第7話「佐久間さんはたぶん、食べてない」
深夜のコンビニは、たまに哲学の温床になる。
「佐久間さんってさ、ご飯食べてるとこ見たことある?」
その一言を口にしたのは、うちの陽気担当・宮島ちゃんだった。
飲料の品出しをしながら、ポカリを片手にふとつぶやくみたいに。
「えっ?」
私は思わず、手に持ってた缶コーヒーを取り落としそうになった。
だって、言われてみれば――
ない。
私、佐久間さんが何かを“食べている”ところを、一度も見たことがない。
「ほら、飲み物はさ、よく持ってるじゃん。でも飲んでるとこは見たことないし、
お菓子とかも食べてる感じしないよね」
「いや、まさか……でも……」
今、私の中で何かが静かに崩れた音がした。
「うちの店のバックヤードって狭いじゃん? 誰が何食べてるかすぐわかるでしょ?
なのに、佐久間さんだけ……こう、実在感がない」
「宮島ちゃん、やめて。実在感って言い方、怖いから」
「いやほんと、あの人、もし“霞”とか食って生きてるタイプだったらどうする?」
「やめてってば!」
とは言ったものの――頭のどこかで、「霞はあり得る」と思ってしまった自分がいた。
だって、雨にも濡れない人だよ? 防犯カメラにすら映らないんだよ?
“食べない”くらい、むしろ自然じゃない?
それから私は、ちょっとした観察モードに入った。
佐久間さんの休憩時間、何をしているのか。
飲み物を口に運ぶのか、お菓子の袋を開けるのか、食べ物を咀嚼する気配があるのか。
それとなく様子をうかがってみたんだけど――
何もない。
というか、動きが少なすぎる。
彼はいつも通り静かに座って、何かを読んでいるか、じっと壁を見ている。
たまに手元にペットボトルがあるけど、私が見るたびに中身は変わらない。減ってない。
それどころか、一度見たときなんて、お菓子の袋だけが空になっていて、本体が行方不明だった。
どうやって食べたの? 消えたの? 暗器みたいにどこかに仕舞い込んだの!?
ますます混乱する私の前で、佐久間さんは相変わらず、いつも通りだった。
そして、その事件は起きた。
その日は珍しく、私がレジを担当していて、佐久間さんが店内に入ってきた。
制服ではなく、ジャージ姿。休憩中らしい。
「日向さん、焼きそばパンとお茶をお願いします」
「……えっ?」
思わず声が裏返った。
まさかの! 佐久間さんが! レジで! 買い物してる!!
ついにきた。これ絶対食べるやつじゃん。証拠チャンスじゃん。私は無駄に手を震わせながらスキャンした。
「320円になります」
「ありがとうございます」
代金を受け取って、レシートと商品を渡す。
佐久間さんはぺこりと頭を下げ、そのままバックヤードに入っていった。
……見届けた。私は確かに見届けたぞ。
焼きそばパンを! 買ったところを!
さて。あとは、食べる瞬間を確認するだけである。
私は冷蔵庫に氷を補充するふりをしながら、こっそりバックヤードをのぞいた。
佐久間さんは、椅子に座っていた。
テーブルには、ペットボトルのお茶が置かれている。
でも、焼きそばパンは――ない。
机にも、棚にも、椅子の下にもない。
食べ終わったゴミがある様子もない。
……嘘でしょ? 今、ほんの1、2分前に買いましたよね?
焼きそばパン。存在してましたよね!? あれ、幻!?
私は恐る恐るゴミ箱を確認する。
が、そこにもない。
袋も、包み紙も、何もない。
何? なに!?
あの焼きそばパン、どこいったの!?
空間ごと吸収した!? 時空の隙間にでも押し込んだの!?
シフト後、私はロッカー前でひとりうなだれていた。
「……見れなかった……」
「なにが?」と声をかけてきたのは、宮島ちゃんだった。
「佐久間さんが……焼きそばパンを食べるところ……」
「あー、それ見れたらレアだったねー」
「レアっていうか、伝説だった……」
「でもさ、食べてるとこ見たことない人、他にもいるんじゃない?」
「そ、それは……うちのバイトでは佐久間さんだけだよ……」
「だよねー。やっぱ、あの人さ、“食べない系”だよね。仙人とかそっち系?」
「……その線も濃厚になってきた」
私は頭を抱える。
これ以上何を信じればいいのかわからない。
佐久間さんはたぶん、食べてない。
そして、私の常識もたぶん、すでに崩壊してる。
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