撮影合宿 in 203
「だけど、ピンヒール履いてたんだろ? 幽霊って、足ないんじゃねーの?」
至極当然の指摘に、苦笑いが溢れる。
「そう言われたらそうなんだけど……」
駅前のカフェ、午後6時。
仕事帰りのYシャツ姿が周りを囲んでいる中、ラフなTシャツの男2人は少し浮いていた。
映画サークル仲間の達彦からLINEに連絡があったのが、つい1時間前。
「学習塾の講師」のバイトを紹介され、詳しい話を聞くために落ち合ったのだ。
バイトの話が終わると、引っ越し後の様子を聞かれて、この一両日の出来事を話した。
達彦は、ホイップクリームが大量に浮いたベージュ色のカプチーノの中で、ホイップを崩さないようにストローを器用に動かしながら、ひとしきり聞いた後、202号室の怪に食い付いた。
「それさ……確かめないか?」
「え?」
レギュラーサイズのアイス抹茶ラテをかき混ぜていた僕は、思わず固まった。
「廊下に定点カメラ仕掛けてさ、人間が写るかそうじゃないものが写るか、確かめようぜ」
達彦の目が活き活きしてきた。
しまった、こいつホラーオタクだったっけ……。
「ほら、『パラノーマル・アクティビティ』ってシリーズがあるだろ? あんな感じでさ」
「……やだよ」
「それで『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』のパロディにしてさ……」
「嫌だってば」
映画が好きで映画サークルに入ったものの、僕は鑑賞専門で製作は門外漢だ。
更に強調したいのは、僕はホラー映画が苦手ということだ。
そんな僕でも知っている――『パラノーマル・アクティビティ』は、心霊現象を撮してしまった作品で、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』は魔女伝説のある村を取材したヤラセ映画を創ろうとして、本物に遭遇してしまう作品だ。
どちらも超常現象をカメラに収めようとして、リアルで悲劇に見舞われる展開だ。
「お前、楽しそうだな」
「おう。秋の大学祭で上映しようぜ」
達彦は眼鏡の奥のキツネ目を、糸のように細めた。
「僕は、嫌だからな」
はっきりと拒否したのに――その日の夜にはLINEが騒がしくなり、翌日大学に行くと、すっかり企画の段取りが整っていた。
-*-*-*-
達彦に【赤いブラウスの女】の話をした翌日、サークル仲間の秀斗と賢輔、そしてホラーが大好物のマキが大挙して部屋にやってきた。
「ちょ……っ、ちょっと待てよ! 僕は、断ったはずだぞ!」
「いいから、いいから!」
不気味に笑顔を張り付けた達彦が家主を押し退け、後ろの3人も続く。
誰も上がっていいなんて許可していないのに、口々に「お邪魔しまーす」なんて言いながら。
「雁やん、金魚飼ってんの?」
殺風景な部屋の中、唯一きちんと片付いているのが水槽の周辺だ。
小柄な眼鏡青年の賢輔が水槽の中を興味深気に覗いている。
ちなみに『雁やん』は、僕のあだ名だ。あんまり気に入ってないけれど。
「あれ、これって『ぷりお』じゃない?」
続いてマキも覗き込む。彼女は、あいと仲がいい。同棲中に遊びに来たことも、何度かあったっけ。
知ってか知らずか、名前を呼ばれたぷりおは、ヒラリと身をくねらせた。
「あー、そうだけど」
「雁やん、ホントにあいと別れたんだねぇ」
「……お前ら、帰れよ」
デリカシーのない感想に苛立ち、玄関を指した。
「まぁまぁ。本題はコイツ! 超小型定点カメラ、持ってきましたぁ!」
そんな僕の気を逸らそうとしてなのか、秀斗が大袈裟な手振りでピンホールカメラと周辺器機諸々をリュックから取り出した。
「シッ! 声、デカイって!」
焦って秀斗の口をふさぐ。安アパートは、大声なんか筒抜けなのに。『定点カメラ』なんて仕掛けることが近隣にバレたら大変だ。
「コイツ、廊下に2ヵ所仕掛けるからな」
キカイオタクならぬキザイオタクの秀斗は、ニヤリ、自信たっぷりに胸を張る。
「勝手に決めんなよ」
「大丈夫だって。でさ、お前んちのテレビに繋いで……って、テレビは?」
「ないよ」
「はあ? 何時代だよ」
水槽の前でぷりおに興味を示していた賢輔が、目を丸くして振り返る。
「じゃ、パソコンは?」
「……ないよ」
テレビもノートパソコンも、あいの部屋に置いて来たのだが、プライドに関わる言い訳は口にするつもりはない。
「マジかよ……」
絶望的な声を上げて、秀斗は天井を仰ぎ、その場に崩れた。
「引くなって」
これで【赤いブラウスの女】撮影会を諦めてくれれば有り難い。内心ほくそ笑んでいると――。
「全部、あいん家に置いて来たんでしょ、雁やん」
「うるせぇよ」
マキは、事情通のような得意顔で僕を見遣った。体型はマシュマロマンみたいに丸っこいクセに、言葉をオブラートで包むということを知らない。
彼女の解説で、男達からは同情染みた視線が集まった。
全く――余計な種明かししてんじゃねぇよ、ブタマキ。
居心地の悪さに、僕はまた苛立っていた。
「よし! 俺、家から必要な機器、持って来るわ」
ちょっと考えていた秀斗は、力強く立ち上がり、勝手な解決策を導き出した。
「いいって」
「でもって、今日から2週間、ここに合宿な!」
秀斗の横暴な宣言に、賢輔とマキが「おおー」と賛同の声を上げ、拍手した。
「う、嘘だろ? やめてくれよ」
「いや、既に決定事項だ」
それまで壁に持たれて僕らのやり取りをジッと眺めていた達彦は、有無を言わさぬ圧力をかけてきた。
「でもさ、タダで泊まる訳じゃないから」
ニコニコと楽しげな、賢輔。コイツら……墓場の肝試しみたいな感覚なんじゃないのか?
「宿泊費として、食事提供! 悪くねぇだろ?」
「はあぁ?」
くそぅ――人の弱味に突け込みやがって。
「大丈夫よ、雁やん。毎日5人で寝泊まりする訳じゃないから」
マキは丸い顔を更に膨らませ、はち切れそうな笑顔を見せる。
当たり前だ。こんな狭い部屋で暑い季節が来るっていうのに――って、流されてないか、僕?
「秀斗、扇風機も持って来ようぜ」
「そうだな、俺ん家に2台あるから、両方持って来るわ」
「折り畳みのテーブルもいるんじゃない?」
「ああ。思った以上に、何もないからなぁ――」
もう、いいか……。
キャンプ旅行でも計画するようにはしゃいでいる彼らを眺めながら、ベッドにゆっくり腰を下ろす。
ホラーも超常現象も苦手な僕のことだ。このまま独りで過ごせば、幾度となく枯れ尾花に肝を冷やすに違いない。
彼らがワイワイいてくれることで、つまらない恐怖に晒されることがなくなるのであれば――ため息をひとつ付いて、安易な打算で諦めた。
-*-*-*-
僕の部屋で合宿するに当たって、彼らには「騒がない」ことを一番の条件に挙げた。
「とにかく、下の103には足音が響くらしいから、静かに歩いてくれよな」
「分かった、分かった」
達彦は、ホームセンターで買ってきたローテーブルに皿を並べながら、僕をなだめるような言い方をした。
高校時代、3年間学級委員長だったという彼は、何かというと仕切りたがる。今回の『合宿』も、企画の大部分は彼だ。
それに高校からの付き合いだという賢輔と、映画サークルの中で撮影技術好きの秀斗が加わり、ホラーというフラグに飛び付いたマキが刺さり込んだ。
無神経発言で周囲を苛立たせる女だが、僕を懐柔させる有効な手駒として、達彦は歓迎した。
「とりあえず今夜はカレーなんだけど、明日からリクエストあったら聞くよー」
キッチンに立つ姿が頼もしい。
マキは実家が食堂だとかで、和洋中、ある程度のメニューはお手のものだという。
「いやいや、合宿といえばカレーでしょう」
グラスにカルピスを注いいた賢輔は、食べる前から満面の笑顔だ。
部屋中にスパイスの利いた美味そうな香りが充満している。
「で、お前なんでカルピス入れてんの?」
テレビの見易い端の席に着きながら、向かいの賢輔からグラスを受け取る。
合宿のお陰で、僕の部屋には随分家具・日用品が揃った。
有り難いような、ありがた迷惑のような。
「分かんない? ラッシーの代わりだよ」
「あぁ……」
ラッシーは、インドの乳酸菌飲料だ。
「賢ちゃん、ヨーグルトとミルク混ぜたら出来るんだよ」
平皿を2つ、左手に福神漬け、右手にラッキョウを盛ってきたマキが加わる。彼女は、炊飯器に近いテーブルの端、いわゆる『お誕生席』に着いた。
「へぇ。カルピスにミルク入れても、それっぽくなるかもな」
スプーンと箸を並べる達彦も関心を寄せた。
「だったら、原液で試そうぜ。マンゴーとかグレープとかバリエーションあるし」
「あ、それ美味しそう!」
ラッシーひとつでこんなに盛り上がる。
映画サークルで顔を合わせていた時、僕らはそんなに親しくなかった気がする。
「秀! ひとまず食うぞ」
僕らの会話中、独りパソコンにかじりついていた秀斗。彼は、定点カメラから送られてくる画像が綺麗に録画できるように、設定中だ。
「あぁ……もうちょっと。先、食っててくれ」
「なぁ、秀、テレビって点けていいのか?」
「いいよ。まだ繋いでないから」
「じゃ、ビデオ観ようぜ! 家から『パラノーマル』シリーズ全部持って来たんだ!」
口に含んだカルピスを吹き掛けて、豪快にむせた。
「雁やん、大丈夫?」
「だ、大丈夫じゃねぇっ! 食事時くらい、安心して食わせろよっ!」
「ま、初日はコイツの顔を立ててやるか」
達彦の訳の分からない理屈で、ともかく夕食ホラー観賞会は回避できた。
賢輔は「チエッ」と呟いて、大人しくニュースを入れた。
遠い国の自爆テロのトップニュースに続いて、国内の高速道路の玉突き事故の速報映像が流れる。
作り物の『死』など求めなくても、リアルな世界にはシビアな『死』が満ちている。
『死』の理由に不可思議さを求める人間の心理とは、何だろう。
そんなことをボンヤリ考えながら、やたらに美味いマキのカレーを頬張った。