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エピローグ ーパラノーマルはお蔵入りー

「ただいまー、ぷりおー」


 上機嫌のあいは、ぷりおの水槽の前で、小さなビニール袋を掲げた。中には、真っ黒な和金が1匹入っている。細長くバランスの良い流線形の身体に、ドレスの裾のように豊かな尾びれ。オスかメスか判別できないものの、上品な貴婦人のような姿に、あいは「けいちゃん」と名付けた。由来は、もちろん映画『タイタニック』でレオナルド・ディカプリオの恋人役を演じた女優、ケイト・ウィンスレット嬢に因んでいる。


 新参者をいきなり水槽に投入する訳にはいかない。闘魚(ベタ)ほど激しくないものの、金魚にも縄張り意識はあるらしい。先住の金魚が、侵入者を追い出そうとつつき回して弱らせる――なんてことは、よくあるそうだ。


 それに、新しい金魚に寄生虫が付いていたり、病気を持っていることもあるそうで、知らずに水槽に投入して全滅、という惨事も珍しくないのだとか。


 ぷりおの水槽の縁にS字フックを引っ掻けて、けいちゃんのビニール袋を外側に吊るす。


「彼女か友達か分からないけど、仲良しになるといいねぇ」


 彼女の言葉が届いているのかどうなのか――多分、腹を空かしているだけに違いないが――ぷりおは、ここぞとばかりにヒラヒラと身をくねらせた。


「金魚鉢、洗おうか?」


 ぷりおを飼い始めたばかりの頃、ろ過器も空気ポンプも、必要な機器をほとんど知らなかった僕らは、オーソドックスなガラスの金魚鉢に入れていた。現在の水槽に移した後は、あいのアクセサリー入れとしてインテリアになっている。


「いいよ。わたしお風呂入るから、洗ってくるよ」


 金魚鉢の中身、ビーズのブレスレットやイヤリング、天然石のペンダントなんかをテーブルの上に出している。そっと彼女の後ろに立ち、両肩を軽く掴むと、浴衣の襟から覗く項に唇を落とす。ぴくん、と小さく動揺する。その反応が堪らない。


「一緒に入ろうか?」


「もー。けいちゃんを待たせちゃうから、今夜はダメ」


 染めた肌と裏腹に、つれない返事。


「シロちゃんは休んでて。昼間、お引っ越しで疲れたでしょ?」


 微笑みを残すと、あいは金魚鉢を手にバスルームに消えてしまった。


「引っ越し、てゆうか掃除だったんだけどな」


 溜め息を1つ溢して、水槽に近付く。果たして内側からは、どう見えているのだろう。やがて同居する予定のビニール袋の隣人に対して、ぷりおは付かず離れずの位置を泳いでいる。


「けいちゃんは、引っ越し後にな」


 言い聞かせるように呟いて、けいちゃんと反対の端をトトンと叩く。

 クルリ身を翻し、ぷりおは待ってましたと言わんばかりにやってくる。


「あんまり食い意地張ってると、けいちゃんに呆れられるぞー」


 餌粒を片っ端から吸い込む様をしばらく眺めていたが、ソファーに身を預けた。確かに、ちょっと疲れた。


 昼間運び込んだ切り、放置していた段ボールが足元にある。

 合宿で買い揃えられた、食器や鍋類。置き去りにする訳にもいかないので持ってきたが、あいが不要だと判断すれば、リサイクルショップ行きだ。


 そう言えば、この中に――。


『雁やん、ごめん。実は、勝手に合鍵作ったの、俺なんだ』


 入院先の病室を見舞った時、秀斗はまだ身動きもままならないのに、起き上がって頭を下げた。


『前に、雁やんが用事あるからって、鍵借りたことがあっただろ』


『ああ……』


 彼の身体をベッドに戻しながら、思い出す。

 あれは確か、あいに「シャガール」に呼び出された日だ。監視カメラに張り付いていたいという秀に、部屋の鍵を渡していた。


『合鍵作る時、マキもいたんだよ。俺の隙をみて、盗んだらしい』


 その合鍵を使って、秀と僕は203号室に誘き寄せられたのだ。秀には『合鍵を返しに来たけど、誰もいない』と電話があり、やって来た彼のスマホを奪って、僕にメールした。


『合鍵のお詫び、ささやかだけど入れておいたから』


 当の合鍵は、警察に証拠品として押収された後、既に不動産屋に返却されている。

 それにしても、お詫びというなら、直接渡してくれればいいのに。段ボールの中をカチャカチャ手探りする――と。


「……これか?」


 ヘタクソな字で「雁やんへ」と書かれたDVDらしきものがあった。

 お詫びでDVD? よほどのお薦め映画……もしくは海賊版のエロ動画、とか?


 脳裏に浮かんだ別の可能性を敢えて無視して、取り出したディスクをプレーヤーに入れる。

 ブン……と小さな音がして、画面に薄暗い「黒田ハイツ」の廊下が映る。うわ、やっぱり……秀のヤツめ!


 何が映っているか予め分かっていれば、いくらホラーが苦手の僕でも、落ち着いていられるってもんだ。深呼吸して、ソファーの背に深く凭れる。


『うわあああ、出たあ!』

『賢輔!』

『大丈夫か?!』


 そうそう、この後、「赤いブラウスの女」こと阿倍が立ち尽くして――僕と達彦が飛び出し、前嶋婆さんが201号室から現れて――。


 記憶通りに映像は流れていく。ということは、そろそろコージの後ろ姿が駆けていく頃だ。


 人々が201号室に消え、廊下が無人になる。そして、203号室の方から、黄色いTシャツの男の子が走り込んで来て――。


「え――えっ?!」


 廊下の途中、画面のほぼ中央で、コージはピタリと足を止めた。

 立ち止まった彼は、不意にクルッと振り向いた。まるでレンズの向きを知っているかのように、正確なカメラ目線で、こちらを見上げている。


 こんな()は、もちろんなかった。しかも、この映像を収めていた秀斗は、コージの顔を見たことがない。何かを合成して作り出した訳ではない――。


 固まっている僕が見えているかのように、コージはジイッとこちらを覗き込んでいたが、突然、にぱっと前歯の生え揃わない笑顔になった。それから、小さな掌を一杯に伸ばして、バイバイをした。

 画面の中の彼は、少しずつ薄く、透明になっていく。やがて、誰もいない廊下だけが残り、映像は終わった。


 ――成仏できた、ってことでいいんだよな。良かったな、コージ。


 胸の内で呟いて、DVDをケースに戻す。きっと二度と中身を観ることはないけれど……処分する気にはなれない。「黒田ハイツ」で体験したパラノーマルな思い出ごと、僕専用のラックの端に差し込んだ。


【了】


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