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『沈黙の翼(ブルーガルーダ)』 ~その海で、僕たちは大人を信じられなくなった~  作者: 水前寺鯉太郎
ブルーガルーダ号沈没編

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第3話:白き闇の衝撃

第3話:白き闇の衝撃

1. 聖域の崩壊(午前7時25分)

 朝のメインダイニングは、皮肉なほどに「青春」の色に染まっていた。

 窓の外を閉ざす乳白色の霧は、スマホのフィルターを通せば「雲上の楽園」へと姿を変える。視界が遮断されているという事実は、若者たちの根拠なき万能感を助長し、SNSのタイムラインは「非日常」を謳歌する投稿で埋め尽くされていた。

 水江櫂は、寝不足で鉛を流し込まれたような頭を抱え、トレイの上のスクランブルエッグを凝視していた。

 昨夜、船底の闇で目撃した「歪んだ鋼鉄」と「腐敗した甘い異臭」。それを陽太に話しても、「お前の妄想癖には付き合いきれん」と笑い飛ばされただけだった。

 だが、俺の指先は、手すりを通じて伝わってきたあの「船の断末魔」を、忘れることを拒絶していた。

 楽しげなフォークの音。女子たちの嬌声。教師の野太い笑い。それら全てが、薄氷の上で踊っている愚か者の舞踏に見えた。

(……まだ、傾斜は死んでいない)

 俺は椅子に座ったまま、背骨に集中した。わずか3度、あるいは4度の傾き。誰もが「波のせい」だと片付ける微細な歪みが、白く美しいこの朝食の空間を、静かに、確実に浸食している。

「おい、櫂。お前、せっかくの高級オムレツが冷めてるぜ。葬式じゃあるまいし、もっと楽しめよ!」

 陽太が隣で、豪快にベーコンを頬張る。その筋肉質な体が揺れるたび、俺の不安は質量を増していった。

 時計の長針が、運命の12時方向へと重なる。午前7時30分。

2. 審判の音(午前7時30分)

 それは、想像していたような破壊音ではなかった。

 船体の深部、胃袋よりもずっと下。地球そのものが溜息をついたような、重く、鈍く、逃げ場のない振動。

『ドォォォォォ……ン……』

 何かが船体を、巨大な掌で優しく押し潰したような音。

 その瞬間、世界から一切の音が消失した。

 口元へ運ばれたスプーンが空中で静止し、陽太の笑い声が凍りつく。数百人の生命が集う空間を、真空のような「一瞬の虚無」が支配した。

 誰もが呼吸を忘れ、脳がこの異常事態を処理するための「猶予」を求めていた。

 五秒。あるいは十秒。

 テーブルの上のコーヒーカップの中で、黒い液体が同心円状の波紋を描き、縁から溢れ出した。

 カタカタ、カタカタ。

 銀色のカトラリーが、一斉に、意志を持ったように右側へ滑り始める。

「……え?」

 陽太が、喉の奥から漏らした間の抜けた声。それが、世界の崩壊を告げる号砲となった。

3. 重力という名の猛獣

 衝撃そのものは、この巨大フェリーを即座に引き裂くものではなかった。

 だが、ブルーガルーダ号がその胎内に隠し持っていた「致命傷」――過積載という名の病魔が、ついにその牙を剥いた。

『ガガガガガガガガガッ!!』

 船底から響いてきたのは、一万の鋼鉄の爪が壁を掻き毟るような、凄まじい「雪崩」の音。

 車両甲板。限界を超えて積まれていた数トンのコンテナたちが、衝撃によってラッシングベルトを千切り飛ばしたのだ。一度動き出した「質量」は、もはや人間の作った法にも、船の復原力にも従わない。

「うわああああっ!?」

 床が、目に見える速さで「崖」へと変貌していく。

 椅子が倒れ、テーブルが宙を舞い、陶器が砕け散る。何万もの破片が、右舷側へと殺到する。窓の外、白い闇の向こう側で、空であるはずの場所が「黒い海面」へと猛烈なスピードで倒れ込んでいくのがわかった。

「陽太、掴まれ! そこを離すな!」

 俺は必死に、ボルトで固定されたテーブルの脚に腕を絡めた。

 黄金のガルーダは、自らの傲慢な重荷によって翼を折り、深淵へとその身を投げ出していく。

 俺の視界の端で、さっきまでSNSに夢中だったクラスメイトたちが、滑り始めた床の上で、為す術もなく、まるで散らばったパズルのピースのように、悲鳴とともに右舷の壁へと叩きつけられていった。

 俺は、震える手でカメラを起動した。

 ファインダーの中、傾斜を示す水平器のバーが、真っ赤に染まりながら限界を振り切っていた。

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