愛の衝撃
「惚れた!」
都内のある公立高校内の1クラス、自身も所属するそこに慌しく駆け込んだ少年は息を荒げ肩を上下させながらそう叫び、何故か右半身側が千切れて破れたシャツから伸びる腕を目の前の机に叩きつけながら、頭頂部の裂傷から滴る血で赤く染まった動向の開いた瞳で目の前の机の主である少女の頭頂部を見据えた。張り上げられた大声と机の振動に、突っ伏して寝ていたその少女も目を覚まし、目尻に溜まった涙を指で拭いながら気だるげな声を漏らす。
「……違うとは思うが一応確認しておくけど、それは私に?」
「はっ、最近の熱さで脳味噌が溶けて流れ落ちたのか? よく考えろ寝言は寝て言うものだ。無くすのはその無惨な胸だけにしておけ。あぁ無くしたんじゃなくて最初から持ってなかったんだったな。盛ってはあるけど。ぶふっ」
嘲笑。瞬間、がごんという鈍い音と共に少年の頭を鋭い衝撃が貫いた。目の前はちかちかと輝き膝は笑い、立っていられずにその場に崩れ落ちる。少年は鈍く痛みを放つ頭部を手で抑えながらもよろよろと起き上がる。
「ぐぅ……っ! 頭頂部にまるで金槌で打たれたかのような衝撃……! まさかこれは……恋?!」
「いえ。頭頂部を金槌で打っただけよ」
手に持った金槌に付着した鮮血を拭いながらさらっと告げる。
「なんだ、早とちりしてしまった」
頭を抑えていた手を離し、溜め息を吐きながら自分の席に着く。頭頂部からだくだくと流れる血液は止まったわけではないのだが、少年少女ともにまるで気にする様子はない。少年の頭から少女の机へぼたぼたと零れ落ちる血痕を、少女が嫌そうな顔で拭き取りながら話は続く。
「それで貴方、一体今日はどんな理由でとち狂ったのかしら?」
「うむ。あれは今朝の事だ」
「とち狂った事は否定しないのね……」
「そう、あれは今朝の事。俺はいつものようにトースト咥えて遅刻遅刻ーと叫びながら通学路をとち狂ったように走っていた」
「むしろ自ら肯定した……」
「そうするといつものように曲がり角で少女とぶつかったのだ。俺は地面に尻餅をついた少女に颯爽と手を差し伸べた……」
と、一息入れた次の瞬間、瞳孔の開ききった目をカッと見開いた。
「するとその瞬間だった! 俺の頭頂部をまるで金槌で叩かれたかのような衝撃が襲い、目の前で星々がちかちかと煌き全身に震えが走った! 衝撃のあまり膝が笑い腰を抜かしてしまうほどの凄まじい衝撃だった! そして……」
少年は過呼吸一歩手前にまで乱した息を、二度の深呼吸で整えてから呟くように言った。
「気付けば俺は頭頂部に裂傷を負い、アスファルトに作った自らの血だまりに突っ伏していた」
「それきっと、金槌で打たれたのよ」
「ははっそんなまさか。初対面の相手の頭を金槌で打つような異常な女がどこにいる」
「例えるなら入学早々告白をしてくるようなわけのわからない男が相手ならそういう事もあるんじゃないかしら」
「あ、そう言えばいた。胸板が板みたいな女がいたぞ。あぁいや今のいたは板の板ではなくいたという意味のいたで別に他意はないからあんまり胸が平たいことを気にする必要はないぞ。全人類の中にもお前みたいな薄っぺらな女が板って別にいいかもしれない」
瞬間、少年の頭頂部を金槌で打たれたような衝撃が襲い、血飛沫を上げながら教室の床に転げ落ちる。
「あがが……これはまさか恋……」
「金槌で打っただけよ」
「そうかならいい」
そう言いながら短いスパンで三度も頭頂部を金槌で打たれたダメージから来る吐き気と末端の痙攣を堪えながらふらふらと起き上がり席に着く。少女はその姿を見つめながら呆れ気味に溜め息をつく。
「貴方、いい加減に頭部にダメージを負う度に恋と錯覚する癖を直したほうがいいんじゃないかしら」
「何を言うか。錯覚だったのは初回だけだ。俺の一途な思いは本物だ。じゃなきゃ他人の頭部を容赦なく殴打するような女と付き合いたいなんて冗談でも言えるものか」
「……殴られたの覚えてるんじゃない」
焦点の合わない瞳で見つめてくる少年に対し、少女はなんとも言えない微妙な表情を浮かべ視線を逸らした。
「それでどうするの? その……あー、名前とかわからないわよね?」
「うむ。なので仮に金津打振無差別殺戮子さんと呼ぶ事にした」
「貴方本当にその子のこと好きなの?」
「ふー、人の純情を信じられないとは哀れな女だ」
「それが私の性分なのよ」
「まぁいい。それで、当のさっちゃんだが」
「仮名の愛称とかこれもうわからないわね」
ぼやく少女を尻目に、少年はポケットから携帯を取り出し、十数秒ほど捜査をした後で少女に画面を突きつけた。やや近眼の気がある少女は机から身を乗り出して画面に映されている文字を読む。
――警視庁の機動隊、金槌一本で武装した少女と引き分ける。
付随されている画像には、頭部を凹まされて気絶している機動隊の上で金槌片手に立ったまま白目を向いている少女の姿があった。少女が携帯の画面から顔を上げる。そこにはどこか遠い目をした少年がいた。
「そう、『惚れた』……過去形なんだ。俺の恋は頭頂部からの血が止まるよりも速く終わってしまったんだよ……」
「何がどうしてこの子がこうなったのか知らないけど、多分これはうまくいかなくてよかったんじゃないかしら」
「なんでも機動隊の頭部を凹ませる事でしか興奮できない性質らしいぞ」
「うまくいかなくてよかったんじゃないかしら」
「クソッ! どうして俺の恋はいつも実らないんだ!」
「いつも相手が逮捕されるからじゃない?」
「国家権力め! いつもご苦労様です!」
罵声なんだかよくわからない事を叫んで少年は頭を机に叩きつけた。その衝撃で少女の頬に血の雫が飛び、それを少しばかり嫌そうに眉を顰めながらハンカチで拭い、少女は溜め息をついた。
「まぁ仮に相手が逮捕されなくても、そもそも貴方みたいな見た目も中身もぶっ飛んでる男の相手を多少なりともしてくれる女の子なんて、それこそ貴方みたいなのに対して一目惚れでもしてくれる奇特な女の子くらいでしょうね」
「そんな都合のいい女この世にいるのか? あとみたいなのとか言うな」
血の涙……否、ただの血を流しながら項垂れる少年の後頭部を、少女は横目で眺めながら鼻で笑った。
「よーく探せば世界に一人くらいなら見つかるんじゃない? 見つかるまで見ててあげるから精々頑張りなさい」
最近全然文章書いてないんでリハビリ。こんなものを読ませてしまってごめんなさい。