第10話:オレンジの防波堤
第10話:オレンジの防波堤
1. 空を裂くオレンジの翼
空を切り裂く重厚なローター音が、死臭の漂い始めたデッキを震わせた。
霧が完全に霧散した紺碧の空から、海上保安庁の大型ヘリ『スーパーレサリオン』が三機、獲物を狙う猛禽のように飛来した。
「機動救難隊、降下!」
ホバリングする機体から、細いワイヤーを伝って「オレンジ色の獣」たちが次々と海面へ、そして半ば水没した地獄の入口へと降り立つ。
水平線の彼方からは、白い飛沫を上げて急行する巡視船の高速艇。さらには近隣の漁船までもが、この巨大な鉄の死骸を取り囲むように集結しつつあった。
「青山、黒崎! 右舷側はもう持たん。左舷から浸入し、人の鎖を維持しろ! 一人たりとも残すな!」
無線の向こうで、指揮官の鉄の意志が響く。
絶望に塗りつぶされていた生徒たちの瞳に、鮮烈なオレンジ色が反射した。それは、この泥濘の地獄に初めて現れた「正義」という名の防波堤だった。
2. 鋼鉄の喉元での決死行
船内では、青山たちの元に後続の潜水士たちが合流し、水の壁に挑んでいた。
「命綱を連結しろ! 互いの体を楔にしろ! 流されるな!」
青山の咆哮が、通路を埋め尽くす濁流に叩きつけられる。
単身では木の葉のように押し流される激流。だが、数人が肩を組み、ワイヤーで己を繋ぎ合えば、それは物理法則に抗う「鋼の壁」へと変貌する。
潜水士たちは、首まで水に浸かりながら、文字通りの「人の鎖」を築き上げた。
先頭を行く青山が、水面に浮かぶ重油まみれのコンテナを素手で押し除け、黒崎が背後からその腰を支える。
「……来た。本当に、来たんだ」
櫂は、カメラを守る防水バッグを抱きしめ、眼前に現れたオレンジの集団に、喉の奥が焼けるような熱い塊を感じていた。だが同時に、ファインダーは捉えていた。青山の背後の隔壁に、蜘蛛の巣状の亀裂が走り、死神が鎌を振り上げているのを。
3. 転覆への秒読み(カウントダウン)
救出の熱狂を、船体の悲鳴が切り裂いた。
『ギギ……ギギギギッ……ドォォォォン!!』
船底の奥深く、過積載という罪を背負わされた支持構造が、ついに耐えかねて圧壊した。その衝撃で、船体は一気に十五度、奈落へと傾斜を深める。
「艦長! 船体の背骨が逝きました! あと三分……いや、百八十秒で完全に転覆します!」
巡視船への無線が、悲鳴となって艦橋に響く。
救助隊という「光」が加速する一方で、海が船を飲み込もうとする「闇」の速度は、それを嘲笑うように跳ね上がった。
「全員、飛べ! 躊躇するな、空を掴め!」
青山の怒号が、爆ぜる窓ガラスの音を貫く。
潜水士たちは、パニックで失禁し、動けなくなった生徒たちを力ずくで担ぎ上げ、人の鎖を伝って「生」の世界へと放り出していく。
「櫂、次はお前だ! 早く行け!」
陽太が、濁流に足を奪われながらも櫂の背中を押した。
背後では、完全に水没した食堂の巨大な窓が、水圧に耐えかねて一斉に爆ぜた。数千トンの海水が、逃げ道を塞ぐように回廊を埋め尽くしていく。
オレンジの光と、深淵の黒。
その両者が、ブルーガルーダ号という巨大な棺の中で、最後の一秒を奪い合う、血を吐くようなデッドヒートが極限に達した。




