫…。」と言い立ち上がる。それを見た香奈ちゃんもゆっくりと立ち上がる。けれど、香奈ちゃんに何と声をかければ良いか分からず、私は黙りこんでしまう。
「…ねぇ琴美ちゃん。」
しばらくした後、香奈ちゃんが私に声をかけた。私はそれに小さく反応する。それを確認した香奈ちゃんは、また深呼吸をする。息を吐き終え小さく「大丈夫。」と呟くと、香奈ちゃんは決心した目付きで私を見た。
「隠してあることあるなら話して。私、もう後悔はしたくない。」
私の脳には疑問がいくつも生じ、私の頭はごちゃごちゃになっている。質問したいものの、私自身が質問されると困るような内容のため、自身の言葉を喉の奥に仕舞いこみ、頭をたてに振る。
「私、アリスと付き合っているの。」
香奈ちゃんのいきなり過ぎる暴露に私の脳内はさらにごちゃごちゃとし、脳内にあるメモリーが限界寸前だ。
暴露した本人は至って仏頂面であるが、少しばかり嬉しそうな顔をしているように見える。
「それ、言ってもいいの?」
私の喉の奥から出た言葉に香奈ちゃんは少し悩む素振りをするが、「うん。」と頷いた。
「世間にはアリスの立ち位置があるから話していない。けれど、琴美ちゃんたちには何れ伝えようと思った。アリスの許可も下りてる。」
「何でなの…。」
「……信頼しているから。」
香奈ちゃんが顔を背けながら言った言葉が、私の胸に突き刺さる。信頼という二文字が私の頭の中にはなかったからだ。海に行ったあの日、舞ちゃんにも同じようなことを言われた覚えがある。いや、あの日だけではない。高校に入学してからも、中学の頃も言われ続けた。その度に、私は今のような感情が生まれ、そして思った。
信頼しているなんて簡単に言わないでほしいと…。
香奈ちゃんがゆっくりとこちらに視線を戻す。朝から聞こえていた蝉の声がいつの間にか消えている。
「私、鈴ちゃんから話は聞いてる。」
香奈ちゃんにそう言われ、私は固唾を呑む。
「できれば琴美ちゃんの口から言ってほしかったけど…。告白、されたんでしょ。」
香奈ちゃんの言葉に私は後ろを向く。
「…声にしなくてもいい。頭を縦か横に振りさえすればいい。」
香奈ちゃんにそう言われ、私は少し経った後曖昧に頷いた。それを確認しただろう香奈ちゃんが小さくクスッと笑う。どのような顔で笑っているのか確認したいが、こんな顔を香奈ちゃんに見られたくない気持ちのほうが大きく、私は後ろを向いたままの状態でいた。
「琴美ちゃんが何て返答したかも知っている。」
私は視線を地面におとす。目の前には秋の訪れを感じさせるような葉っぱが二枚重なってあった。
「喧嘩している理由、それだよね。」
後ろから香奈ちゃんが手を握る。私も目を閉じて握り返すと同時に、小さく頷いた。
「…私も付き合い始めた頃、アリスと話さなかった。けど、私から話しかけないとって思って…。それで話しかけたら、アリスも同じような気持ちで…。」
香奈ちゃんは私の手を離し、後ろからゆっくりと私に腕を回す。鈴ちゃんよりも身長は高いものの、それでも私より低い。
「話しかけるのが怖いって気持ち、鈴ちゃんもだと思うよ。だから、話してみたら。」
私はその言葉に反応することなく、香奈ちゃんが私の身体に巻き付けてある腕に手でそっと触れた。
「…ねぇ香奈ちゃん。」
私が香奈ちゃんを呼ぶと「何?」と返してくる。私は香奈ちゃんに振り返ることなく、目をゆっくりと開けて言葉を告げた。
「私、鈴ちゃんのこと…やっぱり好きみたい。」
蝉の声が私の言葉を書き消すかのように、先程より盛大に鳴り響いたように感じた。




