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チキン野郎

2話です!よろしくお願いします!



その日の放課後。夕焼けがオレンジ色に滲んで昇降口のガラスに俺の顔がぼやけて映る。


結局、あの後は話しかけられなかった。「おもしろいよね」と言ってくれたことに対して「そうだよね」とか「天城さんも読んだことあるの?」とか返せたらよかったのだろうが、それが出来たら俺はもう莉子ちゃんと付き合えている。


でもあの時の声色と表情を思い出すだけで、今日一日は余裕だった。


まさか莉子ちゃんから話しかけてくれるとは思わなかった。

あの一言のためなら三日飯なしでも耐えられる気がする。そのくらいの破壊力があった。今でも頭の中でリピートできる。音質も表情も完璧に。


今日は金曜日。このまま帰ってしまえば二日間会えない。

たった二日。されど二日。週明けまでの四十八時間が永遠に感じられる。


靴を履き替えながらふと教室の方を振り返る。まだ残ってるだろうか。

三人組で笑ってる声が聞こえそうで、でも行けばきっと俺の入る隙なんてない。


「はぁ……」

思わずため息が漏れた。たった一言話しかけられただけで満足してる俺に少しだけ呆れる。

俺の目標は莉子ちゃんと付き合うこと。なのにこんな調子じゃいつまで経っても達成はできなそうだ。


「帰るか……」

そう呟いて昇降口を出ようとしたときだった。


「おーい北斗!」

聞き慣れた声が背後から飛んでくる。

振り返ると片手を上げながら走ってくるのは奴がいた。俺の親友。河田優馬(かわたゆうま)だ。小学校から同じで高校も一年の時は同じクラスだったが、二年で離れてしまった。ちなみにこいつは木南推しらしい。


「何してんだよ。部活は?」

走ってきた優馬に俺は声をかけた。


「今日はなし!一緒に帰ろうぜ!」

寝癖のついた髪に緩く着崩した制服。いつも通りのだらしないのに顔がいいから成り立ってるのがなんかムカつく。


「いいけど……」


「よっしゃ!じゃあ行こうぜー」

優馬は靴を投げ、一瞬で履き替えた。


夕陽の残る道を並んで歩く。

オレンジ色の光がアスファルトに長い影を落として、四月の風が少しだけ冷たかった。


「で?今日はどうだったよ」


「……何が?」


「決まってんだろ。莉子ちゃんだよ莉子ちゃん!」

案の定だった。こいつの頭の中は八割が恋バナでできてる。


「別に。なんにも」

俺はわざとそっけなく返した。


「何だよそれ!同じクラスだって決まった時はあんなに喜んでたのに」

そう言いながら優馬は俺の肩を叩く。力加減が出来てなくて普通に痛い。


「話しかけられるかどうかは別だろ」


「はぁ?でもいいよなぁ……有栖ちゃんと鈴香ちゃんもいるんだもんなぁ」

優馬は噛み締めるように言った。


「俺は莉子ちゃんだけでよかったけど」 

「あははっ!そうだよな!逆張りだもんな!」

「それ言うな……!」

そう。こいつこそが俺に"逆張り人間"と名付けた張本人だ。


俺をバカにしながら笑う優馬を見ながら俺はため息をつく。

こいつとはもう十年近くの付き合いになるけど、未だにこいつのテンションに慣れない。


「いい加減話しかけろよな〜?あの二人に隠れているとはいえかわいいのはかわいいんだから。お前に言われて俺も気づいたぞ」

「分かってるけど……」

言葉が尻すぼみに消える。


優馬は俺の顔を横から覗き込むようにしてわざとらしくため息をついた。

「はぁ〜あ。北斗のそういうとこほんっと変わんねぇな」


「何がだよ……?」

何か嫌なことを言われそうで俺は恐る恐る尋ねた。


「めちゃくちゃ意気地なしなところ」

やっぱり嫌なことを言われた。追い討ちだ。この一週間で散々それを味わったと言うのに。


俺は何も返せなくてただ優馬を睨んだ。


「小学生の頃もあったよな。美香ちゃんのこと好きになったとか言ってさ」 

「それ言うな」

「結局、一回も喋れなくて卒業式で泣いてたじゃん」

「泣いてないから!」


「鼻水も出てたかな〜?」

優馬はからかうような表情を見せた。ほんとにこいつは容赦がない。


「もうそんなんにはならないから!」

俺は優馬にそう言い放った。美香ちゃんの時みたいなことは繰り返さない。こんなに好きになったのは莉子ちゃんが初めてだから。


「ほんとかよ……」

軽く笑いながら言う。


「ならねぇよ!」

俺は拳を握った。

胸の奥から自然と出てきた言葉が、そのまま口に乗る。


「だって……今日ちょっと話しかけられたし」

 

「……は?」

優馬の動きが止まる。目を丸くして俺の方を振り返った。


「マジで?」


「マジだよ……」

俺はうつむいて靴の先を見つめた。

顔が熱い。きっと今、すごいニヤけてる。


「どういう流れ!?」

優馬が食い気味に聞く。そのテンションに笑いそうになりながら俺は小さく息を吐いた。


「本読んでたら、“それおもしろいよね”って……」


「……莉子ちゃんが?」

優馬の声が少し裏返った。


「うん……」


「すげぇじゃん!」

優馬は興奮して大きな声を出して、その場で跳ねた。


「で、何て返したんだ?」

優馬がさらに前のめりになる。


「……何も返してない」


「はぁ!?何してんの!?」

優馬の声が響く。通りかかった猫がびくっとして逃げた。


「違うんだよ!」

俺は慌てて弁明を始める。


「その時もうチャイム鳴ってて!で、俺も急だったし何が起きたか分かんなくなって……」


「言い訳は聞きたくねぇなぁ……」

優馬がため息をつく。


「ほんっと変わんねぇ。意気地なし北斗」


「今度は違うって!」

俺は強く言い返した。胸の奥で夕陽みたいな熱がまだ残っている。 


「月曜は……絶対話しかけるから」

優馬は数秒黙って俺を見ていたがやがてゆっくりと笑った。


「頼むぜ。俺は応援してんだから」

肩を軽く叩かれる。


「あんまプレッシャーはかけんな……」


「ははっ。かけとかないと話しかけないもん」

笑いながら歩き出す優馬の背中を見つめて、俺も小さく笑った。


⭐︎


月曜の朝。俺は誰よりも早く学校に来て、自分の席に座っていた。やっとこの日がやってきた。

土日でたくさんの作戦を考えてきた。どうすれば自然に話しかけられるか。どんな話題なら会話が続くか。


一つの答えが出た。それは本の話だと。

莉子ちゃんが話しかけてくれたのは本があったからだ。この土日で俺は彼女が読んでいそうな本を片っ端から調べた。全部を読むことはできなかったが、あらすじだけ読んで「その本知ってる」状態の本をたくさん作っておいた。


時計の針はまだ八時を回っていない。教室には俺の他に誰もいない。

静かな空気の中、窓の外から春の光が差し込んで机の上を照らしている。

心臓の音がやたらとうるさい。こうして座ってるだけで汗が出てくる。


「落ち着け……落ち着け俺……」

深呼吸をした瞬間、廊下の向こうから一つの足音が聞こえた。


それはゆっくりと近づいてくる。小さな足音。女の子か?規則正しく少しだけ軽い。


「……っ」

思わず背筋が伸びる。まだ教室のドアは開かない。

でもなんとなく莉子ちゃんの気がしてならなかった。


あれ……?莉子ちゃんだったらもしかして二人きり?それは流石にまずいぞ……!?


俺は焦った。莉子ちゃんには会いたい。けど今じゃない。莉子ちゃんじゃないことを祈りながら俺は一冊の本を机に置いた。


そしてその足跡は教室の前で止まった。


「…………」

俺は息を飲んだ。


ガラリ。静かな音を立ててドアが開いた。


差し込んだ朝の光の中にその姿は現れた。

肩につかないくらいの毛先が少し揺れて、春の風に乗った花の匂いがふわりと届く。


そこには天城莉子が立っていた。






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