表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/11

綿密な計画

 次の日、バイトがあるという賢輔は、合宿を休むと言った。

 たまには自分の部屋に帰る必要もあるだろう。


「あたしも、一度片付けて来ようかな」


「いいよ。強制缶詰めって訳じゃないんだから」


「秀は? どうする?」


 昼休み。大学の食堂で集まった僕らは、各々のスケジュールを確認しながら、今後の合宿について話し合った。

 リーダーを欠き、成果のでない合宿に、少し飽きてきたのかも知れない。

 それならそれで構わない――僕は密かに空中分解を願っていた。


「嫌、まだ予定の半分も経ってないだろ。鍵貸してくれよ、雁やん」


 秀斗の情熱は、まだ消えていなかった。


「いいよ。僕、ちょっと用事あるからさ、帰り遅くなるかも知れないし」


 ポケットから出した鍵を受け取り、彼は眉をひそめた。


「……達彦、今日来てないよな?」


「夕べ、LINEに返事来てたんだろ?」


 賢輔も戸惑い顔を向けてくる。


「ユキも来てないよね。ホントに夏風邪なのかなぁ」


「午前中、休み時間に送ったメッセージは既読になってたよ」


 僕に訊かれても、これ以上の情報はない。所在不明のリーダーについて、心配と不信の混じった会話を交わすものの、進展のないまま昼休みが終わった。


-*-*-*-


 【シャガール】は、大学からあいのアパートに行く途中にある喫茶店で、僕らは良くデートで落ち合った。

 カフェというアーバンな雰囲気ではなく、少しレトロな昭和の香りが残っている。


 ――カランカラン


 カウベルのような柔らかい音を響かせて、店内に滑り込む。静かなジャズピアノが流れている。

 窓際の2人でよく座った席で、あいが小さく手を挙げた。


「久しぶり、っていうのもヘンだね」


 彼女は、少しはにかんだ。

 僕に別れを告げたのが、ちょうど10日前だ。

 あれから部屋を探して、引っ越して、奇妙な合宿が始まって……随分前のことみたいだ。


 店員にアイスコーヒーを2つ注文して、改めて目の前の彼女を見る。

 ライトブラウンの髪を頭頂の少し後ろで団子に纏め、薄く化粧をしている。

 記憶の中のままの姿に、ちょっとドキドキしていた。


「で……」


 『何の用?』と言い掛けて、言葉が途切れた。結論を急ぎたくない。居心地は良くないけれど、久しぶりに会った彼女を、もう少し見ていたい。


「シロちゃん、ちゃんとご飯食べてる?」


 手元の水の入ったグラスを見つめながら、あいはポツンと訊いた。


「ああ……まぁ、ね」


 最近はマキの手料理で充実している――とは言えない。別に悪いことをしている訳でもないのに、僕は言い淀んだ。


「ぷりおは、元気?」


「うん。あいが居なくて寂しがってるよ」


「ウソ。ぷりお、シロちゃんになついてたじゃん」


「それは、僕が餌係だからだよ」


 あいは、顔を上げた。眉を寄せ、苦し気な微笑みを浮かべた。


「金魚はいいね。食欲と愛情が結びついてるんだ」


 ドキリとした。

 僕があいを愛していたのは――胃袋だけが理由じゃないのに。


 アイスコーヒーが運ばれて来た。

 不器用な会話が、不自然に沈黙した。


「あい、まだ怒ってるんだろ。僕の顔――見たくなかったんじゃないのか?」


「そうだね……昨日の昼までは」


「え――」


「ごめんね、シロちゃん。わたし、バカだった」


「あい?」


「わたしの料理、あんまり美味しくないでしょ? でもシロちゃん、一度も不味いって言わなかったよね」


 堰を切ったように、あいは言葉を吐き出した。

 それは彼女自身を責めるものばかりで、僕に向けられる攻撃ではない。


「おい、どうしたんだよ?」


「シロちゃんがわたしと暮らしてたのは、わたしが都合のいい『家政婦さん』だからだ、って」


「はあ?」


「わたしじゃなくても、ご飯作って、お掃除や洗濯してくれる子なら、誰でも良かったんだ――って」


 あいは、ついに泣き出した。

 斜め隣のサラリーマン風の男性が、チラリ、僕を非難する視線を投げてきた。


「それ――何なんだよ。僕は」


「ごめんね……! わたし、シロちゃんのこと、信じ切れなかった」


「あい……」


「わたし、自分でも自信なかったの。わたし、家事なんて当たり前だと思ってたし、シロちゃん喜んでくれたから」


「――」


「だから、わたしのこと、『家政婦さん』だってシロちゃんが話してたって聞かされて」


「誰が! 誰がそんなこと」


 確かに僕は、家事の一切合切を彼女任せにしていた。その負い目はあるが、彼女を『家政婦さん』だなんて言ったことはない。


 立ち上がり掛けて、思い止まったが、テーブルのアイスコーヒーは波立った。


「――マキだよ」


 背後から静かな声が会話を継いだ。その声の主に、今度こそ僕は立ち上がった。


「ええっ? 達彦?!」


「すまない、雁屋」


 達彦は頭を下げた。隣にユキも寄り添い……既に一度泣いた目をして、彼氏に倣った。


「どういうことだよ、これ。説明してくれよ」


 僕の隣に達彦、あいの隣にユキが座る。ユキは、ウサギみたいな真っ赤な瞳で涙を堪え、あいの肩を抱えた。


「今年の春の新歓旅行で、温泉に行ったよな」


 映画サークルでは、GWに新入生歓迎旅行と称して、映画のロケ地に一泊二日の旅行に出掛ける。

 安宿に泊まり、宴会場を借りて鑑賞会を行い、そのまま宴会に雪崩れ込むのが習わしだ。


 僕は無言で促した。


「宴会のあと、女の子の部屋で……マキが言ったの。『あいちゃん、可哀想だね』って」


 クシャクシャにした顔をハンカチで押さえ、あいの肩が震える。


「わ、わたしのこと『料理は下手だけど、タダ飯食わせてくれる、楽な女だ』、って……」


 感情を抑えるように、あいの声が啜り泣きに飲み込まれた。


「マキがね、女の子達の前で、『雁屋くんが、あいのことを”都合のいい家政婦さんだ“って、周りの男子に話してた』って言ったらしいの」


 ユキが説明を引き取った。達彦と同じ理系――「リケジョ」らしい、淡々とした語り口だが、時折掠れ気味になる。


 いい加減にして欲しい。そんな酷いこと、思ったこともない。

 どんどん深くなっていく眉間の不機嫌を感じたが、隠す気は起きなかった。


「マキが言うには、雁屋くんは『引っ越すのが面倒だから、後2年、あいと暮らしてやるんだ』って言いながら、マキに言い寄ってくる――だから困ってる、って」


 目眩がしそうだ。ブタマキの芝居がかった困り顔が、容易に想像出来て。


「お前ら……信じたのかよ」


 信じたんだろう。だから、あいは別れる時に、僕を汚い物を見るように睨んで、泣いたんだ。


「わたしとマキ、同じ高校だったの、シロちゃん知ってるでしょ」


「ああ」


 付き合い始めた頃、そんな話を聞いた気がする。


「わたし達、地味で目立たない子だったの。マキとは、親友ってほどじゃなかったんだけど、割りと一緒のグループで」


「……だから、あい、信じちゃったのよね」


 あいの言い訳を、ユキが擁護する。

 胸の中にイガイガとした憤りが溜まっていく。


「ふざけんなよ」


「雁屋」


「何で、ちゃんと僕に聞かなかったんだよ?」


「『聞いたって否定する』って、マキが」


 責める言葉に、すかさずユキが割って入る。あいは俯いたまま、小さな声で続けた。


「『わたしが病気で入院したら、シロちゃん、ご飯どうするの?』って聞いてごらん――マキに、言われたの」


 そう言えば――新歓旅行から少しして、あいがそんなことを聞いてきたことがあったっけ。


「『何とかする』って答えるはずだって。わたしのこと、ご飯じゃなく愛していたら『僕が作る』って言うはずだけど――きっとそう言わないよ、って」


「そんな。バカげてる」


 否定したものの、あの時、僕はこう答えたんだ。


『心配しなくても大丈夫だ、何とかなるって』


 背中を冷や汗が伝った。あいは確信して、僕に絶望したんだろう。僕が追い出されたのは、それから1ヶ月も経っていない。


「マキは、巧妙なんだ。あいちゃんのコンプレックスを巧みに唆して、お前の性格もしっかり掴んでいる」


 達彦の言葉にゾクリとした。僕とあいの仲を引き裂くために、ジッと観察し分析してきたというのか。


「しかも、そんな話を聞かされたら、サークルの女は誰も、お前に手を出そうと思わない。ライバルも消えて、一石二鳥って訳だ」


 達彦は苦い顔をした。


「マキね、半年以上前から、私に時々メールしてきてたの」


 次に告白を始めたのは、ユキだった。


「『親友の彼氏を好きになっちゃった、我慢してるけどツラい』って」


 赤い瞳で、ユキは僕を見る。


「真に受けるなよ、雁屋。ユキに『秘めた想い』をしおらしく吹き込むことで、お前に接近するチャンスを伺っていたんだと思う」


 すぐに達彦が釘を刺す。もちろん、今更惑うことは無いけれど、気持ちの落とし所が分からない。どっぷり途方に暮れている。


「お前ん家の【赤いブラウスの女】の話、サークル仲間にLINEで流しただろ? 俺、早くにユキから『マキの想い』を聞いていたし、お前とあいちゃんが別れたと思ってたんで、マキがご飯係を買って出た時、合宿仲間に入れちまったんだ。すまない、雁屋」


「ごめんなさい、雁屋くん」


「シロちゃん、ごめんね。ちゃんと信じられなくて」


 三方からの謝罪のあられ

 彼らはそれぞれ頭を下げる。何だか、堪らない。

 半年以上も前から用意周到に計画されていたのなら、僕らがマキの企みに気付くことなんて無理だ。


「顔、上げてくれよ。僕ら――全員、マキの被害者ってことだろ」


 友情を、愛情を、人の心を手玉に取った、マキ。

 口に出したことで、僕は怒りをはっきりと自覚した。


「とにかく、合宿は解散してくれよな」


「あー……そうだな」


 あからさまに残念がる達彦だが、『合宿継続=マキ残留』という構図がある以上、諦めざるを得ない。

 彼は、悔しさを満面に広げつつ、無理矢理自分を納得させたようだった。


 女子2人は、崩れた化粧を直しに立った。


 せめてアイスコーヒー代は支払わせてくれ――達彦は伝票を手に、レジへ向かった。


「シロちゃん」


 先に化粧室から出てきたあいが、僕のシャツの裾を引いた。


「うん?」


「シロちゃん、わたしん家に戻って……くれる?」


 【シャガール】の店内の大きな観葉植物の陰に彼女を隠して、僕は壁際でキスをした。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ