第15話「佐久間さんは、服が乱れない」
今日は風が強い。
というか、暴れてる。爆風。バグ。そんなレベル。
朝の自転車通勤で、私は何度も風にハンドルを持っていかれかけた。
ヘルメットこそつけてないけど、念のためレインコートのフードを深くかぶっていた。
それでも髪は乱れるし、服の裾はバサバサするし、正直バイトに行くテンションじゃなかった。
で、店に着いて、入り口を開けた瞬間――
そこにいた佐久間さんを見て、私は固まった。
服、乱れてない。
まったく。ミリ単位で乱れていない。
シャツの裾も、エプロンの紐も、髪の毛一本たりとも風に負けてない。
「おはようございます、日向さん」
「あ、おはようございます……っていうか、傘さしてなかったですよね? 濡れてない……」
「風が強かったので、傘は使いませんでした」
「え、でも……どうやって……!?」
「通常通り、こちらへ」
いや、そりゃ“通常通り”なんだろうけど!
この風でどうやってそんな“無風通過”したんですか!? 忍法ですか!?
⸻
そのあと、バックヤードで宮島ちゃんと休憩を取っていたときの会話。
「日向ちゃん、さっきの風、やばくなかった? 自転車倒れてたよ」
「うん、私も2回くらい吹っ飛びそうになった……」
「でもさ〜、佐久間さん、あの人だけ風の中“普通”に歩いてなかった?」
「してた! 服乱れてなかったよね!? ほんとに!!」
「ね!? 私、あの人だけ空気と交信してると思ってる」
「いや、交信通り越して風を斬ってるってレベル……」
「いやもう、“風の斥力”持ってるとかそういう感じでしょ……」
ふたりで意味のわからない会話になってしまったけど、それぐらいインパクトがあった。
⸻
午後のシフト中。
私はおにぎりの補充をしていた。棚の角にしゃがみこんで、パッケージを前に詰めていると――
ふと視界の端に、妙なものが映った。
……佐久間さん。自動ドアを開けて入ってくる瞬間。
風でバサァッと開いたドアのすぐ横を、彼は静かに通過した。
けれど、まったく風を受けていなかった。
まるで、そこだけ空気が止まっているかのように、彼の服も髪も微動だにしなかった。
私はあわててモニター室に飛び込んで、店の防犯カメラ映像を巻き戻した。
「……やっぱり……」
映像の中では、風で棚のタオルや吊り下げ旗がぐるぐる揺れている。
でも、佐久間さんが通った場所だけ、“無風エリア”みたいになっている。
地面に貼ってあるPOP広告が、彼の通過時にだけ“押さえられたようにピタッと収まる”のを見て、
私は震えた。
⸻
「佐久間さんって、風に当たってます?」
シフト後、我慢できずに聞いた。
「はい?」
「いや、なんというか……風、受けてます?」
「一応、通過はしていますが」
「“通過”って、風って“通過”するものでしたっけ!?」
佐久間さんは少し考えるように目を伏せて、それから静かに言った。
「風の流れに合わせて動けば、身体に乱れは生じません」
「えっ、それって……具体的には?」
「力を逃がす姿勢と、布の張り方、あとは……慣れです」
「いやいやいや、“慣れ”って万能ワード使わないで!!」
私は混乱した。
そもそも風って、そんな“受け流し方”ある!? 物理で!?
⸻
その日の帰り際。駐輪場で荷物をくくっていると、風がまた強まってきた。
カバーの布がバタバタして、横のポールに吊るしたタオルが激しく揺れている。
でも、その横を歩いてきた佐久間さんだけは、やっぱり違った。
ポールのタオルが、彼の前を通過した瞬間――ピタッと止まった。
風でバタついていたタオルが、まるで何かに遮られたように、スッと静止したのだ。
そして彼が通り過ぎたとたん、また激しく揺れだす。
「なにそれ……防風結界?」
思わず口に出した言葉に、背後から「風を読むと、ある程度は対応できます」と返ってきた。
「ぎゃあああああ!?」
「失礼しました」
「いつも“失礼しました”で済ませてますけど!?!」
またしても、気配ゼロ登場。
もう風よりあなたの方が怖いですよ、ほんとに。
⸻
「……どうして、そんなに乱れないんですか?」
「環境に抗うよりも、環境を観る方が効率的です」
「観る……?」
「風も、音も、光も。観察すれば、乱すことなく進めます」
その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かがストンと落ちた。
この人は、ただ動いているんじゃない。環境と“戦って”ないんだ。
“調和”してる。……そんなレベルで。
……でも、だったら。
「なんで、普通のフリーターなんですか……?」
「普通の、とは?」
「いや、こんだけ凄かったら……なんか、もっと別の場所にいそうじゃないですか」
佐久間さんは少しだけ笑った。珍しく、ほんのわずかに。
「こちらが、一番“乱れない”ので」
……なんでこの人の言葉って、いつもそんなに意味深なんだろう。
⸻
その日の帰り道、また風に煽られてカバンがズレた。
信号待ちのときにふと隣を見ると、街灯の下で待つ佐久間さんの制服が、やっぱり一切揺れていなかった。
佐久間さんは、服が乱れない。
その整いすぎた姿を見てると、なんか、こっちの人生が雑に思えてくるんですよね……。
いかがでしたでしょうか?
ブックマーク、評価、コメント、感想など励みになります。
いただけたら嬉しいです!




