第10話「佐久間さんは、後ろから来ない」
朝の駅前は、眠気と現実の混合物だ。
私はその朝、通学バッグを自転車のカゴに積んで、近くのドラッグストアに寄っていた。
勤務前の買い出し。今日のシフトは朝七時から、例によって開店準備だ。
「眠……」
夜ふかししたツケが目にくる。
カフェインの錠剤を買って、ついでに雨上がりの地面に気をつけつつ外に出る。
ふと、視界の端に見慣れた姿がよぎった。
紺色のジャージ。歩幅小さめの落ち着いた歩き方。背筋の通った後ろ姿。
佐久間さん、だ。
「えっ、佐久間さん!?」
声には出さなかったけど、完全にびっくりした。
だって、佐久間さんが向かっているの、こっちのコンビニと反対方向だった。
ジャージ姿で傘も差さず、ゆっくりと歩いている。
私が出勤する時間とそう大きくズレてない。つまり、今から向かう途中のはず。
(今日は私のほうが先に店に着く……)
なぜか勝手に謎の勝負モードに入りつつ、私はペダルを踏んだ。
⸻
全力で自転車をこぎ、信号もギリギリセーフで渡って、五分後。
私は店のシャッターを開けて、バックヤードのドアをくぐった。
「……あれ?」
すでに店内の照明がついていて、冷蔵棚には補充途中の商品が並んでいた。
レジ横のPOSには起動済みの画面。ということは――
「日向さん、おはようございます」
「うわっ、もういる!?」
佐久間さんは、制服姿でそこに立っていた。
完璧な身だしなみ。濡れてもいないし、息も乱れていない。
「え……あれ? さっき、駅前で……」
「駅前?」
「ジャージで、歩いて……あれ? 時間……」
佐久間さんは、私の問いに首をかしげただけだった。
答える気配はない。いや、答えられないのか?
⸻
その違和感は、一度だけでは終わらなかった。
別の日。今度はシフト前、コンビニ裏の商店街で、私はまた佐久間さんらしき姿を見かけた。
傘も帽子もなし。相変わらず濡れてない。そしてまた、こちらとは逆方向を歩いていた。
でも店に着くと、もう店内整理が進んでいて、佐久間さんは制服姿でペットボトルの箱を持っていた。
「佐久間さん、え、あの、いつから……?」
「日向さんが入られる前からかと」
「いや、それは……そうなんですけど……」
わからない。
物理的に、あの距離とあの方向から来て、どうやって私より先に?
いや、来てないのか? もしかして、“店にずっといた”? でもじゃあ、私が見たのは?
⸻
「宮島ちゃん、あのさ、佐久間さんって……瞬間移動してない?」
「は?」
昼シフトの宮島ちゃんに相談した私は、開口一番に首をひねられた。
まあ、そりゃそうだ。
「いや、今朝、店とは逆方向に歩いてるのを見たんだけど、私が店に着いたらもう制服姿でいたの。
着替える時間もないはずなのに」
「……こわ。え、幽体離脱?」
「やめて、そういうの」
「じゃあ……何? 影武者? 分身の術?」
「真面目に考えてよ!!」
けど、私も真面目に考えた結果、もはや非現実に頼るしかないのだ。
事実として、目撃した方向と、現れた場所が一致しない。
物理法則に合わない。
⸻
私が店長に尋ねてみたこともある。
「佐久間さんって、いつも何時くらいに来てるんですか?」
「ん〜、大体早めにいるよね。助かってるよ〜。鍵開けてくれるし」
「誰かと一緒に来てるの見たことあります?」
「ないね。というか、見かけたことないかも。入ったらいる、みたいな?」
やっぱり。
佐久間さんは、“通勤してない”わけじゃない。**誰も「来たところを見たことがない」**だけ。
⸻
その日、私は少し遅れて店を出た。
駐輪場の横で、なんとなく空を見上げながらつぶやいた。
「佐久間さんって……どこから来てるんだろう……」
「日向さん、どうかしましたか?」
「ぎゃああああああ!!」
いつものパターンである。背後ゼロ音量登場。
反射的に飛び上がる。こっちはもう、心臓が寿命を迎える寸前。
「すみません、驚かせるつもりはなかったのですが……」
「それ毎回言ってますけど!?!?」
落ち着いて深呼吸しながら、私は彼の目を見た。
「佐久間さんって……本当に、前から来てるんですか?」
「日向さんが見かけているなら、そうなのでしょう」
「いや、あれ“通過”してますよね? でも店では“待ってる側”なんですけど!?」
「先に、こちらに着いた方が合理的ですから」
理屈になってない。
それっぽいけど、全然説明になってない。
でも、それ以上は何も聞けなかった。
佐久間さんは「では失礼します」とだけ言って、歩道の影へ消えていった。
足音も、気配も、やっぱりない。
佐久間さんは、後ろから来ない。
ていうか、前から来たと思っても、いつも先にいる。
あの人、いったい“どこ”から現れてるんですか。
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