《能登》〜砲こそ、言葉である〜
明治四十五年、横須賀造船所。
砲術実験場に並ぶ砲身群の中で、ひときわ異様なものがあった。
真新しい鋼の肌に包まれ、巨人の腕のようなそれは、試作されたばかりの三十三センチ砲。試射のたびに大地がうなり、周囲の地面が波打った。
「これを……艦に乗せるだと?」
砲術将校たちは口をそろえて言った。
「過剰だ」「撃ちすぎる」「艦が耐えぬ」「装填に時間がかかりすぎる」――否定の言葉ばかりが並ぶ。
だが、その最前線に立つ者は、一歩も引かなかった。
若き技師、四条隼人少佐。
彼は《薩摩》の設計補佐を務めたのち、《能登》の主任設計に抜擢された天才肌の人物だった。
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「速力も、防御も大切です。しかし、決定的なのは“どちらが先に、貫けるか”です」
そう語った彼は、最初から明確に主張していた。
「三十三センチ砲、連装三基」――これを乗せるために、艦体そのものを一から見直すと。
「やめておけ」
「薩摩や安芸の設計を応用すれば済む話だ」
「新設計など許されるわけがない」
技術審議会では非難囂々。
だが彼は、砲塔ひとつのために艦を造るという執念で、反対意見を黙らせた。
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――砲のための艦
《能登》の設計は、薩摩型という枠を越えた。
砲塔は新開発の低重心式大型連装塔。弾薬庫の冷却効率を高め、揚弾機構も全自動化に近い形で設計。これにより、従来よりも1.3倍の発射速度を実現。
艦体は重量増加に対応すべく、船首楼型構造に変更され、装甲帯は前方へ厚く、中央は削減。
理由はただひとつ――「撃たれる前に沈める」という思想。
新型タービンも採用されたが、これはむしろ砲の重量に耐えうるバランス調整のためだった。
《能登》は、「艦砲が主であり、機関が従である」という極端な設計を貫いていた。
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――砲術家の誇り
初射試験。
海上公試艦《能登》の前甲板で、三十三センチ砲が火を吹いた。
轟音。衝撃。水柱。
観測艦の測距手が叫ぶ。
「命中! 目標中央、完全貫通!」
弾丸は3万メートル先の旧式装甲板を貫き、背後の堤にめり込んだ。
歓声は上がらなかった。
ただ、艦内のすべての者が、黙ってその結果を受け止めていた。
「……これが、言葉だ」
四条は低くつぶやいた。
彼にとって、砲撃は軍事行動ではない。“外交の最終手段”だった。
「この一発で戦争を止められるなら、我々が鍛えるべきは、速力ではなくこの砲である」
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――異端から、原点へ
《能登》は就役後、演習艦隊で“異端の重砲艦”と呼ばれた。
旋回性は鈍く、速力も薩摩に及ばなかった。防御は限定的。
だが――一発一発の砲撃は、すべてが「意志ある一撃」だった。
ある砲術将校は後にこう記している。
> 「能登の砲声には、不思議な威圧感があった。
> 撃たれた者ではなく、周囲の味方すら沈黙したほどだった」
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――やがて標準に
その設計思想は、《対馬》に引き継がれ、後の重砲搭載艦計画にも影響を与える。
さらには昭和初期の新鋭戦艦――金剛型・伊勢型・長門型――へと繋がっていく。
砲は語る。
艦は、その声を届ける器だ。
そう信じて造られた《能登》は、のちにこう評される。
――「艦隊の最前列ではなく、“意志の最前列”に立つ艦だった」