第12話:沈黙する海、饒舌な嘘
第12話:沈黙する海、饒舌な嘘
1. 漂白された断罪の場
事故から半年。
季節は巡り、あの日の冷たい春の海は、凪いだ紺碧へと塗り替えられていた。だが、水江櫂の時間は、ブルーガルーダ号が垂直に沈み込み、級友たちの悲鳴が気泡とともに消えた瞬間のまま、凍結している。
海難審判所。
高すぎる天井から降り注ぐ無機質な蛍光灯の光が、証言台に立つ櫂を、標本のように照らし出す。
傍聴席には、遺族たちの黒い服が重苦しい波のように連なっていた。あの日、船底の闇に消えた二百名の級友たちの親。彼らの視線は、生き残った櫂への「期待」という名の重圧と、「なぜお前だけが」という言葉にならない刃となって、彼の背中に突き刺さっていた。
「……では、証人。あなたは衝突の直前、独断で車両甲板へ侵入し、過積載を目撃したと主張している。……間違いありませんか?」
受審人側の弁護士が、冷徹な事務作業のように問いかける。その眼光は真実を求めてはいない。ただ、一人の少年の記憶を「錯乱」として処理することだけを目的としていた。
2. すり替えられた「真実」
「はい。過積載でした」
櫂の声が、静まり返った法廷に硬く響く。
「通路までコンテナが溢れ、固定ワイヤーは今にも弾けそうに悲鳴を上げていた。あの日、あの船は衝突する前から、自らの重みで死にかけていたんです」
法廷が波打つようにざわめく。だが、相手弁護士は微塵も動じず、薄く、憐れむような笑みを浮かべた。
「証人、君はショックで記憶が混濁しているようだ。運航会社の公式記録によれば、積載量は厳格に規定内だった。事故の最大原因は、あくまで濃霧という不可抗力、および相手船の操船ミスにある。……君が見たという光景は、死の恐怖が見せた『主観的な幻覚』ではないのか?」
櫂の拳が、爪が食い込むほどに握りしめられる。
証言台の端で、うなだれる演技を続ける「雇われ船長」。彼は端正なスーツに身を包み、「最善を尽くしたが、未曾有のパニックにより離脱せざるを得なかった」という、泥を塗ったような嘘を理路整然と並べ立てていた。
巨額の資金で塗り固められた、会社側の完璧な防護壁。あの日、霧の海へ真っ先に逃げ去った男の背中は、今や「悲劇の犠牲者」という仮面の下に隠蔽されていた。
3. 眠れるエビデンス
櫂は、足元のカバンの中にそっと手を触れた。
そこには、あの地獄から持ち帰った、塩を吹き、動かなくなった一眼レフがある。
海水に腐食された記録メディア。三箇所のデータ復旧業者からは「修復不可能」と突き返された。櫂が主張する「真実」は、現時点では何の裏付けもない、ただの叫びに過ぎない。
「証拠がない以上、君の言葉は虚空を掴む空論だ。裁判は感情で動くものではない」
弁護士の杭のような言葉が、真実を深く土に埋めていく。
審判が閉廷した後、法廷の外で陽太が待っていた。
かつてサッカー部を牽引した彼の右足は、あの日負った粉砕骨折の後遺症で、今も重い装具に固定されている。
「……櫂。あいつら、全部『なかったこと』にして、笑って終わらせるつもりだ」
「わかっている」
櫂は、遠い水平線の先を見つめた。
あの日、涙でふやけた遺書を抱いて沈んだ仲間の無念。捨てられた俺たちの怒り。
真実はまだ、数百メートルの暗い海底、引き揚げを拒否されたブルーガルーダ号の残骸の中で、黒いヘドロにまみれて眠っている。
「カメラを直す。……この中に、奴らを地獄へ引きずり戻すための、本物の火種が残っているはずだ」
生き残ってしまった二人の、長く孤独な「聖戦」が、この漂白された法廷から再び始まった。




