上妻(あがつま)ん家の神さん
「私は神なので今日の代金は払いません」
最寄り駅のレストランで夕食を済ませた帰りだった。
お互い身なりを整えて少しいいところで食べて、最寄り駅から歩いていた。しかしそこの代金を俺だけが払っていたことを思い出したので、半額を請求すると俺の上さんはそんなことを宣った。
神だからなんだよ。
コイツはよくこんなことを言う。
またか、と俺は思って、いつも流すその話題に突っ込むことにしてみた。今日のは奢れる額じゃあない。
「いつも言うが、それ本当かよ。じゃあなにか叶えてくれや。代金半額払うとか」
マジで払えや。
「まあ正確には昔なんだけどね。七つまでは神のうちって言うでしょ。そこまで本当に神童だったんだけど、今はかなり力衰えちゃって」
全否定しづらい嘘をコイツはよく吐く。そして代金の件は無視するという都合のいい耳も持つ。
「だから、かなり対価がないと叶えてあげられません」
「対価?」
「それはあなた」
上さんは手のひらを上に向けて親指と人差し指でわっかを作った。
「お金よ」
「金かよ」
呆れて思わず笑ってしまう。
「それはそうよ。神社には賽銭するでしょう」
「もう払ってるだろ。夕飯分」
俺はケチ臭い男だ。一万ぐらい奢ってやればいいのに。
「あんなんじゃ足りない足りないーー願いにもよるけど、5000万ぐらいあれば割りとなんでもできるよ」
「ああ?」
そんな金を用意できるはずもない。
手取りが残業代込みで30万いかない亭主になに言ってんだか。
5000万なんて、今のところの年収のトータルでやっと越えるレベルだ。
「というか待て、5000万あれば俺も割りとなんでもできる気がすんぞ」
「あはは、その通りだよ。今の世の中は便利になりすぎて、お金があればかなりのことがなんでもできちゃうんだからーーだから、神様は、限りなく必要じゃなくなったの」
上さんは空を見上げる。
どこか寂しそうな、そして慈しむような顔をしていた。
口が結んでて寂しさを、
目は細めて慈しみを。
死んだ人が霊になって天国に昇っていくときにしそうな顔だと俺は思った。
俺も空を見る。星が見えた。
東京の郊外は結構星が見える。
俺は顔を戻した。上さんの顔は変わってなかった。
「……まあでも、完璧に必要じゃなくなったわけじゃねえだろ」
上さんは空を見るのやめ俺を見た。
「必用するやつぐらいはいるさ」
俺は指で「用」を書いた。
「そうね」
嬉しそうに微笑まれる。
「優しい言葉を掛けてくれるねえ」
「今のが優しいのかよくわからん」
優しさの基準が俺にはよくわからない。
知らずに止まっていた俺たちはまた自然と歩き始めた。
「ーーあ、ねえねえ。なにをお願いするつもりなの?」
「……あ?」
俺はそこで、答えることできなかった。
上さんは俺を見つめてる。
笑うと細くなる目は今は大きく見開かれていた。
俺は考える。
俺には人が驚くような欲しいものがない。
俺はつまらない人間だ。
欲しいものなんて、今の現状から緩やかに上昇していけばきっと手に入ってしまう。
家具もその都度そこそこのでいい。
飯も美味い。
家はできれば。
車もあれば。
言うなれば、今日の飯代を請求しないぐらいの金銭的余裕か。
「ーーはは」
たしかに、俺が欲しいものなんて、5000万あればすべてかなっちまう。
なんて俺はつまらない。
じゃあ俺は、神に何を願えばいい?
そこでふと、ある言葉が浮かんだ。
「幸せ」
そんな抽象的な言葉が浮かんだ。
そんなありがちな、つまらないことが浮かんだ。
「これじゃなにも答えてないのと同じか」
具体性がない言葉は、お堅い本に載ってりゃあいい。
幸せになるためには、なにを願えばいいんだろう?
「なんだ、そんなの叶ってるじゃん」
彼女の言葉に意識を戻らされる。
今までいるのはわかってたのに、希薄だった彼女が、彼女の一言で濃くなった気がした。
「私といるから幸せでしょ。なんたって私は」
上さんが俺の手を引っ張って歩き出す。
「あなたの神さんなんだから」
俺はしばらく引きずられるように歩いていたが、苦笑いを浮かべて、その勢いに乗せて自分で歩いた。
上さんの手をしっかり握って、隣を歩いた。
そうだよな。
「おい、神さん」
つまらない俺にはそんなもんでいいんだ。
「改めて願いがある」
ほいほい、と笑って俺を見る上さん。
「一生かけて、5000万以上払うから」
俺にはむしろ、これがいい。
「ずっと一緒にいてくれ」
頼むぜ上さん。
『上妻ん家の神さん』
「あ、あと子供そろそろくれ」
「え?」
頼むぜ、俺の上さんなのだから。
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