第14話:歪んだ天秤
第14話:歪んだ天秤
1. 汚れた法服
海難審判所、運命の公判当日。
証言台に向かう櫂の視界は、寝不足とストレスで白く霞んでいた。背後からは、遺族たちの祈るような視線と、それを遮るように居並ぶ『ガルーダ・ライン』の屈強な私服警備員たちの壁。
審判官が、眼鏡の奥から冷徹な一瞥をくれる。
「証人、前回の証言内容に訂正があるとの申し出があったが、間違いありませんか?」
審判官の問いに、法廷内が水を打ったように静まり返った。
櫂は、傍聴席の最前列に座る陽太を見た。陽太は顔を伏せ、膝の上で拳を震わせている。その拳は、守るべき家族の生活と、死んだ仲間への忠誠の間で、無惨に引き裂かれていた。
(……今ここで、俺が『記憶違いだった』と言えば、すべてが丸く収まる)
久瀬に提示された学費、陽太の親の平穏、そして遺族への速やかな補償金。自分の「嘘」一つで、生きている人間たちが救われる。それは、ある種の「大人の正義」に思えた。
2. 剥がれ落ちる仮面
櫂が口を開こうとしたその時、受審人席に座る「雇われ船長」と目が合った。
男は、憐れみを誘うような悲しげな表情を作っていたが、その口元は微かに、勝利を確信した歪な形に吊り上がっていた。
その瞬間、櫂の耳の奥であの音が蘇った。
『ゴボッ……ボコッ!!』
船底で、水を吸い込みながら死んでいった鋼鉄の断末魔。
涙でふやけたルーズリーフに、届かない愛を書き殴っていた級友の指先。
その命を、こいつは「コスト」として切り捨て、今また、自分を仲間に引き入れようとしている。
「……訂正はありません」
櫂の声は、自分でも驚くほど低く、鋭かった。
「訂正はありません。僕は、はっきりと見ました。過積載のコンテナが、あの船の命を奪う様子を」
法廷に、どよめきが爆発した。久瀬が苦虫を噛み潰したような顔で立ち上がり、審判官が激しく槌を叩く。
「静粛に! 証人、君は自分の発言が、遺族への補償を遅らせる可能性を理解しているのか!」
3. 孤立無援の宣戦布告
「理解しています」
櫂は、逃げずに審判官を見据えた。
「でも、嘘をつけば、死んだ彼らは二度殺されることになる。……彼らが最後に遺そうとした言葉を、なかったことにする権利なんて、誰にもないはずだ!」
櫂の叫びは、豪華な内装の法廷を、場違いなほどの熱量で貫いた。
しかし、法廷の空気は冷ややかだった。審判官は溜息をつき、手元の資料に「証言の信憑性に疑問あり」と書き込む。
証拠がない。
いくら叫んでも、壊れたカメラが沈黙を守る限り、それはただの「少年の独り言」として処理されていく。
審判が一時休廷となり、廊下に出た櫂を、久瀬が冷たく見下ろした。
「残念だよ、水江君。君は今、陽太君の家庭を壊し、遺族の希望を打ち砕いた。……これが、君の望んだ『正義』の形か?」
櫂は答えられなかった。胃の奥からせり上がる吐き気を抑え、震える手でカバンの中のカメラを握る。
その時だ。櫂のスマホに、一通の通知が届いた。
差出人は、事故直後にカメラの復旧を依頼し、門前払いされたはずの『偏屈な修理屋』だった。
『――メモリの塩を、特殊な溶剤で洗った。半分だけ、画が出たぞ。……見に来るか?』
絶望の底で、錆びついた記録が、初めて微かな産声を上げた。




