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夏を打ち上げて

 あわや生命の危機だった、恐怖の夜から2週間後、僕は「黒田ハイツ」を引っ越した。

 異例の短期退去に、不動産屋のタコ顔オヤジは不満をありありと浮かべたが、呆気ないくらいあっさり契約解除の書類を取り出した。もちろん、それには理由がある訳で――。


「それにしても、あっという間の引っ越しだったな」


 ユキからのLINEに返信した達彦は、テーブルの上にスマホを置いた。


 元々最低限の荷物しかなかったし、先に秀斗の車で運んでいたから、作業の大半は掃除だった。それでも、合宿仲間達には夕食を交換条件に手伝ってもらった。それは、あの部屋で過ごしたひと夏に対する、僕なりのケジメのつもりだった。


「貧乏学生なもんで、こんな――ファミレスだけど、勘弁してくれな」


「気ぃ遣わないでいいよ、雁やん」


 言葉と裏腹に、真っ先に山盛りポテトフライをつまむ、賢輔。


「ホラー映画の結末ってさ、得てして災禍に見舞われるもんだけど……本当に体験する羽目になるとは思わなかったなぁ」


 運ばれてきたマルゲリータを、かなり正確に8等分に切り分けながら、秀斗は苦笑いする。

 中度の熱中症で5日間入院したものの、今ではすっかり回復している。


「で、コージの映像は、諦めてくれたんだよな?」


 取り皿を配りつつ、僕は右隣の彼と、正面の達彦にジロリと視線を投げた。


「まぁ……遺骨が出た以上、あの映像はお蔵入りだろ」


 甘党の達彦は、ドリンクバーのアイスコーヒーにミルクを3つも入れてかきまぜている。マーブル模様が一瞬でミルキーベージュの液体に変わる。


 そうなのだ。コージは、103号室のベランダ脇の地中から……遺骨で見つかったのだ。


 マキが秀の携帯を使って、僕を呼び出した、あの夜。

 駆けつけた救急隊員達は、最初、階段の下で泣き喚いていたマキを搬送しようとした。ユキが冷静に事情を説明し、まずは秀斗が搬送され、改めてマキのための救急車が要請された。

 階段を転げ落ちたマキの両足は、象のように腫れあがっていた。後から聞いた話では、複雑骨折していたそうだ。


 救急隊員からの通報で警察が来て、僕達は事情徴収を受けた。

 そこで、賢輔は衝撃的な証言をした。


『俺がドアを開けると、マキは階段を降りようとしていました。彼女の膝の辺りに、黄色いTシャツを着た男の子が抱きついていて、彼女は振りほどこうと頭に殴りかかりました。けど――その手が、通り抜けたんです』


『通り抜けた?』


 メモを取っていた警官は、怪訝な眼差しを向ける。賢輔は、青ざめたまま頷いた。


『……はい。半透明な、ホログラムの映像の中を通過するみたいに、スーッと』

『でも、その男の子に捕まっていたから、被害者の女性は動けなかったんだろう?』


『ええ、恐らく。男の子が手を離した途端、マキは階段から落ちましたから』


 警察は、僕らが彼女を突き落として、口裏を合わせたのではないかという疑いも抱いていた。けれど、当のマキ自身がそれを否定した。彼女は、黄色いものに対して異常な怯え方を見せたのだ。あの夜、僕らは誰一人として黄色を身に付けていなかった。


 更に、マキが『クソガキ』と叫んだ声を、この夜不在だった103号室の神田夫婦以外、全ての住民が聞いていた。彼らの証言が決め手となり、僕達への疑いは晴れた。


「ずっと、見える人が来るのを待っていたんだろうな」


 達彦は、遠い瞳でしみじみと呟いた。


 少なくとも3人は確実にホラー好きなのに、彼らを差し置いて、何で僕の前に現れたのか……。釈然としないが、理由を追求するつもりは毛頭ない。


 大皿の横の黄色いマスタードを眺めてから、赤いケチャップをたっぷり付けて、ポテトフライを頬張る。トマトの酸味がツンと胸に染みた。


 今回の騒動をきっかけに、警察は「黄色いTシャツの男の子」の捜索に動き出した。


 程なく遺骨が見付かり、黒田ハイツの周辺は大騒ぎになった。

 そして、あの人懐っこい男の子は、8年前まで103号室に住んでいた夫婦の長男だと判明した。共働きだったコージの両親は、帰宅すると息子の遺体を見付ける。その日は季節外れの猛暑日で、死因は熱中症だった。世間から親の責任が問われることを恐れた夫婦は、小さな遺体をベランダ脇の花壇の下に埋め、2日後に引っ越した。コージは、両親が乗った軽トラックを土の中から見送った。彼が車に乗ることは、できなかった――。


「お待たせー」


 あいとユキの明るい声が重なって、ペペロンチーノを頬張っていた男達は、一斉に顔を上げた。


 あいは、淡い藤色の浴衣に、紫紺の帯を結んでいる。浴衣の袖や裾に飛ぶ、白やグレーの蝶柄に合わせて、緩く結い上げた髪を、紫紺の蝶の髪飾りでまとめている。


「おぉ、見違えるなぁ」


 僕は素直に誉めた。薄化粧の下の頬を、照れ笑いで微かに染めて、彼女は隣に座る。


「ああ。馬子にも――」


「達彦?」


 素直じゃない達彦は、やはり彼の隣に詰めたユキに、フォークを持った手をつねられていた。


 ユキは、鮮やかな深緑――ビリジアンの浴衣に、明度の高い朱い帯を合わせて、グッと大人びた印象だ。普段は真面目な雰囲気のストレートの黒髪だが、今夜は一部を後ろで束ね、大きな朱色のリボンを付けている。髪の艶が際立つ和美人だ。


「花火大会、何時からだっけ?」


 スマホに視線を落としていた賢輔は、女子チームに訊ねる。


「7時半だって。早めに会場に行かないの?」


「あ、俺、パス」


 秀斗は、苦笑いを浮かべ、コーラをズズッと啜った。


「俺も。ぼっち同士、飲みに行くか、秀?」


「おう、いいな」


 意気投合した2人は、先に退場した。残った僕ら2組は、連れ立って河川敷の会場に向かってそぞろ歩いた。

 花火大会の周辺は、夏祭りかと見まごう程、土手沿いに出店がずらりと並んでいる。


「シロちゃん、帰りにね……」


「あ、それいいな」


 あいが立ち止まったテントの前で、僕達は微笑みあった。




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