Give and Take Ⅰ
体育大会が明け早いところ一週間が経とうした。学校内では体育大会の余韻に浸っているが、部活動生にとってはそろそろ大会も近づいてくる時期だった。
また、あと二週間ほどで期末テストがある。学校内はまだそんな雰囲気は出ていないが、私は図書室で黙々と舞ちゃんと勉強している。
ちなみに、アリスちゃんはドラマの撮影のためお昼ぐらいに学校から出ていき、香奈ちゃんは体育大会の疲れがまだ取れず、今だ家で寝込んでいる。
鈴ちゃん愛ちゃんはというと、前の中間テストが悪く補習を受けている。
私たちは基本みんなで帰るので、舞ちゃんと一緒に図書室で勉強しているというわけだ。
「琴美さん…ここ、どうやって解くのですか?」
舞ちゃんが数学のノートを出して私に尋ねる。体育大会をおきに、敬語から抜け出してくれるかと思ったのだが、本人はやはり敬語じゃなければいかないと言っていた。
「あぁそこね。そこは四十二ページの応用問題だから、四十二ページを見れば解き方は載ってあるよ。」
私は舞ちゃんにそう言い、眼鏡の位置をあげる。最近になり、少しだけ視力が悪くなった。けれど、コンタクトレンズは嫌なので、母親に眼鏡を買ってもらい、おもに作業するときにかけることにしている。縁の色は黒か白で迷った末、黒にした。
私たちはとりあえず、テスト初日にある数学の勉強をしている。本当ならみんなで勉強会を開くつもりだったが、こうなってしまうと仕方がない。
「そ、そういえば…琴美さん…。」
舞ちゃんに呼ばれ、私はシャープペンシルを机に置いて舞ちゃんを見る。私は「どうしたの?」と軽く返事をする。
「体育大会が終わってから…その…鈴さん、げ、元気ないですよね…」
「…わかるんだ、鈴ちゃんの気持ち。」
私は舞ちゃんの質問に対して、少しだけ素っ気なく返事する。
体育大会でリレーを途中棄権した鈴ちゃんは、あのあとからずっと、ポッカリ穴が空いたみたいにボーっとしているときが多々ある。それは、一番近くにいる私の心を痛ませる。
「体育大会であんなこともあったし、仕方ないよ。それに、もう少し時間が経てば、鈴ちゃんのことだからコロッと元に戻るんじゃないかなぁ?」
私は舞ちゃんに明るく振る舞う。けれど、心のそこではコロッと戻るなんて軽いことは考えていない。
確かに鈴ちゃんは子供っぽいが、私よりも色々なことを我慢しているんだと思う。障害のせいでやりたいことを我慢している。その点では私よりも大人である。
舞ちゃんは考えるそぶりを見せ、シャープペンシルを机に置いたと思えば席にたってどこかに行ってしまった。
私は舞ちゃんを追うこともなく、シャープペンシルを持ち直し勉強の続きをした。
しばらくすると、舞ちゃんが戻ってきた。手には何やら本をたくさん持っている。料理本だ。
舞ちゃんはそれらを机に一つずつ丁寧に置く。愛ちゃんなら、適当にバンっと置くだろう。
「おいしいもの…つ、作って…あげませんか?」
私は舞ちゃんが持ってきてくれた本を一冊手に取り中を見る。料理が趣味な私はよく料理本を読むが、この本は読んだことがない。どこに売っているんだろうかと私は気になった。
「鈴さんは…その…な、何が好き…なんですか?」
舞ちゃん私に尋ねる。私と鈴ちゃんが同居していることは、みんなには話していない。けれど、そろそろ話してもいいような気がする。
「んー…鈴ちゃんは甘いものが好きかな?けど、チョコレートはダメなんだって。」
私の返答に舞ちゃんは何で?と言う顔をする。無理もない。甘いものが好きな人はチョコレートも好きなはずなのだ。けれど、それが嫌いなのが鈴ちゃんだ。詳しい理由はわからない。
私は舞ちゃんにそのことを伝え、パラパラとページをめくる。どれもいいのだが、鈴ちゃんの口に合うかが心配である。
私はため息をつき、もう一度本を見る。すると、たまたま開いたページに鈴ちゃんの好きなハンバーグが載っていた。けれど、ハンバーグは一週間に一度作っている。とてもだが、気に入ってくれないだろう。
鈴ちゃんはハンバーグが好きだ。特に大葉と大根おろしを上にのせ、そこからポン酢をかける和風ハンバーグが好きなのだ。けれど、毎週毎週和風だと飽きてしまうだろうと思い、普通に作るときもある。
「ハンバーグ、ねぇ…」
そう呟いた私の台詞を舞ちゃんは聞き逃していなかった。
「なら…明後日…勉強会も兼ねてさ…私の家で…その…作りませんか?」
舞ちゃんの提案に私は正直驚いた。舞ちゃんはあまりそう言うことを言わないからだ。
「私のおねぇちゃんも…前から…元気、ないんです。」
舞ちゃんがボソッとそう言った。私は体育大会明けの愛ちゃんのことを思い出す。これといって変わったことはないのだが、一緒に過ごしている舞ちゃんには、ほんの些細なことでもわかるのだろう。
私は舞ちゃんの顔を見る。舞ちゃんの顔の表情はどこか心配する様子がわかる。
「…わかった。」
私はそう言い、その場から立ち上がる。
「なら行こうか、舞ちゃん。」
私は舞ちゃんの手を取る。舞ちゃんは私の唐突すぎる言葉に動揺している様子だ。まぁ、舞ちゃんはいつも通りだとわかり、私は少し安心した。
スーパーマーケットにはよく買い出しに来る。電車から降りたあとで、近所のスーパーマーケットに鈴ちゃんと晩ごはんを決めたりする。金曜日だと、土日にお菓子作りをするための材料も買う。
けれど、今日はいつものスーパーマーケットではなくて、学校から徒歩十五分ほどにある商店街だ。駅から真っ直ぐ出て三つ先の角を曲がったところにあったのだ。学校は駅から左に曲がっていくので、初めて行くところだ。
私は少し感動しつつ回りの光景を見ている。仲が良さそうにお話ししている奥様方。はしゃぎながら下校をしている小学生。犬を散歩させているおじいさん。その他色々な人たちが、同じ空間で時を過ごしている。私が住んでいる近くにも商店街はあるが、かなり寂れていて、お店も八割ほど閉まっている。
「琴美さん…回りばかり、見てると…怪我しますよ?」
舞ちゃんが私にドーナツを渡しながら言う。確かに、色々な人がいてぶつかりそうなときもある。
「わかった。気を付けるね、舞ちゃん。」
私は舞ちゃんのドーナツを受けとり、一口食べる。素朴な味だ。
私はドーナツを手に取り舞ちゃんに食べさせる。舞ちゃんの食べるしぐさは小動物のようだ。見ていて癒される。
舞ちゃんはドーナツから口を離し、袋にしまう。
「けれど…何でまた、二人で…買い物を?みんなと…一緒じゃ…ダメ…なんですか?」
舞ちゃんは私に尋ねる。私は少しだけ間を取り、舞ちゃんに話した。
「私、感情を表に出すのが少し苦手で…けれど、お礼はしたいから、せめてバレないほうがいいかなって思ったの。」
私はペットボトルのジュースを飲む。この前新発売のものらしい。薬品みたいな味がして、私は一瞬吐きかけそうになる。今後、これは買わないと私は誓う。
「舞ちゃんにも、愛ちゃんにバレたくないこと、あるでしょ?」
舞ちゃんは少し考えたあと、小さく頷く。何を隠しているかはあまり聞かなかった。
私はお肉屋の前で足を止めてお肉を見る。近所のスーパーマーケットよりも種類が多い気がする。こうしてみると、商店街もいいものだ。
…今度、鈴ちゃんも誘ってみよっかな。
私の頭の中はそんなことを考えていた。
とりあえず、私はミンチ肉を買う。全員来れるのかは分からないが、六人分買っても心配ないだろう。それに、お肉屋の店主が少しだけ割り引きしてもらい、実質、私が家で四人分作るときの値段よりも安くなったのだ。
私と舞ちゃんは次に、八百屋さんに入っていった。スーパーマーケットに通っていることもあって、どこを見たら新鮮かがわかる。
…とりあえず、キャベツとキュウリと人参とピーマンかな?
私はキャベツとキュウリを、舞ちゃんは人参とピーマンを持ちお会計に行った。お会計には優しそうな顔をしたおばぁさんがいた。白髪まじりの髪でエプロンをかけており、私は私の叔母のことを思い出す。まだ生きているものの、二年ほど会っていない。
「おぉ…見ない顔だねぇ、お二人さんや。」
おばぁさんには私たちが常連ではないことがわかるらしい。まぁ、今後常連になる予定だが。
「わかるんですね…おばぁさん。」
舞ちゃんが私の後ろに隠れてそう呟く。
「そりゃぁ、毎日ここで野菜売っていたら、いつも買いに来る人の顔ぐらいはわかるんだよ。」
おばぁさんが私たちの野菜を受けとり、電卓で合計を出している。こんなご時世、会計を電卓でするなどあり得ないことだ。
確かに先ほど寄ったお肉屋も電卓だったことを思い出す。
レジがない時代みたい…
私はおばぁさんの電卓打ちを見る。その打ち方から、長年ここで野菜を売っているのだろう。
私は舞ちゃんからお金をもらい、それをおばぁさんに渡す。おばぁさんはお金をもらい、また電卓を打つ。
「お二人さん、何か悩みがあるんじゃないかい?」
おばぁさんの一言は、私と舞ちゃんを驚かせた。
「お二人さんとも、お友達に元気を戻してほしいと考えているんじゃないかい?」
「それも…お見通し…で、ですか?」
舞ちゃんが私の後ろでこそこそしている。
おばぁさんは電卓を置き、お釣りと野菜を私たちに渡してくれる。
「おばぁさんなら…その…友達が元気がなかったら、何をしてあげますか?」
私はおばぁさんからお釣りと野菜を受けとりながら、聞いてみる。あまり人に頼りたくはないのだが、この人なら私たちの悩みを解決してくれそうなので、少し頼ることにしてみた。
おばぁさんは考えながら、椅子に座る。見ず知らずの人にここまで考えてくれるとは思ってなかった。
「そうだねぇ…私ならわがままを聞いてあげるかもねぇ。」
おばぁさんは右手を頬に当てて言った。
「わがままを?」
私と舞ちゃんは声を揃えて言う。
「そう。それなら多分、元気もでると思うねぇ。」
おばぁさんはそう言い、ポケットから飴を取り出して私たちに渡してくれた。私たちは素直にそれを受けとる。
「元気にしてあげるのもいいけども、お二人さんが元気じゃなければ、お友達も元気にはならないよ。」
おばぁさんは笑顔で言ってくれた。私は受け取った飴を口にいれる。イチゴ味だ。
私が元気じゃなければ、鈴ちゃんも元気にはならないんだ…
私は舞ちゃんの手を取る。舞ちゃんを驚かせたみたいで、飴が喉に詰まりそうな顔をしている。私はあとで謝ることにした。
そして、私は振り替えっておばぁさんを見る。
「ありがとうごさいます、おばぁさん。何だか私、いける気がしました。」
私の言葉におばぁさんはうんうんと頷いてくれた。
「また何かあればおいで。今度はお二人さんの友達も連れておいで。」
おばぁさんそう言い軽く手を振ってくれた。私と舞ちゃんは手を振り返し、八百屋さんを後にした。
「にしても、わがままねぇ…」
私は八百屋さん後にしてすぐに呟いた。鈴ちゃんのことだ。わがままなどわかっている。どうせキスに決まっている。
体育大会のときのことを、私はふと思い出した。あの時の私は私ではないと言い聞かせても、やったことには代わりはない。思い出しているだけで、私は恥ずかしくなる。頬が赤くなっていることもわかる。
私は両手で赤くなった頬を隠し、舞ちゃんを見る。舞ちゃんは何やらぶつぶつと小声で呟いていた。私の位置からしか声は聞こえないが、通り際にちらちらと舞ちゃんを見る視線はあとをたたなかった。
とりあえず、私は商店街を抜けたあと、舞ちゃんにそのことを伝えた。
そのときの舞ちゃんの顔は、泣きそうな顔をしていた。
土曜日のお昼過ぎ。天気は晴天。私と鈴ちゃんは二葉家に訪れていた。鈴ちゃんには勉強会と言うことで来てくれた。まぁ勉強もするのだが、教える担当は今日は私ではない。
「あの二人の家って…その、何て言うか…普通…じゃないよね、鈴ちゃん。」
「それ、私も言おうとしてたよぉ…ここまで来るだけでヘトヘトだよぉ。」
私と鈴ちゃんはため息をついた。まぁ、無理もないことなのだが…
二葉家がある場所は山の中だった。私たちは家から学校よりも四つ先の駅で降り、そこから山の麓までバスで行くこと三十分。次はそこから山の中まで歩いてやっと着いたのだ。
実に、家から出て三時間ほどで着いたのだ。こんなところからあの二人は学校に通っていると思うと、朝何時に起きるのかが気になる。
私は額の汗を拭う。
「けれど鈴ちゃん、ここは空気がおいしいね。」
二葉家は緑に囲まれている。耳をすませば多分、川のせせらぎが聞こえてくるだろう。私の長い黒髪が、森のなかからの風で揺らいでいる。鈴ちゃんの二つに結んである金髪も、風で揺らいでいる。
「琴美ぃ。空気は吸うものだよ?何で食べ物みたいに言ってるのさ。」
鈴ちゃんが私を不思議そうに見てくる。私はどう説明しようか迷う。
「あれぇ?ことみんとりんりんじゃん。」
後ろから聞き覚えのあるあだ名を呼ばれ、私と鈴ちゃんは振り返る。アリスちゃんだ。灰色の羽織ものを着て下にはよく分からないが白の服を着て、黒の長めのスカートを履いている。サングラスをかけているところは初めて見る。どこかのマダムにしか見えないのは気のせいだろうか。
アリスちゃんはサングラスの位置を少し下げて私たちを見る。色違いの両目で見つめられるのには、まだ慣れない。怖いからではない。まだ心の中では、アリスちゃんは私の女性の理想像だからだ。
「なら、私が一番最後に来たってことね。」
アリスちゃんは私たちに近づきながら、サングラスを畳み胸ポケットにかける。
「香奈ちゃんはどうしたの?」
鈴ちゃんがアリスちゃんに尋ねる。
「一緒に行きたかったんだけどねぇ…私、バレるとかなりめんどくさくなるから先に行かせたの。多分、もうなかにいると思うよ。」
アリスちゃんはため息をついた。それもそうだろう。ここに来るまでに散々人を撒いてきたのだろう。かなり疲れきっている。学校に通ってくるときも、いつもギリギリに教室に入ってくる。最初は香奈ちゃんと登校していたが、今では帰宅時のみらしい。
…有名人って案外大変そう。
私は心のそこでそう思う。
「けど…みんなと勉強会なんて、昔はありえないことだったし、今日は勉強する気は満々だよぉ。」
アリスちゃんはそう言うが、スカートのポケットからカメラが見える。
「アリスちゃん。とりあえず、カメラ没収ね。」
そう言って私はアリスちゃんのカメラを没収する。アリスちゃんは拗ねたような顔をしたが、背負ったバックの中から何やら漁り始めた。
何が出て来るのかと、私はバックの中を覗いた。中には大量のカメラがある。一体、いくつのカメラを所持しているのか私は気になる。
私は呆れようにため息をついた。
「にしても、あいちんとまいたんのお家、すごイイね。こんなお家、テレビでしか見たことはないよ。」
そう言ってアリスちゃんは夢中にカメラを回す。けれど、その目付きは女の子を撮るときの目付きではなかった。真面目な目付きだ。
まぁ、その気持ちは私はわかる。二葉家は所謂ログハウスだ。私もテレビでしか見たことはない。
「あいちんとまいたんの両親って、一体何のお仕事してるのかなぁ?」
アリスちゃんがカメラを下げて私たちに尋ねてきた。けれど、私も鈴ちゃんもわからない。
「とりあえず、中に入らない?香奈ちゃんも先に着ているんならなおさらだし、ね。」
鈴ちゃんはそう言い、一人先にドアに走っていった。
私はとりあえず、カメラに夢中なアリスちゃんを引っ張って行く。それでもカメラを撮り続けるアリスちゃんの夢中度合いはすごいものだと、私は思った。
木の隙間から日差しが私たちを照らした。




