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102号室の男

 その夜、僕はバスルームの順番待ちの間に102を訪ねてみた。

 もちろん、箱ティッシュを入れたビニール袋をぶら下げて。


 廊下に出ると、僕の部屋の前の蛍光灯の陰にカメラが付いていた。

 とはいえ、カメラを仕掛けたことを知っているから気が付くのであって、知らない人ならまず気付くまい。


 階段を下りていると、ちょうど高梁のオッサンが帰ってきたところに出くわした。


「こんばんは」


「あ、どうも」


 薄い頭髪を綺麗に撫でたオッサンは、半袖の白Yシャツにグレーのスラックス姿。ザ・会社員という出で立ちだ。

 オッサンは、黒いブリーフケースから鍵を取り出していた格好で、挨拶を交わす。


「それ――隣ですか?」


 ぶら下げているビニール袋に視線が向かう。


「ええ、帰宅されてるかなと思って」


「雁屋さん。普通にチャイム鳴らしても、多分ムダですよ」


 オッサンは、取り出したキーホルダー付きの鍵を掴んだまま、僕に近寄り声を潜めた。


「隣、いわゆる引きこもりってヤツで」


「え?」


「年がら年中、部屋にいるんですよ。出掛けるのは、年末くらいかなぁ」


「でも、食料調達とか支払いとか、出掛けなくちゃならない用事はあるでしょう?」


「うん、だから外出はたまにしてるみたいだけどね」


 まるでウィンクしそうな勢いで、ニヤリと僕を見上げると、


「おおい、阿倍(あべ)さん! 居るんだろー?!」


 オッサンは突然、102のドアをドンドンと叩いた。


「ちょっ、ちょっと、高梁さん!」


 慌てる僕を、まぁまぁと笑顔で制し、


「阿倍さーん!」


 更に大声で呼んだ。


「――何ですか」


 間もなく、ドアがギィ……と細く開かれ、五分刈りの長身男性が不機嫌な顔を覗かせた。


「おっ、やっぱり、いたいた。こちら、一昨日越してきた雁屋さん。それじゃっ」


 高梁のオッサンは、隣人と僕を順に見て、ニタッと笑うと自室に消えた。


「えっ? ちょっと高梁さん?!」


「で……何か用」


 唖然とオッサンの後ろ姿を見送る僕に、背後から低い声が降ってくる。


「――あ。あ、あの、すみません。僕、203に越してきた雁屋っていいます」


「それは今聞いた」


 ヒョロリと背の高い住人・阿倍は、40代半ばだろうか、やつれてほっそり尖った顎が印象的だ。血色に乏しい肌は、高梁のオッサンがいう『引きこもり』のせいだろうか。


「あ、はい。これ、つまらないものですが、よろしくお願いします」


 頭を下げて、ビニール袋を差し出した。が、阿倍はじっと視線を動かさずに僕を見ている。


「『つまらないものですが、ご笑納ください。今後とも、どうぞよろしくお願い致します』」


「――」


「挨拶ってのは、正しい言葉遣いでするもんだ」


「……すみません」


「『つまらないもの』、貰っておいてやるよ」


 長い腕をドアの陰からスルリと伸ばし、ビニール袋をサッと受け取る。

 閉じ掛けたドアを一瞬止めて、


「オレ、ご近所付き合いとかしないから」


 ジロリ、剣呑な流し目を残して、阿倍は今度こそドアを閉めた。


 102の前で呆気に取られていたが、だんだん腹が立ってきた。

 何で初対面のオッサンに上から目線で叱られなきゃならないんだ?


「あー……何だよ」


「兄ちゃん、どうしたの?」


 ムカムカしながら溢れた心の呟きに、小さな声が重なった。


「あ、コージ」


「何、怒ってるの?」


 彼は昨日と同じ黄色いTシャツに紺色の短パン姿で、いつの間にか僕の側にいた。


「……う、ん、いや」


 大人気ない理由が気恥ずかしくなり、モゴモゴ口ごもる。


「兄ちゃん家、にぎやかだね」


 コージは、ニコニコ楽しそうに微笑んだ。


「あ、友達が来てるんだ。ごめん、うるさいだろ」


「ううん。楽しそうだね」


 スマホを見ると、もうすぐ8時だ。コージは、まだ外にいるつもりだろうか。


「コンビニ行くけど、一緒に行くか?」


「ううん。帰る」


「そっか。またな」


 小さな手がバイバイをする。見送られて、僕はコンビニに向かった。


-*-*-*-


 コンビニで飲み物と箱入りのアイスバー、朝食用の食パンを3袋買った。

 両手にコンビニ袋をぶら下げてハイツに帰ると、階段の上にも定点カメラが設置されていた。天井の暗がりを上手く利用して隠されており、階段から2階の廊下にレンズが向いている。


「雁やん、気が利くー!」


 風呂上がりのマキは、薄着のルームウェアから伸びた太い腕で、僕に抱き付く仕草を見せた。


「やめろって、暑苦しい」


「やー、ひどーい」


 頬を膨らませると、彼女は現金にアイスバーにかぶりついた。

 要は、僕ではなく、買い物袋の中身を歓迎していた訳で。

 僕だって、ブタマキになどトキメクものか。


「バスルーム、誰か使ってんの?」


「いや、雁やんで最後」


 賢輔が背を向けたまま、アイスバーをくわえつつ答えた。

 肩越しのテレビ画面にひきつった男のアップが見える。コイツ、僕のいない間に『パラノーマル』を入れたな。


 冷蔵庫に飲み物を入れながら、


(たっ)ちゃん、ユキに呼ばれて出掛けちゃった」


 残念そうに説明し、マキはアイスバーをもう一本口にした。

 ユキとは、達彦の彼女だが、映画サークルのメンバーではない。真っ当な彼女なら、せっかくの夏休みに、彼氏を男の部屋に行かせっぱなしにはしないだろう。


「秀は?」


 ノートパソコンの前が空いてる。

 パソコンの画面には、定点カメラの映像が2つ並んでいた。青白い蛍光灯が明滅を繰り返す、202のドア前をクローズアップした一面と、2階廊下を広く捉えた一面だ。


「何か、足りない機材があるとか何とか。取りに帰って、また来るってさ」


 『ギャー』という叫びがテレビから流れる中、賢輔が平静に答える。

 コンビニ袋の中身を片付けたマキは、扇風機の1台の首を固定させ、独占した。


「……風呂入ってくる」


 言い置いて、立ち去る。まだ10時前にして、何だかまったりした合宿だ。


 バスルームには湿気が充満していたが、綺麗に掃除されていた。

 あいもズボラな子ではなかったものの、マキのきちんとした一面に驚かされた。

 料理の腕も良く、性格も明るい。顔はまぁ……中の中だが愛嬌はある。これでデリカシーが備われば、彼氏の1人もできそうなものだが。


 そんなことを考えながら、湯船に浸かり、汗を流した。


 風呂上がり、扇風機の前で眠っているマキと、砂嵐になったテレビの前で寝ている賢輔にタオルケットをかけてやる。


 LINEに秀斗と達彦から連絡が来ていた。秀斗は1時間くらいで戻って来るらしいが、達彦からは『ごめん、ユキが夏風邪で』との短いメッセージと共に、土下座のスタンプが付いていた。


「夏風邪、か」


 そういうことにしてやるさ。

 僕はぷりおに餌をやりながら、2人で暮らした部屋に独りで眠っているだろう元カノを思って、切なくなった。


 アイツは、どう思っているんだろう。

 僕が消えて、せいせいしているんだろうか。寂しいのは、僕だけなんだろうか。


 失った恋にこだわるつもりはない――強がっているが、僕を追い出したあいの眼差しが、まだ焼き付いている。


 ビールのひと缶でも買って来るんだったかな。

 冷凍庫に残っていたアイスバーをかじる。ミルクの甘さが、やけに甘くて……胸に染みた。


-*-*-*-


 深夜に戻ってきた秀斗は、小型アンテナのようなものを手にしていた。

 無線の調子が何たらと説明してくれたが、僕にはよく分からなかった。


 翌朝、マキはトーストとハムエッグ、サラダにコーヒーという、完璧な朝食を僕らに振る舞った。

 身支度をして、僕の部屋から大学に行く。

 夏休みに入っていたが、教養科目の夏期集中講義があり、9時から夕方4時まで拘束された。


 定点カメラは、霊的な何かを捉える目的なので、夜8時から朝7時の時間限定で稼働させることにした。


 達彦は集中講義を休み、賢輔が仕切りにLINEを送っていたが、既読にならずに夜を迎えた。


 合宿2日目。

 リーダーを欠いたまま、定点観察会に突入した。


 マキは、リクエストをもらった訳ではなかったが、エビチリとスタミナ炒めを大皿にドンと作った。

 流石、食堂の娘。蒸し暑い季節の食欲のツボを心得ている。

 男3人は、当初の目的を忘れつつ、マキの手料理にがっついた。


「お前、いい奥さんになるわー」


「やぁだ、賢ちゃん。その前に彼氏が欲しいよ」


 カラカラ豪快に笑うが、マキの言葉の真意は賢輔がタイプではないと言う意味か。

 気付いていない賢輔は、一緒になって苦笑いしていた。


 この夜は、秀斗も加わって4人で過ごした。

 賢輔が相変わらず『パラノーマル』シリーズをビデオで観てるので、僕はテレビが視界に入らないよう背を向けて、スマホに手を伸ばした。


 LINEで連絡の取れない達彦に、メールでも送ろうかとアプリを開くと――


『明日、5時に【シャガール】に来られる?』


 あいからメールが届いていた。


 昼間、集中講義の大教室で姿を見かけたものの、彼女は一度も僕を見なかった。意図的に、見ないようにしていたみたいだった。


 そんな彼女が、彼女から『会いたい』という。


 僕はすぐに返信を送った。

 直後、達彦からLINEに連絡が来た。

 明日は大学に来るという短いメッセージ。昨日と同じ土下座のスタンプが付いていた。



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