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貴女の存在がかわいくて、私はただただ見とれてます。  作者: あんもち
必然デスティーノ
16/97

例えこれが恋だとしてもⅣ

  ******

 

  人は時間が経つのが長く感る時と早く感じる時がある。 十九世紀、フランスのポール・ジャネーは、記憶される時間の感覚は歳が若ければ若いほど長く、歳を取っていれば取っているほど早く感じるという、彼の名前から名付けたジャネーの法則というものがある。分かりやすく言うのであれば、時間の心理的長さは年齢と反比例するというものだ。

  また認知科学や心理学では、身体の代謝が関係してあると考えており、若い人は代謝が良い状態が続く為、時間が経つのが早く感じ、歳を取った人は代謝が良い状態ではため、時間が経つのが長く感じるというものがある。

  ジャネーの法則と認知科学や心理学の考えが矛盾していることは言うまでもないが、矛盾などはしておらず、むしろコレがあることによって時間が経つのが早く感じたり長く感じたりする。

  つまり私や鈴ちゃんみたいな若い人々は、日々の刺激や楽しみを感じることで時間が経つのが早く感じ、それを繰り返し思い出したりすることで同じ事を繰り返し、時間が経つのが長く感じるというわけだ。

  例えるなら、授業中は昨日受けた内容を用いて行うこともある。そういう時は、時間が経つのが長く感じる。一方休み時間に入れば、友達との会話に花が咲く。すると、いつの間にか休み時間は終わっているということだ。中学二年の自由研究で私は時間の感覚についてやっており、まだ記憶が残っているが忘れているところもある。私の説明でわからなければ、調べてくれるとありがたい。

  ともあれ、時間が早く感じたり長く感じたりするのは、このような事が同時に起きてなるものである。私は、授業中は新しい刺激が与えられ早く感じ、休み時間も早く感じる。時間が長いと思ったことはさほどなかった。

  なら何故、私がこのような話をしたのか。それは私が時間が長いと感じたからだ。


 ******


  あれから数時間が経ち、気付いた頃には夕陽が見えていた。橙色に輝く夕陽は、青い海を真っ赤に染め、青い海はその夕陽を反射している。二つの夕陽は徐々に徐々にと距離を縮めている。それを浜辺から見ている私は瞬時に私と鈴ちゃんに置き換える。どうかしていると、私は私自身に呆れる。

  私は夕陽はあまり好きではない。夕陽を見ると昔のことをよく思い出す。特に途切れ途切れの雲を言葉に表しにくい色合いに変えているのを見ると、今はハッキリとは見えないが古傷が痛む。

  私は皆より先に私服に着替え、夕陽から皆へと視線を移す。鈴ちゃん、愛ちゃん、アリスちゃんは未だにハイテンションで水鉄砲を撃ち合っている。午前よりもテンションが高い。よくバテたりしないなと私は思う。

  舞ちゃんと香奈ちゃんもそれに便乗するかのように水鉄砲を撃っているが、かなり疲れきっている。二人とも顔には出さないものの、動きが大分鈍くなっているように見える。

  私は彼女たちを見てクスリと笑う。昔なら、私が友達と仲良くするなど考えたこともなかった。先程(13参考)も言った通り、私が中学で生徒会長になる前までは、よくクラスの人たちにいじめられていた。それは日に日に過激ないじめに発展していった…。それは出来るだけ思い出したくない私の一部の過去だ。




  二年前、五月のゴールデンウィークが過ぎた頃。私は屋上で女の子たちに囲まれていた。つい十分ほど前、クラスの女の子に呼ばれて付いて行くと、そこにいた人たちに囲まれた。先程の子を合わせて六人ほどいる。三人はクラスの子だということがわかったが、残りはよくわからない。けれど言えることとしては、私はこの人たちとは釣り合うことが出来ないということだ。

  私の正面にいた一人が私に近付いてくる。クラスで一二を争うほど悪い子だ。鈴ちゃんと同じ金色の髪を持ち、先端はくるくるに巻いていた。顔と名前は思い出したくない。


「あんた、さっき私のこと見てたよな?」


  その子にいきなりそんなことを言われた、丸眼鏡に前髪が長かった当時の私は戸惑っていた。当時の私は、一人で過ごすことが多かった。登下校一人はあの頃は常識だった。休み時間も話し相手などおらず、一人机の上で本を読んでいた。昼休みになると、屋上に上がりラジオを隠れて聞いていた。今も聞いているお昼の番組だ。しかしあの頃は、最初のコーナーのみしかあの時間は聴いておらず、残りは録画して下校時に聴いていた。別に一人でいるのを好でいるわけではない。いじめられていたのだ。原因は失礼なのだが、私の母親が原因であった。

  私の母親は昔アイドルをしていた。私を産んでから、母親は女優として働き始めた。アイドルのファンや女優としてのファンなどで、母親は一躍有名になり現在に至る。

  そのため、私は「あの元アイドル(または、あの女優)の娘」ということで、私と仲良くしようとする子、私と付き合おうとしている子がたくさんいた。ロッカーの中にはよく手紙が入っていた。

  また、母親が凄いからその娘もすごいに決まっているという期待が周りからよく言われていた。きっと凄い女優になる、有名に絶対なれる。私は未だに将来についてよく考えたことがない。けれど、女優にはならないと誓っている。

  私は嫌だった。私は所詮、母親のおまけに過ぎなかった。たかがおまけに、人は何かに呪いをかけられたように私に集ってくるのだ。それで人は満足するのだろうが、私にとってはただの迷惑でしかなかった。それはあの頃、私をいじめていた彼女たちもだろう。いくら彼女たちが悪いことをして他人の目を奪おうとしても、私というおまけに逆に奪われてしまう。

  彼女たちにとっても迷惑な話だ。彼女たちがどんな気持ちで悪いことをしているのかはわからない。けれど、目立ちたいという気持ちは必ずある。それを意図も容易く、私に奪われるのだ。

  私はいつの日か、私の本当の感情を心の奥底で拘束し、自分の感情を持たないロボットのようになってしまった。周りからの視線や期待が私という人格を崩壊させた。私は、心のそこからいつしか笑えなくなっていた。楽しいと感じなくなった。感じるのは、嫌な気持ちだけだ。しかし、あの頃はそれすらも感じない時があった。

  それでも、私は「あの人の娘、柊琴美」として感情を造っていくようになった。しかし、そうすればするほど気持ち悪くなっていた。よく吐いていたものだ。

  そして中学一年の時、私は壊れてしまい、罪を犯した。これが私の癒えない傷だ。罪についてはあまり話したくはない。

  あの日以来、周囲の視線や期待は急激に減った。しかし、それでも私に好意を持つ者は減らなかった。それとほぼ同時期に、私に対する不満が溜まりまくっていた人たちが、私をいじめるようになった。

 

「見ていま…。」

「声が小せぇんだよ!」


  私の返答に聞く耳を持たない彼女は、私を一発殴った。私はお腹を支えながらその場に倒れ込む。味わったことない痛みに、私は恐怖を覚えた。しかし、それもまた本心ではない。本当の感情を出さない私には、恐怖すらも造っていた。

  私はその場で咳き込む。しかし、彼女は躊躇なく私のお腹を蹴り続けた。的確に同じところを蹴るため、痛みが徐々に増していく。

  それを見ていた残りの五人も、彼女に続いて私を蹴り始めた。私は蹴られる度に痛みを味わい続けた。しかし抵抗すれば、またあの時のことを思い出してしまいそうになるので、私は一切抵抗することはできなかった。

  どのくらい蹴られたかは数えるきにもならなかった。しかし、私の身体に傷が付いていることはわかる。膝や腕からは血が出ているだろう。液体が流れるような感覚が、私の脳に伝わってきたからだ。


「おい、何か言えよ?」


  ボロボロの私に、彼女は尋ねる。聞く耳を持たない彼女に何を言っても無駄なことがわかっていた私は、朦朧とした意識のなか、彼女を睨み付けた。


「貴女…何かに…わ、私の…何がぁ…わかる、の?」


  私の吐いたその台詞に、短気の彼女は怒ったような顔をしていた。いつも怖そうな顔をしているが、眉間にシワをよせ首の骨を鳴らしていた。

  彼女が残りの五人に何かしらの合図を送ったのか、二人が私を起こし脇から腕を回し、私を動けないように固定した。私を固定する力はとても強く、非力な私はびくともしなかった。

  私は何をされるかは大抵検討は付いていた。しかし、恐怖はなかった。私に何をしようと、私は造った感情しか出せなくなっていた。

  彼女は手に巻いていた包帯を外す。手には大量の古傷が入ってあった。喧嘩で付いた傷だろう。刃物で切られたような傷もあった。中学二年で何故そんなに傷があるのか、私は絶体絶命の状況だというのにそんなことを考えていた。

  外した包帯をその場に捨てた彼女は、右手で拳を作る。そして、私に向かって大きく一歩前に近づき拳で私の顔を殴った…。




  殴られる回想を見た瞬間、私の頭にタオルが乗っかる。一瞬殴られたのかと動するがタオルからは木の香りがするため、すぐに二葉姉妹のどちらかだということがわかった。

  私はタオルの中から人影があることに気付き、タオルを手に取り、人影の当人を見る。


「愛ちゃん?」


  二葉姉妹は双子である。つまり、ほとんど身体の造りが瓜二つということだ。そのため初対面だと、どちらが姉の愛ちゃんでどちらが妹の舞ちゃんかはわからないだろう。

  そのため彼女たちは髪の束ねかたをお互い別々の方向にしてある。右に束ねているのが愛ちゃんで左に束ねているのが舞ちゃんだ。ちなみに前までは、舞ちゃんが髪を伸ばしていたためそれで判断しても良かったのだが、期末試験期間中にあった髪型検査で引っかかってしまい髪をバッサリと切ってしまったため、今では愛ちゃんとさほど長さが変わらない。と言ってもショートボブとセミショートなので目を凝らして見れば数秒後にはわかるだろう。それでもたまに、姉妹揃って髪を束ねていないときがある。

  つまり、現在はそんな状況である。髪を束ねておらず、さらには髪が濡れているためタオルで拭き取っている。そのため、正確な髪の長さが変わらない。極めつけに午前中とは違う私服を着てある。双子コーデだということを仮定とすると余計にわからなくなる。声を聞けばわかるのだが、それは私のプライドが許さなかった。

  私はあることを思い付き、彼女の顔をまじまじと見つめる。髪を拭き終えた彼女は私の視線に気付いたらしく、彼女も私を見つめた。するとすぐに、照れたような顔をした。どうやら舞ちゃんみたいだ。舞ちゃんは人と目を合わせるのが苦手で、例え私たちだとしても照れたような顔をする。愛ちゃんにはない特徴だ。

 

「ど、どうしたのですか、琴美さん?」


  舞ちゃんはゆっくりと私の横に乙女座りで座る。そして、舞ちゃんの鞄の上に置いてあった白のラッシュガードを羽織る。本当なら、水着の上に羽織るのだが、別に違和感がないのでそのままにしておくことにした。


「舞ちゃん。海はもういいの?」


  私は舞ちゃんの顔を見る。髪を束ねていないと本当に舞ちゃんなのかと怪しんでしまう。まぁそれが、双子の姉妹なのだが。

  舞ちゃんは「はい。」と言い頷く。


「これ以上遊んでいると、何かバチが当たるんじゃないかと思いまして。」


  そう言って舞ちゃんは、夕陽を見る。その目は、先程の私のように過去を思い出しているような目をしていた。

  そんな舞ちゃんを見て、私は愛ちゃんが言っていた言葉を思い出した。


 ー人見知りのせいで、よくいじめられててな…ー


  私とは理由が違うが、舞ちゃんもいじめを受けていたのだろう。「ホントなの?」と言いたいが、それは私の本心なので、声にすることが出来なかった。いや、声にすることを拒絶した。

  私は舞ちゃんの瞳から雫が流れていることに気づく。舞ちゃんはいつも笑っている。目が合えば、私たちに笑顔を見せる。けれど、今は違う。その表情は、私が彼女に殴られていたときのような死んだ目をしている。そこから流れる雫は、舞ちゃんが本心を取り戻した、そんな風にもとらえられた。このような展開は、ドラマで見たことある。

  私は舞ちゃんが羨ましいと思った。爽やかに笑う彼女は、私と似た心境の人間だが私よりも前にいる。以前より、私は感情を表に出すことはできている。けれど、舞ちゃんのようなにこやかな笑顔を出すことはできても、それはただの作り笑いでしかなかった。私はこれまでに感じている気持ちは全て、嘘と言ってもよかった。

  私は…ただの偽善者にすぎなかった。私はみんなと過ごしたこの数ヶ月、ほとんどを偽善者として過ごしてきた。


  そんな私は……私が嫌いだ。


  けれど一つだけ、一つだけ気になることがある。これが私の本心なのかは定かではない。けれど、もしこれが本心だとすると、それを偽善しなければならない。それが、最良の策だと私は考えている。


「あの、聞いてますか?」


  舞ちゃんが私の頬を人差し指でふにふにしながら尋ねていた。一切話を聞いておらず動揺のあまり、ペットボトルを倒してしまう。幸い、蓋は開いていなかったため中身がこぼれているということはなかった。こぼれていれば、すぐ側にある鈴ちゃんの鞄にかかるところだった。


「ごめんね、何も聞いてなかったの。」


  私は倒れたペットボトルを拾い、蓋を開けて口につける。夕方になり太陽が下がり始めたため、ペットボトルはビーチパラソルから露になった結果、冷たいはずの飲み物が熱くなっていた。私は熱さのあまり、砂浜に吐き出す。


「琴美さん。これ。」


  舞ちゃんはそう言い、飲みかけのトマトジュースを私に渡してきた。「ありがと。」と言い、私はそれを受け取って口につけた。塩味ではなかったので一先ず安心だ。舞ちゃんはトマトジュースを好んで飲むが、私は苦手だ。トマトそのものがダメである。トマトを加工しているケチャップ等は別だ。

  私はトマトジュースを口から離し、舞ちゃんに渡す。ほんの少しだけいただいたので、残りはまだたくさんある。


「…ありがと、舞ちゃん。」


  私はまだ少しだけ濡れている髪の毛をいじりながら、舞ちゃんにお礼を言う。これは私が今言える精一杯の舞ちゃんに対する感謝だ。私は舞ちゃんから視線を反らし、海の方を見た。未だに遊んでいるみんなは、まだ元気そうである。浮き輪が沖に流されているのに気づいてほしいのだが…。

  そんな私を見た舞ちゃんは、「楽しそうですね。」と言い笑った。そんな舞ちゃんの姿を私は羨ましいと思った。そして、私も舞ちゃんみたいに本気で笑いたいと思った。偽善者ぶらず、全てを吐き出したいと思った。私の全てを吐き出せば、私はきっと楽になるだろう。

  けれど、もし私が偽善者だということをみんなに話すと、みんなに嫌われるかもしれない。鈴ちゃんが私のために作ってくれたみんなを私は裏切っている。嫌われても仕方がない。けれど…私は…。


「琴美さん。私、感謝してるんです。」


  舞ちゃんのその言葉に、私はまた舞ちゃんを見る。


「感謝?私に?」


  舞ちゃんは小さく頷き、乙女座りから体操座りに体を動かす。舞ちゃんの色白の肌が、夕陽で赤く染まっている。


「以前の私は、その…私の言いたいことが言えませんでした。」


  私は胸の辺りがチクチクし、右手で胸の辺りに手を当てる。心臓の鼓動が伝わってくる。至って健康的な鼓動の早さだが、胸のチクチクは止まらなかった。


「ご飯を作ったとき、私とても嬉しかったです。あの時食べたハンバーグが、私がこれまで食べてきたなかで一番おいしかったです。」


  愛ちゃんの話によると、舞ちゃんはあまりお肉やお魚は食べないらしい。その場によっては食べるが、食べ終わると直ぐにお手洗いに行き吐いていたらしい。

  けれど、私たちが二葉家でご飯を食べたときは大丈夫だったと聞いていた。あれ以来、少しずつ舞ちゃんはお肉やお魚を食べているらしい。

  私はあの日のことを思い出す。ハンバーグは鈴ちゃんが私の家に住み始めてからよく作っている。けれど、あの日食べたハンバーグが一番美味しいと私も思っている。

 

「けれどあの時、私は未だに信じていませんでした。」


  舞ちゃんは何を信じていないのかは言わないものの、大体の検討は付いていた。きっと舞ちゃんは、私たちのことを信じていなかったのだろう。普通なら他人事のように聞き流すのだが、私は聞き流せなかった。


  それは…未だに信じることが怖かったから。


  私の胸の鼓動は、先程より早くなっている。チクチクも増し、まるで鎖で心臓を締め付けているように苦しかった。気持ち悪く、何より…嫌だった。

  舞ちゃんはゆっくりと体をこちらに向ける。鈴ちゃんが横にいることが多く、少し新鮮に思える。

  舞ちゃんの手が、私の胸に当てている手をそっと上に重ねる。私が胸に手を当ててるいることを知っていたらしい。

 

「琴美さんのおかげで、私は私に戻れました。だから、感謝しているんです。」


  冷たい風がサッと吹き、私と舞ちゃんの髪が流れる。目に髪がかかった私は、胸に当てている手とは反対の手で髪を耳にかける。散髪してもらうのが苦手になってしまった時から、一度も床屋には行っていない。前髪は自分で定期的に切っているのだが、後ろ髪は背中の半分まで伸びきっている。校則上問題はないのだが、うっとしいと思うことはある。

  私は自然と自分の髪を見ていた。はっと思い、私は舞ちゃんを見る。舞ちゃんも髪が気になるような仕草をしている。けれども、私の方をずっと見ていた。

  私が舞ちゃんを見たのに反応し、舞ちゃんは口を開けた。


「だからその…頼ってください。今度は私の番です。」


  舞ちゃんは笑顔だったが、急に真剣な目をする。こんな舞ちゃんは私は始めてみる。そして、私の手の上に重ねた舞ちゃんの手の力がほんの少し、強くなったように感じた。私の視線が舞ちゃんの手にいく。


「琴美さん、何か隠していませんか?」


  その言葉に、私はつい反応してしまう。舞ちゃんが発した言葉が、私の胸をさらにチクチクとさせた。表情には出さないものの、吐き気がした。


 ー舞ちゃんには関係ないでしょ。ー


  その言葉が私の脳裏を過るが、私はぐっと堪える。私の背中からは生ぬるい変な汗が流れた。


「…大丈夫だよ。私、悩みなんてないから。」


  私はそう言って笑顔になる。けれどそこに、心なんて言葉はない。こうして笑顔を作ることが私を崩壊への導いていることはわかっている。けれど、そうでもしないければ、私は私を恨み、妬み、そして殺したくなる。

 

  …それが、私柊琴美の本性だ。


  私の言葉をまばたきひとつぜず真剣に聞く舞ちゃん。余所見をすれば、私が偽っていることがばれると思い、私は舞ちゃんにまだ笑顔を向ける。

  舞ちゃんとの見つめ合いは鈴ちゃんが間に入ったことにより終止符が打たれた。鈴ちゃんは「琴美ぃ!」と言いながら勢いよく私に抱きつく。「きゃっ!」と私は声を出す。抱きつくまで、私は鈴ちゃんに気づいていなかった。それは舞ちゃんも同じだろう。明らかに驚いた顔をしている。

  私はそのまま、鈴ちゃんに押し倒された。蓋を閉めていなかった舞ちゃんのトマトジュースがシートの上にこぼれた。私と鈴ちゃんにも少々飛び散る。ホームセンターで売っている一般的なブルーシートのため、事故現場のようにしか見えなかった。


「鈴ちゃん!?」


  私は鈴ちゃんの名前を呼ぶ。鈴ちゃんは私に抱きついたまま、私の頬に鈴ちゃんのやらかくもっちりとした頬をスリスリとさせる。髪から垂れる海水が、私の顔にゆっくりと流れてくる。

  私は舞ちゃんがいることに気付き、急いで鈴ちゃんを離そうとするのだが中々離れない。

  鈴ちゃんは気付いていないだろうが、鈴ちゃんの小さな胸が私の右腕に当たっている。私はつい理性が出てしまいそうになり、その小さな胸に手で触れそうになっていた。しかし、私は堪える。


「りんりん。海から出て来てからすぐ飛び付いたら、ことみんの服が濡れるよ。」


  アリスちゃんがそう言って、私から段ボールを持ち上げるように鈴ちゃんを離してくれた。鈴ちゃんは軽いので、非力な私も頑張ると担げるようになった。しかし、持って三秒…。

 

「だって私、今日琴美と全然遊んでないもん。琴美ともっと遊びたいの!」


  鈴ちゃんはそう言い、アリスちゃんに担がれたままジタバタと抵抗していた。

  私は起き上がり、髪を整える。耳からは鈴ちゃんとアリスちゃんの言い合い見たいな声が聞こえてくる。二人は仲が良いものの、考え方が百八十度程違うためよく入れ違いが起こる。後先考えているアリスちゃん。目の前の事しか見ていない鈴ちゃん。この二人の考え方は、永遠に理解し合えないだろう。

  私はふと、舞ちゃんの方を見た。先程とはうって代わり、舞ちゃんはこちらをニコニコと見ていた。どうやら私が偽っていることに気づかなかったみたいだ。

  私はうつむき、小さく息を吐いた。先程飲んだトマトジュースがほんのりと私の鼻を通る。


「琴美さん。」


  私は舞ちゃんに呼ばれ、返事をしてから舞ちゃんをもう一度見る。鈴ちゃんとアリスちゃんの言い合う声とは別に、愛ちゃんと香奈ちゃんの声が徐々に聞こえてくる。あまりない組み合わせなのだが、香奈ちゃんは何やら興奮気味で話しているようだ。いつもと少し、口調が違う。

  私の耳が違う方向に向いてあるのに気付いた舞ちゃんは、私をムッとした表情で見ている。よく愛ちゃんがしているのであまり新鮮に感じないが、怒っていることには違いない。これにより、二葉姉妹は怒るとき小さく左の頬を膨らますことがわかった。

  私は「ごめんなさい。」と舞ちゃんに聞こえる程度の声で伝える。舞ちゃんと話していた話しは、あまり聞かれたくなかったからだ。

  舞ちゃんは私の言葉に反応し、乙女座りから四つん這いへと体勢を変え私に近付いてくる。鈴ちゃんがこちらを見ていないのをつい確認する。鈴ちゃんはちょうど、アリスちゃんと更衣室のある方向へと向かっていた。

  舞ちゃんが私の耳元まで顔を近づける。まだほんのりと、舞ちゃんの髪の毛から潮の香りがする。そして舞ちゃんは、私の耳元でこう囁いた。


  「嘘はいけませんよ、琴美さん。」


  舞ちゃんに言われたその言葉が、私の鎖をさらに締め付ける。多分舞ちゃんは最初からわかっていたのだろう。私が偽善者であることを。

  それでも私は…。


「…何もないよ。」


  目を閉じて舞ちゃんの頭をゆっくり撫でながら、また嘘をついた。まだ信じるのが恐かった。

  私は舞ちゃんにバレぬよう、涙を流した…。




  夕日がそろそろ落ち行く頃、私たちは最寄り駅で電車を待っていた。たまたま休憩所があったため、私たちはそこでのんびりとしていた。昔からある駅のため、一時間に一本ほどしか電車が止まらない。観光地としてどうなのかとアリスちゃんは言っていた。

  休憩所の中には、私たち以外にも沢山の帰宅者で賑わっていた。無論、アリスちゃん目当てでいる人たちが大半である。アリスちゃんは一人一人の質問に笑顔で答えている。私なら作ってもあんなことはしたくない。

  それは香奈ちゃんも同じ気持ちなのだろう。アリスちゃんを見ている人たちに向けて睨み付けている。まるで番犬のようだ。

  愛ちゃんは舞ちゃんの膝枕で眠っていた。香奈ちゃんとは違い、愛ちゃんの寝顔は仔犬のようだ。一番笑って一番悲しんだ愛ちゃんに、舞ちゃんは気付く素振りはなく、頭をゆっくりと撫でている。私たちならわかるものの、他人からすれば姉妹逆転だろう。

  鈴ちゃんはというと、忘れ物をしたと言って取りに戻っている。あと五分で電車が来るにも関わらず、鈴ちゃんらしき人物はいなかった。

  私は携帯のメールボックスを見るが、鈴ちゃんからのメールは来ていない。メールを無駄じゃないかというほど送ってくるため、メールが来ないのが逆に心配になる。


  なんで鈴ちゃんの心配なんか…。


  私は携帯の画面を切ろうと電源ボタンに触れるが、画面を切ることに躊躇っていた。

  鈴ちゃんのことになると、私の胸の鎖が少しだけ緩くなる。そう感じるようになったのは、つい最近のことだ。入学式で出会ったあの日、鈴ちゃんに見せた涙は本物だった。体育大会で鈴ちゃんの事を知ったときに流した涙も本物だった。今考えると、鈴ちゃんと一緒にいた時間は常に本物だった。琴葉に対して怒ることはよくあるが、感情的になって怒ることはさほどなかった。

  日常生活でも影響は出ていた。私は鈴ちゃんが側にいたとき、心から笑えていたと思う。

  そう思うと、私はいてもたってもいられなかった。


「どこにいくんですか、琴美さん?」


  私が席から立ったことにいち早く舞ちゃんが気付いた。その声で愛ちゃんがゆっくりと目を覚まし、大きくあくびをする。

 

「ちょっと心配でね。」


  私の言葉に反応したのは、話を聞いている舞ちゃんではなく、すぐ側で営業スマイルをしているアリスちゃんだった。急に私に振り返ったので、アリスちゃんの目の前にいるファンは驚いている。

  けれど、振り返ったアリスちゃんの真剣な顔に私の興味は向いていた。

  私とアリスちゃんは見つめ合う。舞ちゃんは私たちを見てよく分からないような表情をしている。正直なところ、私も何故アリスちゃんがここまで真剣な顔をして私を見つめているのかはわからない。

  アリスちゃんが私に手を伸ばすと、私の頬に触れた。海から出て時間が経っているにも関わらず、その手は冷たい。

  周りからよく分からない歓声が湧いたが、私の脳は疑問で埋まっていた。 何故歓声が湧いているのか、今の私には知るよしもない。

  アリスちゃんは私の頬に触れたまま私を真剣な眼差しで見つめている。赤い目と黄色い目を持つアリスちゃん(二参照)は何処と無く、私の母親と同じ匂いがする。

  「大丈夫そうね。」と小さくアリスちゃんが呟くのを、私は聞き逃さなかった。


「それってどういう…。」


  台詞の途中だというのに、アリスちゃんは私の頬から手を離し、私の肩を両手でガッチリと掴む。そして、私を強制的に後ろへと方向転換した。

  私は振り返る。アリスちゃんは先程とは違い、笑顔だった。それが営業スマイルか、舞ちゃんみたいな屈託のない笑顔なのかはわからない。

  無言で私を見るアリスちゃんに、私は弱々しく頷く。それとほぼ同時に、私の携帯にメールが届いた。




「鈴ちゃぁぁぁん。」


  私は皆で泳いいた辺りを歩いていた。人があまりいないため、私の声が遠くまで通る。


「いるならいるで返事してぇぇ!」


  私は少し声の大きさを上げる。けれど、鈴ちゃんからの返事は一切ない。

  私は小さくため息をつき、携帯を開ける。画面には、先程届いた鈴ちゃんからの写真つきのメールだ。呑気なことに、夕焼けが綺麗という件名で送っている。そんなことをしている余裕があるのなら、早く忘れ物を見つけてほしい。

  私は顔をあげ周りを見る。あと数分で夕日が海に沈むというのに、未だに鈴ちゃんらしき人の姿が見つからない。通り際の人たちに聞いたが、そんな子は見ていないと言っていた。

  私は連絡先のアプリを開け、鈴ちゃんと書かれてあるところを押す。電車はもう行ってしまっているため、あと一時間ほど待たなくてはいけない。時間はあるものの、もうすぐ暗くなってしまう。それまでに鈴ちゃんと合流したいと私は思いながら、鈴ちゃんが出るのを待つ。しかし、一向に出ない。


  何処に行ったのよ。


  私は携帯をポケットにしまい、浜辺の方へ向かう。もしかすると、海の中に落ちてそれを探しているのかもという仮説を立てたからだ。

  私はまた砂浜に上陸する。サンダルの隙間から砂が徐々に徐々にと入ってくる。また足を洗わなければならないが、今は鈴ちゃん探しに夢中になっているのでそれどころではない。

 

  …あ。


  私が砂浜に上陸してから数秒後だった。海に人影が見えたからだ。誰だかはわからないが、私は鈴ちゃんであることを願いそこへ向かっていく。

  私はどのくらいの距離かはハッキリとはわからないが、人影の髪が輝いたとき、私は鈴ちゃんだと確信し走った。砂浜の上のため、いつもより走るのが遅く感じる。

 

「鈴ちゃん!」


  私がそう叫ぶと、人影はこちらを向いた。どうやら鈴ちゃんで間違いはなかったみたいだ。

  鈴ちゃんは海水が膝の辺りまで浸かっているところに立っている。それでも私は走って海へ入っていく。そして鈴ちゃんにゆっくりと近付いた。昼間よりも水温が低く、冷たいというより寒いといった方がよい。いつから鈴ちゃんは、ここにいるのだろうかと私は考えた。


「来たんだ、琴美。」


  鈴ちゃんはそう言うと、私に笑顔を向ける。私は鈴ちゃんからあと五歩ほどのところで止まる。これ以上進んでしまうと、風邪を引いてしまいそうだからだ。


「来たんだって…。鈴ちゃんがあんなメールを送ったじゃない。」


  私は携帯を開け、鈴ちゃんから届いたメールを鈴ちゃんに見せつけた。写真を添付してあるメールだ。


「最後の一文、どういうこと?」


  私は携帯をポケットにしまい、鈴ちゃんに問う。鈴ちゃんが送ってきた最後の一文。それは…。


  大事な話があるから、来て。


  私は鈴ちゃんを真剣に見つめる。そんな様子を見た鈴ちゃんは、夕日の方を向く。


「琴美は夕陽、好き?」


  鈴ちゃんがどんな表情で私に聞いているのかは分からない。私の質問に答えてほしいが、鈴ちゃんはまだ答える気はないだろう。

  私は聞こえる程度に鈴ちゃんに向けて声を発する。


「私は夕陽は嫌いだな。」


  私がそう答えると、私たちの間に沈黙ができた。鈴ちゃんが私の答えを聞いて、何をどう感じている、あるいは考えているのかはわからない。わからないから、私は分かりたいと思っていた。


「…鈴ちゃん?」


  つい声が出てしまった私は、そのまま鈴ちゃんに触れようと近づいていく。私の鎖は非力な私でも引きちぎれそうなぐらいまで緩くなっていた。

  私が鈴ちゃんに触れる寸前で、鈴ちゃんは振り返る。私は咄嗟に、鈴ちゃんに触れようとした手を引き戻す。鈴ちゃんは気付いていないみたいだ。


「私は好きだな、夕陽。」


  鈴ちゃんはそう言ってまた夕陽を見る。


「私が琴美と始めて出会った日、覚えている?」


  鈴ちゃんは私に問う。もう十年も前だが、今でもあのときの記憶は鮮明に覚えている。忘れるわけがない。


「琴美が公園で迷子になっているときも、こんな夕陽だったよね。」

「外でその話しはしないでって約束したよね?」


  昔、近所の公園で迷子になったことがある。何故迷子になったかは覚えていないが、迷子になったのは覚えている。お母さんと言いながら、木の下で泣きじゃくっていた。その時、私に小さな手を出してくる女の子がいた。

  それが、今夕陽を見ている鈴ちゃんだ。


「あぁ!そうだったぁ!」


  鈴ちゃんは驚いたような声を出す。私に覚えている?と尋ねておいて、自らは覚えていないみたいだ。

  けれど、言わないでって言ったのはつい最近のようが気がする。

  私は鈴ちゃんのその様子を見て、思わず笑ってしまった。心のそこから笑っていた。

 

「なんで笑ってるのさ、琴美ぃ!」


  鈴ちゃんは少し怒った口調で私に振り返って言う。けれど、私は笑い続けていた。

 

「いやぁ、鈴ちゃんらしいなって思ったの。」


  私は笑いをこらえながら鈴ちゃんの誤解を解く。

  鈴ちゃんは少し怒った口調で「バカぁ!」「アホぉ!」と荒い言葉を使っていた。けれど、それもすぐに聞こえなくなり、私が気付いたときには、鈴ちゃんは笑顔で私を見ていた。


「どうしたの、鈴ちゃん?」


  私がそう言うと、鈴ちゃんはゆっくりと私の頬を手で触れる。そういう雰囲気ではあるものの、私は拒否反応を起こしていた。


「鈴ちゃん、今はそうな感じじゃ…」

「案外、一番楽しんでいたの琴美でしょ?」


  鈴ちゃんの唐突な言葉に、私は目を少し見開く。そして、私は視線をそらした。鈴ちゃんは家族みたいなものだ。だから鈴ちゃんには多分、私の事などお見通しなのだろうと私は思う。

  鈴ちゃんの言うとおり、案外私が一番楽しんでいると思っていた。けれど、それは私が偽ったて作った感情なのかと思っていた。

  私は視線をそらしたまま、小さく頷く。そんな様子を見て、鈴ちゃんは目を閉じて短いため息をつく。


「私ね、今日ずっと琴美のこと見てたんだ。」


  この状況でなければ、鈴ちゃんの吐いた台詞はストーカー犯罪として現行犯だろう。


「驚いているところ、悲しんでいるところ…そして何より、楽しんでいるところ。けど…。」


  鈴ちゃんはゆっくりと目を開けた。


「そこに本当の…」

「鈴ちゃんに何がわかるの…。」


  鈴ちゃん相手だと、私はすぐに感情的に当たってしまう。その癖のせいで、 私は私の頬を触れていた鈴ちゃんの手を払い除ける。その行動に鈴ちゃんは驚きを隠しきれていなかった。


「そんなことわかってる。私だって自分に嘘なんてつきたくない。」


  私に払い除けられたにも関わらず、鈴ちゃんは私に触れようとする。しかし、私はそれも払い除ける。私を見る鈴ちゃんの悲しい瞳が、私の鎖を締め付ける。


「けれど、そうでもしないと私の気持ちを抑えることが出来ない。そうでもしないければ柊琴美は生きていけない。だから私は今までそうして生きてきた。」

「違う…琴美は…」

「違わなくなんかない。」


  私は鈴ちゃんに言葉を言わせることなく、また話し出す。


「鈴ちゃんは私が行ってきたことが嘘だって知っていて、何でそんなに優しく接してくれるの?何で私に手を差しのべてくれるの?」


  私は鈴ちゃんの両肩を掴み、大きく前後に揺らす。けれど鈴ちゃんは、何も抵抗してこない。抵抗すれば、確実に私が力負けするからだと思う。

  そんな優しさを踏みにじるかのように、私は言葉を続ける。


「私があの人の娘だからなの?」

「違う…。」

「私がいじめられてたから?」

「違う…。」


  私は「…そう。」と言い捨て鈴ちゃんの両肩から手を離し、一歩下がる。そして私は顔を伏せ、弱々しく鈴ちゃんに問う。


「なら、どうして…。」

「琴美だからだよ。」


  何かのドラマから引っ張ってきたかのような台詞を鈴ちゃんは吐いた。こういうシチュエーションだと次に私が言う台詞は一つしかない。


「私、だから?」


  私はゆっくりと顔をあげ、鈴ちゃんを見る。鈴ちゃんは頷き、胸に飛び付くように私を抱きしめる。所々骨が痛むが、私は我慢した。


「琴美はいつも、私のことを怒っている。怒っているっていうことはその分、私のことを大切にしてくれているってことだよね。」


  鈴ちゃんは少しだけ抱きしめる力を弱める。多分私が我慢していることに気付いたのだろう。

  鈴ちゃんは顔をあげ、私を見る。私と鈴ちゃんの身長差は頭半分ほどのため、すぐにでもキスができるような位置だ。いつもの鈴ちゃんならば、私のことはお構いなしにキスをするだろう。

  けれど、今は違う。鈴ちゃんは私を笑顔で見つめ、口を開いた。


「だから私も怒られた分、琴美を大切にしようって思ったのだ。」


  先程まで鈴ちゃんの言葉を聞くたびに、私の鎖が私の全てを締め付けていた。身動きひとつとれないぐらいに、きつく、苦しく締め付けていた。私は今すぐにでも投身自殺を図りたいと思っていたほどだ。死ねば楽になると昔はよく考えていた。

  けれど、鈴ちゃんは違った。私が何処かに行ってしまっても、鈴ちゃんは間違いなく私を探しに来るだろう。どんなに遠くても、どんなに無理なところでも、鈴ちゃんは探しに来る。

  私はゆっくりと鈴ちゃんを包み込んだ。潮の香りしかしなかった空気に僅かながら、柑橘の香りが混ざり込む。金色の髪の毛は夕陽の光でよりいっそう輝かしく見えた。


「…琴美?」


  鈴ちゃんは私を抱きしめたまま、少し動揺している。鈴ちゃんの心臓の鼓動が、私の全身から感じているからだ。少しずつ、鼓動が早くなっていく。

  私は鈴ちゃんを抱きしめたまま、目を閉じた。


「…ありがと、鈴ちゃん。」


  私は鈴ちゃんの耳元でそう囁き、ゆっくりと鈴ちゃんから離れる。鈴ちゃんの心臓の鼓動は感じなくなったが、私の鼓動が感じられる。

  私は誓った。せめて鈴ちゃんにだけでも、本心で話せるようにしたいと。鈴ちゃんなら、私のことを全て受け止めてくれるような、そんな気がしたからだ。いつしか全てを話す日が来るだろうが、その日までに、私は言いたいこと全てを話せるようにしたいと誓った。

  私は鈴ちゃんの手を握り、浜辺へ向かおうとする。もう辺りは暗くなりつつあり、もうじき太陽が沈む。人の姿は私と鈴ちゃん以外、誰もいなかった。それが鈴ちゃんの狙いだったのかもしれない。

  私が浜辺へ向けて動こうとした時、鈴ちゃんは私が握った手を引っ張ってきた。まだ遊び足りないのだろうか。まだ電車まで時間があるが、これからさらに水温は下がり始める。長居は身体によくないだろう。


「鈴ちゃん、また今度海へ来よ。その時、私がいっぱい相手してあげ…。」

「大事な話、忘れてない?」


  私は振り返り、鈴ちゃんを見る。鈴ちゃんの頬は少しだけ赤くなっている。鈴ちゃんの後ろに夕陽があるので、夕陽が理由ではない。

  けれど、そこにあった私を見る鈴ちゃんの眼差しは、幼き頃、別れる際に見せたものと同じ、意を決したのような眼差しであった。そのため私は、少し恐かった。

 

「琴美…私と恋人にならない?」


  鈴ちゃんの唐突な告白は、私を呆然とさせると共に、私のモヤモヤしていた気持ちが綺麗に晴れさせた。その時、この気持ちが本物だということに、私は確信した。

  私と鈴ちゃんとの間に出来た沈黙は、私の返答で終わり、私の返答でまた始まった。その沈黙は夕陽が完全に沈みきったあとも続き、気がつけば、波の音と鈴ちゃんの泣き声が耳に入っていた。

  私は…嘘はつかなかった。

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