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第一章


外はまさに小春日和だった。

久しぶりの太陽の日差しに、私は心から笑顔を振りまいていた。

いつものように、トレーにハンバーグとドリンクを置く。あとポテトもだ。

「有難うございました」

笑顔で、そう言うとトレーを渡す。

その時、奥のスタッフがコソコソと話しているのが、耳に入ってきた。

「またよ。あのお客様でしょう……」

私は、ほぼ満席の店内を見渡した。

一人の男性が、何度も何度も必死にテーブルを拭いているのが見えた。

「あれ?……何だろう」

親友の美月が、私の横に立った。

小さな声で、そっと耳元で呟くように言う。

「……いつもなんだ、あの人。楓はシフトで当たった事なかったと思うけど」

「あんなの見過ごしておくの? 一言いった方がいいんじゃ……」

私は、親友の牧原美月と一緒に、このハンバーガー店でバイトをしている。

高校二年生、六塚楓。特に派手でも地味でもなく、ごく普通の高校生だ。

私は、店のカウンターから出て、その男性に近づいた。

「あ、あの……何かございましたか?」

私は、なるべく刺激しないように話し掛けた。

男性は、面倒臭そうに私を見る。

(なんだ、まだ高校生くらいじゃない。同じくらいかな?)

「何でもない……」

無愛想にそう言うと、またテーブルを拭き続ける。

いつの間にか隣に、美月がいて心配そうにしている。

「わ、私がお手伝い致します!」

私が、彼の持っているタオルに手を掛けようとした時――

「やめてくれ!」

彼に払いのけられてしまい、私は身体のバランスを崩した。

美月に、やっと支えられて立っている事が出来た。

彼は、自分でも一瞬驚いたような表情をしたが、そのまま店から出て行ってしまった。

店内は、騒然となってしまっていた。

(何なのよ! あいつ! 変なやつ)

私は、すぐ元の笑顔に戻って仕事を続けた。

そのうち、何事もなかったかのように、いつもの店内に戻ってしまった。

「いらっしゃいませ」

忙しさの中で、私の頭の中も切り替わってしまっていた。


ざわざわと雑音が鳴り響く中、私はカバンの中からお弁当を出した。

「これ、これ!」

学校での楽しみの一つが、このお昼休みの母の手作り弁当だ。

「楓! 隣のクラスが、何か騒いでるよ」

美月が、その豊かな胸に弁当を抱いて、私に駆け寄って来た。

「え? なになに? 喧嘩とか?」

「分かんないけど、行ってみようよ」

美月は、しっかり者で優しくて可愛い。そして巨乳。

しかし、かなりの野次馬的なところがあって、そのギャップが堪らない。

二人で、隣のクラスに行くと人だかりが出来ていて、私達は人をかき分けて前進した。

中心にいたのは、昨日の「あの問題のお客」だった。

(やっぱり同じ高校生だったんだ。しかも、隣のクラスだったなんて!)

「おい! これ食べてみろよ!」

彼の前には、明らかにひっくり返された弁当箱の中身が散乱していた。

「潔癖症さんよ!」

(潔癖症? 彼は潔癖症だったんだ……)

「いやだね」

彼は、そう言うとあっちを向いてしまった。

「この野郎! 舐めてんのか!」

男子生徒が、彼に殴りかかろうとした時だった。

教室の後ろに積んであった机や椅子が、凄まじい勢いで崩れてきた。

「キャー!」

「おい! 危ないぞ」

皆、崩れ落ちる机や椅子を避けるので、精一杯になった。

彼を脅していた男子生徒は、机の下敷きになっていた。

「た、助けてくれ……」

その時、彼が急に立ち上がって、教室から出て行ってしまった。

私と美月は、彼の後を追った。


彼は、一人で屋上にいた。

鼻歌のようなものが聞えてくる。

私と美月は、息を殺しながら彼の様子をうかがっていた。

「そこにいるんだろ」

彼から、声を掛けてきた。

私と美月は、そっと彼の前に姿を現した。

「昨日の……・二人だよな」

「そうよ。教室での事も全部見てたわ」

私は、そう言うと美月の目を覗き込んだ。

美月は、ただ静かに頷いている。

「ごめんなさい……知らなかったの」

私は、そっと息を吐き出すように言った。

「なにが?」

「その……潔癖症だって事」

「俺の方こそ、昨日はごめん。払いのけてしまって……」

「ううん、それはいいんだけど。いつも……ああなの?」

「教室での事か?」

「ええ……」

「たまに、ストレス溜まったヤツがするだけだよ」

「そ、そんな!」

「慣れてるからいい」

近づいてみると、彼が鼻血を出している事に気がついた。

「どうしたの? それ?!」

「……なんでもないよ。たまにあるだけ」

私は、走り寄ると自分のハンカチを取り出した。

「私のなんて使いたくないかもしれないけど、良かったら使って」

彼に渡すと、その場から去ろうとした。

後ろから、声が聞えた。

「俺の名前は、片桐玲二! お前の名前は?」

「私は、六塚楓」

美月と二人、階段を駆け下りた。


今日は、久々に美月も私もバイトが休みだったので、二人で買い物へ行く事にした。

「これかな? でも、こっちの方も捨てがたい」

私が、鏡の前で洋服を選んでいると、母親が一階から呼ぶ声がした。

「楓! 美月ちゃん迎えに来たわよ」

「い、今行く!」

結局、その辺りにある服を着て、慌てて階段を降りた。

「ごめん、美月。お待たせ」

「ううん、それはいいんだけど」

美月が難しい表情をしながら、立っている。

「どうしたの? 何かあった?」

「えーと……その、出発したら言うね」

美月は、私の手を取り促した。

家の外に出て、美月の態度がおかしいのがよく分かった。

そこのいたのは……あの片桐玲二だった。

彼は、私を見るなり座り込んでいたが立ち上がった。

「どうして?」

「ここにくる途中で、バッタリ……ははは」

美月が、冷や汗をかきながら笑っている。

「買い物へ行くって聞いたから、ハンカチのお礼がしたくて」

片桐玲二は、私の目を見てハッキリとそう言った。

「ハンカチ、使ってくれたんだ」

「ああ……」

優しそうなのに、どこか無愛想な彼に少し興味が湧いたのは言うまでもない。

(変わった人だけど、悪い人ではなさそう)

第一印象は、最悪だったけど少しだけ安心した。

三人で、色々なお店を見て回った。

「これ、可愛いよね!」

「本当、凄くいいと思う!」

私と美月は、商品に夢中になり、彼の事は忘れてしまっていた。

彼は、店の入り口で腕を組んでどこかを見つめていた。

私達は、買い物の袋を持って店の入り口から出てきた。

彼は、さっと手を出して

「持ってやるよ」

無愛想にそう言う。

「これくらい、大丈夫だよ」

私は、笑顔で彼に答えた。

「そうそう、玲二君って呼んでいいかな?」

美月が、嬉しそうに言い出した。

「べ……別にいいけど」

彼は、色白い肌を赤く染めて、頭を掻いている。

よく見ると、玲二はとても綺麗な顔をしていた。

色白で、ちょっと癖毛だけどふんわりとした髪。

唇は、綺麗な形をしていてどこか紅を差したようだった。

色々と店を見回った為に、夕暮れ時になろうとしていた。

玲二が、いきなり立ち止まって、私達に

「これ……」

と、何かを差し出した。

「何? これ?」

「いいから、受け取ってくれ」

私達は、玲二から可愛く包装されたものを受け取った。

「開けてもいいかな?」

「うん……」

私と美月が一斉に開けると、そこにはハンカチが入っていた。

とても可愛いハンカチだった。

「有難う! 玲二君!」

「私まで貰っていいの?」

美月が、ちょっと不安そうに聞いてくる。

玲二は、優しく微笑んで頷いた。

美月から、弾けそうな笑みがこぼれた。

「大事にするね。有難う」

(なんだ……やっぱりいい人なんだ。美月、凄く嬉しそう)

その時だった。

どこからか、パトカーのサイレンが鳴り響きだした。

「何だろう? 事件かな?」

「何か近いみたいよ」

私達三人は、サイレンの方へ行ってみる事にした。


辺りは、もう暗くなっていた。

パトカーのランプが嫌にその場を、緊張させていた。

「こりゃ、野犬にでも襲われたのか……」

中年の男性が溢すように呟くのが聞えた。

「親父」

「お、玲二じゃないか」

その中年の男性は、玲二の傍にやって来ると、私達二人を見つめた。

「こんな可愛いお嬢さん達と、お付き合いしているとは」

「そ、そういうのじゃない」

玲二は、必死に何かを言おうとしている。

「あの、何か事件ですか?」

私は、玲二の父親に聞いた。どうやら警察の人みたいだ。

「……うーん、正直に言うと分からないんだ」

玲二の父親は、顎を撫でながら俯いてしまった。

「とにかく、もう君達は家に帰りなさい。気をつけてな」

私は、見てしまった……ブルーシートから出ている真っ白な女性らしき手を。

すぐに隠されてしまったが、はっきりと見てしまった。

(被害者は、多分若い女性。そして他殺だと思われる……)

私の頭に、そんな文字が浮かび上がった。

「もう、帰ろう」

玲二の声で、ハッと我に返った。

「玲二君、また一緒にどこか遊びに行こうよ」

美月が、玲二を次の遊びに誘っている。

「楓がいいって言ったらね」

玲二は、私の事を下の名前で呼んだ。

それが、何だかドキッとさせられて、すぐに返答出来なかった。

「楓、どうなのよ?」

美月が、私に迫ってくる。

「うん、いいよ。また会おうよ」

「やったー!」

玲二の柔らかな髪が風に揺れた。

私達は、もう事件の事など頭からなくなっていた。


家の玄関に入ると、声を掛けられた。

「おかえり」

靴を脱ぎながら、後ろを振り返った。

「ただいま」

そこには、玲二の一つ上の兄、修司が立っていた。

「父さん、今夜は帰れないって」

「事件があったみたいだね」

「会ったのか?」

「たまたま、現場で」

「可愛い淑女を二人もつれてたってな」

「親父……余計な事を……」

母親は、二人がまだ幼い時に他界し、父親が男手一つで育ててくれていた。

父親には、感謝している。仕事は、刑事をしている。

「ご飯作ったけど、食べるだろう?」

「うん、腹ぺこだよ」

玲二は、家族間ではある程度の範囲は、潔癖症は治まっている。

玲二の学校の弁当を作っているのは、実は兄の修司だった。

「じゃあ、すぐ用意しよう」

修司は、玲二とは違い社交的で女性にとてもモテるタイプだった。

ガールフレンドは、多数いるらしく、いつも傍に女子達をはべらせている。

食事をしながら、その兄が話し掛けてきた。

「なぁ、どんな子達なんだ。その淑女達は」

「どんな子達って……いい子だよ」

「今度、俺にも紹介してくれよ。弟の大事なガールフレンドだからさ」

「が、ガールフレンドじゃないって!」

思わず、食事を詰まらせそうになる。

「お前に、友達出来るって珍しいからさ」

「……成り行きだよ。あと、まだ友達って訳じゃない」

「まぁ、今度よろしくな」

修司は、わざとニヤけて笑っている。

昔から、兄には敵わない。

玲二もとても優秀な生徒だが、兄はそれを軽く上回る。

「後片付けは、やっておくよ」

玲二が、修司にそう言うと、兄はウィンクして

「サンキュー」

と言い、二階に上がって行った。

玲二は、食器を洗いながら、今日一日を振り返っていた。


「はぁ……はぁ……」

女性が、必死に路地を走っている

履いていたハイヒールは、とっくに脱げてしまって裸足だ。

「だ……誰か、助けて」

すぐ背後から、何かが近づいてくるのが分かる。

(逃げないと! 逃げないと殺される!)

血だらけの膝に力を込めて立ち上がると、更に走った。

(あの角を曲がって……)

曲がった先は、フェンスで遮られていた。

「そ、そんな!」

背後から、おぞましい殺気を感じて振り返る。

「いやあぁあ! 助けて!」

彼女の身体は、あっという間にボロボロに切り刻まれ地面に倒れ込んだ。

地面に、赤い血だまりが広がってゆく……。

彼女の目は大きく見開かれたまま、恐怖が宿ったままだった。


テレビのニュースキャスターの声が聞える。

「それでは、また発生した猟奇殺人事件のニュースです」

私は、テレビに釘付けになった。

「被害者は、市村萌子さん。二十二歳。帰宅途中に襲われた……」

(やっぱり、若い女性だ。きっと最初の被害者も……)

「楓! 遅刻しちゃうわよ」

母親に言われて、我に返った。

「今行く!」

私は、玄関で靴を慌てて履いた。

家を飛び出すと、そこには玲二が宙を見つめながら立っていた。

「お、おはよう」

私は、どうして彼がここにいるのかと思いながら挨拶した。

「おはよう」

「玲二、どうしたの?」

「今朝のニュース観たか?」

「うん、あの猟奇殺人事件でしょう?」

「俺達が見たのは、最初の被害者だったんだな」

「ええ……」

「この事件、解決してみたいと思わないか?」

玲二が、いきなりそんな事を言った。

「勿論、危険が伴うと思うけどな……」

「どうして、私にそんな事を言うの?」

「気になってたみたいだったから」

「……確かに、とても気になるわ」

私は、あまり深く考えていなかった。

高校生の私達に出来る事なんて、たかが知れている。

「じゃあ、やるな?」

「あ……うん」

玲二は、それだけ言うと、先に学校へと歩いてゆく。

「あ! 待ってよ」

私は、急いで彼の後を追った。

この会話が、後から何を意味しているかも分からないまま。


教室にギリギリで到着した。

いつもの担任が入ってくるかと思っていたら違っていた。

「担任の市村先生が体調不良で、本日より担任として……」

「大葉幸一と言います。皆さん宜しく」

教頭の隣に立っているのは、スラリとした長身でイケメンの男性だった。

自分から挨拶をすると、出席簿を取り出した。

「それでは、あとは私が」

大葉はそう言うと、教頭を教室から出させた。

片手に、出席簿を持ち生徒達の名前をスラスラと呼んでゆく。

「六塚楓」

私だけ、フルネームで呼ばれて驚いていると

「いい名前だね」

大葉は、私の目を覗き込むように見た。

私は、黙ったままその目を見つめ返した。

何事もなかったかのように、次の生徒の名を呼び始めた。

(一体何なの? それに市村先生って……まさか、今回の被害者の?)

私は、無意識に玲二から貰ったハンカチを手に握っていた。


「やっぱりさ! 今回の被害者の親って市村先生だったんだって」

教室内は、その話で持ちきりだった。

「先生、辛くて出てこれなくなったみたい」

「気持ちは分かるよね。大事な娘があんな目に遭って」

美月が、教室の入り口から入ってくるのが見えた。

美月とも違うクラスである。

「楓、大丈夫? 顔色が悪いよ」

「大丈夫だよ。ちょっと変な事があっただけ」

「変な事?」

「まぁ、気にしないでいいから」

聞きたそうにする美月に、私は笑顔でそう言った。

「このハンカチ、本当に可愛いよね」

美月が、玲二から貰ったハンカチを大事そうに持っている。

「み……美月って、玲二の事、好きなの?」

私は思わず、聞いてしまった。

「好きっていうか……」

美月の顔がみるみる赤くなってゆく。

「……好きかもしれない」

美月は、そう言うと下を向いてしまった。

「玲二君には言わないでね、楓」

「言わないけど、告白するの?」

「うん……そのうち、するかも」

美月は、まだ顔を真っ赤にしている。

(これは、完全に恋する乙女の顔ですぞ!)

「六塚さん!」

クラスメイトに呼ばれて、振り返った。

「六塚さん、大葉先生が呼んでるよ」

何だろう……さっきの時といい。

「有難う。行くね」

私は、美月を残して教室を後にした。


私が呼び出されたのは、第一理科準備室だった。

ドアをノックすると、中から返事がした。

「どうぞ。お入り」

私は、ドアを開けて中に入った。

「失礼します。何でしょうか?」

単刀直入が、こういう場合はいい。

「とても礼儀正しく、肝も据わっている。あまり気は長い方ではないな。男性的だ」

目の前で、コーヒーメーカーで珈琲を淹れながら足を組んだ大葉先生がいた。

「君も座るといい」

「用件を言って下さい」

「そんなに焦らないで欲しい」

私は、大人しく隣の椅子に座った。

「今、君の性格について言っただろう。君を高く評価している」

「今日、会ったばかりの人には分からないと思いますけど」

「そうかな……」

大葉が、その長い睫毛を瞬かせた。

私の顎に、優しく手をやると、私の身体を引き寄せた。

「君は、とても綺麗で美しい」

私は、毅然な態度で大葉の瞳を睨んだ。

「ごめん……怖がらせるつもりはなかったんだ」

私から手を離すと、出来上がった珈琲をコップに注ぐ。

「君もどうだい?」

「結構です」

大葉は、そっと溜息をつくと静かに話し始めた。

「担任の市村先生は、大学時代の恩師でね。あの事件は知っているだろう?」

私は、深く頷いた。

「被害者は、市村先生の娘さんだったんだ。とても教壇に上がれない先生の代わりに、私が来ただけだ」

「市村先生とは親しいのですか?」

「よくして貰っているよ」

大葉は、珈琲の入ったコップを机に置いた。

「一つ忠告しておくよ」

私の耳元で、囁くように言った。

「この事件には首を突っ込まない方がいい」

私の身体に一瞬、悪寒のようなものが入り、思わず椅子から立ち上がった。

「私は、これで失礼します」

ドアを開けて、出て行こうとした時に聞えた。

「私はきみが好きだよ。だから忠告した」


校門の前で、美月と二人で玲二を待っていた。

なかなか現われない。

「私、今日バイトだから、もう行かなくちゃ」

美月が腕時計を見ながら言う。

「玲二君に、宜しく伝えてね」

「うん、わかったよ」

バイトが休みの私は、美月の後ろ姿を見送った。

しばらく、私は待つことにした。

頭の中で、大葉先生の事がぐるぐると回っている。

(どうして知ってるの? 私と玲二が事件を解決しようとしている事……)

玲二らしき人物が、校内から出てくるのが見えた。

「どうしたんだ?」

私を見るなり、彼はそう言った。

「何かあったのか?」

「ど、どうして……そう思うの?」

「いつもの元気がなさそうだったから。楓らしくない」

「大事な話があるの」

私は、玲二をカフェに誘った。

あった事を全て、彼に話した。

彼は、腕を組んだり顎に手をやったりしながら、夢中で話を聞いていた。

最後に私は、玲二に聞いた。

「どうして、私を相棒というか……事件のパートナーに選んだの?」

玲二は、少々言いにくそうに口を開いた。

「……大葉と同じ理由だ。頼もしい存在だし、勇気もある」

「そ、そう……」

私は、カフェオレを一口飲んだ。

「あと……」

「あと?」

「いや、何でもない」

妙に、ソワソワし始める玲二を見て、自分まで落ち着きがなくなりそうだった。

玲二は、珈琲を飲み終えると、タオルで手を念入りに拭き始めた。

「あ、美月が宜しくって言ってたわ」

「美月? ああ、うん」

「美月、玲二の事……好きみたいなんだ」

「え?」

(マズイ! つい、言ってしまった)

「美月は、とてもいい子だよ」

玲二は、拭いた手を見つめながら言う。

「だけど、俺には他に好きな人がいる……申し訳ない」

「そ、そうなんだ……」

(どうしよう! 最悪の展開じゃない)

私の心もなぜか、落ち込んでしまった。

玲二には、他に好きな人がいたんだ……何も知らなかった。

私は、もう一度口にカップを運んで、中の液体を飲んだ。

さっきと違って、何だか味がしない気がした。

「この後の事だけど」

玲二が、地図のようなものを出して、目の前の机に広げた。

赤い丸が書いてある所がある。

「この印は、犯行現場になる」

「割と集中しているわね」

私は、地図を見て最初に思った事を言った。

「そうなんだ……もし、次に犯行現場になるとしたら」

玲二は、必死に地図を見ている。

「この辺りだと思う。そこで、俺達で夜回りをしようと」

「犯人らしき人物を見つけられるだけでもいいよね」

私は、頷きながら一緒に地図を見た。

「今夜から、決行しようと思う。心の準備はいいか?」

「勿論よ、大丈夫だよ」

私は、玲二の瞳をしっかりと見つめた。


私達は、陸橋の上でなるべく人目につかないようにしていた。

闇に紛れながら、息を殺して辺りを見つめている。

すでに何時間か経過していた。

「今日は来ないか……」

玲二が、腕時計を見ながら、緊張した面持ちで息を吐いた。

その時だった。

「だ……誰か!」

女性の助けを求める声がした。

向こう側から、若い女性が走ってくる。

私は、女性の後ろの得体の知れないものを見て驚愕した。

犬よりも大きく、顔が多数あり、背中にはトゲのようなものが無数にある。

「な、何……あれ?!」

私は、さすがに恐怖に身を竦めた。

「犯人は、化け物だったって事か」

玲二は、女性を助けようと前に出た。

「うう……」

玲二が、急に唸り声をあげはじめたかと思うと、その辺りにあるものが化け物へと次々にぶつかっていった。

最後は、誰も乗っていない車まで飛んでいった。

「キャン!」

犬のような声を上げて、化け物は後ずさりしようとしていた。

玲二は、辞める事なく化け物を攻め続ける。

化け物が、観念したかと思うと、いきなりこちらへジャンプしてきた。

「あ……!」

化け物は、私に飛びかかってきた。

避けようとした瞬間、私は体勢を崩して陸橋から落ちそうになった。

「パシッ!」

私の手を、玲二が掴んだ。

「玲二!」

玲二の顔は、鼻血にまみれていた。

「この能力を使うと、いつもこれだ……」

無愛想にそう言うと、私を一気に引き上げようとする。

「キャー! 助けて!」

女性の悲鳴が聞えた。

玲二が力を振り絞るが、私を引き上げることが出来ない。

彼の身体が、ガクっとなったかと思うと、私達二人は陸橋の下へと落ちた。

丁度、ゴミが山積みになっている上に落下した。

私は、肋骨に強い痛みを感じた。

「だ、大丈夫か?」

「平気……それより、女性は?」

その時、断末魔のような悲鳴が聞えた。

「もう手遅れみたいだ」

「そんな!」

先程の陸橋の場所に戻ると、女性が倒れていた。

真っ赤な花を咲かせたかのように、辺りは血まみれになっていた。

女性の遺体を玲二が調べている。

「あの犬の化け物だ」

「私のせいで、助けてあげられなかった」

「違うよ」

玲二が、私の手をいつの間にか握っていた。

「行こう。警察が来ると、ややこしくなる」

私達は、その場から離れた。

どんなに離れても、女性の悲鳴が耳から離れない。

「楓……楓のせいじゃないから。分かってるな?」

「で、でも……」

「俺のせいだ。上手く仕留められなかったから」

「玲二のその能力って……念力とかいうやつなの?」

「念動力や観念動力ともいうよ」

「サイコキネシスとか言うの……?」

「うん……ただ、これを使うと鼻血が出る……」

玲二は、鼻血を啜っているのが分かる。

「これ使って」

私は、自分のハンカチを差し出した。

「有難う。またハンカチ買わないとな」

玲二は、素直に私のハンカチを受け取った。

何の抵抗もなく、使っている。

「あの……潔癖症は?」

「楓は大丈夫みたいなんだ……俺」

玲二の端正な顔が、私の傍に寄せられた。

「楓、ごめん……危険な目に遭わせて」

「ううん、最初から分かっていたもの危険だって」

「楓……俺はお前の事……」

「あ! もうこんな時間。帰らないと!」

もう深夜近い時間になっていたので、さすがに慌てた。

遠くで、パトカーのサイレンの音が鳴り始めた。

玲二が、私を家まで送ってくれた。


私は、鏡の前で自分の身体を見ていた。

肋の部分が青く打撲していた。

「骨は折れていないみたい……良かった」

学校へ行く準備をしていた。

階段を降りて、玄関に向かうと、そこには玲二がいた。

「楓ったら、こんな素敵な人がいるなんて」

母親が、嬉しそうに隣に来て話し掛けてくる。

「お母さん、勘違いしてるよ」

私は、靴を履きながら苦笑いするしかなかった。

(玲二には、他に好きな人がいるんだから……)

家の前で、玲二が照れたように頭を掻いた。

「ごめんな。家に押しかけたみたいになって」

「そんな事ないよ。心配で来てくれたんでしよう?」

「うん……」

「私は、大丈夫だから」

打撲の事は言わなかった。

「あの大葉って、担任の事だけど。気をつけろよ」

「変わった人だけど、まさか生徒に害は及ぼさないと思うけど」

「身体に触られたんだろう。すでに害がある」

「まぁ、これ以上はしてこないと思うよ」

玲二は、やたら大葉先生の事を話し出した。

「俺が言ってやるよ。楓にこれ以上、嫌な思いはさせない」

「有難う」

私は微笑んで。思わず玲二の肩に触った。

「自分の事は自分で何とかするよ」

玲二は、私に触られても無反応だった。

(本当に、私は大丈夫なんだ……不思議)

私達は、二人並んで歩いて登校した。

その姿を、じっと見つめている瞳があった。


一限目は、自習だった。

とは言っても、雑談や全く関係のない事をして過ごしていた。

突然、教室のドアが開き、皆が一斉に注目した。

大葉先生が、前が見えないくらいの資料らしきものを持っている。

「水島、六塚の二人。これを運ぶのを手伝ってくれ」

大葉はそう言うと、深く息をついた。

運ぶ場所は、また第一理科準備室だった。

私ともう一人の生徒は、資料を部屋に運び込んだ。

「水島は、戻っていいぞ。後は六塚に頼む」

大葉がそう言うと、部屋には私と先生の二人きりになった。

「どうして関わったんだい?」

背後から、いきなり声を掛けられた。

「関わるって、何をですか?」

「三人目の犠牲者の事だよ」

「大葉先生は、この事件に関して、何か知ってるんですね?」

「さて……どうかな」

私は、肋が痛むのを感じた。

「あんな無茶するから……」

そう言いながら、私の傍にきて、いきなり制服のブレザーを脱がせた。

シャツの上から、私の肋部分を医者のように診ている。

「骨は大丈夫みたいだが、打撲が酷いだろう?」

「……はい」

大葉は、ゴソゴソと段ボールの中を漁ると、湿布を渡してくれた。

「後で貼るといい。今、ここでもいいが」

そう言うと、ニヤリと笑ってみせた。

「玲二君だったかな? まさか能力持ちだとは思わなかったよ」

「見ていたんですね。あの場にいて」

「二人とも、頑張っていたよ」

私は、急にカッとなるのを感じた。

(見ていたなら、被害者を助けないの? どうして?)

「私の秘密を知りたいと思わないかい?」

「先生の秘密?」

「今日、放課後に私の家に来ないか?」

彼は、メモに走り書きのようなものをして、私に渡した。

「玲二君も一緒に来てもいいよ」


放課後、私はバイトを休んで大葉先生の家に行く事にした。

玲二の家の前に、私は立っている。

家の中から、誰かが出てきた。

「そんなとこで待ってないで、中へどうぞ」

同じ高校生くらいの男子だった。

玲二に、とてもよく似ていて見間違えそうなくらいだった。

「玲二の兄の修司だよ。こんな可愛い子だとは!」

居間に通されて、お茶を出してくれた。

「玲二と付き合うの大変かもしれないけど、宜しく頼むね」

「あ……付き合うだなんて」

「え? 彼氏と彼女の関係だよね?」

「……違います」

「これは、ごめん。失礼だった」

修司は、驚いたように目を見開いている。

「もう一人、淑女がいたって聞いてるけど……そちらかな?」

(美月の事を言ってるんだわ……でも違う)

私は、頭を横に振った。

二階からバタバタと音がして、玲二が現われた。

「兄貴、余計な事言ってないだろうな?」

「何も……多分」

玲二は、リュックを担いでいる。何が入っているのだろう。

「玲二、女の子にはもっと優しくしてあげないとダメだぞ」

修司は、一言いった後に別の部屋へ行ってしまった。

「お兄さん、玲二にそっくりだね」

「ああ、見た目はね。中身は全く違う」

私達は、玲二の家から出て、大葉先生から貰ったメモを見つめた。

「割と近いな。住所を地図で調べておいたけど」

「罠かもしれないわ……」

「罠でも、手掛かりが欲しい」

外に出て玲二は、背中のリュックを担ぎ直した。

「俺な……楓に言っておきたい事がある」

「なに?」

「俺は、楓の事が好きだ」

私は頭を何かに弾かれたように衝撃を受けた。

「……だって、他に好きな人がいるって……」

「あれは、楓の事だよ」

「美月と楓は、親友同士だろ……だからなかなか言えなかった」

「……」

「だけど、はっきりさせようと思った」

「玲二……」

「俺は、六塚楓さんが好きです」

もう一度、そう言うと私の手を掴んだ。

そのまま二人で歩き出した。


大葉先生の家の前に着いて、驚いた。

素晴らしい豪邸だったからだ。

古びた感じはあるが、かなりの敷地で手入れも綺麗にしてあった。

「まさか、近所にこんなお屋敷があったなんて」

玲二も驚きを隠せない。

インターホンを、ドキドキする心臓に堪えながら押した。

「はい」

女性の声が帰って来た。

「あの、大葉先生はご在宅でしょうか?」

「少々、お待ちを」

大きな門が開いて、私達を招き入れる。

「どうぞ」

女性の声が促してきたので、私達は敷地内に足を踏み入れた。

門から屋敷までも遠い。

屋敷の前に着くと、扉が勝手に開いた。

「お入り下さい」

先程から、案内してくれていた女性だろうか、白髪の交じった老婆であった。

しかし、どこかナイフのように冷たい感じがして、普通の人には見えなかった。

「こちらのお部屋で、お待ち下さい」

言い終わると、どこかへ消えてしまった。

大きな時計が飾られていた。秒針の音が静かな部屋に響く。

私と玲二は、部屋の色んなものを見て回った。

その時、ドアがノックされて開いた。

「やぁ、来てくれたんだね! それに玲二君も」

大葉先生だった。

とてもラフな格好で、白いシャツにジーンズを履いている。

「二人が来てくれて、とても嬉しいよ」

大葉は、爽やかに微笑むとソファーに腰を下ろした。

「君達も、座るといい」

私達は、用心してどちらも座らなかった。

「そんなに心配しなくても、大丈夫だよ」

先程の白髪の女性が、いい香りを漂わせて大きなトレーを運んできた。

「丁度、焼きたてのパイもあるから、お茶にしよう」

「私達、事件について知りたくて、ここに来たんです」

「分かっているよ。ただ、今はこの時間を楽しもうじゃないか」

玲二が、イライラしているのが分かったが、黙って大葉を見つめている。

「すでに三人も、被害者が出ているんです! 知っている事があるなら教えて下さい!」

私は、一歩前に出て、彼に言い放った。

「知っている事……」

大葉が、足を組んで少し前のめりになった。

「私は、犯人ではない」

いきなり、ズバリと言われて拍子抜けした。

「私は、単なる傍観者に過ぎない」

飲もうとしていたティーカップを置いて

「私は、君達の仲間になりたい」

玲二が、そこで口を開いた。

「あんたを信用出来ない」

「それは、楓君にちょっかいを出したからかな?」

「それもあるし、いきなり仲間になんて出来ない」

「ちょっと……待って」

私は、玲二を制止して彼に話し掛けた。

「理由はなに? ただの傍観者ならば危険が少ないわ。なのに、仲間にって?」

彼は、左腕の袖を捲り上げた。

「あ……!」

左腕全体に、何かに噛まれた痕があった。

「私も被害者の一人だ。命だけは助かったが」

彼は、自分でも傷跡を見つめながら、唇を噛んでいる。

「わかったわ……」

「楓! いいのか!」

私は、頷いて玲二を引き寄せた。

「協力者が必要だわ。私達だけでは、どうにもならない事も」

そっと耳元で囁いた。

「やっぱり、君は賢いね。楓君」

私達の話を聞いていたのか、大葉が微笑みながらそう言う。

「君のそういう所が大好きだ」

「一応、仲間にします」

「一応ね」

少々、不満そうに彼はしている。

「どうしたら、信用して貰えるのかな」

「それは、今後の貴方次第です」

「フー」

深く息をつくと、彼は足を組み直した。

「今日、呼んだのは他でもない。次の事件についてだよ」

私と玲二は、彼を見た。

「地図は持っているかい?」

玲二が、リュックから地図を取り出した。

「次の事件が起きるとしたら、ここだと思う」

彼が指を差したのは、やはり集中している地域だった。

「なぜ、分かるんです?」

「犯行地域が集中しているのは君達も分かっているはずだ。次に狙われるのは、ここしかない」

「ここって、確か……」

「工事現場だ。襲うには、こんないい場所はない」

「犯人は、場所で選んでたまたま通りかかった相手を襲っているって事か?」

玲二が、腑に落ちないといった感じで、顎を撫でている。

「それは分からない。被害者は若い女性が多い。私は例外のようだが」

大葉は、ソファーから立ち上がると、窓から外を見た。

彼が小さく、舌打ちするのが聞えた。

「厄介なのが来たぞ……」

私達に、振り返り

「今日の作戦は、これで終わりにしよう」

と言うと、私達を裏口へ案内した。

「この続きは、学校で。明日、二人とも第一理科準備室へ来るんだ。いいね?」

私達は、裏口から屋敷の外へ出た。

屋敷の前には、黒い高級車が停まっている。

(お客が来たのかな……でも、厄介って何だろう?)

私と玲二は、大きな門から出て、やっと生きた心地がした。

玲二が、私の手を握りしめていた。

私も、その手を強く握り返した。


大葉は、目の前にいる老人に、頭を下げた。

「奧崎教授、足を運んで頂き光栄です」

「教授」と呼ばれた中年の男性は、無言で被っていた帽子を渡した。

大葉がその帽子を受け取り、白髪の女性に手渡す。

「い、妹は元気ですか?」

大葉が、真剣な眼差しで言う。

「元気だ……」

大葉が、ホッと胸をなで下ろした。

大葉は、改めて教授の姿を見つめた。

仕立ての良いスーツに、古風な杖を持っている。

実際、足が悪いわけではない。ただの飾りのようなものだ。

そして、いつも洒落た帽子を被っている。

とても美意識の高い人だった。

「お茶でも、いかがでしよう?」

「誰か……来ていたか」

その言葉に、大葉は背筋に冷たいものが走るのを感じた。

「だいぶ前に、工事の営業が来ていたのです。キッチンの排水溝が……」

「大葉」

名前を呼ばれて、なるべく自然体を装いながら、教授を見る。

「なんでしよう?」

「私は、新しい開発をしようと思っておる」

「新しい開発?」

「それに君も立ち会って欲しいのだ」

「は、はい。分かりました」

大葉は、一番大きな部屋に教授を案内した。

お手伝いの白髪の女性が、気を利かせたのかパイを焼く匂いがしてきた。

目の前には、淹れたての紅茶が、湯気を昇らせていた。


バイトを休んだので、せっかくだから私と玲二は、街までやって来た。

二人で、クレープを食べながら、人混みを見つめている。

「玲二は、どうして潔癖症になったの?」

聞いてはいけないかと思ったが、これから相棒として事件に挑むのに聞いてみたかったのもある。

「母さんが死んだ頃からだから、幼い頃からだ。その頃から原因は不明だけど……」

「ごめん。思い出させちゃったね」

「いや……俺も普通が良かったんだけど」

「そんな……私とは、普通だよ」

「楓は、初めて会った時から何だか安心出来る相手だと思ったんだ」

「へぇー! あんなのだったのに?」

私は、意地悪そうに笑った。

「最初の頃の事は、言わないでくれよ……」

玲二が、恥ずかしそうに、自分の髪をいじっている。

クレープを食べ終わった時だった。

「楓から、まだ返事を貰っていないけど」

「返事?」

玲二は、物凄く困った顔をして私を見つめる。

「俺は楓の事が好きだけど、楓は……?」

「えーと……私は」

玲二の事は、正直とても好きだ。

だけど、この好きは「恋愛感情」なのか、自分でも分からないのだ。

「今は、まだ分からないの……ごめんなさい」

玲二は、ちょっと首を傾げて、優しく微笑んだ。

「そっか……それでもいい」

「本当にごめんね。いつか、はっきり言うから」

「何度も謝らなくていいよ」

私の頭を、ポンっと撫でると玲二は立ち上がった。

「じゃあ、今日はそろそろ帰ろうか」

「うん」

玲二は、手を繋いでこなかった。

それが、少しだけ寂しくも感じられた。


玲二は、自分の部屋の天井を見つめていた。

何も考えたくないが、楓の事ばかり頭に浮かんでくる。

「ハァ……」

思わず、溜息をついた時だった。

「コンコン」

部屋のドアがノックされて、兄の修司が入って来た。

「夕飯、出来たけど」

「……今、行く」

「あれ? 何て顔してんだよ」

玲二は、慌てて枕で顔を隠した。

「なんだ。フラれたのか?」

「フラれてないよ」

「その顔は、そういう顔してる」

「ただ……」

「ただ?」

玲二の部屋の壁にもたれながら修司は、静かに聞いている。

「好きか、今は分からないって言われた」

「ふぅーん」

修司は、サラサラの髪をかき上げながら

「それで、諦めちゃうわけだ?」

「諦めてないよ」

「男は、グイグイいかないとダメだぞ。ましてや、あんな可愛い子は他の男に取られちまう」

頭に、大葉の顔が浮かんだ。

「まぁ、可愛い弟の恋のお悩みは、いつでも聞くぞ」

修司は、玲二の所へ来ると彼の髪を、わしゃわしゃと撫でまくった。

「や、やめろよ」

「ほら、元気出して」

修司は、とても弟想いだった。

母親を亡くしてから、仕事で多忙な父親。

修司が、母親代わりだったと言ってもおかしくはない。

「さて、一階に降りて食べよう」

修司に言われるまま、玲二は下に降りて夕飯を二人で食べた。

刑事の父親は、今回の事件の担当でほぼ家に帰ってきていなかった。


第一理科準備室に、私達三人は集まっていた。

例の如く、コーヒーメーカーで珈琲を淹れている大葉先生。

地図を穴が開きそうなくらい見ている玲二。

窓際で、外の天気を眺めながら考えている私。

「犯行は、晴れた日が多いですよね」

私が、大葉にそう言った。

「ご名答。雨の日の犯行は、今までにない」

「どうしてだろう?」

私は、窓際から離れて、地図を見ている玲二の傍に立った。

「この工事現場なら、俺は戦えそうだ」

工事現場を下見してきた玲二が、そう言った。

「ところで、その力は無限なのかい?」

大葉が、玲二に質問してきた。

「俺の体力が持つ限りは……」

「能力を使うなら、それなりの代償が必要だろう。それが鼻からの出血かい?」

「そうだ……」

「他に身体の具合が悪くなった事は?」

「ないね」

「なら、いいんだが……」

大葉は、目の前に置いてあるパソコンを触りだした。

「何してるんです?」

「一応、計画やメンバーの状態は、把握しておきたいからね」

パソコンに素早く打ち込んでゆく。

「楓君は、何かあったりするのかな……能力?」

「な、何もないです……」

私は、自分の無能さに俯いた。

「私もないから、気にしないでいいよ」

大葉は、何が面白いのか笑っている。

「今夜から、見張りをしたいと思う」

彼が、真面目な顔になりそう言った。

「私、バイトで今日は……」

「なら、私と玲二君で」

玲二は、もろに嫌そうな顔をした。

「そんなに嫌がらないでくれよ。男子には興味がないからね」

「な、何言ってるんだ。嫌なヤツだな」

その日は、私はバイト。玲二と大葉先生が見張りをする事になった。


玲二と大葉は、大葉の車に乗って、見張りを続けていた。

一人の女性が歩いてきた。

二人は、息をのんで、周りを睨みだした。

突如、女性の前に大きな黒い影が現われた。

「来たぞ!」

玲二と大葉は、女性と醜い姿の化け物の間に入った。

辺りは、工事現場で人などいない。

「玲二君!」

女性が、彼の名を呼んだ。

「美月! どうして」

「買い物の帰り道だったの。これが連続猟奇殺人事件の……」

「隠れてろ!」

玲二は、身体に力を込めると、その辺りにあった資材が飛び上がった。

化け物めがけて、次々と飛んでゆく。

資材が次々と、化け物へ刺さって、化け物がもがき苦しんでいる。

最後に鉄骨が、化け物の上に落ちた。

「ドン!」

辺りは、静かになり、美月の啜り泣く声だけがした。

「美月! 大丈夫か?」

玲二が美月に駆け寄った瞬間だった。

化け物が、まだ息があって襲いかかってきた。

「バン!」

銃口からは、煙が立ちのぼっていた。

大葉が、拳銃を握っていた。

「なぜ、最初から使わない?」

「なるべく、警察に調べられたくない。この銃弾についても」

「何か特別なのか?」

「ああ、化け物専用として、私が作り出したものだ」

玲二は、今日見た事は、誰にも言わないように美月に念を押した。

「二人とも、私の車に乗りたまえ。送って行こう」

大葉と、玲二と美月が車に乗り込んだ。

いつの間にか、雨が降り出し始めた。


玲二達から、連絡を受けた私は、美月が心配だった。

すぐに携帯に電話した。

「美月、大丈夫だった? 怪我はない?」

「……凄く怖かった。怪我はなかったよ」

不思議な事に、あの化け物の死骸についてのニュースが全くなかった。

(そんな、確かに玲二達が仕留めたはずなのに)

「美月、大丈夫だから。玲二達が守ってくれたでしょう?」

「うん、有難う」

美月は、一時的にショックを受けているって、大葉先生が言っていた。

私は、静かに携帯電話を切った。

バイトが終わった後だったので、そのまま店から出た。

外は、ポツポツと雨が降り出していた。

傘を持ってこなかった私は、困ったと思った。

「仕方がないよね。濡れて帰ろう」

その時、一台の車が私の横に現われた。

「乗って行くといい」

大葉先生だった。

「どうして、ここが?」

「パソコンに打ち込んだからかな……」

また面白そうに笑っている。

私は、言われた通りに車の助手席に乗った。

「君の親友の美月君が、助かって良かったよ」

「有難うございます。美月に何かあったら……」

私は、泣き出しそうになっていた。

涙が出てきて身体も震えが止まらない。

「大丈夫かい?」

運転しながら、彼は私を気遣ってくれている。

「私の屋敷で、少し休んでゆくといい」

私は、その言葉に従った。

どんどん溢れ出る涙を拭うのが、精一杯だった。


この前の白髪の女性が迎え入れてくれた。

「雨に濡れただろう。お風呂に入るといい」

白髪の女性が、着替えとタオルを用意してくれて渡してくれた。

私は、シャワーを浴びて、なぜかサイズがピッタリな洋服を着ていた。

「私の妹の洋服だよ。サイズは合うと思ったんだ」

「妹さん、いらっしゃるんですね」

「今は……」

そこまで言うと、大葉は黙り込んでしまった。

私は、それ以上言うのはやめておいた。

何か、傷口を開くような感覚に陥ったからだ。

「私にも、銃の使い方を教えて下さい」

無意識に、そんな言葉が口から出ていた。

「確かに、うちの地下には射撃場があるが」

「お願いします!」

私も、自分の身くらい守れるものが欲しい。

「分かったよ。教えてあげる……その代り」

いきなり、引き寄せられて抱きしめられた。

「しばらく、こうさせてくれないか」

私は、彼に抱きしめられた。先生の体温が妙に心地良かった。


そこは大きな工場だった。

そして、完全に外からは閉鎖されていて、関係者以外は立ち入る事が出来なかった。

「見たまえ」

杖を持った中年の男性は、大きく描かれた魔方陣のようなものを指した。

そこから、人のようなものが生まれようとしている。

正確に言うと、人工的に作り出されようとしている。

「新しい開発だよ」

中年の男性は奥嶋教授だった。

大葉は、嫌に暑い工場内で額に汗が流れるのを感じた。

「そうそう」

奥嶋は、大葉の方を振り返ってニッコリと笑った。

「大事にしていた私の「犬」に銀の銃弾が埋まっていたが、何か知らないかね?」

大葉は、更に汗が出るのをおさえながら

「いいえ、知りませんが」

「そうかい。ならいい」

「あの、そろそろ妹を返して頂きたい」

「君の妹さんの夏菜君だろう。とても可愛い娘さんだ」

「妹を返して下さい。お願いします」

「それは、君次第だと言っているだろう。このプロジェクトの主任なのだから」

「そんな最初の時点で、返してくれると!」

「夏菜君の運命は、君次第だよ。分かっているだろう」

「お願いです。もう、こんな事はしたくないのです」

「二度同じ事を言わせるな」

奥嶋の瞳が、怪しく輝いた。

大葉は、もう黙るしかなかった。

奥嶋は、大葉を残して歩いて行ってしまった。

残された大葉は、宙を仰いだ。

彼の心には、絶望感しかなかった。


大葉は、自室で拳銃の手入れをしていた。

(いざとなれば、これで奥嶋教授を……)

大葉の妹は、本当なら第一被害者になるはずだった。

夕暮れ時、二人で歩いている時に、あの化け物に遭遇した。

化け物は、執拗に妹を狙ってきた。

左腕の噛まれた傷跡は、妹を庇って出来たものだった。

もうダメだと思った時、声が聞えた。

「救いたいなら、私と契約しないかね?」

そんな声が響いた。

声の主は、奥嶋教授だった。

そして、奥嶋と「契約」をした。最愛の妹を守る為に……。

だが、妹は奥嶋に囚われている。

自分でも、どうしていいか分からないでいた時、あの二人に出会った。

楓と玲二だ。

二人を見ていて、自分も協力したいと思った。

こんな事は、早く終わらせてしまいたいと。

楓の事は、妹に重ねながらも異性としてみている。

こんな女性が傍にいてくれたら……と思った。

好きになってはいけないと思うほど、好きになる。

手にしている銃を翳してみた。

― 私にも、銃の使い方を教えて下さい ―

楓の真剣な面持ちを思い出した。

教えていいのだろうか?

だが、あの時約束してしまったようなものだった。

ドアがノックされた。

「幸一様、そろそろお休みにならないと、お身体に悪いかと」

白髪の女性が、心配そうに見ている。

「君枝さん、有難う。そうするよ」

彼は、君枝と呼んだ老婆を宥めるように言うと微笑んだ。

ドアが、またそっと閉まった。


「三年生が来てるわよ。しかもイケメンだわ!」

「カッコイイ! 彼女いるのかな?」

教室の入り口で、何やら女子生徒達が騒いでいる。

「六塚楓さんっていないかな?」

大きな声で叫んでいるので、こちらまで聞えた。

私は、教室の入り口に歩み寄った。

そこにいたのは、玲二の兄の修司だった。

「ちょっと時間くれるかな?」

私は、誰もいない校舎の裏側に連れていかれた。

「急に、ごめんね」

修司の柔らかい髪が風に揺れた。

外は、雨の日が続いていた。

屋根があるので、濡れはしないが風が少し冷たかった。

「玲二の事、どう思ってるか知りたいんだ」

修司は、いきなりそんな事を尋ねてきた。

「どう思っているか……」

私は、玲二に告白された時の事を思い出していた。

「異性として好きなのか? それともただの友達としてなのか?」

「彼の事は、好きです」

修司の顔が、私の方へ近づいた。

「それは……異性としてかな?」

「そ、それが分からないんです」

修司は、困ったというような顔をしている。

「玲二は本気だよ。本気で君の事が好きだ」

その時、強い風が吹いて、私が手にしていたハンカチが宙を舞った。

「あっ!」

玲二に買って貰ったハンカチなのに!

ハンカチが、どこかへ飛んでゆくのを私はずっと見つめていた。

その方向から、玲二が歩いてくるのが見えた。

「玲二!」

手には、私のハンカチを持っている。

「兄貴、何してる?」

ちょっと怒ったように、玲二が修司を睨んだ。

「ちょっと、楓ちゃんと話しただけだよ」

「余計は事はしないでくれ」

「はいはい。わかったよ。後は自分でやってくれ」

修司は、私にウィンクすると、その場からいなくなった。

「これ……」

飛ばされたハンカチを、渡してくれる。

「有難う。風に飛ばされたの」

「兄貴に何を言われたか知らないけど……ごめんな」

「ううん、何でもないよ」

「俺って頼れない男かな……楓が落ち込んでる時に何もしてやれない」

「そんな事ないよ。玲二は凄く頼れる」

「美月の事で落ち込んでるんだろ。親友があんな目に遭って」

「美月は、学校を休んでるよ……私の方が頼りにならない」

「楓が悪いわけじゃないだろ」

「私、あの日バイトに行くんじゃなかった。そしたら美月の傍にいられたのに」

私は、涙が熱く頬を濡らすのを感じた。

「楓!」

私は、玲二に抱きしめられていた。

「そんな事、思うなよ」

「玲二……?」

玲二の顔が、私の傍に近づいたかと思うと、彼は私のおでこにキスをした。

「ごめん……つい」

「ううん……」

私は、キスされたおでこから全身が熱くなる感覚を受けた。


「バン!」

私は、大葉先生の屋敷の地下室にいた。

銃の使い方を教えて貰っていた。

的の中心に撃とうとするが、なかなか当たらない。

「もっと肩の力を抜いて」

隣で見ていた大葉が、楓に指示をする。

もう一度、銃の引き金を引く。

「お見事」

大葉が、拍手しながら楓を見る。

今度は、的の中心に弾が当たっていた。

「有難うございます」

私は、礼を言うと額の汗を拭いた。

「じゃあ、休憩しようか」

大葉は、耳にしていたヘッドホンを外した。

楓も同じく外して、大葉の後に続いた。

白髪の老女が、クッキーと紅茶を運んできた。

「自宅では、紅茶派なんですね」

私は、いつも学校で飲んでいる珈琲を思い出した。

「どちらも好きだよ」

ニヤニヤしながら、そう言うと

「もっと好きなのは、楓君かな」

と、急に真面目な顔をした。

「今日は、大事な話があるんだ」

「何ですか?」

「結婚前提で付き合って欲しい」

(え? 今なんて言ったの? 結婚?!)

「つまり、高校を卒業するまでは婚約者で。卒業したら結婚して欲しい」

「え?!」

私は、びっくりして思わず大声を上げた。

「どうしても、私には君が必要なんだ」

「そんな……私……」

「すぐに返事はいらないよ。よく考えてみて欲しい」

確かに、大葉先生は優しいしカッコイイと思う。

大人の雰囲気も魅力の一つだと思う。

だけど……私の頭の中に玲二の事が浮かんだ。

― はっきりさせないといけない ―

私は俯いていたけど、顔を上げた。

「私、好きかもしれない人がいるんです」

大葉は、分かっているという風に微笑んだ。

「玲二君の事だろう?」

「はい……」

「彼には、負けないつもりだよ。私の気持ちは」

「先生もいい人だと思っています」

「幸一でいいよ。そう呼んでくれると嬉しいな」

「そ、そんな……呼べません」

それを聞いた大葉が、クスクスと笑った。

「そういう所も好きだよ」

大葉は、書斎の引き出しから何やら取り出した。

「これを君に」

拳銃だった。

「破壊力はさほどないけど、反動が少ないから撃ちやすいと思う」

「いいんですか?」

「まぁ、生徒に拳銃を渡す教師なんてクレイジーだと思うけどね」

「いいえ、護身用に大事にします。有難うございます」

私は、胸にしっかりと銃を抱きしめた。

「弾は改良してあるから、銀の弾丸が入っている」

「銀の弾丸?」

「魔除けみたいなものだよ。相手は、化け物だからね」

「私……思うんです」

「何をかね?」

「化け物は誰かに操られて、人を襲っているんじゃないかと」

一瞬、大葉の顔が暗くくもった。

「そうかもしれないね……何か理由があるのかもしれない」

「私、その理由もつきとめたいんです」

大葉は、楓の背中を撫でた。

「これからだよ。まだ始まったばかりだ」

「はい……」

私は、作って貰ったクッキーを一口食べた。

素晴らしい美味しさだった。


雨が降り続いている。

このところ、アスファルトは乾く事を知らない。

一人の女性が、駅前から傘を差して歩いて行こうとしていた。

「すみません。そこまで一緒に入れて貰えませんか?」

隣を見ると、陶器のように色の白い、整った顔立ちの少年が立っていた。

「いいですよ」

女性は、少年を同じ傘に入れた。

しばらく二人で歩く。辺りは夕方を過ぎていたので真っ暗だった。

「あの……どの辺りまで?」

と言った瞬間、狭い路地に押し込まれた。

口は塞がれている。助けを呼べない。

「さぁ、僕の事を見て」

言われるとおり、彼を見つめた。

何だか奇妙な気持ちになってきて、心地良くさえも感じた。

少年は、女性の首筋に食らいついた。

それでも、とてもいい気持ちでいられた。

……だんだんと意識が薄れてゆくのを感じながら……。


美月は、学校にはまだ来ないでいた。

携帯では、連絡を取り合っている。

話している最中、いきなり美月が叫んだ。

「楓! テレビのニュースを見て!」

私は携帯を持ちながら、慌ててテレビをつけた。

「女性が襲われる事件が発生しました。被害者は、全身の血が一滴もなくなっており……」

私は、テレビに釘付けになった。

「な、何これ……」

「また事件が発生したみたい」

美月の声が、震えているのが分かった。

油断していた。晴れた日にしか、犯行に及ばないと思っていたからだ。

私は、奥歯を噛みしめると、携帯を持ち直した。

「美月、心配しないで。今度も退治してみせるから」

「楓が、危ない目に遭うのは嫌……」

「美月……大丈夫だから」

美月が、また泣き出してしまった。

私は、美月を慰めると電話を切った。

着信が入っていた。玲二からだ。

玲二に電話すると、すぐに声が聞えた。

「見たか、ニュース」

「うん、見たわ」

「今度は、吸血鬼みたいだな」

「吸血鬼? あの人の血を吸う?」

「被害者は、体内に一滴の血もなかったらしい」

「今度は、人と変わらないって事?」

「見た目は変わらないだろう。これは厄介だぞ」

玲二の言っている意味はよく分かった。

あの化け物の犬ならば、見た目ですぐに分かるが、人型をした吸血鬼は見つけにくい。

雨の日が続き、被害者は増え続けていった。


「親父、お帰り」

玲二の父親が久しぶりに家に帰宅した。

玄関で、修司と二人で父親を迎え入れる。

「参ったよ……」

父親は、一言だけそう言った。

仕事の事は、家では話さないのが父の鉄則のようなものだったが、その顔には影が落ち疲れているのが、すぐに分かった。

玲二は、聞いてみる事にした。

「今回の吸血鬼って、男なの? 女なの?」

父は怪訝そうな顔をして、玲二を見た。

「何でそんな事を聞く?」

「どうなのかな……と思って」

「男だと言われている。だが、目撃者はほぼいないからな」

「でも、よくあんな大胆な犯行が出来るよな」

「相当、念入りにターゲットを探しているんだろう。この話はこれくらいで」

父は、そう言うと黙り込んでしまった。

玲二は、もっと話を聞きたかったが辞めた。

刑事という立場上、家族にも言えない事は勿論あるのだ。

父の横顔を見て、痩せたと感じた。

玲二は、二階にそのまま上がった。


第一理科準備室に、私達は集まっていた。

大葉が、カップを三個持ってきて、珈琲を淹れ始めた。

「しかし、今度は難しい相手だね」

大葉も玲二と同じ事を言う。

「あの……吸血鬼って、どんな力を持っているんですか?」

昔、映画で観た事はあったけど、本当にあんな感じなんだろうか。

「色々さ。玲二君みたいな力を持っていたり、人を操る事が出来たり……特に女性はその魅力で、自由にする事が出来るとか」

大葉が、珈琲の入ったコップを、こちらに置いてくれた。

玲二は、手を振って「いらない」と合図している。

珈琲を一口飲むと、とても美味しかった。

「まさか、現代で吸血鬼なんて」

玲二が、父親と話した事を報告してくれた。

「はい」

私は、片手を上げた。

「なんだ? 楓?」

「私が、囮になるわ。雨の日に駅前で……」

「な、なに言ってるんだ?! そんな危ない事なんてやらせない!」

玲二は、隣で慌てている。

「いいアイディアかもしれないな」

大葉は、顎を触りながら言う。

「楓君の美しさなら、吸血鬼は必ず釣れるだろう」

「絶対にダメだ!」

玲二は、どうしても賛成しないつもりだ。

「私達が、必ず楓君を守ればいい。」

大葉が、玲二に向かって言った。

「一番、守れるのは君だろう。玲二君」

「それは……そうだけど」

何度も話し合いをして、私が囮になる事に決まった。

決行は、明後日の土曜日となった。

それまでに、念入りに作戦を決める事にした。


私は、駅前で傘を差して一人で立っている。

かなり時間が経とうとしていた。

(今日は、もう来ないのかな……)

寒空の下、私は思わずクシャミをした。

その時だった。

「すみません。そこまで一緒に入れて貰えませんか?」

少年だった。色が白くて、切れ長の綺麗な瞳をしていた。

「あ……いいですよ」

私は、傘の持っていない彼を同じ傘に入れた。

二人で、コツコツと足音を立てながら歩く。

「あの、どこまで?」

「あと少しです」

気がつくと、全く人気のない場所に迷い込んでいた。

いきなり、私は両肩を強く掴まれた。

「僕の事を見て」

切れ長の綺麗な瞳が美しくも怪しい光を宿していた。

私は、一瞬どうなってもいいと思えた。

彼の顔が、近づいてきた時だった。

「ドン!」

彼の身体は、いきなり地面に叩きつけられた。

「楓!」

玲二と大葉先生が走り寄って来るのが見えた。

大葉が、銃でその少年の首元を殴った。

ぐったりと、横たわっている。

「大丈夫だ。気絶させただけだ」

大葉は、少年の身体を触って武器などがないかチェックしている。

「警察に引き渡すのか?」

玲二が、私の隣で言った。

「いや、私の屋敷に連れて行こう。聞きたい事もある」

「監禁ってやつか」

「言葉は悪いが、そういう事だ」

玲二が、雨に濡れて震えている私を、気遣ってくれる。

リュックから、タオルを出して差し出してくれた。

「有難う……大丈夫だから」

私は、気を失っている綺麗な顔の吸血鬼を見つめていた。


薄暗い、ちょっと湿気の混じったような空気に包まれていた。

「彼」は、目を覚ますと両手首と両足を縛られていた。

その時、ドアが開く音がした。

一人の男性が、こちらへ来るのが分かった。

「気がついたのか」

彼は黙っていた。何も話す事もない。

「可哀相に……」

そんな言葉が男の口からこぼれた。

「悪いようにはしない。大人しくしていれば」

「僕を、どうするつもりだ?」

「さて、どうしようかな」

男は、彼の前に座り込んだ。

「名前はつけられたのか?」

「ノア……」

「ノアか、しばらくここに隠れていろ」

「どうして?」

「教授が、血眼になって探している」

「教授って、パパの事?」

「パパじゃない。君を利用しているだけだ」

「ここにいれば、元に戻せるかもしれない薬を開発してやる」

「ダメだよ! パパの言う通りにしないと罰を与えられるから」

「安心しろ。そんな事はさせない」

「……なら、いい」

「君は、女性を襲った。記憶にないのか?」

「そ、そんな事してない!」

男は、ノアの頭を撫でると立ち上がって部屋から出て行ってしまった。

残されたノアから啜り泣く音が聞え始めた。


「どうしてですか?!」

私は、大葉先生に詰め寄った。

「あの少年と会わせて下さい」

大葉は、椅子に座りながら目を合わせようとしない。

「しばらく、あの少年には休養が必要だからだ」

「納得出来ません」

先程から、この問答は続けられている。

玲二は、会話に入りたくないようで黙っている。

私は、腹が立って第一理科準備室を飛び出した。

(何なの? どうして会ったらいけないの?)

後から、玲二が追い掛けてきた。

「おい! 待てよ!」

「どうして? どうして会ったらいけないの」

「大葉も考えがあっての事だと思うから」

「二人で、乗り込もうよ」

「え?」

「大葉先生の屋敷に、二人で潜入しよう」

「それで気が済むのか?」

「うん」

「仕方ないな……」

そう言うと、玲二は廊下の床を見つめたまま

「会うだけだぞ。会ったら、すぐに帰るんだ。いいな」

「分かったよ」

私と玲二は、大葉先生の屋敷に忍び込む事にした。


最初に門を、玲二がよじ登り向こう側へ着地した。

次は私が、玲二の助けを借りながら門をよじ昇った。

前に出入りした裏口へ行くと、鍵が開いていたのでそこから入った。

屋敷の中は、とても静かだった。

「先生は、会議でまだ帰宅していないはずだから」

私が小声で、玲二に言う。

匿うなら、やはり地下室だろうと思い、私達は地下室へと降りていった。

地下室のドアは、どれも鍵が掛っていないようだった。

最後の一つのドアも開いた。

そこには「彼」がいた。

眠っているのか、俯いて顔がよく見えない。

私達は、彼の前に跪いた。

「ビク!」

と彼の身体が動いたかと思うと、顔を上げた。

「誰……?」

「私は、楓。こっちは玲二よ」

「楓……玲二……」

彼は、意識が朦朧としているようだった。

「僕は、ノア……」

彼は、自分の名前を名乗った。

「……が欲しい」

彼が、ボソッと何かを言った。

「え? 何? 何て言ったの?」

「血が欲しい!」

いきなり、彼が私に飛びついてきた。

玲二が、引き離そうと必死になっている。

「血が欲しいんだ! お願いだよ!」

「いやあぁ!」

私の蹴った足が、彼の顔面に当たったらしく、彼は動かなくなった。

「死んでないから大丈夫だ」

玲二が、ノアを調べてそう言う。

「これくらいで死ぬわけがないけどな」

玲二が私の身体を起こしてくれた。

「だから、辞めておけって言ったのに……」

「ごめん……まさか、こんな事になるなんて」

「大葉が会わせない理由が分かっただろう?」

その時、地下室のドアが開いた。

「誰かいるのか?」

大葉先生だった。そんな会議だったはずでは……。

私達二人を見て、先生は呆れていた。

「あれほど言ったのに……」

「先生は……会議だったはず……」

「人数が集まらなくて、明日になったんだ、それより、これはどういう事だ」

大葉は、倒れているノアに近づいて様子を見ている。

「誰かさんが、顔面を蹴ったみたいだな」

「ごめんなさい……」

私は、下を向いてしまった。

「私の言っていた意味が分かってくれたかな」

「はい」

私と玲二は、同時に返事をした。


美月が、学校へ登校してきた。

「もう、大丈夫だから」

「本当に? 美月?」

「ホントの本当! 心配しないで」

美月は元に戻ったように、笑顔をこぼしている。

「あとね……私、玲二君の告白しようと思うの」

(そ、それはマズイ。とても言えない。どうしよう!)

「今日、お昼休みに呼び出して言うつもりなんだ」

「美月……あのね」

「なに?」

「いや……何でもない」

私は、玲二に任せる事にした。私が何か言うと余計にややこしくなりそうだった。

私は、次の授業の用意をし始めた。


放課後、また泣いている美月の姿を見る事になるとは……。

「玲二君、他に好きな人がいるって……」

「そ、そう……」

「玲二君の好きな人って、どんな人かな?」

ハンカチで、頬を拭きながら美月が言う。

「うーん……どんな人かな」

「美月、実はね」

私は、本当の事を言おうと思った。

「……知ってるよ」

美月は、苦笑しながらこちらを見ている。

「私分かったの。玲二君は、楓が好きだって」

「美月……」

「それでもいいの。私は玲二君の事が好き」

「ご、ごめんね……私も分からないの」

「玲二君の事が好きなのか?」

「うん」

私達二人は、屋上にいた。

今日は、いい天気で気温も高く気持ちがいい。

「これからも、私達は親友だよね」

美月が私に言った。

「美月が嫌じゃなければ!」

「嫌なわけないじゃない!」

二人で、屋上から大声で叫んだ。

「玲二のバカ野郎!」


私は、いつの間にか大葉先生の屋敷に来ていた。

花壇の所に、誰かがいるのが見えた。

「あれ、ノアじゃない?」

ノアは、綺麗な花々を静かに見つめていた。

周りの事など気にしていないようだった。ただ、花を見る事にだけ集中している。

「ノア……ノア!」

私は、あんな目に遭ったのに、彼の名を呼んだ。

全く気がつかない彼……その時

「今度は、何の御用かな?」

大葉先生だった。

「ノアが、普通にしているから」

「薬を飲ませている……人の血を欲しがらなくなる薬だ」

「先生が作ったんですか?」

「ああ、これでも医師を目指していたんでね」

私は、屋敷の門越しに、先生を見つめた。

(凄い! 銀の弾丸といい、ノアの薬といい。とにかく凄い!)

「あの……もっと傍でノアを見たいです」

「それはダメだ」

「どうしてです?」

「まだ、薬は完全とは言えないかもしれない。ノアは、どうやら若い女性にだけ血を求めるようだからね」

「先生は、襲われないんですか?」

「ああ、私には興味がないみたいだ。あと君枝さんにも」

「君枝さん?」

「お手伝いをしてくれている女性だよ」

私は、あの冷たいナイフのような白髪の女性を思い出した。

「少しだけ……ダメですか?」

「ダメだ」

大葉先生が、私の顔を急に引き寄せた。

「な、何するんです!」

「聞き分けのない子には、キスしようかと思って」

「門越しですよ」

「出来るか試したい」

「もうっ! いいです!」

私は、急に腹が立ってその場から歩き出した。


目の前に、ワイングラスが二つ置かれている。

大葉は、注がれた血のようなワインを、じっと見つめていた。

「大葉……なぜ呼ばれたのか、分かっているな」

目の前には、杖を持った奥嶋教授が立っている。

「何の事か、存じません」

「私の可愛い「犬」が銀の弾丸で撃たれ、そして可愛い「ノア」も行方不明だ」

大葉は、ただじっと赤いワインを見続けている。

「今度の開発には、特別なものを使おうと思ってる」

「特別なもの?」

「今はまだ言えないが。とても特別で君も興味があると思う」

ここは、奥嶋の屋敷だった。

大葉の屋敷など比べものにならないほど大きく、豪邸と言ってもいい。

奥嶋は、大学の教授でもあり、大富豪でもあった。

政界にも、多数の知り合いがいる。

「いつになったら、妹を返してくれるのですか?」

「うん、そのうち返すよ。彼女もそろそろ帰りたいだろう」

それを聞いて、大葉は少し安堵した。

「……で、あの銀の弾丸を作ったのは君かね? 大葉?」

大葉は背筋に、氷が走ったような気がした。

「違います」

やっと、口からその言葉が出た。

「なら、いいのだが。近頃、君は高校生と遊んでいるそうじゃないか」

(全て……知られている? 教授なら調べる事など簡単だ)

「そんな暇があったら、こちらのプロジェクトにもっと力を注いで欲しい。分かるね?」

奥嶋は、パチパチと燃える暖炉の火を見つめながら言った。


大葉先生は、次の日は休みだった。

「しばらく、大葉先生は体調不良の為、お休みします」

代りの先生が、教室に来てそう言った。

(体調不良? 昨日、あんな事するくらい元気だったのに?)

私は、キスしようとした先生にまだ怒っていた。

しかも、完全にからかわれていた。

なぜか自分でも分からないが、無性に腹が立って仕方がなかった。

(でも、お見舞いに行った方がいいかな……?)

私は教科書をカバンに詰め込むと、立ち上がった。


玲二を誘ったが「用事がある」と断られてしまった。

私は、大葉先生の屋敷の門の前で、深呼吸をした。

インターホンを鳴らす。

「はい」

あの君枝さんとか言う、白髪の女性だ。

「大葉先生にお会いしたくて」

「少々、お待ちを」

しばらくすると、門が開いた。

私は、そのまま屋敷のドアの前まで来た。

ドアが開いて、君枝さんが立っていた。

「どうぞ、お入り下さい」

素っ気ない態度でそう言う。

私は「お邪魔します」と言いながら、屋敷に入った。

「あの先生は?」

「書斎にいらっしゃいます」

案内もせず、君枝さんはその場から姿を消した。

私は、ある部屋のドアをノックした。

「誰だ」

「私です。楓です」

中から、緊張感のようなものが伝わってくる。

「どうぞ」

私が、ドアを開けるのと先生が机の引き出しに、何かを入れるが同時だった。

「どうして、ここへ?」

何だか先生の様子がおかしかった。

「体調不良で、しばらく休まれると……」

先生は、細く微笑んで、机の上の新聞を触った。

「仮病だよ……副業が忙しくなったものでね」

「仮病……?」

(なんだ、心配して損した。でも副業って……?)

「教師も休みたい時があるんだよ」

そう言うと、眠そうに欠伸をした。

顔色がすぐれない。明らかに寝ていないようだった。

「もしかして、眠っていないんですか?」

「ああ……ちょっと調べ物があってね」

大葉は、そう言うと私にソファーに掛けるように言った。

「ノアは、どうしてるんです?」

そう言った瞬間、ドアがノックされて、トレーを持ったノアが入って来た。

「ノアには、使用人としてここで働いて貰っている」

アップルパイの香りがした。とてもいい香りだ。

「ノアも、そこに座って食べるといい」

大葉が、ノアに優しく声を掛けた。

「食べられるんですか?」

私は、思わず聞いてしまった。

「血を飲まないからね。普通の食べ物で栄養を補給しないと」

ノアは、美味しそうにパイを食べている。

「紅茶もどうぞ」

私は、ノアの前にティーカップを置いた。

「有難う」

それだけ言うと、また夢中にパイを頬張っている。

「あの……」

私は、先生を見つめながら小さな声で言った。

「元気そうで良かったです……」

「心配してくれたのかい?」

「え……まぁ……」

「嬉しいな。また休んでみようかな?」

「馬鹿な事、言わないで下さい」

私を、頬を膨らませた。

「あはは……冗談だよ」

でも、すぐに真剣な表情になり

「しばらくは、学校を休まないといけない」

と私に言った。

「ど、どうしてです? やっぱり具合が悪いのですか?」

「そういう事にしておいてくれないか」

先生は、遠くを見つめるような目をしている。

何か理由がありそうだけど、聞いてはいけないような気がした。

私は、黙ってノアを見つめていた。

「楓……」

ノアが私の名を呼んだ。

「わ! 覚えてくれてたんだ!」

「これ、美味しいから楓も食べて」

私は、ノアからパイを受け取った。


玲二は、黙々と一人で自分の能力を高めるトレーニングをしていた。

自分の部屋に、引きこもり色々なものを動かしてみる。

ベッドや机も動かしてみた。

兄は、まだ帰って来ていないので、音を立てても大丈夫だ。

― 楓を守る為にも、自分が強くならないと ―

「よし、後は校舎の裏山へ行ってみよう」


校舎の裏山は、ほとんど人が来ないのは知っていた。

そこで、またトレーニングを続けた。

鼻から、何かが出てくるのを感じた。

「くそ、ここまでが限界か……」

鼻血を拭きながら、自分の限界を感じて落胆してしまう。

大木に刺さっている、無数の小枝を引き抜いてゆく。

「これじゃ、楓を守れないよな……」

空を見上げると、夕闇が辺りを包み込もうとしていた。


ノアは、まるで生まれたばかりの赤ん坊のように無邪気だった。

こんな少年が、何人も女性を殺したなんて思えない。

年齢は、はっきりとしないが、私より年下には見えた。

「楓は、どんな花が好き?」

「え? 好きな花か……コスモスかな?」

「コスモス?」

「ノア、うちの庭にはまだないよ。そのうち咲くだろう」

大葉は、まるで父親のようにノアに言った。

「パパも好きかな?」

「パパって、誰の事?」

大葉が、遮るように口をはさむ。

「私の事だよ。あれから懐かれてしまって、そう呼ばれている」

「ふぅーん、そうなんだ」

私は、ニヤニヤしながら、先生とノアを見る。

「じゃあ、私はそろそろ帰ります」

「何のお構いも出来なくて、すまないね」

「いえ、パイとても美味しかったです。君枝さんにもお礼を言っておいて下さい」

「ああ、喜ぶと思う。伝えておくよ」

楓は、大葉の屋敷を後にした。


そんな楓を、密やかに見つめる影があった。

私の隣に、並ぶように黒い高級車が停まった。

中から、何人かの男達が出てきて、私は車に押し込められた。

何かの液体のついた布で口元を押さえられてしまい、意識が薄れていった。


クラッシックのような音楽が響いている。

「おや、目が覚めたのかな?」

まだはっきりしない意識の中で、そんな声を聞いた。

「手荒な真似をして、すまなかったね」

だんだんと、視界もはっきりとしてきた。

紳士が一人、そこに佇んでいた。

スーツ姿に、帽子を被り、手には杖のようなものを持っている。

「貴方は、誰?」

私は、起き上がりながら聞いた。

「私は、奥嶋という。奥嶋教授と呼ばれているがね」

「その奥嶋教授が、私に何の用ですか?」

私は、強気な姿勢を保った。

「私の可愛い「犬」を殺して、愛しい「ノア」をどこへやった?」

(犬って、あの化け物の事? ノアって……まさか)

「知らないわ」

「口ではそう言っても、顔がいけないね。嘘をついている顔だ」

「本当に知らないの」

「そんな事で、私を誤魔化せると思っているのかい?」

私は、シラを切り通す事が難しいと思った。

「犬の事なら……知っているわ」

「まさか、殺したのは君達かね? もう一人の少年と」

「私がやっつけたわ」

(なるべく、玲二の話にならないようにしないと)

「これは、とんだ嘘をつく娘だ!」

「あれぐらい、一人で出来るわ」

「それでは、その彼に聞いてみようか」

部屋のドアが、大きな音を立てて開かれた。

床に倒れ込んだのは、玲二だった。

「玲二!」

玲二の顔には、殴られた痕があった。

「玲二! 大丈夫?!」

玲二に駆け寄ると、彼は痛そうに呻き声をあげた。

「玲二は、関係ない。彼を解放して!」

私は、教授に向かって叫んだ。

「共犯者を逃すわけがないだろう?」

私は、教授の瞳に潜む怪しい煌めきを見つめた。

「ところで、君はなんて綺麗で美しいんだ」

「な、何を言っているの?」

「その美しさを、永遠に残したいとは思わないかい?」

「人は、老いてゆくものよ。そして大人になってゆくの」

「そんな事は知っている!」

教授は、持っていた杖で床をついた。

「その美しさを、私なら残してやる事が出来る」

「そんな事、望んでないわ」

「決めかねているのだよ」

教授は、意味不明な言葉を発した。

私は、玲二の怪我の具合を見ている。

その時、ドアの外がざわついているのが分かった。

「ドン!」

ドアが、いきなり開けられ、大葉先生が入って来た。

「どういう事ですか?」

入って来るなり、彼はそう言った。

「私の教え子を、返して欲しい」

「大葉君、失礼じゃないか。ノックもせずに」

「なぜ、二人をこんな目に」

「君が、なかなか教えてくれないからだよ」

「何も知らないと言ったはずだ」

教授は、しばらく考え込むと、帽子を人差し指でクイっと上げてみせた。

「じゃあ、今日は君に免じて、二人は帰してやろう」

クラッシックの曲が、異様に大きく感じた。

「但し、君が私の質問に答えてくれるのだね?」

「分かりました……」

「先生! 私達の事は気にしないで!」

私と玲二は、先生から引き離された。

「先生!」

また液体のついた布を当てられて、意識が遠のいていった。


私と玲二は、大葉先生の屋敷に急いでいた。

解放された後、ノアを安全な場所に移す為だ。

屋敷のインターホンを押す。

門が開いて、屋敷の入り口から白髪の女性が出てくるのが見えた。

「お待ちしておりました」

彼女はそう言うと、私達を屋敷に入れた。

「証拠は、全て抹消してあります」

「ノアは? ノアはどこにいるんです?」

「彼なら、ここに」

ノアは、何かを察したように怯えている。

「ノア、大丈夫だから。安全な場所に行こう」

私は、ノアの手を握った。

「あと、これを……」

紙袋を渡された。中を覗くと、大量の薬が入っていた。

「彼の大事な薬です。今あるだけ全部入れてあります」

私達は、急いでいた。

「幸一様を……どうかお助け下さい」

ナイフのように冷たかった彼女の瞳から涙が溢れていた。

「大丈夫です。先生も助け出してみせます」

私と玲二とノアの三人は、屋敷から抜け出した。

「……で、どうする?」

玲二が、私に困り顔で聞いてくる。

「ノアは、私の家に匿うわ」

「そんな! 無理じゃないか……さすがに」

「このままにしておけないもの」

ノアは、道端で虫でも見つけたのか、屈んで何かを見ている。

「おいで、ノア」

私は、両親を説得して、何とかしばらくだけノアを匿う事が出来た。

だが、それはしばらくだけだった。

「楓ったら、急に男の子を連れてくるんだもの」

「楓には、楓の事情があるんだろう」

「でも、年頃の娘よ。心配だわ」

私は、二階に上がる時に、両親のそんな会話を聞いてしまった。

私の部屋の床には、ノアが無邪気な寝顔で眠っている。

私は、彼の布団をそっと掛け直した。


私達は「奥嶋教授」についての情報を集め出した。

君枝さんにも、協力をして貰った。

「この辺りに、大きな工場を持ってるわね」

「そこが怪しいな」

「何かしているとしたら、そうね」

私と玲二は、この工場に潜入する事に決めた。

私は、バイトを辞めていた。

この事件に関わる事になってから、休んでばかりだったからだ。

自分から辞めさせて欲しいと頼んだ。

「良かったのか? バイト辞めて……」

「良かったんだと思う。休んでばかりだったから。それに、もうすぐ三年生だし。どちらにしろ辞めていたと思う」

「楓は、進路決まってるのか?」

「うん、大学に行く事に決めてる」

「どこの大学だ?」

玲二は、急にしつこく聞いてくる。

「どうしたの? 玲二?」

「俺も、楓と同じ大学に行きたいと思って」

「本当?! だと嬉しいな」

気がつけば、季節は移り変わり、新しい季節を迎えようとしていた。

春の足音が、すぐそこまで近づいていた。

「俺さ……やっぱり、楓の事が好きなんだ」

「玲二……」

「楓を守りたい! 無事に、あの工場から脱出したい」

私の腕を引き寄せて、抱きしめた。

「楓は、俺の事……嫌いなのか」

抱きしめられたまま、私はじっとしていた。

「ううん、嫌いなんかじゃない。好きよ」

「それは、男として好きなのか? それとも……」

「玲二の事は、大事に想ってる。嫌いなんかじゃない」

「……だったら」

玲二は、私の顔を覗き込んだ。

「キスしてもいいか?」

私は返事をする代わりにゆっくりと瞳を閉じた。


工場内には、素早く忍び込む事が出来た。

白髪の女性、君枝さんがセキュリティカードを用意していてくれたからだ。

私と玲二は、屈みながら前へ進む。

大規模な工場だった。

何を作っているのか分からないが、あちらこちらが荷物が山積みになっていた。

時々、白い煙が排気ガスのように出てくる。

煙に紛れながら、奥へと進んだ。

「今日は、最大のプロジェクトだよ!」

どこからか、声が聞えてくる。

私達は、声のする方へと忍び寄った。

そこには、大葉先生と若い女性が縛られて立たされていた。

「何をするつもりだ」

大葉が、目の前にいる奥嶋教授を睨んでいる。

「君は、私を裏切ってくれた。その罰を受けて欲しい」

教授は、顎を上げて部下達に合図をした。

大葉の隣にいた女性を、引っ張り上げる。

「やめろ! 夏菜に何をする気だ!」

「お兄ちゃん!」

(あの人が、先生の妹さん?!)

「君の大事な妹を、今日は愛らしく生まれ変えようじゃないか!」

「や、やめろ……やめてくれ」

声が出なくなるほど、大葉は叫んでいる。

教授の前に、魔方陣のようなものがある。

(あれは……なに? まさか!)

魔方陣の真ん中に、夏菜は引きずり出された。

「よく見ておくといい!」

そう叫んだ教授は、何やら呪文のようなものを唱え始めた。

「汝、その牙をむき。汝、我の僕となるべし……」

「お願いだ! やめてくれ! たった一人の肉親なんだ」

大葉は泣き出していた。

「知っているとも」

教授は穏やかに微笑んでいる。

「両親を子供の頃に亡くし、莫大な遺産を手に入れ、妹が可愛くて仕方がない」

「だとも! だからお願いだ!」


私は、銃を教授に向けた。安全装置を外す。

「パン!」

私は、確かに教授の額を撃ち抜いたはずだった。

「誰だ! そこにいるのは!」

だが、教授は倒れもしないし、そのまま儀式のようなものを続けている。

教授の部下達が、騒ぎ始めた。

「マズいわ。でも、このまま放っておけない」

「突入するか!」

私と玲二は、同時に前へ飛び出した。

玲二は、能力を使って、教授の部下達を蹴散らしている。

私は、もう一度教授に向かって銃を撃った。

「まさか……拳銃で倒せないなんて」

大葉先生の傍に駆け寄り、縛られているロープを外す。

「見るがいい! この気高きものを!」

魔方陣に入れられていた夏菜の背中から大きな翼がメキメキと音を立てて出てきた。血と肉片が飛び散り辺り一面を濡らす。

「あああぁあ!」

夏菜の口から、大きな悲鳴が出る。

「ノアの代りだ。今度は、翼をつけてやったぞ」

教授は、嬉しそうに見て楽しんでいる。

「な、なんて事を!」

私は、大葉先生を庇いながら、後退していた。

「夏菜!」

私を払いのけて、夏菜の元へ行こうとする先生。

「ダメです。行っては!」

先生は、諦めたかのように、その場に泣き崩れた。

「どうだ、可愛い妹がこんな姿になって」

「貴方、人間のクズね!」

「この美しさが分からないとは!」

「こんな事して、何が美しいって言うの?!」

教授の部下を、蹴散らした玲二がこちらへやってきた。

「……もう、制御出来ない。楓、逃げろ!」

「え? 玲二?」

玲二は、能力を使いすぎた為に、その力を抑える事が出来なくなっていた。

「この工場ごと壊す! 早く逃げろ!」

玲二は、そう言ったかと思うと

「うううぅ!」

と、唸り始めた。自分の力を全て解放していた。

「ダメ! 玲二やめて!」

私は、玲二に抱きついた。

鼻からの出血が、尋常ではなかった。

工場は、次々と天井が落ち、柱も砕けてゆく。

私は、大葉先生と玲二を引っ張るように連れ出した。

工場は、音を立てて全て崩れ落ちた。

これが現実なのか理解出来ないまま走る事だけを考えた。

放心状態でいる私達に向かって、ライトのようなものが光っている。

まるで、合図を送るように。

ライトの先には、車のハンドルを握る君枝さんがいた。

「早く乗って下さい」


玲二の容態は、はっきり言うとよくなかった。

なぜなら、玲二は能力を限界まで使った為に、記憶の一部を失っていたからだ。

「お前は、誰だ?」

玲二の口からそう言われた時、私はこの上ない絶望感に襲われた。

「わ、私は楓だよ! 玲二、分かるでしょう?」

「分からない……誰なんだ」

大葉先生の屋敷に、私達はいる。

向かい側には、下を向いたまま動かない先生がいた。

「能力を制御出来なくて、限界まで使ったからだ。一時的なものだと思う」

下を向いていた先生が、顔を上げて言う。

「大葉先生、俺どうなったんだ!」

「私の事は、覚えているのかい?」

「ああ……でも」

私を見て、嫌そうな顔を玲二がする。

「私の事は……覚えてないんだ」

私は、凄く悲しくなった。涙が溢れてきた。

「そのうち、思い出すだろう……」

先生は立ち上がると、私の背中を擦ってくれた。

「この屋敷を、引き払おうと思っている」

「え?」

「奥嶋教授には知られているからね。マンションにでも引っ越すよ」

泣き腫らした目をしたまま、私の隣に座る。

「ノアも連れてゆくから、安心していい」

「ノアは、私の家に一時匿っています」

「有難う。君達のような優秀な生徒を持って、私は幸せ者だ」

何かを思い出したのか、急に暗い顔になる。

「あの……妹さん……ですよね」

「……そうだ。私の妹だよ。化け物にされたのは」

「すみません。助け出せたかもしれないのに」

「いや……いいんだ。私が悪い、自業自得だ」

「そ、そんな先生は悪くありません!」

先生は、私の手を握って、泣き出しそうな顔をしながら

「有難う」

と言うと、ソファーから立ち上がった。

玲二は、先生の知り合いの医師に診て貰う事になった。

その晩が、この屋敷で過ごす最後の日となった。


玲二は、しばらく検査入院する事になった。

美月と二人で、お見舞いに行く途中だった。

「ねぇ、玲二君。そんなに悪いのかな?」

「……検査で、ちょっと調べる為だって」

私は、玲二の記憶が私だけ、欠落している事を黙っていた。

「きっと、喜ぶよ! 楓もいるんだから」

美月にはあった事は話していない。

また心配させたくないのと、巻き込みたくないからだ。

話しているうちに、玲二の入院している病院へ着いた。

玲二の病室の前に来ると、何やら騒いでいるのが分かった。

「俺に触るな! やめろ!」

看護婦さんが、玲二に点滴をしようとしているが、抵抗している玲二がいた。

「先生に、相談します」

ややムッとした看護婦が、玲二から離れてゆく。

私達は、邪魔にならないように入り口に立っていた。

「玲二君……」

美月が、玲二に声を掛けた。

「お、美月じゃないか」

玲二は、にっこりと微笑んでいる。

私が次に部屋に入ると、彼はまた嫌そうな顔をした。

(本当に……私の事だけ、忘れちゃったんだ)

「か……楓だったよな」

「うん」

「ごめん。今は思い出せないけど、思い出せるように頑張るよ」

「……無理しないでいいよ。身体を大事にしてね」

私は、泣きたい気持ちを抑えながら、ベッドに横たわる玲二を見た。

玲二が、キスしてくれたのを思い出した。

優しい心地良いキスだった。玲二は少し震えていた。

奥嶋教授と大葉先生の妹さんは、あれから行方不明になった。

全く痕跡も残さず、消えてしまったと言ってもいい。

まるで、何事もなかったかのように……。

そして、私達は三年生になった。

クラスは、そのままの状態で担任も大葉先生のまま進級した。


美月と帰りは別れて、私は大葉先生のマンションへと向かった。

先生のマンションは、とても大きな高層マンションだった。

私が、教えて貰っていた住所が間違いじゃないかと心配になった。

その時、私の携帯が鳴った。

先生からだった。

「はい、もしもし」

「来てくれているんだろう? 今ロックを開けるから」

エントランスに行くと、鍵が開いた。

九階の部屋だった。

エレベーターで、部屋の前に行くと、また鍵が開いた。

ドアを開けて、君枝さんが出迎えてくれた。

私は礼を言うと、部屋に上がらせて貰った。

かなり広く、部屋数もたくさんありそうだった。

大葉先生は、一番奥の部屋の机の椅子に座っていた。

「君が歩いてくるのが見えたので」

大きな双眼鏡を持って、微笑んでいる。

「そんなもので覗いて、悪趣味ですね」

私は、思わず嫌みを言ってしまった。

「まぁ、そう怒らずに」

部屋は、夕日に照らされてオレンジ色に染まっていた。

ドアをノックされた。

「どうぞ」

先生がそう言うと、ノアが大きなトレーを持って入って来た。

「ノア!」

私は、思わずノアに抱きついた。

「わ、ダメだよ。溢しちゃう!」

ティーカップの紅茶を気にしながら、ノアが言った。

「ごめん。つい、嬉しくて……」

ノアは、紅茶とお茶菓子を置くと、部屋から出て行こうとした。

「どこに行くの? ノア?」

「君枝さんから、アップルパイの作り方を教えて貰う」

「え? いいな!」

ノアは、笑顔で私に手を振って行ってしまった。

「今日は、君に聞きたい事があって……」

「なんですか?」

「こんな時に何なんだが……」

「はっきり言って下さい。なんです?」

「結婚前提の付き合いを申し込んだと思う」

「あ……」

「その返事を聞かせてくれないか?」

私は、密かに先生にも惹かれている自分がいる事に気付いた。

「返事は……あの……」

彼は、私の傍に来ると私の手を握った。

「君を幸せにしたいと思っている。もう、あんな危険な目には遭わせない」

「もう少し……待って貰えませんか」

いきなり、私はソファーに押し倒された。

「私の傍にいて欲しい……」

「先生……」

「幸一だよ」

優しく私の髪を触りながら、彼は私の額にキスを落とした。

軽く、そして優しいキスだった。

「返事は、もう少し待つよ。今日はおでこを奪ったからね」

私は、首筋の辺りから熱が出るような感覚を覚えた。

(おでこ?! よく分からないけど奪われたんだ!)

「玲二君とは、フェアじゃなかったかな」

そう言うと、私をソファーから起こしてくれた。

「玲二は……」

私は、急に胸のドキドキ感が消えて俯いた。

「私の事だけ、覚えていません」

「大丈夫だよ。一時的なものだと、友人の医師も言っていた」

「もし、ずっと……戻らないなら」

私は彼の顔をじっと見つめた。

(その時は……先生を選ぶのだろうか? 玲二には美月がいる)

「ほら、そんな悲しい顔をしないで。君らしくない」

「先生……この後、どうするんですか?」

急にそんな事を聞いてしまった。

先生の背中が、ギクっと動いたような気がした。

「奥嶋教授も妹の行方も分からない……」

先生は、机に手をついて俯いている。

「だが、絶対に生きているはずだ」

「また戦う事になるんですか?」

「ああ、多分……」

それだけ言うと、先生は机の椅子に座り黙り込んでしまった。

私は、ティーカップの中の液体を見つめた。


鏡の前に、中年の男性が立っている。

男性は、自分の髪の毛を思い切り引っ張った。

すると、もう一つの顔が現われた。

そこには、もう中年の男性の姿はどこにもなかった。

鏡に映るその姿は、若い男性へと変貌していた。

手に持っていた中年の男性のマスクを床に落とす。

「これがなければ、危なかったな」

そのマスクは、彼の素顔を隠すものでもあり、防弾仕様でもあった。

マスクに撃ち込まれた弾を見て、薄く微笑む。

「あの威勢のいい娘に、もう一度会いたいものだ」

彼の事を皆「奥嶋教授」または「教授」と呼ぶ。

彼は、天才だった。

年齢は、大葉とほぼ変わらないくらいか、やや上にも見える。

二十七……歳くらいだろうか。

その若さで、教授になるのは普通ならば難しい事だった。

そして生まれついての大富豪であり、色々な分野の人間と交流を深めていた。

芸能界・アート・社交界・政治や闇の世界にも精通していた。

「確か楓とか言ったな……六塚楓」

鼻歌を歌いながら、髭を剃る。

「まぁ、また会える……」

髭を剃り終えると、暖炉の傍に行き、ソファーに座った。

暖炉の火が、赤々と燃え教授の瞳に紅色の光を宿らせた。


「そうなんだって! 最近また奇怪な事が起こってるらしいよ」

「でも、空を飛ぶ美人が襲ってきたら、俺デートに誘うな!」

教室で、数人が何かの話で盛り上がっている。

私は近づいて

「ねぇ、何の話? 教えてよ」

とクラスメイト達に聞いた。

「六塚さん、ネットの記事読んでないの?」

「あ……うん、呼んでない」

「最近、また変な事が起こってるみたいなの」

「変な事?」

「若い綺麗な羽根を持った女にさらわれるってやつ」

「え? それってネットに書いてあるの?」

「うん、今その話題で凄い事になってるよ」

私は、急いで携帯を見てネットの記事を探した。

「これ……かな?」

「それそれ! 六塚さんも読んでみなよ」

私は、携帯を持って自分の席に座った。

(これ……どう考えても「夏菜さん」じゃない……そんな!)

私の頭に、大葉先生の顔が浮かんだ。

これ以上、悲しませたくないのに……教授は、夏菜さんを操っているんだ。

「という事は、二人とも生きている」

私は、一人で思わず呟いた。

「何が生きてるの?」

いつの間にか、美月が私の隣に来ていた。

「ううん、何でもないよ」

今は、誰にも知られたくなかった。

「今日、私バイトなんだ。楓が玲二君のところへ行ってくれない?」

美月は、まだバイトを続けていた。

「……いいけど」

「玲二君のお兄さんからも頼まれてるの。家に誰もいないからって」

(そう言えば、お母さんは子供の頃に亡くなられたって……聞いたよね)

「着替えとかあるから、お願い! これ家の鍵ね」

美月は、私の手に鍵をねじ込むかのように置いた。

「分かったよ。美月はバイト、頑張って」

「うん、有難う! 楓」

放課後、私は玲二の家に寄り用意してあった荷物を持って歩きだした。


玲二のいる病室の前に行くと、静かだった。

部屋のドアは開けっ放しになっていた。

そっと、中を覗いてみると、玲二が点滴をされて大人しく寝ていた。

私は、開いているドアを小さくノックした。

「はい……」

小さな声で返事があったので、中に入った。

玲二は、私を見ると怪訝そうな顔をした。

「美月の代わりに来たの。着替えとか必要だし」

私は、自分が嫌われているのを、全身で感じ取った。

「じゃあ、私行くね」

私が、病室を出ようとした時だった。

「待ってよ」

玲二の声が背中から聞えた。

「俺の事、知ってるんだろう? 教えて欲しい」

「し……知ってるよ。だけど玲二は思い出せないから……」

「だからこそ、知りたいんだ」

私は、玲二を振り返ると、真剣にこちらを見つめている彼と目が合った。

私は、ベッドの傍にあった椅子に座った。

これまであった事を、全て話した。

ただ、私と玲二の事は言えなかった。

「俺、凄い事してたんだな」

そう言うと、玲二は柔らかな髪を掻いた。

玲二は、その後近くにあった新聞を取ろうとしたが、落としてしまいそうなる。

「あ……」

私が、その新聞を受け取ろうした時に、玲二の腕に触れてしまった。

しかし、玲二は何も言わない。

玲二も、不思議そうな顔をしている。

「どうして、お前だと大丈夫なんだ?」

「そ……それは」

「どうしてなんだ、教えてくれ」

「私にも分からない……ただ、記憶をなくす前も大丈夫だった」

「そ、そうなのか?」

「うん」

「それは、お前に恋愛感情を持っていたとかじゃ……」

私の胸が、ズキっとなったような気がした。

「違うよ」

私は、本当の事を言いたいのに、なぜか嘘をついた。

「本当か? 俺は何だか……」

「何だか?」

「お前を見ていると、早く思い出さないといけない気がして堪らないんだ!」

「玲二……」

玲二が、私の腕をいきなり引き寄せた。

「それも、凄く大事な記憶だ」

間近に、玲二の顔があって、私は息をするのを押し殺した。

「俺達……付き合っていた?」

私は、首を横に振った。

告白はされたけど、付き合ってはいない。

私は言いたかったけれど、今の彼をこれ以上混乱させたくなかった。

「後で、美月が来ると思うから」

私はそれだけ言うと、玲二の病室から出た。

「ま、待ってくれよ!」

玲二が、私を呼び止める声がしたが、無視して立ち去った。


私は、大葉先生とネットの記事について調べていた。

「夏菜に違いない……」

そう言う先生の顔に暗い影が落ちた。

「教授は、次の事件を起こしているって事ですか」

「まだメディアでは報道されていないが、ネットでは噂話のように広まっている」

「でも、それも時間の問題ですね」

私は、先生のパソコンを使わせて貰って細部まで記事を見ている。

「さらって何をしてるんでしよう?」

「楓君……」

先生は、私のパソコンを触る手を止めさせた。

「この件には、君には関わって欲しくない」

「な……なにを言ってるんですか」

「これ以上、君に危険な目に遭って欲しくない」

「ここまできて、そんな事言わないで下さい!」

私は、思わず叫んでしまった。

「この事件を解決させたいんです」

先生は、しばらく考えた後、私を振り返った。

「絶対に一人で行動しないと約束するなら」

「はい、先生と一緒に行動します」

私の頭を撫でて、溜息をつく。

「君って人は、勇敢過ぎるよ。その辺りにいる男性よりも」

「自分では、認識ありませんけど」

先生は、もう一度深い溜息をついた。


さらってきた人間達は、奥嶋の屋敷の地下牢に閉じ込められていた。

「誰か……助けて」

やはり、女性ばかりであった。

中年の男性が、地下牢に降りてきた。

「美しい! まるで宝石のように尊い」

捕らえられている女性達を見て、高揚した声を上げる。

「君達に、永遠の若さと美しさを与えよう!」

教授の影から、羽根を持った美しい猛獣が現われた。

「さぁ、好きなだけ美しい宝石達の血を啜るといい」

教授の部下が、一番手前にいた女性を牢屋から出した。

「い、いや……」

抵抗するが、しっかりと掴まれた手はほどけない。

猛獣が、女性の首筋にしがみついた。

「あ……!」

肉をかみ切る音が、地下牢に響き渡る。

女性は血や肉を食べ尽くされ、ただの亡骸になっていた。

それを見た、牢屋の中の女性達は泣き叫んだ。

亡骸を、教授の部下が引きずりながら、どこかへ運んでいった。

「夏菜君、君は素晴らしいよ!」

教授は、夏菜の血に染まった髪を撫でながら言う。

夏菜は、すでに教授の言葉にしか従わない人形と化していた。

目の色は、銀色に変化し、爪も異常に長く、しかし美しさは失われていなかった。

背中の翼はまるで天使のようにさえ見えた。

― 堕天使 ―

教授は、内心彼女の事をそう呼んでいた。

「夏菜君……また人を連れて来ておくれ」

無言で隣に立つ、堕天使に奥嶋はそう言った。


怜二は、病院を退院する事になった。

美月と二人で、病院の玄関で待っていると怜二と兄の修司が歩いてくるが見えた。

「二人とも、有難う。わざわざ来てくれて」

兄の修司が、頭を下げて礼を言う。

怜二も一緒に頭を下げている。

「退院になって良かったです。怜二君、良かったね」

美月が、微笑みながら怜二に言う。

「うん、おかげ様で。二人には本当に世話になったよ」

修司が、怜二の荷物を持ちながら

「ちょっと、退院の手続きしてくるよ」

私たちの輪から離れていった。

「本当によかった!」

美月が、いきなり怜二の肩にしがみついた。

「ご、ごめん……」

怜二が、美月を避けるように肩を引っ込める。

「私こそ、ごめんなさい。嬉しくて、つい……」

美月は、すまなそうに下を向いてしまった。

「そう言えば、美月。怜二の退院祝いのパーティーするって言ってたよね」

「あれは……もういいよ」

俯いたまま、美月が答える。

私は、少しでも美月を応援したくて続けて言おうとしたが遮られた。

「やっぱり、怜二君は楓の事が好きなんだ!」

そう叫ぶと、美月はその場から走り出して玄関を出て行った。

「あ! 美月!」

私も後を追うように、走り出そうとした時に怜二から腕を掴まれた。

「待ってよ。俺、思い出したみたいなんだ」

「え? 本当に?」

「俺……楓に告白したよな」

「う、うん……した」

「まだ、返事は貰っていない」

「そ……そうだね」

「まだ、本調子って訳じゃないんだけど、確実に思い出してきてる」

「本当に? 良かった……」

「だから……」

「だから?」

「美月にも感謝してるけど、変に優しく出来ない」

「そんな、美月は本当に心配してたんだよ」

「分かってるよ。だけど、俺が好きなのは楓だから」

怜二は、そう言うと私の瞳の奥をじっと見つめた。

「怜二の気持ちは嬉しいけど、私……まだ答えを見つけてないよ」

「そっか……」

ちょっと悲しそうに俯く怜二。

「俺、待ってるから……返事……」

小さな声で、呟くように言う。

「うん……」

私も同じく小さな声で返事をした。

修司が戻ってきたので、二人は帰宅していった。


私は自分の部屋で、事件についてまとめた報告書のようなものを作っていた。

誰に提出するわけでもないが、まとめてみたいと思って作っている。

一番、不思議に思ったのは、教授の「犯行の動機」だった。

「人をさらって、一体何をしてるんだろう?」

思わず口に出てしまう。

私は、自分のパソコンをカタカタと鳴らしながら打ち込んでゆく。

「あと、どうして若い女性にこだわるのか?」

私は、教授との会話を思い出した。

― この美しさが分からないとは! ―

教授は、私にそう言った。

美しさって、何? 教授の言っている美しさが分からない。

私は、それもパソコンに打ち込んだ。

その時、私の携帯が鳴った。

「はい」

何気に出てみると、美月からだった。

「さっきは、ごめんね……」

「ううん、気にしなくていいよ」

「私……つい嫉妬したみたいなんだ」

「何に?」

「怜二君が、楓なら触られても平気で……私じゃダメだって事」

「それは……」

「分かってるの。楓も怜二君の事、好きな事くらい」

「まだ……答えは出していないの」

「それでも分かるよ。楓は、怜二君の事を選ぶって……」

美月は、泣き出していた。

「私、こんなに怜二君の事が好きなのに!」

泣きながら叫んでいる。

「こんな事言うつもりじゃなかったんだ……ごめん」

そう言うと、美月の電話が切れた。


長い髪が風になびいている。

バイトの帰り道だった。

夜は、嫌に冷え込んで思わず手に息を吐いて温める。

頭上を何かが遮ったような気がした。

「気のせいよね」

辺りは、薄暗く視界が悪い。

いきなり、目の前に人影が現れた。

よく見ると、とても綺麗な女性だった。

女性は、こちらに近づいてきて、顔を覗き込んでいた。

「な、なに?」

だが、その女性の瞳を見た瞬間……意識が朦朧とした。

まともに立っていられない感覚。

だんだんと意識が薄れゆく中、大きな翼が羽ばたく音がしたような気がした。


美月の母親から、電話を貰ったのは深夜に近い時間だった。

「こんな時間にごめんなさいね。美月がバイトから帰って来なくて……」

心配そうな美月の母親の声が、電話越しに聞こえる。

「いいえ、大丈夫です。美月がバイトから帰ってきてないって……」

「ええ。いつもなら、とっくに家に帰宅してるの」

母親は、ますます心配そうな声をあげる。

「私、美月のいつもバイトの帰り道を探してみます!」

私は、電話を切り、パーカーを羽織って外に飛び出した。

いつもの美月の帰り道を、必死に探した。

一つだけ、見つけた物があった。

― 怜二から貰って、美月が大事にしていたハンカチ ―

道路の脇に、落ちているのを見つけた。

私は、嫌な予感を感じながら、そのハンカチを握りしめた。


美月は、水が落ちる音で目が覚めた。

まだ意識が完全ではないが、辺りを見回した。

他にも数人、そこにはいた。

「ここは……どこなの?」

よく見ると、若い綺麗な女性ばかりだった。

その中の一人の女性が、美月の傍にやってきた。

「貴女も、誘拐されたの?」

「誘拐?」

「そう、私たち皆、さらわれてきたの。怪物に……」

「怪物って、あの綺麗な羽根を持った女性?」

「そうよ……私達はあの女のエサになるの」

そこまで言うと、その女性は他の女性たちの所へ行って座り込んだ。

(そんな……エサなんて嫌だ! 助けて!)

美月は、心の中で怜二と楓の名を何度も呼んだ。


楓は、大葉のマンションに来ていた。

「昨夜に、美月がさらわれたみたいなんです!」

「美月君が?」

大葉は、険しい表情をしている。

「私、美月を助けたいんです!」

「君が、美月君を助けたいのは分かるが……情報が少なすぎる」

「昨日、自分でまとめてみました」

私は、コピーした「報告書」を先生に渡した。

「他にも教授の屋敷に、さらわれた人達もいると思うんです」

「また、潜入する気かい?」

「はい……します」

「君っていう人は」

大葉が呆れたというように、空を仰いだ。

「一人で行動しないと約束したはずだ」

「だから、先生と一緒に……」

「ダメだ」

「どうしてですか? 美月は捕まって助けを待っているはずです」

「敵地に乗り込んでも、戻ってこれる事は不可能に近い」

「先生も、夏奈さんを取り戻したくないんですか?」

「……夏奈は、もう手遅れだ」

「そんな……」

「私が、教授に何とかコンタクトしてみよう」

大葉は、そう言うと私にまた念押しした。

「絶対に一人で行動しないように!」

「わ、分かりましたよ……そんなに何回も言わなくても」

私は、思わず頬を膨らませた。

私は、先生を信じて数日待つことにした。

すると、ある招待状が先生の元に届いた。


招待状を、三人で見つめている。

私と、怜二と大葉先生だ。

招待状には、こう書いてあった。

― 美しき六塚楓殿へ ―

この度、我が屋敷でも開催される仮面舞踏会にご招待致します。

次の約束を必ずお守り下さい。

一、六塚楓は、必ず出席する事。

二、武器など、身を守るものはご持参下さい。

三、屋敷内で起こった事は、決して外部に漏らさない事。

ご参加、心よりお待ちしております。

招待状には、そう書かれていた。

「簡単な招待状だな」

怜二が、招待状を見つめながら言う。

「わざと、簡単にしてあるんだよ」

大葉が、溜息をつくと近くのソファーに足を組んで座った。

「どうやら、楓君狙いのようだ……」

「私ですか?」

「工場を壊滅させられた事で、興味を持ったんだろう」

「武器は持って行っていいって、おかしくないか?」

怜二は、首を傾げながら、まだ招待状を見つめている。

「教授には、それに対抗する自信があるんだろう」

大葉が、煙草を口にくわえた。

「先生、煙草吸うんですか?」

私が思わず、聞いてしまった。

「禁煙していたんだけどね……吸ってもいいかな?」

私と怜二は、二人で頷いた。

先生の口元から、煙草の煙が吐き出される。

大葉が禁煙していたのは、本当だった。

ただ、妹の夏奈があんな風になってしまったが為に、悲しみから喫煙が始まってしまった。

「仮面舞踏会って、ドレスとか?」

(ドレスなんて持っていないし……私服でもいいかな?)

「全ての準備は、こちらでするから安心していい。洋服や武器もだ。私も同行するという条件でね」

大葉は、そう言うと吸っていた煙草を消した。

部屋に鼻をくすぐる煙草の香りが広がった。


奥嶋教授の屋敷は、まさに豪邸だった。

門のところに、招待されたお客達だろうか、人でひしめいている。

私たちは、君江さんの運転する車から降りた。

他の招待客に混じった。

私は、生まれて初めて本格的なドレスを着た。

大葉先生が、怜二の分も全て用意してくれた。

先生と怜二は、タキシードを着ている。

二人とも、とてもよく似合っていた。

自分は、どうなんだろう? とふと思った。

「楓、凄い綺麗だよ。いつもと違う雰囲気で驚いた」

耳元で、怜二がそんな事を言った。

大葉先生を見ると、ずっと私を見て微笑んでいる。

「とても綺麗だ。このまま、私が連れ去りたいくらいに」

なんて、冗談を交えて話し掛けてくる。

招待客達に混じりながら、屋敷の中に入る事が出来た。

勿論、あの招待状を見せて潜入できた。

「拝見します」

仮面をつけた使用人のような人物から言われた。

そうなのだ、全員顔に仮面をつけている。

私達も仮面を、装着していた。

私はネコの仮面。怜二はピエロの仮面。先生はよくわからない仮面だった。

私の太腿には、拳銃が二丁隠されている。

私は、なるべく拳銃の音がしないように歩いた。

仮面舞踏会が、始まり目の前で皆がダンスを始めた。

私達、三人は壁際でくつろいでいるフリをしている。

その時だった。

「お嬢さん、宜しければダンスをいかがかな?」

私に一人の紳士が、声をかけてきた。

「あ……でも、私踊れないんです」

私が恥ずかしそうにしていると

「大丈夫だよ。私がリードしてあげるから」

私の手を掴んで、引き寄せられた。

いつの間にか、私はダンスを踊っていた。

相手のリードが、相当上手いみたいだ。

その紳士は、仮面を被っていて顔はよくわからないが上品さが全身から染み出ていた。

私は、その紳士との時間を楽しんでしまった。

「もう一曲、踊りませんか?」

相手の紳士は、そう言ってきた。

「は、はい。宜しければ……」

今度は、彼はもっと私の身体に密着してきた。

「来てくれて、嬉しいよ」

私の耳元で囁く。

(え? 今、何て言ったの?)

「ちゃんと、銃は持ってきたのかい?」

「な、なんの事ですか?」

「そのドレス、とてもよく似合っているよ。大葉のお見立てかな?」

「もしかして、貴方は!」

そう言った瞬間、ダンスの曲が終わり、紳士は私から離れてった。

怜二と大葉が、心配そうにこちらを見ている。

「今、踊っていた相手は教授だったの」

私は、二人にそう言うと、太腿の拳銃を意識し始めた。

「楓君、大丈夫か?」

大葉が楓に心配そうに声をかける。

使用人の一人が、私に声をかけてくる。

「ご主人様が、お呼びです」

私に向かってそう言うと、深くお辞儀をした。


暖炉が赤々と部屋を照らしていた。

「もうこんな季節だというのに、まだ寒いね」

部屋に入るなり、そんな声が聞こえた。

「私を呼び出して、どういうつもりですか?」

「さっきのダンス、とても楽しかったよ」

(私も……と思わず言いそうになってしまった)

「私の親友を返して下さい」

「親友? ああ……美月君の事かな?」

「そうです。彼女を返して貰いに来ました」

「いいよ。その代わり、条件がある」

「条件って?」

「君が代わりに、ここに残る事」

「私が……」

「君の美しさには、どんな女性も霞んで見えるよ。私の傍にいないかね?」

私は、深呼吸をして答えた。

「美月を返して貰えるなら、何でもします」

「そうか……美しい友情といったところか」

部屋のドアが悲鳴のような音をたてて開き、美月が部屋に現れた。

「楓! 助けに来てくれたんだね」

「美月、怪我はない? 大丈夫?」

私達は、抱きしめあうと教授を睨んだ。

「さぁ、それでは条件通りにしよう」

私と美月は、また離れ離れにさせられた。

「美月君を、丁重に怜二君達の元へお送りするように」

教授は、二人きりになると仮面を外した。

そこには、一人の若い男性が立っていた。

あの中年の男性の姿ではない。

「これが、私の素顔だよ。誰一人見た事がないがね」

端正な顔立ちがそこにはあった。そして、この上ない上品さがある。

今まで見た人の中で、こんなに綺麗な人は見た事がなかった。

「驚いているんだろう? 中年の姿は仮の姿だよ」

「マスクでも被っていたんですか?」

「正解だよ。君は頭もいい。まさに理想と言っていい」

「私に何をさせるつもり?」

「ただ、傍にいてくれるだけでいい。男女の関係でなくてもいい」

「つまり、好きでもない相手と一緒にいろ、と?」

「そういう事になるが、きっと君は私を好きになるよ」

「そんな事、あるわけないじゃないですか!」

私は、ドレスの裾を思い切り、引っ張った。長いドレスが外れてミニスカートになった。

(これで、拳銃を使える……これで)

「身を守る物は持って来ています」

教授の瞳が、輝きを増したような気がした。

「さすがだね。今なら防弾のマスクもつけていないし、私を殺せる」

「ええ、前はしくじったけど……今なら」

「やめておいた方がいい」

「え?」

「私の部下が、君を狙っている」

カーテンがサッと開かれると、そこには銃を持った男達が隠れていた。

「どうやら、私の勝ちみたいだね」

教授は、低い声でそう言うと面白そうに顎を撫でた。


怜二と大葉は、落ち着きなく広いフロアーに佇んでいた。

そこに、美月がやって来たので、二人は驚いた。

「楓君は、どうしたんだ?」

大葉が、美月に詰め寄るように尋ねる。

「楓は……私の代わりに……」

「なんだって!」

大葉が、その辺りにいた使用人に声をかける。

「大葉教授に、至急お会いしたい」

仮面を被った使用人は、わざとらしくお辞儀をすると

「教授は、本日はもう誰ともお会いになりません。どうぞお帰りを」

大葉は、素早くフロアーに続く階段をのぼった。

どんどん、一人である部屋を目指して歩いてゆく。

「どうぞ、おやめください」

使用人に言われてもやめようとしない。

ある部屋の前に行くと、ドアを蹴破った。

教授と楓が、そこには立っていた。

「やぁ、大葉君。久方ぶりじゃないか」

「楓君を返して貰おう」

教授の顔を見て、彼は内心驚いた。年の頃なら自分とそう変わらない。

「これは、楓君自身が決めた事だからね」

「そんな訳ないだろう。さぁ、一緒に帰ろう」

楓の腕を強く掴んで引き寄せようとした。

「ダメなの……」

「何がダメなんだい? こんな所にいてはダメだ」

「美月と交換条件なの」

それを聞いた彼は、何が起こっているのか察した。

「君って人は、なんて事を……」

「先生、行って。銃は使えない」

教授が、だんだんイライラしてきたのか

「帰りたまえ!」

大声を出すと、彼を教授の部下が取り囲んで床に押さえつけた。

「か……楓君!」

何発か殴られると、彼は引きずられるように部屋から出された。

「これで、いいのだろう? 楓君……いや楓」

楓が人形のように、軽く頷いた。


大葉と怜二は、第一理科準備室にいた。

美月は無事、戻ったが楓を奪われてしまった。

二人とも意気消沈してしまっていた。

大葉は、いつものコーヒーメーカーを使っていない。

机に座ったまま、難しい顔をしているだけだった。

「また君の力を借りなければならないかもしれない、怜二君」

「俺の力くらい、いくらでも貸すよ」

「ただし、今度その能力を使ったら、君自身どうなるか分からない」

「どうなってもいいさ。楓の為なら」

「下手をすると、記憶の全てを失うかもしれない……」

「例えそうなってもやる」

怜二の瞳に強い闘志が宿る。

「私も、自分の命をかける覚悟がある」

大葉が、真剣な眼差しでそう言った。

「怜二君は、楓君の事が好きなんだろう?」

いきなりそう言われて、怜二は咳込んでしまった。

「私も、楓君の事が好きだ。愛している」

「せ、先生も楓の事……」

「私達は同じ女性を愛している。そして助け出そうとしている」

「そ、そうだったのか」

楓が自分の告白に返事を出せなかったのは、この為だったのだろうか?

全く関係ないのかもしれない……。

怜二は、手に持っていたスポーツドリンクをガブ飲みした。

「二人で、楓君を助け出そう」

大葉が手を差し出した。

この時ばかりは、怜二はその手を握りしめた。


私は、何不自由なく過ごしていた。

教授は、私に気を遣ってくれているようだった。

部屋も、わざとそれほど広くない部屋を選んでくれたようだ。

私は、窓際から屋敷の中庭を見つめていた。

「コンコン」

部屋のドアがノックされた。

「はい」

入ってきたのは、教授だった。

「部屋には慣れただろうか?」

こうして見ると、普通の男性と変わりない。

「はい……広くないので。慣れやすいです」

私は、そのままの感想を言った。

「それは良かった。この部屋を選んで良かったよ」

「聞きたい事があるんです」

「何だろうか?」

「教授の言う、美しさって何ですか?」

教授は、傍にあったソファーに座ると、すぐに答えた。

「若さと美しさ、だよ」

「若さと美しさ?」

「私は、その美しさを永遠にしてやりたいと思っている」

「永遠って、殺すという事ですか?」

「ちょっと過激な表現だね」

そう言うと、遠くを見るような表情をした。

「そのままの状態のまま、この世に残してやりたい」

「……」

「それが、私の使命だと思っている。私にしか出来ない」

「だからって、こんなやり方はないと思います」

「他にどんなやり方があるというんだ!」

いきなり、彼が声を荒らげたので、私はびっくりした。

私の方へ、歩いてきて、私の両肩を強く掴んだ。

「正直、君も永遠の美しさにしたくて、うずうずしているよ」

その瞳は、怪しい輝きを宿していた。

― 狂気 ―

そう言うに、相応しい目をしている。

「私……」

急に、私は恐ろしくなってきた。

背筋に冷たいものが伝うのを感じた。

「なんてね。冗談だよ。聞き流してくれたまえ」

(冗談なんかじゃない。本気だった……)

「すまない。怖がらせたかな……」

「いいえ、そう言うわけでは」

(なるべく落ち着いた態度で接したい。それしか対抗手段がないのだから)

「あの……夏奈さんを元に戻して下さい」

「それは出来ない」

「どうしてですか? 貴方なら出来るはずです」

「いや、出来ないから言っている」

「え……そんな!」

「夏奈君も、永遠にあの美しい姿のままだよ」

私は、呆然と立ちつくすしかなかった。

先生の妹さんの夏奈さんも助けたいと思っていたのに……あの姿のままなんて!

「どうしても……ですか?」

「どうしても、だ」

彼は、顎を撫でながらそう言った。

どうやら、それが彼の癖のようだった。

「私を、これからどうするつもりですか?」

「言っただろう? 傍にいて欲しいと」

そう言うと、彼は私をそのまま抱き寄せた。

彼の広い腕の中で、私は小鳥のように小さく身を潜めているしかなかった。


第一理科準備室には、三人の影があった。

「私にも、お手伝いさせて下さい!」

美月が入ってくるなり、そう言ったからだ。

「楓は、私の代わりになってくれたんです。だから私!」

美月は、やや興奮したように続けて話した。

「だが、とても危険だ。分かっているのかな?」

大葉が、やんわりと言う。

「はい、承知しています」

今は、一人でも協力者が欲しい時だった。

「拳銃の扱いも習ってもらう事になるが……」

「何でもします! お願いします」

隣で聞いていた怜二が、反対した。

「やっと、あの屋敷から抜け出せたんだぞ。俺は反対だ」

「怜二君、私は楓を助けたいの」

美月の眼には、強い光がそこにあった。

「楓を助けたいの!」

「分かったよ。君も親友だけあって似ているよ、彼女に」

大葉は、根気負けしたようにそう言った。

「俺は……反対だけどな」

怜二は、まだ反対だったが大葉が言うので、仕方がなくなった。

「それでは、作戦の説明をする」

大葉が、教授の屋敷の見取り図を広げた。


教授は、私を屋敷の中庭に誘った。

色々な草花が咲き乱れていた。

「綺麗だろう」

そう言うと、一つの花に手を伸ばした。

一瞬、その花を摘むのかと思ったが、教授は摘まなかった。

「なぜ、花を摘まなかったのですか?」

「美しいから……摘めなかった」

「人は違うのに? 花ならいいんですか」

私は、嫌みっぽく言ったつもりだった。

「人は罪を犯すが、花は罪を犯すことはない」

「そ、それはそうですけど」

「君は、私を銃で撃った。殺そうとしてね」

「それも罪だと言うなら、私を殺して下さい」

「君は殺さない」

「傍に私を、一生置いておく事が罰なんですね。私に対しての」

彼は、驚いたように楓を見つめた。

「……そんな風に思われていたなら心外だ」

彼は、暗い表情で花を見つめだした。

「言い過ぎたかも……私」

「いや、君の言う通りかもしれない。私は君を自分のものにしたい」

立ち上がって、私の方を向いた。

「私のものになってくれないだろうか?」

「出来ません」

「物のように言って申し訳ないが、今はそんな言葉しか見つからない」

「そういう問題でもないです……」

「何がいけないって言うんだ!」

また彼は、いきなり叫んだ。時折、感情を爆発させるような性格であるらしい。

「何でも君の好きな物を買ってあげるよ。君の欲しいものなら何でも」

私は黙ってしまった。

「どうして黙ってしまうんだい? 私をもう一人にしないでおくれ」

彼が、子供のように私に抱きついてきた。

(この人は……きっと寂しいんだ。一人でいるのが辛いんだ)

私は、無意識のうちに彼を、受け止めていた。

彼を抱きしめながら、何かが崩れてゆくのを感じていた。


奥嶋教授の屋敷の前に、四人の影が月明かりに浮かんでいる。

大葉と怜二、美月とノアだった。

「じゃあ、作戦通りに」

大葉が小声でそう言うと、四人はそれぞれ散った。

美月とノアは、屋敷に忍び込むと火をつけた。

「これで、人目はこちらに向けられるはず」

美月は、ノアを連れて違う場所へ移動した。

美月とノアの役目は、敵を分散させる事だった。

大葉と怜二は、何とか屋敷内へ忍び込んでいた。

「なるべく殺したくはないが」

大葉が右手に持つ拳銃を握りしめた。

怜二は、いつでも能力を使えるように集中している。

教授の部下達に見つからないように、屋敷の廊下を進む。

しかし、数人に見つかり戦闘が始まった。

「ううぅ」

怜二が唸り声をあげると、数人がなぎ倒された。

残った部下たちを、消音装置がついた拳銃で大葉が撃ってゆく。

二人は、順調に進んでいた。

だが、美月とノアが放った火のまわりが早く急がねばならなかった。

「ヤバいぞ、大葉! 火の手がここまできてる!」

「ああ、早く楓君を見つけないと!」

二人は、教授がいると思われる部屋に急いだ。

「ここだ」

ドアを思い切り開けた。

「そろそろ、来る頃だと思っていたよ」

黒澤教授は、そう言うと細く微笑んだ。

「覚悟しろ!」

怜二が大葉の隣で叫んだ。

教授の隣にいる楓に呼びかけた。

「楓! こっちへ来い!」

楓は、静かに怜二達を見つめている。

大葉が、教授に銃を向けた。

「夏奈の仇もとらせて貰う」

その時だった。

「やめて! この人を撃たないで!」

楓が、教授の前に出て両手を広げている。

「な、何をいってるんだ、楓君!」

大葉が、理解出来ないという表情をしている。

「楓、そこをどくんだ!」

怜二も同じように、驚いている。

「この人を殺させない」

「本気で言っているのか?」

「殺す事だけが、罪を償わせる事じゃない」

楓がいつの間にか、銃を握っている。

「やめるんだ、楓君」

大葉と楓は、お互いに拳銃を持って相手を狙う形になった。

「この人は、罪の重さに気が付いていない。私が、この人を何とかしてみせる」

「今までしてきた事を考えてみたまえ。そんな事は無理だ」

「でも、今ここでは殺させない」

「じゃあ、捕えさせて貰う事にする」

それを聞いた教授が、本棚の本を触ると奥の隠し扉が開いた。

「楓君、こちらだ」

そう言うと、楓の手を引っ張り扉の向こうへ二人は行ってしまった。

怜二と大葉は、隠し扉を開けようと必死になった。


隠し扉の向こうは、地下水路に繋がっていた。

教授は、ランプに火を灯すと私に言った。

「おいで、こちらから逃げるんだ」

私に手を差し伸べている。

その手を握ったら……最後なのだろうと私は思った。

もう、後戻り出来ない。

「さぁ!」

私は、彼の手を握ってしまった。

二人で、水路を駆け抜ける。

「もう、少しだ。頑張ってくれ」

「わ、私……」

途中で、私は走るのをやめた。

「どうしたと言うんだい?」

「やっぱり一緒には行けない」

「私を庇ってくれたじゃないか」

薄暗い中でも、彼の顔は見る事が出来た。

私の事を心配そうに見つめている。

「いいから一緒に来なさい」

彼に手を引っ張られて、私はまた走り始めた。

(どうして? 怜二達の元へ戻りたいのに。今は教授に逆らえない)

私達は、暗闇の中を、ひたすら走り続けた。

目の前に、微かな光が差しているのが見えた。


教授の屋敷は、全焼してしまった。

燃え盛る屋敷の前で、美月とノアそして怜二と大葉は落ち合った。

「か、楓は?!」

美月が、叫ぶように言う。

「彼女は、教授と一緒に行ってしまった」

大葉が、悔しそうに振り絞るように声を出してる。

「そんな! 楓を救出する為に来たのに!」

美月は、顔をしかめながら叫んだ。

怜二は、すでに下を向いてしまっている。

「楓は、教授を庇って一緒に逃走した」

「そ……そんなはず」

「いや、怜二君の言う通りだ」

大葉が、煙草に火をつけながら焼け落ちる屋敷を眺めている。

「私達も、そろそろここから離れよう」


水平線が、どこまでも続いている。

私は、日差しを気にしながらデッキで美しく青い海を見つめている。

「お気に召して頂けたかな?」

シャンパンのグラスを持った奥嶋教授が、私の隣に立った。

「この豪華なクルーザーの事? それともこの壮大な海?」

「両方だよ」

彼はそう言うと、私の頬にキスをした。

「どうして、あの時……私を庇ってくれたんだい?」

「貴方には、他の方法で償って欲しかったの」

「罪の話かい?」

「ええ……」

「それより、今度は何が欲しい?」

「何もいらないわ」

「欲がないのだね。普通の女性ならば、飛びついてくる話だが」

「一つだけ欲しいものがあるわ」

「何だね? 言ってみたまえ」

「貴方の命……」

そう言ったかと思うと、楓は拳銃を取り出した。

「パン!」

音が鳴ったかと思うと、教授の体が楓の膝の上に倒れこんだ。

「なぜだ……ど、どうしてだ……」

「貴方に罪を償わせただけよ」

「私の事を……愛してくれているのだと」

「分からないけれど、だからこそ許せなかった」

拳銃から煙が立ちのぼっている。

「忘れていたよ。美しい花には……」

彼は、私へ手を伸ばそうとしたが、そこで息絶えてしまった。

「ごめんなさい……」

私は、彼をそっと椅子に寄りかからせて、自分は立ち上がった。

― これで全て終わった ―

私は、また果てしない地平線を眺めた。


「つまり、俺達は楓にフラれたってわけだ」

「まだ、そうと決まったわけじゃない」

「いいや、教授を選んだんだからな」

「そうとは限らないと思うようになった」

第一理科準備室にいるのは、怜二と大葉だった。

「私は、教授のプロジェクトに参加していた」

急に大葉は語りだした。

「人間をどこまで美しく死なせる事が出来るか、だ」

「正直、教授には妹を人質に取られて逆らえなかった」

懺悔するように、話している。

「誰でも、そうなるよ。肉親がそうされたら」

怜二が、あまり自分を責めるなと言わんばかりに言う。

その時、部屋のドアがノックされた。

「コンコン」

「どうぞ」

気怠そうに、大葉が言うとドアが開いてそこには夏奈が立っていた。

夏奈は、微笑みながらこちらを見ている。

「夏奈!」

大葉の表情が一変した。

そして、夏奈の身体をよく見ようとした。

人間の姿に戻り、正気に戻った妹がそこにはいた。

大葉は、妹を抱き寄せながら泣いた。

怜二も、もらい泣きしている。

「あの……楓さんが」

夏奈が楓の名を出した。

「楓が、どうしたって?」

怜二が身を乗り出して聞く。

「教授に頼み込んで、私を元の姿に戻してくれたんです」

「そんな事が出来たのか?」

大葉が、驚いたように尋ねてくる。

「うん、錬金術をもう一度やり直して」

「とにかく、良かった……もう会えないかと思っていた」

妹を抱きしめながら、大葉は楓の事を考えていた。

「楓君については、何か知らないか?」

「楓さんについては何も……ごめんなさい」

夏奈は、そう言うと俯いてしまった。


ノアが、無邪気に花壇の花を見つめている。

大葉は、元の屋敷に戻ってきていた。

ノアは、大葉の力ではどうしても元には戻せなかった。

薬の服用を続けている。

「でも、いつの日にか……」

ノアも元に戻ってくれる事を祈っている。

大葉が、屋敷の門の前に立っていると、郵便配達がやって来た。

ポストに入れないで、直接渡してくれる。

「有難う」

礼を言い、受け取った。

郵便物の中に、一通変わった手紙が混じっていた。

それは、真黒な封筒だった。

急いで、封を開けて中をみた。

中には、一枚だけ紙が入っていた。

― 私の影武者を殺してくれて有難う ― 

紙には、それだけが書かれていた。

「どういう意味だ……?」

あの郵便配達員! 

急いで、振り返ったが、もうそこには姿はなかった。

大葉は、持っていた手紙を強く握りしめた。


怜二と美月は付き合う事になった。

怜二と付き合うには、色々と大変な事があるが、美月からの再度の申し込みだった。

もう断り切れなくなったのもある。

あと、怜二は楓を失って心に隙間ができてしまっていた。

美月では、その隙間は埋まらないかもしれない。

それでもいいと……と思った。

美月は、献身的に自分だけを見つめてくれる。

怜二も、それにこたえたいと思ったのだ。

今日は、美月とデートの約束をしていた。

デートの準備をしていると、携帯が鳴った。

大葉からだった。

「奇妙な手紙が届いたんだよ」

電話の大葉の声が震えているのを感じた。

大葉から、手紙の内容を聞いて怜二は美月のデートを断った。

すぐに、大葉の屋敷へと向かっていた。


私は果てしない地平線を見ながら「全て終わった」と思った。

すると、教授の部下に囲まれ銃を向けられた。

「そっくりだったのに、殺してくれたね」

もう一人の教授が部下達の奥から現れた。

「え……?」

楓は、持っていた銃を落としてしまった。

「まさか……影武者だったの?」

「その通り。君が殺したのは、私ではない」

「いつからすり替わっていたの?」

「中庭で、花を見ていた時かな。私は女性に懇願したりはしない」

「私を、この後どうする気?」

「君のような優秀で美しい女性は殺すには惜しい」

「もう、貴方には従わない」

「だったら、どこへでも好きなところへ行くといいだろう」

部下達に命じた。

「彼女には手出しは無用だ。丁重にお見送りして差し上げろ」

「私を解放してくれるのね」

「ああ、そうしようと思う。楽しかったよ、君といる時は実に」

「もう、悪事はしないと誓って!」

「そんな約束は出来ないね。これからも楽しみたいと思う」

「や、やめて! また罪を重ねてどうするの?」

「君には関係のない話だ」

私は、頬を涙が伝うのを感じた。

「貴方は、本当は悪い人ではないのかと……思ってた」

「君の言う「悪い人」が、どんな定義なのかは知らないが」

教授は、自分の影武者を部下に始末させて、テーブルの椅子に座った。

そして、シャンパンを開けさせるとグラスに注がせた。

手にグラスを持ったまま、私の事をチラリと見た。

「夏奈さんだって、元に戻してくれた」

「ただの気まぐれだよ」

グラスを、そっと口元へ運ぶ。

「次は、君を化け物にしよう。と言い出すかもしれない」

私は、ゴクっと唾を飲み込んだ。

「だから、もう私の前から消えてくれ」

悲しそうな瞳が、そこにはあった。

私は、教授の部下に両腕を掴まれた。

「どうぞ、こちらへ」

「ま、待って! 話はまだ終わっていないわ」

薄っすらと、教授の声が聞こえた。

「君を好きだったのは、本当だった」


ここに立つのは、久しぶりだった。

黒い高級車から降ろされたのは、大葉先生の屋敷の前だった。

私は、屋敷の門の前で立ち尽くしていた。

屋敷の中から、こちらへ走り寄ってくる影が見えた。

大葉先生と怜二だった。

「楓!」

「楓君! よく無事で」

二人は、息を切らしながら門を開けてくれた。

先生が、私をギュっと潰れそうなくらい抱きしめた。

「もう、どこにも行かせないよ」

怜二が、嬉しそうだが、どこか浮かない顔をしている。

「俺には、抱きしめる資格ないな……」

「……?」

「俺、美月と付き合う事になったから……」

「今だけ、抱きしめて」

私がそう言うと、怜二はしっかりと私を抱きしめた。

「本当に無事で良かった……楓……」

怜二の声は震えていた。

「うん、何とか帰って来られたよ」

屋敷の中に入って、今までの出来事を話した。

「こんな手紙が届いていたよ」

私は、黒い手紙を受け取り、中を見た。

「そうなんです。私が撃ったのは……」

大葉が、私の口元に指を向けた。

「もう言わないでいい。辛かっただろう」

彼は、そう言うと私に横になって休むように促した。

私は、ソファーの上に横になった。

急に、睡魔が私を襲ってきた……私の意識はそこでなくなってしまった。


私は、大学生になった。

怜二と美月は、私とは別の同じ大学に入って仲良くしている。

私はというと、大葉先生とお付き合いさせて貰っている。

そして、先生の屋敷に下宿している。

親を説得するには、そんなに時間は掛からなかった。

「結婚前提で、楓さんとお付き合いをさせて下さい」

先生は、はっきりと私の両親に言った。

高校を卒業したけれど、結婚はしなかった。

まだ、大人になっていない私が結婚なんて……もっと先生に相応しくならないと。

私は、ノアと夏奈さんと一緒に家庭菜園の野菜を収穫していた。

「皆、お茶が入ったから休憩にしよう」

先生が、私達に声をかける。

「結婚の話だけど……いつがいいかな?」

先生が、困ったような顔をして私に言う。

「それは……まだ。もう少ししたら」

「すまない。気が早かったかな」

「しますよ、結婚」

「本当かい?」

「その時がきたら。ね、幸一!」

私は、初めて先生をそう呼んだ。

「うん、楓。それまで、お預けだな」

二人は、キスを交わしあった。そして微笑みあう。

その時、強い風がふいて、私の持っていたハンカチが宙を舞った。

私は、そのハンカチを静かに見送った。心の底から沸き上がる、切ないような針でチクリと刺したような淡い感情を抱きしめながら。            










続編制作予定

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