それだけ
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「……だからちょっと気になっただけ」
莉子ちゃんはそう言ってほんの一瞬だけ視線を俺からそらした。
その横顔はいつもの微笑みと違って、繊細で、触れたらほどけてしまいそうで。
俺は喉の奥がキュッと締まったみたいに言葉が出てこなくなる。
「……浅倉くん?」
呼ばれてハッと我に返る。
莉子ちゃんはさっきよりもほんの少しだけ不安そうに眉を寄せていた。
「ご、ごめん……えっと、その……」
好きな人がいるのかと聞かれた。でもそれに答えるってことは俺にとって、莉子ちゃんをどう思ってるかをほぼそのまま言うってことだ。
心臓が痛いくらい暴れてる。松葉杖がガタガタ言ってうるさい。
「……答えにくかったらいいよ。別に無理に聞きたいわけじゃ……」
「いや、違う……!」
思わず声が大きく出て、莉子ちゃんがびくっと肩を揺らした。
やば……何言ってんだ俺。
「えっと……その……違うっていうか……答えられないわけじゃなくて……」
「じゃあ……いるの?」
莉子ちゃんはさっきまでよりもずっと真剣な目で俺を見てくる。
余裕なんかどこにもない。気になる、知りたい、って気持ちを隠しきれなくて揺れている目。
そんな目で聞かれたら……答えられない。嘘はつけないし本当のことも言えない。
「いる……かもしれない」
言った瞬間、莉子ちゃんの息が止まった。
ほんのわずかに目が揺れて、それを隠すみたいにゆっくり瞬きをする。
「……かもしれない?」
「……いるかもねって感じ……?」
俺がしどろもどろになってる間、莉子ちゃんは何も言わず、ただ俺だけを見つめていた。
その沈黙が怖くてでもどこか期待もしてて。
「……そっか」
やっと莉子ちゃんが口を開いた。
その声はちょっとだけ息が混じってて、強がってるみたいにも聞こえた。
「何で……そんなことを」
その言葉に莉子ちゃんの肩がほんの少しだけ揺れた。
「え……?」
今度は莉子ちゃんが戸惑う番だった。
俺は続ける。止められなかった。
「何で好きな人いるの?って聞いたの?」
自分でも声が震えているのがわかった。心臓が痛いくらい跳ねて息まで詰まる。
莉子ちゃんは視線をそらして、指先で制服の袖をぎゅっとつまんだまま、しばらく何も言わなかった。
廊下のざわめきが遠く聞こえる。その間が長いほど胸の奥がじんじん熱くなる。
「……なんでって言われても」
ぽつりとようやく声が落ちた。
「別に……深い意味はないよ?」
そう言いながらも莉子ちゃんの声はほんの少しだけ揺れていた。
「さっきのあの子と話してるの見て……ちょっとだけ気になって……浅倉くんってそういうのあるのかなって。ただそれだけ」
はぐらかすように軽く言う。でもその言い方が軽いようで軽くない。
「……気になったからってそれだけ?」
「うん……それだけ」
と答えたあと、ほんの一瞬だけ目をそらす。
軽くはぐらかしてるような言い方。それだけって言う前の小さな間がどうしても頭に残った。
俺は喉の奥が熱くなるのを誤魔化せなかった。
「……そっか」
莉子ちゃんは俺の反応を確かめるようにそっと息を吸った。
その仕草ひとつひとつがゆっくりで、繊細で、どこかぎこちない。
「……じゃあ教室行こ?」
いつもの柔らかい声。
けど今日はその奥に言いかけて飲み込んだ何かがまだ残っている気がした。
俺は松葉杖をついて歩き出す。コツンと床に当たる音がやけに大きい。
教室の前まで来たところで、莉子ちゃんがふっと俺を見上げた。
「……変なこと聞いてごめんね」
「俺も……ごめん」
なんで謝ってんだろうな、とどこかで思う。でも今はそれ以上言葉が出てこなかった。
⭐︎
教室に来て、席についたあとも周りの声はほとんど耳に入ってこなかった。
俺の頭の中はさっきの会話を何度も何度も巻き戻してばかりだった。
『ちょっとだけ気になって』
『深い意味はないよ?』
『……それだけ』
本当にあれに深い意味はないのか?
ためらいみたいな……飲み込んだ息みたいな……あれがどうしても気になって離れない。
“本当はそれだけじゃないけど”って続きそうな間だった。
俺が勝手に期待してるだけなのかもしれない。自惚れてるだけかもしれない。
それでも――莉子ちゃんは俺が「いる……かもしれない」って言った瞬間、確かに目を揺らした。
驚いただけじゃない。動揺とも違う。あれは……なんだ?
胸がひっくり返るような感覚がまた蘇る。
考えれば考えるほど答えは出ない。けど少なくともひとつだけわかることがあった。
もし俺のことなんとも思ってなかったら。あんなあんな目で見てくるわけがない。
もしかして……俺だけじゃなかったんじゃ……
自分で言って、自分で顔が熱くなる。
その瞬間——
「どしたの?」
横から水瀬が覗き込んできて、俺は思わず身をのけぞった。
「水瀬……!?な、なんでもないよ!」
「分かりやすいなぁ。浅倉はもっと動じない精神を身につけた方がいいよ」
「うるさいなぁ……」
その通り過ぎて言い返せないのが悔しい。
「莉子関係?」
前にいる莉子ちゃんに聞こえないように水瀬は耳打ちでそう囁く。
「えっ……えーと……」
「はい。分かりました。じゃあ今日放課後残って」
水瀬はペンをくるくる回しながら、小声で言った。俺の動揺で全て伝わったみたいだ。
「……分かりました」
こういう時一番頼りになるのは多分水瀬だよな……?
「よろしく〜。てか左足だいじょぶ?」
今度は莉子ちゃんにも聞こえるくらいの声で言い放った。小声の会話が怪しまれないよう、カモフラージュをしているのだろう。
「まあいけるっしょ。明日から休みだし……」
「でもゴールデンウィークで治るわけじゃないでしょ?」
「まあそうだけど」
そんな他愛のない会話をしている時。不意に前の席の莉子ちゃんがゆっくり振り返った。
「何の話〜?」
「ん?浅倉の怪我の話〜」
水瀬が軽い調子で答えると、莉子ちゃんは「そっか」と小さく笑った。
その笑顔の後にほんの一瞬だけ、ちらっと俺の顔に目を向けてくる。
なんだろう。
俺を助けてくれたり、話に入ってきたり……
莉子ちゃんがいつもより少し踏みこんでくる感じがするのは俺の気のせいだろうか。
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